老婆を肩に乗せた大男の後について、フルートたちは階段を上がっていきました。
氷を削って造った階段は、折れ曲がりながら、どこまでも上に続いています。途中にいくつも使われていない氷の部屋がありました。ここは、昔使われていた家が、凍った雪の下に埋もれて地下になった場所なのです。
「ずいぶんあるな」
とゼンが息を切らしながら言いました。もう十階分以上階段を上がってきているのに、まだ地上にたどりつかないのです。すると、大男のウィスルの肩で占いおばばが言いました。
「あたしたちの家はだいたい十二年から十五年で部屋が雪の下になっちまう。そうしたら、また新しい部屋を上に造るんだよ。あんたたちが出てきた部屋は、今から三百年も昔に使われてた部屋だ。ざっと計算しただけでも、地下何階にあるかわかるだろ?」
「う……? ん、と……」
ゼンはたちまち目を白黒させました。猟師の少年は学校も勉強も大嫌いで、すぐには計算などできなかったのです。すると、フルートが、さらりと答えました。
「十五年で新しい部屋を上に造るとしたら三百年で二十階、十二年で造るなら二十五階だ。ずいぶん深いところにあるんだね」
「地下二十五階? うひゃぁ、勘弁してくれよ!」
とゼンが思わず声を上げると、たちまち老婆がぴしゃりと言いました。
「なんだね、いい若いもんが情けない! 命が助かっただけでもありがたいと思いな! あんたたちは、罪もない者を切り倒す剣は持ち合わせていないんだろう?」
それはまったくその通りでした。あそこでトジー族と戦いになってしまったら、たとえトジー族を倒して切り抜けても、絶対に後味悪い思いが残り続けたのに違いないのです。少年たちはたちまち口をつぐむと、あとは黙って老婆たちの後についていきました。
ウィスルは小さなランプをかざしながら階段を登り続けます。階段は延々と続いているようでしたが、それでもやがて様子が変わってきました。むき出しの氷の壁ではなく、灰色の毛皮を内張りした場所に出たのです。階段は相変わらず氷のままですが、横に続く部屋の床には毛皮の絨毯が敷き詰めてあって、荷物がいくつも置いてあるのが見えます。これまでのがらんどうの部屋と違って、今も使われている生活感がありました。
「ここは地下一階さ。もう少しだよ」
と老婆が言いました。そして、間もなく長い階段は終わりを告げ、彼らはひとつの部屋の中に出ていました。壁も天井も毛皮で内張りされ、足下には厚い毛皮が敷き詰めてあります。上を歩くと、妙にふわふわした感触で、同時に、がさごそと乾いた音も聞こえてきました。トジー族の家では冷気を防ぐために毛皮と氷の間に枯れた雪エンドウの蔓や葉を詰め込むんだ、とロキが話していたのを、フルートは思い出しました。
部屋の中にはテーブルや椅子はなく、床の中央にぽつんと火皿が置かれていました。上で泥炭が赤く燃えています。低い丸天井からは、かぎ状になった鉄の棒が伸びていて、そこに照明用のランプが引っかけてあります。それ以外に火が燃えているところはありませんでしたが、部屋の中は、意外なほど明るく暖かく感じられました。
少年たちはきょろきょろと部屋を見回しました。背の低い彼らにはちょうど良い高さですが、大男のウィスルには天井が少し低すぎるようでした。身をかがめるようにしながら立ち続けています。
部屋の周囲の壁際には、箱のような物がいくつも置かれて、綺麗な刺繍や縫い取りをした布が何枚もかけてありました。鍋やフライパンのような調理器具も一緒に並んでいますし、大小の分厚い毛皮を巻いたものも見えます。きっと夜寝るための布団なんだろう、とフルートは見当をつけました。トジー族の老婆たちは、この一部屋で生活のすべてをこなしているようです。テーブルが見あたらないからには、食事は床の上に座ってするのかもしれません。フルートたちとは、ずいぶん違った暮らしぶりのようでした。
部屋の壁には小さな絵が何枚かかけてありました。小さな木の板に絵の具で人の顔が描かれています。大男たちの後について部屋を横切りながら、見るともなくその絵を眺めていたゼンが、ふいに大声を上げて立ち止まりました。
「おい、これ――!?」
と一枚の絵を穴が開くほど見つめてしまいます。フルートとポチが驚いていると、大男の肩から老婆が言いました。
「気がついたかい、銀の勇者? そう、それはあんたのおじいさんだよ。もう四十年も昔の顔だけどね」
それを聞いて、フルートたちもあわててゼンが見る絵をのぞき込みました。若々しい男の人の顔が描かれています。茶色の髪に茶色の目、茶色のひげ、短い耳――髪やひげの色は少し黒っぽい色をしていますが、いかにもドワーフという顔つきをしています。そこに、今は年老いているゼンの祖父の面影を見て、フルートは声を上げました。
「おばば、ゼンのおじいさんを知ってるの!?」
「俺のじいちゃんに会ってたのかよ!?」
とゼンも尋ねます。すると、老婆は穏やかに笑いました。
「縁ってのは不思議なもんだよねぇ。あのとき、たった一人でダイトを訪ねてきたドワーフの男の孫が、四十年も過ぎた今、またあたしの元にやってくる。さすがのあたしも、あの頃はこんな未来は占えなかったけどね。……帰ったら、あんたのおじいさんに『ダイトの占い姫のレンラ』と言ってごらん。きっと覚えてるはずだよ」
少年たちは、まるで鳩が豆鉄砲を食らったような顔になりました。目の前にいるしわくちゃな老婆からは、とても想像がつかない呼び名です。
すると、老婆はちょっと口をとがらせました。
「なんだい、その顔は。あたしも最初からこんなおばばだったわけじゃないよ。これでも若い頃には引く手あまたでね、占い師にしておくには惜しいとまで言われたもんだよ。グランツだってそうさ。あの頃はそりゃいい男でねぇ……思わず、北の大地を捨てて一緒にくっついていっちまおうかと思ったくらいだったのさ」
うっとりとそんなことを言う老婆に、少年たちはまた目を丸くしました。グランツというのは、ゼンの祖父の名前です。何十年もの時を超えて突然よみがえってきたロマンスの匂いに、少年たちはただただ面食らっていました……。
けれども、彼らにはのんびり昔話に花を咲かせている余裕はありませんでした。今は急いでこのダイトから脱出しなくてはなりません。
大男と老婆はまたすぐに先に立つと、家の入口のほうへと少年たちを案内しました。入口には風よけの毛皮のカーテンが下げられていて、すぐわきに横穴があります。そこに入っていくと、別の部屋があって、一頭のキタオオトナカイがいました。グーリーより一回り小さな体つきをしていて、赤く塗ったそりにつながれています。
「さ、早く乗った乗った」
と老婆が言って、自分が先頭を切ってそりに乗り込みました。毛皮を敷き詰めた中に、ちょこなんと座りこみます。フルートとゼンとポチも、それに習ってそりに乗り込み、大男のウィスルはそりの御者席に座りました。手綱を握って、ぴしり、と鳴らします。とたんにトナカイは走り出し、入口の毛皮を押しのけ、氷のトンネルのような出口をくぐって外に飛び出していきました。
ダイトの都は土砂降りの雨がやんで、再び訪れた寒さにいたるところが凍りついていました。とけて流れた家の屋根や壁が、まるで鍾乳石のように固まって銀色に光っています。
町の通りを大勢の人々が右往左往していました。手に手に棒や槍のようなものを握り、口々にどなりながら走り回っています。彼らは突然姿を消したムジラの少年と子犬を探しているのです。
その人々の間を、そりは風のように走り抜けていきました。シャンシャンと手綱に結びつけられた鈴が鳴り響きます。フルートたちは思わず緊張しました。あまりにも大胆な脱出です。これではすぐに行く手をふさがれて、人々につかまってしまいます――。
ところが、人々はまったくそりを見ませんでした。すぐそばをものすごい勢いで走り抜けていくのに、ちらりとも振り返らないのです。誰もムジラの少年たちを見とがめません。
フルートたちが驚いていると、占いおばばが笑いました。
「あれのおかげなんだよ」
と、そりの前に下げてある小さなランプを指さします。家の中からウィスルが持ってきてぶら下げたもので、昼間だというのに、中ではまだ火が燃え続けています。おばばが続けました。
「あれはね、静寂のランプという魔法の道具さ。あれに火をともすと、あの光が届く範囲の中にあるものは外からまったく見えなくなるし、音や話し声も聞こえなくなるんだよ。やっぱり、先輩の占い師が屋敷に残していってくれた逸品さね」
なるほど、通りの人々は、そりにまったく気がついていません。その間をぬうように、大男のウィスルが巧みにそりを走らせていきます。
ほほほ、と占いおばばがまた笑いました。
「あたしたちの姿は今、誰からも、どんな占者からも見えなくなっているよ。あの魔王の目さえ、くらまして走っているのさ。さあ、このまま一気にダイトから抜け出すよ!」
そう言うおばばの声が愉快そうに響きます。ゼンが即座にそれに応えて、ひゃっほう! と陽気な声を上げました。
そりは町の中を飛ぶように走っていきます。雨上がりのダイトの町は冷たく凍りついていて、通りの上にはそりの跡さえ残りませんでした――。