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第5巻「北の大地の戦い」

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65.水晶玉

 占いおばばが膝に置いている水晶玉は、本当にガラスのように透きとおっていて、曇りひとつありませんでした。紫の布を敷いた上に置かれていて、その色が玉の中に映っています。向こうの景色が、大きく歪みながら逆さまに見えています。三人と一匹の少年たちは、頭を寄せ合うようにしながら、占いおばばと一緒にそれをのぞき込みました。

 おばばがしわだらけの手を玉の上にかざすと、やがて、その中心に、もやもやと白い霧のようなものが現れ始めます。少年たちは、はっとすると、さらに目をこらしました。霧のようなものはみるみるうちに玉全体に広がり、やがて渦を巻いてひとつの光景を浮かび上がらせていきます――

 

 そこは薄暗い場所でした。ぼんやりした光がどこからともなく差していていますが、空間全体を見極められるほどの光量はありません。なにもかもが、あいまいに入りまじった、見極めのつかない世界でした。

 けれども、占いおばばはつぶやきました。

「やっぱりここはサイカ山脈だね……山の地下にある洞窟の中みたいだ。どれ」

 おばばが玉の上で手を動かすと、急に中の光景が明るくなり、焦点があったように映像がはっきりし始めました。物の輪郭が浮かび上がってきます。。

 とたんに、少年たちはいっせいに息を飲みました。占いおばばも、目を見張って思わず声を上げます。

「こりゃあ……」

 洞窟は切り立った黒い岩壁に囲まれて、部屋のようになっていました。その中央に、もつれ合った巨大な塊があります。絡み合った木の根の束のように見えますが、黒い色をしていて、表面はぬめるように光っています。フルートたちは、以前にもそれと同じものを見たことがありました。闇の触手です。大蛇が巨大な長虫のように、絶えず、うねうねと動き続けています。

 触手の束は、まるで床から生えてきているように、部屋の中央にそそり立ち、中に何かを抱え込んでいました。触手の隙間から、絡みつかれた獲物の姿がわずかに見えます。――それは、三人と一匹の少女たちでした。

「ポポロ!」

「メール!」

「ルル!」

 フルートとゼンとポチは、ほとんど同時に叫びました。一瞬遅れて、「姉ちゃん!」とロキが声を上げます。少年たちが見ている方向からは、ロキの姉の姿はほとんど見えず、ただ長い黒髪だけがわずかに触手の間からこぼれていたのです。

 少女たちは、闇の触手にすっかり取り囲まれ、全身をがんじがらめにされていました。体に手足に首に顔に、いたるところに闇の腕が絡まり、少女たちを身動きひとつできなくしています。

「メール!」

 ゼンがまた叫びました。花使いの姫は他の少女たちの一番前で、両手を広げた姿で闇の触手にとらわれていました。寸前まで仲間の少女たちを守ろうとしたのです。

「馬鹿やろ、おまえ……そこに花なんか咲いてなかったんだろうが……」

 とゼンが声を震わせます。

 メールの後ろで、ポポロは片手を高く差し上げた姿で、ルルが宙づりの形で、触手に絡みつかれていました。やはり、それぞれに敵と戦おうとして、力及ばずつかまってしまったのです。少女たちの顔は白く血の気がなく、どれも、苦痛に大きく歪んでいました。

「ワン! ルル、ルル――!!」

 ポチが狂ったように水晶玉に呼びかけます。犬の少女は首を太い触手に締め上げられて、まるで死んだようにつり下げられていたのです。

 フルートが、その映像を食い入るように見つめながら、膝の上で拳を握りました。その手は激しく震えています。唇を血が出るほど強くかみしめて、うめきます。

「……よくも……」

 

 魔王は以前にも、メールの父の渦王や伯父の海王をとらえて、その力を自分のものにしようとしました。北の大地に現れた今の魔王ではなく、天空の国と東の大海を襲ったゴブリン魔王の時です。とらわれて力を奪われた渦王たちは、死んだように黒い石の台の上に横たわり、力を体に戻してもらうまで身動きひとつすることができませんでした。

 フルートたちは、なんとなく今回も、そんな姿で少女たちがとらわれているように思いこんでいたのです。死者のように横たわりながらも、相応の尊厳を持って扱われているのだろう、と。自分たちが、とんでもなく甘い考えでいたことを、少年たちは嫌と言うほど思い知らされてしまいました。

 闇の触手に締め上げられている少女たちは、はっきりと苦しそうな表情を浮かべています。その顔色は、本当に死人のようです。

 ゼンが占いおばばにどなりました。

「死んでるのか!? こいつら、生きてるのかよ!?」

「静かにおし」

 きっぱりとおばばが言い返しました。

「そんなに興奮すると、映像が乱れて見えなくなるよ。――大丈夫、こんな姿だけれど、この子たちはちゃんと生きてるよ。触手の表面から力を奪い取られているから、身動きすることはできないけどね。怪我なんかはさせられちゃいないよ。でも、ここからじゃ、ロキの姉さんの様子が見えないね」

 おばばがまた、水晶玉の上で手を振りました。ゆっくりと球体の中に映る光景が動き出します。それはまるで、見えない大きな目がゆっくり移動しながら少女たちを眺めているのを、水晶玉を通じて一緒に見ているような感じでした。

 見えない目が、メールたちがいるのとは反対の方向へと移動していきます。長い黒髪が触手の間から垂れ下がり、やがて、絡みつかれてぐったりと頭を下げている少女の姿になっていきます。ロキの姉のアリアンです。

「姉ちゃん! 姉ちゃん!!」

 ロキが声を上げました。すでに泣き声になっています。すると、黒髪の少女が顔を上げました。まるで弟の声が聞こえたように、こちらを振り返ってきます――

 

 それは、薄青い目をした男の顔でした。

 姿は長い黒髪の華奢な少女なのに、顔だけが痩せた中年男の顔になっています。思わず、ぎょっと身を引いた少年たちに向かって、水晶玉の中から、にたりと笑いかけてきます。

「魔王だ――!!」

 フルートは叫んで剣を引き抜きました。ゼンとポチが身構え、ロキが悲鳴を上げて飛びのきます。みるみるうちに、水晶玉の中が真っ黒に染まっていきます。それを膝に抱えるおばばが、青ざめて叫びました。

「見つかっちまったよ! 抑えられない――!!」

 突然、水晶玉から真っ黒な光がほとばしり、テントの中にいた全員を打ち倒しました。テントが突風にあおられたように天高く舞い上がり、凍った雪原に墜落してめちゃくちゃに壊れます。

 フルートは必死で顔を上げました。占いおばばも仲間たちも、みんな雪の上に倒れています。おばばのそばに転がった水晶玉から黒い霧がわき上がり、宙に浮かぶ男の姿に変わっていきます。黒ずくめの服を着た、痩せた男です。薄青い瞳が、雪の上の一同を見回して冷ややかに笑います。

「こんなところに隠れていたか、勇者どもめ」

 フルートは跳ね起きました。片方だけになっている腕に剣を構えて、即座に魔王に切りかかっていきます。その後ろから白い矢が飛んできました。ゼンが雪の上に倒れたままの姿勢でエルフの矢を放ってきたのです。けれども、鋭い剣の切っ先も百発百中の魔法の矢も、魔王を傷つけることはできませんでした。まるで霧の中を通り抜けるように、魔王の体の中を素通りしていってしまいます。

「ワン、実体じゃないんだ!」

 とポチが飛び起きながら叫びました。

 

 すると突然、うぉーっとウィスルがどなりました。獣が吠えるような声です。思わずそちらを見た少年たちは、またぎょっとしました。いつの間にか、そりの近くに見上げるような怪物が立っていたのです。頭と体の前半分がワシで、体の後半分がライオンの真っ黒な怪物――グリフィンです!

 グリフィンはワシの前足を振り上げて、今にもトナカイに襲いかかりそうにしていました。ヒホーン、ヒィホホーン! とそりにつながれたトナカイが悲鳴を上げ続けます。近くにいたはずのグーリーは、もうとっくにどこかへ逃げてしまっていました。

 おばばのそりのトナカイがもがき続けます。そりを引いたまま逃げようとするのですが、グリフィンがもう一方の足でそりを押さえ込んでいるので、動くことができません。そこへ怪物が前足を振り下ろしてきました。トナカイが必死で身をかわし、かぎ爪のついた前足が、狙いはずれてそりのランプを粉々にします。

 うぉーっ、うぉーっとウィスルが獣のように吠えながら、そりから棍棒を取り上げて怪物に殴りかかっていきました。ことばは一言も発しません。それで初めて、子どもたちはウィスルが話せなかったことに気がつきました。

 怪物がまた前足を振り上げ、勢いよくウィスルを押さえ込みました。大男のウィスルも、巨大なグリフィンの前では子ウサギのように小さく見えます。その獲物へ怪物がくちばしでとどめを刺そうとします。

「危ねぇっ!」

 ゼンが跳ね起きざまにエルフの矢を放ちました。狙いをつける間がなかったので、矢はグリフィンの目の前を飛びすぎましたが、怪物の注意をウィスルからそらすことはできました。怪物がワシの頭をめぐらしてドワーフの少年を見据え、ウィスルを雪の上にうち捨てて近づいてきます。

「下がれ、ゼン!」

 とフルートは友人の前に飛び出しました。炎の剣で怪物に切りかかっていきます。

 すると、その背後でごおっと風の音がして、巨大な白い犬が飛んできました。風の犬に変身したポチです。いきなりフルートの体に風の体を巻きつけると、つむじ風のような勢いで運び去ってしまいます。

 そのとたん、たった今までフルートが立っていた場所に黒い光の球が炸裂しました。凍った雪を蹴散らし、一瞬のうちに蒸発させて真っ白な水蒸気を上げます。空中から片手をそちらへ伸ばしていた魔王が、いまいましそうな表情になります。

 黒い光の破裂をかろうじて避けていたゼンがどなりました。

「みんな、気をつけろ! 魔弾だ――!!」

 彼らの目の前に現れた魔王は、実体でないのにもかかわらず、闇の魔法で攻撃してくることができるのでした。

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