雪原は静かでした。テントから見えるそりのかたわらで、大男のウィスルが料理を続けています。火皿の上には鍋がかけられ、ぐつぐつと音を立てています。ウィスルが鍋のふたを取って中身をかき混ぜるたびに、ふわっと白い湯気が上がり、いい匂いがテントまで漂ってきます。
けれども、子どもたちは少しもそれに気がつきませんでした。空腹だったことも忘れて、占いおばばが語る歴史に耳を傾けています。
「天空の国で大戦争があったって……デビルドラゴンが天空の国を襲ったんですか?」
とフルートがおばばに尋ねました。風の犬の戦いの時のことを思い出します。デビルドラゴンが乗り移った魔王が、天空の国と民に突然襲いかかって支配し、地上にまで手を伸ばしてきた戦いです。
すると、おばばは首を振りました。
「いいや、直接デビルドラゴンと戦ったわけじゃない。天空の民同士が対立して戦争を始めたのさ」
フルートたちはまた驚きました。天空の民は、光の民とも呼ばれる心正しい人たちです。特にその頂点に立つ天空王は正義の王と呼ばれ、あらゆる悪を決して許すことがありません。そんな正義の国で、国を二分する大戦争があったというのは、すぐには信じられない気がしたのです。
「ワン。それっていつ頃の話なんですか? その頃にはまだ、天空王はいなかったんでしょうか?」
とポチが尋ねました。
「今からざっと二千年前のことだよ。今の天空王は、まだ生まれちゃいなかったけれど、その当時も天空王と呼ばれる王はいたよ。そして、天空の国はその当時から、光と正義の国と呼ばれて、心正しい人々が住む国とされていたのさ」
「じゃあ、なんでだよ! 心が正しいヤツらでも結局戦争はやるってことなのか!?」
とゼンが怒ったように聞き返します。二千年も昔の話だというのに、自分たちが知っている天空王やポポロがその戦いに巻き込まれているような、なんだか落ちつかない気持ちがしたのです。
すると、おばばが静かに答えました。
「光の中から闇が生まれてきたからさ……。天空の民は、光と闇の二つの陣営にまっぷたつに別れてしまったんだよ」
「光の中から、闇が生まれてきた?」
と子どもたちはまた聞き返しました。おばばのことばは、何とも謎めいて聞こえます。
ゼンが弱ったように頭をかきました。
「なあ、ばあちゃん……俺はフルートと違って、あんまり頭はよくないんだよな。頼むから、俺にもわかるように説明してくんないかな」
「ぼくにだって、意味がわからないよ」
とフルートがつぶやくように言います。
おばばは相変わらず静かな声で話し続けました。
「こんな場面を想像してごらん。どこでもいい、一面に強い光が当たっている場所があったとする。何もかもまぶしいくらいに光り輝いていて、それは明るい景色に見えるんだけれど、光が当たらない部分というのは必ずあって、そこは、周りの光が明るければ明るいほど、濃く暗い影になっていくんだ……。天空の国でも、それと同じことが起こったんだよ。人々は確かに光の民と呼ばれるような、心正しくすばらしい種族だった。当時の天空の民は、正義や人を助けるためだけに魔法を使って、決して私利私欲のために魔法を使うことはなかったと言われるよ。その強力な魔法で、引き裂かれ荒れ果てていた世界を復興させていったのさ。……でもね、考えてごらん。人はそんなにいつも誰でも、他人のことばかりを考えていられるだろうかね? 強力な魔法で他の者ばかり助けるうちに、その力を自分自身のために使いたくはならないだろうかね? いくら天空の民だって、心はあたしたちと同じ人の心さ。いつか、他人のためより自分自身の幸せを追い求めるような、闇の心を持つ者が出始めたのさ――」
とたんに、ゼンが首をかしげました。
「でもよぉ、それってそんなに悪いことか? せっかく魔法が使えるんだから、自分のためにだって使ってかまわないだろう。それがなんで闇の心になるんだよ?」
占いおばばがほほえみました。優しい笑顔でした。
「そうだね。あたしもそう思うよ。でも、当時の天空の民は、そうは思わなかったんだね。光が強すぎたんだよ。あんまり考え方が正しすぎて、ほんのちょっとでも自分のために生きることが許せなかったんだろう……。彼らは自分のために魔法を使おうとする仲間たちを、闇に落ちたと呼んで、激しく非難を始めたのさ。非難された方は、どうして自分のために魔法を使うのが間違っているんだ、と言い返す。そして、天空の民は二つのグループに分かれ激しく争い始めたのさ。それがやがて光と闇の陣営になり、魔法戦争になり、天空の国中を巻き込む大戦争に発展していったんだよ」
占いおばばの話は、まるでその場面を見てきた人のようでした。いえ、本当に見てきているのです。光と闇の研究家の異名を持つ老婆は、自分の水晶玉を通じて、二千年も前の戦いの様子を眺めたことがあるのでした。
「人の心というのは不思議なものだよね。光と闇が、いつだってひとつの心の中に背中合わせで存在しているんだから。光の陣営の魔法使いたちも闇の陣営の魔法使いたちも、互いに憎み合って殺し合ったんだよ。元は同じひとつの仲間だったのにね。そうなりゃもう、どっちが正義でどっちが悪だかわかりゃしない。そこまで来て、ようやく天空の民は気がついたのさ。千年前に姿を消したはずのデビルドラゴンが、実は自分たちの中に忍び込んでいて、心の闇に働きかけて仲間割れを引き起こしていたんだ、ってことにね――」
何も言えなくなっている少年たちを、占いおばばは見回しました。いっそう静かな口調になって続けます。
「やっと真の敵を知った光の陣営は、ただちに戦いをやめようとした。でもね、戦いはもう後へ引けないところまで来てしまっていたのさ。闇の陣営は天空の国を出て地上へ降り、さらに地下へ姿を隠した。そして、そこから地上を破壊しようとしたのさ。太古のエルフたちの魔法戦争にも劣らないほど激しい戦いが、今度は地上で始まったんだよ」
「ワン、どうして今度は地上なんですか? 天空の国の光の陣営と戦っていたはずなのに」
とポチが口をはさみます。おばばはまた、ちょっと笑いました。
「さて、どうしてだろうねぇ……。そのへんが人の心の不思議さかね。光の民が魔法で復興させてきた地上を破壊することで、光の陣営を痛めつけるつもりだったんだろうかねぇ。それとも、やっぱりデビルドラゴンに操られていたからだろうかねぇ。なにしろ、デビルドラゴンは破滅だけを考えている魔物だから……」
そして、おばばはテントの入口から、遠く雪原の彼方を眺めました。そこから、世界中の地上すべてを見渡すようなまなざしでした。
「闇の軍勢はデビルドラゴンと共にあったから、非常に強力だったんだよ。闇の力を自分たちの魔力の源にして、地上を次々に破壊していったんだ。たくさんの闇の怪物が生み出されて、地上に襲いかかっていった。でもね、地上の種族たちも、それに黙ってはいなかったんだよ。天空の民の呼びかけで、ありとあらゆる世界中の種族が闇の陣営と戦うために集まって、光の連合軍を作ったのさ。その頃には、人間やドワーフたちも自分独自の文化を持つようになっていたから、呼びかけに応えて一緒に参戦したよ。激しい戦いは、実に九十年間にも及んだ。敵も味方も数え切れないほどの命を失い、大地も海も山も川も、流された血で真っ赤に染まった。ところが、光と闇の勢力は五分と五分で、いつまでたっても勝敗は決まらなかった。――そんなところへ、光の陣営に金の石の勇者が現れたのさ」
物語の中に急にフルートが登場してきたので、子どもたちはびっくりしました。ポチが思わず声を上げます。
「ワン、そんなはずないですよ! 二千年前の戦いですよね? フルートはまだ生まれてないじゃないですか!」
すると、おばばが笑いました。久しぶりに、ほほほ、と笑い声が響きます。
「ここにいる金の石の勇者のことじゃないよ。魔法の金の石に選ばれた者が金の石の勇者になるんだ。その当時にも金の石はあって、石が選んだ勇者がいたってことさ。そうさね、紛らわしいから、こっちの勇者はフルートと名前で呼ぼうかね。当時の金の石の勇者は、フルートよりもずっと年上の青年だったよ。一度だけ水晶玉で姿を見ることができたけどね、黒い髪に黒い瞳の、なかなかの美丈夫だったっけ」
少年たちは目をぱちくりさせました。二千年前にも、この世に別の金の石の勇者がいたのです。
そうか……とフルートがつぶやきました。
「金の石を手に入れると金の石の勇者になれる、って言い伝えが残っているくらいなんだから、過去に本当にそうやって勇者になった人がいたってことだったんだよね。そうか……そうだったのか……」
「その金の石の勇者は、光の陣営で何をしたんだ?」
とゼンが尋ねると、おばばがまた声を上げて笑いました。
「そりゃ、あんたたちが一番良く知っているんじゃないかい? 金の石は人を守る石なんだろう? それに選ばれた勇者だもの、やっぱり他人を守って戦ったに決まってるさ」
ゼンは思わず肩をすくめました。
「要するに、大昔にもフルートみたいな馬鹿がいたってことか。こんなお人好し、めったにいないと思ってたんだけどなぁ」
すると、ポチが口をはさみました。
「ワン。本当にめったにいなかったんですよ。だって、フルートは二千年ぶりに世に現れた金の石の勇者なんだもの。つまり、それくらい珍しい存在だった、ってことですよ」
「ははぁ。二千年にひとりしか現れないお人好しの逸材だったってわけか。うん。だろうなぁ」
「ゼン! ポチ!」
フルートは思わず顔を赤らめて叫びました。完全に仲間たちからおちょくられています。
すると、占いおばばが優しい目になりました。
「二千年前の金の石の勇者と、このフルートは、また別の人間だよ。似ているところもあるけれど、違っているところだってたくさんある。フルートはまだ子どもだから力は全然足りない。でもね、その分いい友だちをたくさん持っていると思うよ」
とたんに、勇者の仲間たちは目を輝かせました。ゼンが嬉しそうに声を上げます。
「ばあちゃん、いいこと言うなぁ!」
すると、おばばは高らかに笑ってから、ふいに、しみじみした表情に戻りました。
「今度の金の石の勇者は、ひとりきりでは戦ってない。それがね、二千年前とは決定的に違うことなんだよ……」
その灰色の瞳は、遠い昔にあった何かを見つめているようでした。