「勇者フルートの冒険」シリーズのタイトルロゴ

第5巻「北の大地の戦い」

前のページ

61.魔法の豆

 北の大地の空には薄い雲がかかっていました。あたりは氷点下何十度という寒さですが、降りそそいでくる日差しは柔らかです。

 占いおばばが子どもたちに言いました。

「さあ、それじゃ出発、と言いたいところだけれど、ロキは服が雨にすっかり濡れちまってるね。このままじゃロキも凍傷になっちまう。着替えないといけないよ。それがすんだら、勇者たちにちょっと珍しいものを見せてあげようね」

「珍しいもの?」

 少年たちがたちまち興味を引かれます。すると、おばばが、にやっと笑いました。

「北の大地のあたしたちの守り神さ。さ、それじゃロキ、急いだ急いだ」

 せかされるままに、ロキは荷物の中から新しい毛皮の服を出して着替えました。前の服は白一色でしたが、今度の服はグーリーの毛並みと同じような灰色をしています。先のはアザラシの毛皮、今度のはトナカイの毛皮の服なんだ、とロキが言いました。トナカイの毛皮のほうが保温性が高いので、内陸向きだというのです。

 フルートたちがまた乗り込むのを待って、赤いそりが走り出しました。広い雪原を進み始めます。そのすぐ後ろを、グーリーに乗ったロキがついていきます。

 一面に広がる雪原は、どこにも何も目印がありません。ダイトの都も、遠く地平線の向こうに隠れてしまいます。ただ、水色の空を背景に白くそびえるサイカ山脈だけが、方角を示す唯一のものでした。

 やがて、ふいに老婆が声を上げました。

「よぉし、ウィスル! ここでいいよ」

 たちまちそりが停まります。そこは、雪原のど真ん中でした。今まで走ってきた場所と、どこも変わりがありません。少年たちは不思議そうな顔になりました。

「ばあちゃん、ここに何があるんだよ?」

「ワン、誰もいないみたいですけど……?」

「まあ、お待ちって。間もなく見られるよ」

 と占いおばばがまた、いたずらっぽく笑います。その膝の上には丸いガラスのような水晶玉が載っていました。

 風もない穏やかな天気でした。日の光の中で、ただ雪がきらきらと輝いています。何の物音も聞こえてこない中、一同は凍った息を吐きながら、じっと待ち続けました。

 

 すると、かすかな音が響いて、前方の雪が小さく崩れました。その下から薄緑色のものが顔を出しています。フルートたちは目を丸くしました。なんだろう、と目をこらします。

 うす緑のものが、ぐんぐん上へ伸び始めました。たちまち大きく太くなり、枝分かれして横に広がり始めます。それは植物でした。みるみるうちに全体が濃い緑色の変わっていきます。茎が伸び、蔓が四方八方へ広がり、たくさんの葉が現れます――。

「豆だ!」

 とフルートが驚いて叫びました。茎や蔓も、葉の形も、紛れもなく豆のものです。ですが、なんという成長の早さでしょう。そして、驚くほど大きいのです。あっという間に育っていって、目の前いっぱいに広がり、それでもまだ止まらずに育ち続けます。上に伸びた蔓は、空をおおいかくすほどになっています。

 ポチが信じられないような声を出しました。

「こんなの、初めて見ましたよ……まるでクランの魔法の豆みたいだ」

 クランの魔法の豆というのは、天まで届く豆が出てくるおとぎ話です。すると、ロキが声を上げました。

「野生の雪エンドウだよ! でも、とびきり大きい! すごいや……!」

 雪の中から突然生えてきた豆は、みるみるうちに広がって大きくなっていきます。数え切れないほどの葉が茂り、さらに上へ横へ伸び、そこにもまた葉を出します。やがて、葉の間に白いものが見え始めたと思うと、いっせいに豆の花が咲き始めました。雪原に、甘い花の香りが漂い始めます。

 ゼンがあきれて眺めながら言いました。

「無茶苦茶成長の早い豆だな。もう実ができ始めてるじゃないか」

「ワン、雪エンドウって、あのときのパンの原料ですよね?」

 とポチがロキに尋ねました。

「うん。おいらたちの主食さ。こんなふうに、雪の中から生えてきて、あっという間に大きくなるんだけど……豆を畑にまいても、いつ芽を出して育ち始めるか、誰にもわからないんだ。五分後に育つかもしれないし、何百年も後のことかもしれないし。だから、雪エンドウがいつ芽を出すか占い師に占ってもらって、それに合わせてみんなで畑に駆けつけて収穫するんだよ。野原にも、こうして野生の雪エンドウの種は埋まってるんだけど、それこそ、いつどこに芽を出すかわからないから、よっぽど運が良くなくちゃ出会うことはできないんだ。だけど、占いおばばにはそれがわかるんだね……」

 ロキは感心したように、そりの老婆を見つめました。老婆が、ほほほ、とまた笑います。その表情は、「ダイトの占いおばばに当たり前のことを言うんじゃないよ!」と言っているようでした。

 

 豆の花の香りに引かれて、雪原のあちこちから動物たちが集まり始めていました。ウサギ、ネズミ、野生のトナカイ、熊……何百羽もの小鳥たちが群れをなして飛んできて、豆の木の森に飛び込んでいきます。皆、豆の葉や蔓を夢中で食べています。小鳥はなり始めた若い実をつつきます。

 大男のウィスルが、そりからトナカイを外していました。トナカイは、嬉しそうにいななくと、他の動物たちと一緒に豆の葉を食べ始めました。ロキもあわててグーリーから飛び下りて、その体をぽん、とたたきました。

「よし、グーリー、食事だよ! お腹いっぱい食べてこい!」

 ヒホホーン!

 グーリーも嬉しそうな声を上げると、たちまち豆の森に飛び込んでいきます。食いだめのできる大トナカイです。ここで満腹になるまで食べれば、またこの先一カ月くらい、何も食べなくても雪と氷をなめるだけで生きていけるのです。

 豆の森のいたるところで、緑のさやが育ち、実が入って丸々と太り始めました。長さが二十センチ近くもある大きなさやです。すでに数十メートルの範囲に広がった豆の森に鈴なりに下がります。本当に、信じられないほどの成長の早さです。

 すると、占いおばばが言いました。

「雪エンドウは寿命が短い植物さ。あっという間に育って、あっという間に枯れていくんだ。さ、あんたたち、さっさと豆を摘むんだよ。早く茎から切り離さないと、一緒に枯れていっちまうからね。そら、急いだ急いだ!」

 そうせかしながらも、おばば自身は、そりの中から一歩も外に出ようとはしません。フルートとゼンはとまどいながらそりを降り、豆の木に近づきました。ウィスルとロキは一足先に駆け寄っていて、小刀や手で豆のさやを次々にむしり取っています。フルートたちも、見よう見まねで、剣や素手で豆を採り始めました。雪の上に放り出されたさやが、北の大地の寒さでたちまち凍りついていきます。

 すると、そりの中から伸び上がって眺めていたポチに、占いおばばが言いました。

「そら、犬の勇者、あんたもだよ。あのままにしておくと、せっかく収穫した豆を動物たちに食われちまうんだ。番をしておいで!」

 そういう仕事なら子犬にだってできます。ポチは耳と尻尾をピンと立て、ワン、と一声吠えると、元気にそりを飛び出していきました。雪の上の豆を食べようと近づいてくる動物たちを追い払い始めます。

 

 フルートたちは夢中で豆を摘み続けました。巨大な豆の森になるさやは、数えることなど想像もつかないほど大量です。摘んでも摘んでもなくなりません。それを必死でむしったり、切り取ったりしていきます。

 豆の森に集まる動物の数も、ますます増えていました。北の大地のどこにこれだけの生き物がいたのか、と思うほど、さまざまな種類の動物たちが集まってきています。中にはキツネやオオカミと言った肉食獣もいて、遠巻きにうろうろしながら、隙をついてウサギやネズミに襲いかかっていました。襲われた小動物は悲鳴を上げながら連れ去られていきますが、他の動物たちはまったくそれを顧みようとしません。ただただ自分の食事に専念しています。

 北の大地の自然は過酷です。今このときにしっかり食事をしておかなければ、次にいつまた食事にありつけるかわからないのです。肉食獣が襲って連れ去っていくのは、全体の中のほんの一部なので、自分がその獲物として狙われない限り、動物たちは自分の食事をやめようとはしないのでした。

 やがて、フルートたちが豆を摘んでいるそばから、豆の木が枯れ始めました。根元から葉の色が変わり、それがみるみるうちに上へ広がっていって、全体が黄色っぽい乾いた色に変わっていきます。緑色だった豆のさやも黄色く固くなったと思うと、突然、そこここで豆がはじけ始めました。ぱちん、ぱちんと鋭い音が雪原に響き、熟し切った豆が雪の上に落ちます。

「いてっ! いててて……!」

 ゼンが悲鳴を上げ、頭を抱えて豆の木から逃げ出しました。はじけた豆が、むき出しになっている顔に次々にぶつかってきたのです。フルートもロキも大男のウィスルも、あわてて豆の森から離れました。どのみち、もう豆は完全に熟してはじけていくばかりなので、摘み取ることはできません。

 地面に落ちた豆がひとりでに姿を隠していくのを見て、フルートとゼンは驚きました。まるで生き物のように、自分から固く凍った雪の中にもぐっていくのです。すると、ロキが言いました。

「熟した豆は、少しの間、自分で熱を出すんだよ。その熱で雪を溶かして、雪の中にもぐっていくんだ。そうやって、動物たちに食べられないように身を守るんだよ。だいたい一メートルから二メートルくらいももぐるかなぁ。でも、動物もおいらたちトジー族も、負けずに雪の中から掘りだして食べちゃうけどね」

 雪の上の豆粒に駆け寄り、沈んでいこうとするそばからむさぼり食っている動物たちを見て、ロキが笑いました。トナカイや熊といった大型の獣たちは、蹄や爪で凍った雪を掘り返して、雪の中の豆を食べ続けます。その穴の中に、またたくさんの小鳥たちが舞い下り、ネズミたちが素早く降りていっては、おこぼれの豆をちょうだいしていきます。みるみる枯れていく豆の葉や茎を食べ続けている動物たちもいます。やがて、豆の森はすっかり茶色に枯れ果て、雪原の上に崩れるように倒れていきました。豆が芽を出してから、わずか三十分たらずの出来事でした。

 すっかり驚きあきれているフルートたちに、占いおばばがそりの中から話しかけてきました。

「この雪エンドウがあるおかげで、あたしたちトジー族は北の大地で生きていけるんだよ。豆は大切な食料になるし、葉や茎はトナカイたちの餌になる。枯れた葉を家の断熱材に使ったり、蔓でかごや道具を編んだりもする。豆の木を食べて生きている動物たち相手に狩りもする。……そのうちに、枯れた豆の木はすっかり雪の下に隠れてしまうけれど、食べられずに残った豆からは、またいつか豆の木が生えてくるし、雪の中深くに埋もれた蔓は、長い時間をかけてやがて泥炭に変わっていく。それをまた我々が掘りだして燃料にするのさ。トジー族は雪エンドウと共に生きている種族だよ。この魔法の豆が、あたしたちの守り神なのさ」

 そう言うおばばは驚くほど厳かな表情をしていました。ゼンが思わずそれにうなずきます。ゼンたち北の峰の猟師は、自然の恵みに自分たちが生かされていることを常に感じています。自然に感謝しながら、たくましく生きるトジー族の気持ちが、ゼンには手に取るようにわかったのでした。

 

 すると、老婆が急に表情を変えました。敬虔な修道女のような顔つきから、また、元気はつらつとした顔に戻って、少年たちに呼びかけます。

「さあ、あんたたち、もう一働きだよ! 摘んだ豆を全部拾い集めるんだ! 犬の勇者一匹ではとても番がしきれないからね。急いだ急いだ!」

 とにかく威勢のいいおばばです。フルートとゼンとロキは、はじかれたようにまた豆の木のほうへ走りました。

 大男のウィスルは、もう大きなかごを背負って、雪の上の豆のさやをかごに放りこんでいます。豆の木はすっかり枯れて、豆も残らずはじけてしまったのに、摘み取って雪の上に放り出されたさやは、変わらず緑色のままです。たくさんの動物や鳥たちがさやの中の柔らかい豆を狙ってくるので、ポチが吠えながら走り回って追っ払っていましたが、それでも、隙をついて横取りしていくものが後を絶ちません。少年たちは声を上げながら駆け寄っていくと、雪の上で凍っている豆のさやをいっせいに拾い始めました。

 そんな一同の様子を見ながら、おばばがまた陽気に声をかけました。

「そぉら、みんな、がんばりな! 仕事の後で、とびきりおいしいものをご馳走するからね! みんな、きりきりしゃんと働くんだよ!」

「とびきりおいしいものって何だよ!?」

 とゼンが豆を集めながらどなり返しました。かがんで拾い集める作業なので予想以上の重労働です。すると、おばばが笑いました。

「雪エンドウとトナカイの肉のシチューだよ。ウィスルが作る豆のシチューは、この北の大地で一番おいしいのさ!」

 ひゅう、とゼンが口笛を鳴らし、他の子どもたちも歓声を上げました。一同の腹の虫がいっせいに鳴ります。雪の上から凍りついた豆のさやを引きはがして集めるのは大変な作業でしたが、子どもたちは文句も言わずに、せっせと働き続けました――。

素材提供素材サイト「スターダスト」へのリンク