ダイトの都が雪原の彼方に小さくなると、グーリーはようやく駆けるのをやめて立ち止まりました。背中の主人を気遣うように、ぶるる、と鼻を鳴らします。
ロキはグーリーの首にしがみついたまま、すすり泣いていました。トナカイの上にはフルートもゼンもポチもいません。ダイトの路地裏で見知らぬ大人たちに取り囲まれている中に、置き去りにしてきてしまったのです。
何がどうなっているのか、少年にはさっぱりわかりませんでした。たったひとつわかっているのは、自分には年上の少年たちを助け出す力がない、ということです。ロキには、フルートのような剣の技も、ゼンのような怪力も、ポチのような風の犬になる能力もありません。ダイトに戻っても、彼らを助けることはできないのです。
自分の非力さが悲しくて、また一人に戻ってしまったことがたまらなくつらくて、ロキはグーリーにしがみつきながら泣きました。ずっと、自分だけを守りながら、こんなふうに一人で生きてきたはずなのに……。今はもう、ひとりぼっちが、震えるくらいに怖く感じられるのです。
そんな主人を励ますように、グーリーがまた鼻を鳴らしました。甘く優しい声を上げます。
すると、何もない空間から出しぬけに右手が現れて、グーリーの赤い手綱を引っ張りました。突然のことに驚いたグーリーが、いなないて棒立ちになりかけます。すると、少年の声が鋭く響きました。
「ドーッ、グーリー! 落ちついて! ぼくたちだよ!」
ロキは泣き顔を上げました。グーリーも、すぐにいななくのをやめて脚を下ろします。
彼らの前に二人の少年がいました。フルートが、手綱を握っているゼンに向かって眉をしかめます。
「ダメだよ、ゼン。脅かしちゃ。ロキが振り落とされるところだったじゃないか」
「わりぃ。こっちが見えないってことを忘れてたんだ」
とゼンが頭をかきます。
ロキは、ぽかんとしました。目の前にフルートとゼンが立っています。町で別れたときと変わりのない、元気そうな姿です。足下には子犬のポチもいて、尻尾をちぎれそうなほど振っていました。
「ワンワン。良かった、ロキ。無事でしたね。町の人たちに怪我でもさせられてたらどうしよう、って心配してたんですよ」
ロキはまだ呆気にとられていましたが、それを聞いて思わず答えました。
「何言ってんだ、ポチ……それ、おいらのセリフだぞ……」
言いながら、まじまじと年上の少年たちを見つめてしまいます。
すると、フルートが、くすりと笑いました。
「ロキ、またぼくたちを幽霊じゃないかと考えてるだろう? 本物だよ。この人に助けてもらったのさ」
そう言って一歩横に移動した後ろに、トナカイに引かれた赤いそりと、その上に乗った二人の人物の姿がありました。御者席に座った大男と、小さな老婆です。
「ワン、ダイトの占いおばばって方ですよ。知ってますか?」
とポチが言ったので、ロキはびっくりしました。
「占いおばば!? 本物なの!?」
「お。そんなに驚くところを見ると、ばあちゃん、よっぽどの有名人なんだな」
とゼンが感心すると、小柄な老婆が、にやっと笑いました。
「北の大地ではね、占い師がとても大切にされているのさ。この大陸で生きていくためには、占いの力がどうしても必要だからね。自分で言うのもなんだけど、ダイトの住人で占いおばばの名前を聞いたことがない奴がいたら、そりゃもぐりだよ。あたしゃ、もう五十年も前から占い師をやってるんだからさ」
「ダイトの住人じゃなくたって、トジー族なら、ダイトの占いおばばのことはみんな知ってるよ……兄ちゃんたち、どうして占いおばばと知り合いになったの?」
「別に知り合いになったわけじゃない。向こうが勝手にこっちを知ってたんだ」
とゼンが肩をすくめます。ほほほ、とおばばが笑いました。
「北の大地を救ってくれる勇者たちを、むざむざ町の者たちに殺させるわけにはいかないじゃないか。でもまあ、あんた――ロキって言うんだっけ? もうちょっとこっちにお寄りよ。ランプの光が充分に届かないからね」
グーリーがゼンに引かれてそりに近づきました。ロキが不思議そうな顔のまま、その背中から降りてきます。また、つくづくと年上の少年たちを見ると、そっと手を伸ばしてフルートの鎧に触れました。確かめるような手つきです。
フルートはにっこりしました。
「ね、本物だろう?」
ロキの顔が大きく歪みました。フルートにしがみつくと、鎧の胸に顔を押し当てます。その目から、突然涙がぼろぼろとこぼれ始めました。
「兄ちゃん……兄ちゃん。兄ちゃん……!」
繰り返して呼ぶ声が次第に大きくなり、やがて、ロキは大声を上げて泣き出してしまいました。震えながら、なおいっそう強く鎧にしがみついてきます。
「ったく。そんな大泣きするようなことかぁ? 俺たちがあんなヤツらにやられると思ってたのかよ」
とゼンが言います。不満そうな口調を作っていますが、実はロキに泣かれて困惑しているだけです。フルートはまたほほえみました。一本だけの腕で、そっとロキを抱きしめます。
「うん、怖かったよね……。心配かけてごめんね。もう大丈夫だよ」
トジー族の少年は、フルートの胸の中でいつまでも泣き続けていました――。
ロキが泣きやむまでにはずいぶん時間がかかりました。泣きやんでからも、フルートの横にぴったり寄り添って離れようとしません。それを見て、ゼンがからかいました。
「甘ったれめ。小さなガキみたいだぞ、おまえ」
ロキは、いーっとゼンに顔をしかめ返すと、すぐに照れたような顔になって、またフルートにしがみついてしまいました。そうすることで、ようやく少しずつ安心を取り戻しているようでした。
すると、ポチがワン、と吠えて溜息まじりに言いました。
「結局、フルートの腕を治すことはできませんでしたね……。魔法医なら治してくれるんじゃないかと思ったのに」
他の仲間たちは、はっとしました。ロキが顔を上げて、心配そうにフルートの左腕を見ます。
「店で聞いたんだけどさ……魔法医は町のあのあたりに住んでたらしいんだ。でも、おいら、どうしても看板が見つけられなかったんだよ」
すると、占いおばばが静かに話しかけてきました。
「入口を隠していたんだよ。魔法医たちがよくやる方法さ。来てもらっちゃ困る客が来そうなときに、魔法で家の入口を見えなくしてしまうんだ。トカラの占いで、あんたたちのことはダイト中に知れ渡ってた。魔法医だって、あんたたちを診るわけにはいかなかったんだよ」
それを聞いてロキがまた涙ぐみ、ゼンは怒りの声を上げました。
「ったくもう、どいつもこいつも! いいかげんにしろよな!」
「しかたないんだよ。トカラは市政にも一番発言力がある占い師だ。あの男の占いを信じないような者は、ダイトにはまずいないんだよ」
ゼンはますます怒って歯ぎしりをしました。今すぐダイトに引き返していって、そのトカラという占い師の頭をぶん殴って来たいところでしたが、さすがにそういうわけにはいきません。ただフルートだけが、ひとり落ちつきはらっていました。
「だから、大丈夫なんだったら。ロキの魔法のおかげで腕は痛んでないんだからね。このままサイカ山脈まで行けるよ」
「だって、兄ちゃん……」
ロキはますます涙ぐみました。自分の魔法がその場しのぎにすぎないことは、ロキ自身が一番よく知っているのです。
すると、占いおばばが言いました。
「どれ、金の石の勇者。腕を見せてごらん。あたしには魔法医みたいな治療の力はないけどね、あんたの腕がこの後、治るかどうかは占ってあげられると思うよ」
そこで、フルートはゼンたちに手伝ってもらって、左腕を押さえていた剣帯を外し、鎧の籠手を外しました。凍傷を負った腕は黒ずみ、固く凍りついています。色の変わった部分は、もう腕の付け根あたりから指先まで広がっていました。それを見たとたん、ロキは涙を浮かべた目をそらしてしまいました。
ふぅん、とおばばは凍りついた腕に触りながら言いました。
「本当に見事に凍ってるね。生きてる者の体をこんなふうに凍らせる魔法は初めて見たよ。大した力だこと」
「全然大したことなんかないよ!」
とロキがどなり返しました。
「物を凍らせる魔法なんか、北の大地じゃ全然必要ないんだからさ! 何の役にも立たないよ!」
怒ったような声です。けれども、おばばは穏やかに言いました。
「それでも、金の石の勇者はあんたの魔法で助けられてるじゃないか……。あんたはよくやったよ、ロキ。あんたたちの置かれてる状況では、これが最善の方法さ。すっかり凍らせたおかげで、この腕は腐り出さずにすんでる。こうして魔法が効いている限り、勇者は腕を切り落とすことも、命の危険にさらされることもないわけだからね」
そう言われてロキは面食らった顔になり、フルートは大きくうなずきました。
「ぼくたちは魔王を倒して仲間を助け出して、それと一緒に金の石も取り返すつもりなんです。金の石が戻ってくれば、ぼくの腕も治ります。それまでの間、この腕がこのまま持ってくれればいいんです」
仲間たちが、すがるような想いで期待していた金の石。それさえあれば、とゼンもポチもロキも口には出さずに思っていたのですが、フルート自身は、期待するよりももっと強い気持ちで、金の石を取り戻すことを考えていたのでした。きっぱりとした口調は、フルートの決心の表れでした。
占いおばばはうなずきました。
「あんたの腕がどんな方法で治っていくのか、そこまではわからない……でもね、あたしの水晶玉には、綺麗に元通りになったあんたの左腕が映っているよ。大丈夫、あんたの腕は治る」
力強いことばでした。
「ほ、本当?」
「ホントか、ばあちゃん!?」
ロキとゼンが口々に言います。老婆は、ほっほっほっと高らかに笑い出しました。
「あたしをお信じよ。あたしはダイトの占いおばばだよ。あたしの占いは、とてもよく当たるのさ!」
ヒホーン。
まるでその笑いの意味がわかっているように、グーリーが明るくいななきました。