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第5巻「北の大地の戦い」

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第16章 光と闇

62.太古の歴史

 太陽が薄い雲の中で輝いていました。北の大地の空は水色です。風ひとつ吹かない穏やかな雪原を赤いそりが走り、やがて浅い窪地で停まりました。

「このへんでいいね。ここらで昼食と行こう」

 と占いおばばが言い、大男のウィスルがそりから降りて、雪の上にあっという間に小さなテントを立てました。老婆が子どもたちを連れてテントの中に入ります。前にロキが準備したテントと同じような形をしていますが、一回り大きく、入口の垂れ幕は大きく引き上げてありました。

 ウィスルが今度はそりの近くの地面に火皿を置いて、料理の支度を始めました。雪の上にどっかり座りこむと、小刀を使って凍りついた雪エンドウのさやをむき始めます。鍋の中に緑色の大粒の豆が次々と転がり出ていくのが、テントの中からも見えました。

 フルートたちが珍しそうにそれを眺めていると、占いおばばが言いました。

「さて、シチューができあがるまでには時間がかかるから、それまでの間、少し話をしようじゃないか。静寂のランプの火を強めておいたからね、大丈夫、魔王に聞かれる心配はないよ」

 と、そりに下がっている小さなランプを指さして見せます。子どもたちはうなずくと、占いおばばの近くに座り直しました。床には分厚いトナカイの毛皮が敷き詰めてあって、それ一枚で充分地面からの冷気を防いでいました。

「本当は火皿もたいたほうがいいんだけどね。暖かくなると、金の石の勇者の腕がまた溶け出しちまうから、火の気はなしにしておくよ」

 と老婆が言います。子どもたちはまた、いっせいにうなずきました。フルートが、感謝するように、ひときわ深く頭を下げます。

 

 テントの入口から外を見ても、雪エンドウの森はどこにも見あたりません。豆の木はすっかり枯れて倒れてしまいましたが、それでも付近から続々と動物が集まり、枯れた葉や茎や、雪の中に埋まった豆を必死で食べ続けています。それがあまり騒々しかったので、彼らはそりを走らせて少し離れた場所まで移動したのでした。

 入口の向こうに広がる白一色の雪原をしばらく眺めてから、占いおばばがまた口を開きました。

「まずは何から話をしようかねぇ……。ずっと水晶玉であんたたちを追いかけながら、あれもこれも話して聞かせたいと思っていたんだけれど。あんたたちのほうで聞きたいことがあったら、そのことから話そうかね?」

 すると、フルートが居ずまいを正しました。占いおばばに向かって、ていねいにまた頭を下げます。

「まずはお礼を言わせてください。ぼくたちを助けてくださってありがとうございました。ダイトの人たちと戦うわけにはいかなかったから、本当に助かりました」

 小柄な老婆は目を丸くすると、すぐに、ほっほっほっと笑い声を立て始めました。

「金の石の勇者は本当に行儀がいいねぇ! さすがは光の勇者だこと」

「光の勇者?」

 少年たちは、けげんそうに繰り返しました。言われていそうで、今まで誰からも言われたことがない呼び名でした。

 すると、おばばが深いまなざしになってうなずきました。

「そう。あんたらは光の陣営の先頭に立って戦っている光の戦士たちさ。自覚はなくてもね。だから、光の一族たちが次々にあんたたちを手助けしてくれてるんだよ」

 光の一族というのは、天空王や白い石の丘のエルフといった、おなじみの人たちのことです。フルートは少し首をかしげて考え込むと、おもむろに老婆へ言いました。

「その話を聞かせてください。ぼくたちはずっと闇と戦ってきたし、天空王たちにもいつも助けられてきたけれど、そもそも光と闇がどんなものなのか、それはよくわからないんです。なんとなく雰囲気で感じてきただけで」

「闇のヤツらが襲ってくるから、ぶっ飛ばしてきただけなんだよな」

 とゼンもうなずきます。すると、老婆がまた笑い出しました。今度は意外なほど物静かで穏やかな笑い声でした。

「その話をするなら、あたしが適任だろうね……。あたしゃ長年ダイトで占い師をしてきたけどね、そのかたわら、ずっと研究も続けていたのさ。『光と闇の研究家』ってのが、あたしのもうひとつの呼び名だよ――」

 ウィスルがテントに近づいてきて、黙ったまま小さなヤカンと器を置いていきました。おばばはそこから熱い飲み物を器につぎ分けると、子どもたちに配りながら言いました。

「それじゃ、聞かせてあげようかね。光と闇がこれまでどんなふうにして戦ってきたか。そもそも、光と闇というのはなんなのか――」

 テントの外では雪原に日の光が降りそそぎ、きらめきと陰影が入りまじった景色を広げていました。

 

「あたしたちトジー族は、もともとはエルフ族から派生した種族だと言われているんだよ」

 と占いおばばが話し出しました。

「種族の歴史は、今、この世界にいる中でもエルフ族に次ぐくらい古くてね、だから、他の種族には伝わっていないような古い物語がいくつも残されているのさ。北の大地の冬は暗くて長い。吹雪で家に閉じこめられている間の慰みに、何千年もの間、同じ物語が繰り返し語られてきたんだよ。この世界には、賢者と呼ばれる人たちが大勢いて、中にはこの世界の歴史や秘密を解き明かそうと、やっきになっている人たちもいるんだけどね、トジー族は誰もが小さい頃から、その賢者たちをしのぐほどの歴史を知っているのさ。――ロキ、勇者たちにあたしたちトジー族の始まりの物語を聞かせておやり」

 急に指名を受けて、ロキが驚いた顔になりました。

「え……トジー族の始まりの物語って……もしかして、これのこと?」

 と、とまどいながらも、詩のような物語を語り始めます。

「太古の昔、まだ大地がひとつながりだった頃、世界には獣とエルフたちだけが住んでいた。エルフの暮らしは長い間、穏やかで平和だったが、やがて、水底に泥が沈むように闇がよどみ、その奥から一匹の邪悪な蛇が生まれてきた。蛇はエルフの間に争いを起こし、世界中は戦場になり、魔法が大地を引き裂き、海が大地を洗い流した。長い戦いの果て、生き残ったエルフたちはちりぢりになり、北の大地に逃れたエルフは、やがて雪と氷の中での暮らしに合わせて姿を変えて、トジー族になっていった……って、この話のこと?」

「そう。あたしたちトジー族の始まりの物語さ。そして、これがこの世界の太古の歴史そのものでもあるんだよ。思い当たることがあるだろう、勇者たち?」

 フルートとゼンとポチは、ロキの話の途中から互いに顔を見合わせていました。思い当たるどころではありません。疑いようもない真実が、物語の中にありました。

「闇から生まれてきた邪悪な蛇っていうのは、デビルドラゴンだ!」

 とフルートは叫びました。ゼンもうなずきます。

「よどんだ闇ってのも、どんなのか想像がつくぞ。闇の神殿にあった闇の卵のことだ」

「ワン! デビルドラゴンは大昔にも、この世界に出現していたことがあるんですね! そして、やっぱり人の心に疑いや憎しみを植えつけて、争いを引き起こして――その時には本当に、世界中が滅亡しそうになったんだ!」

 占いおばばがうなずきました。

「その通りだよ、勇者たち。闇の卵というのは、世界中の邪悪さがよどみに寄り集まったものさ。その中からデビルドラゴンが生まれてくるんだ。デビルドラゴンというのは、悪そのものの存在だよ。ひとかけらの善も情も持ち合わせちゃいない。それは、あんたたちも充分に承知しているだろう?」

 フルートたちは思わずまた顔を見合わせました。闇の声の戦いの際のすさまじい死闘がよみがえってきます。勇者の少年たちは、精神的にも肉体的にもデビルドラゴンに限界まで追い詰められ、ぎりぎりの瀬戸際で、やっと敵を追い払うことができたのです――。

 

 少しの間考え込んでから、フルートが言いました。

「今、ぼくたちが戦っているデビルドラゴンは、本体ではありません。奴の本体はまだ世界の果てにあって、この世界に来ているのは奴の影に過ぎないんです。でも、影だけでも、あいつの力はものすごく強力です。人の心の闇に呼びかけて、心も体も支配しようとするから……。もしも、本体がこの世界にやってきて、直接人の心に働きかけたんだとしたら、本当にものすごい戦いが起こったんだろうと思います……」

 そして、そのまま、また考え込んでしまいます。フルートたちは世界中の人たちのために、デビルドラゴンの影や、それが乗り移った魔王と戦っています。彼らが負けてデビルドラゴンがこの世を支配したとき、世界がどんな状態になるのか、おぼろげながら想像がついてきたような気がします。

 すると、おばばが言いました。

「大地がひとつながりだった、っていうのはね、昔々は、この世界の大陸が一箇所に集まっていた、っていうことなんだよ。それが、エルフの魔法戦争で引き裂かれて、今のような形で世界中の海に散っていったのさ。戦いの中で、本当に大勢のエルフたちが死んだ。もちろん、他の生き物たちもね。そして、戦う力をなくしてあちこちに散っていったエルフの生き残りが、今のさまざまな種族の元になったのさ。北の大地にやってきたのが、今のあたしたちトジー族の先祖だけど、海に移り住んでいったエルフは海の民になった。あんたたちの仲間は、そのお姫様だったよね?」

 ゼンが、おっ、という顔でうなずきました。メールのことです。

 おばばが続けました。

「特に魔力が強いエルフたちは、大陸の大変動を避けるために、自分たちの国を空に飛ばしたよ。彼らは自分たちの本当の敵がデビルドラゴンだとわかっていて、最後の最後まで抵抗していたんだけどね、戦いがあまりにも広がりすぎたものだから、世界の崩壊を食い止めることができなかったのさ。魔法で浮かび上がった国は、そのまま天空の国になって、世界の上空を飛び回るようになった。そして、その国の住人は天空の民と呼ばれるようになったんだよ」

 これにはフルートがうなずきました。その末裔がポポロなのです。そう言われてみれば、渦王たち海の民や、ポポロや天空王といった天空の民は、皆、肌の色が抜けるように白く、耳の先が少しとがっていて、どことなく似たような雰囲気があります。同じエルフから生まれてきた種族だと思えば、なんとなく納得がいく気がしました。

 すると、ワン、とポチが吠えました。

「その頃、人間たちはどうしていたんですか? ドワーフは? まだ世界に誕生してなかったんでしょうか?」

「いたよ。でもね、エルフ以外の種族はまだ文明を持っていなかったんだ。まるで獣のように野山を駆け回って生きていたのさ。ドワーフもノームもまだ、地中で暮らすようにはなっていなかったね。みんな、他の動物たちと一緒に、引き裂かれた大地のあちこちに散らばっていったんだよ」

 ちぇ、とゼンが舌打ちして、思わず頭をかきました。なんとなく、メールやポポロたちに後れを取ったような気分になります。

 

 けれども、フルートは黙ったまま考え込んでいました。やがて、確かめるように言います。

「それで、天空王たちはぼくらにデビルドラゴンを食い止めろとおっしゃるんですね。大昔、エルフたちが起こしたような大戦争を再び引き起こさせないために――」

 フルートは自分でも気がつかないうちに、鎧の胸元に手を当てていました。デビルドラゴンと戦う証でもある魔法の金の石は、今はそこにはありません……。

 すると、占いおばばが低い声で言いました。

「ところがね、デビルドラゴンとの戦いはそれで終わりじゃなかったのさ。太古のエルフ戦争から千年の後に、再び大戦争が起こったんだよ。……他でもない、天空の国でね」

 そして、老婆は驚いた顔をしている子どもたちを見回しました――。

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