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第5巻「北の大地の戦い」

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第13章 白夜

50.夕食

 ゼンは森の中の崖っぷちに立って待ち続けていました。

 目の前に深い谷があって川が流れています。崖の上には花が咲き、谷を越えた先にもやはり花畑と森が続いています。前にも夢に見たことがある場所です。

 夢の中では時間が経過しません。森と崖の景色は少しも変わりなくそこに広がっています。ただ、長身の少女の姿だけがありませんでした。あのとき崖っぷちに座ってゼンと口げんかをしたメールは、いくら待っても、今日の夢の中には現れてこなかったのです。

 ついに、ゼンは怒ったようにつぶやきました。

「なんで来やがらないんだよ……! 話があるんだぞ!」

 腕に大変な負傷をしたフルートのこと、その腕につらい魔法をかけるしかなかったこと、魔王の鎖に縛られたというメールたち自身のこと、話したいこと聞きたいことは山ほどあるのに、メールはいっこうに夢にやってきません。フルートが言っていたとおり、少女たちは夢の中でまで魔王にとらわれてしまったのかもしれませんでした。

 ゼンは崖の上の空を見上げました。よく晴れ渡った青空です。その中へゼンは心で呼びかけました。

 来いよ、メール! 今すぐここに来い! ……頼む、来てくれよ……!

 祈るような、泣きたいような、自分でも訳のわからない想いで胸がいっぱいになります。それでも、やっぱりメールは現れません。

 そして、ゼンは目を覚ましました。

 

 そこはおなじみのトナカイの背中の上でした。暖気団を抜けて、北の大地はまた冷たい世界に戻り、固く凍りついた雪の上をグーリーが全力疾走していました。白一色の景色が飛ぶように後ろに過ぎていきます。

 ゼンが思わず大きな溜息をつくと、ポチとフルートが振り返りました。

「ワン、やっぱりメールたちは夢に出てこないんですか?」

 と子犬が相変わらず察しの良いところを見せます。

「おまえらもなんだろう?」

 とゼンが低く聞き返すと、ポチとフルートは黙ってうなずきました。彼らはもう何度となく夢で少女たちに会おうと試みています。けれども、あれほど彼らを訪ねて力づけてくれた少女たちが、ぱったりと夢に登場しなくなっていたのでした。

「ロキは? お姉さんは夢に出てくる?」

 とフルートがトジー族の少年に尋ねました。ロキの魔法が完全に効いているので、フルートは今はもう痛みを全然感じていません。外から見れば、いつもとまったく変わりなく見えます。

 ロキも溜息まじりに首を振りました。

「全然だよ……気配さえ感じられない。おいらは、姉ちゃんがそばにいれば、姿が見えなくても感じ取れるんだけどさ……」

 少年たちは黙り込んでしまいました。フルートは、痛みの中で夢に見た少女たちを思い出します。魔王の鎖につながれてしまったポポロたち。もう、夢の中でさえ会うことはかなわないのでしょうか……。

 すると、ポチがしょんぼりとトナカイの背中でうなだれました。

「ぼく、他の人たちのことだってすごく心配なんだけど、一番気になってるのはルルなんですよね……。一度闇の手に落ちたことがある者は、その後も闇に操られやすくなるって、以前、白い石の丘のエルフが言っていたんです。ルルは一度デビルドラゴンに取り憑かれて魔王になってます。このままじゃ、ルルがまた魔王のほうに近づいて行っちゃうような気がして……」

 ポチの脳裏にルルの顔が浮かんでいました。毛並みの美しい上品そうな姿をしているのに、案外と怒りん坊な彼女です。仲間内で一番年上ということもあって、ちょっぴり威張った感じで、すぐに一番小さなポチを見下すようなことを言います。――だけど、本当はとても淋しがり屋で優しいことも、ポチにはちゃんとわかっていました。闇の戦いの後には、天空王の前ではっきりと、もう闇には戻らない、と誓った彼女ですが、長い間、魔王にとらわれているうちに、その魂がまた闇に惹きつけられていくんじゃないか、とポチは気が気ではないのでした。

「ポポロたちが魔王につかまってから三日が過ぎてる」

 とフルートが言いました。

「ルルだけじゃなく、いろんなことが心配なんだ。エルフはあと一週間以内に北の大地のすべての命が失われるだろう、って言ってた。単純に考えたって、あと四日のうちになんとかしなくちゃいけないんだよ」

 ゼンは黙ったまま、フルートの左腕を眺めていました。金の籠手におおわれた腕は、その下でひどい凍傷を負っています。本当は今すぐ手当を受けなくてはならないのに、その時間はないから、と無理をして先へ進むフルート。その意見はいつだって、悔しいくらい正しいのです。

 ゼンはまた溜息をつきました。何故だか、本当にむしょうにメールの顔が見たい気がします。思っていることを片っ端からぶちまけて、メールにいつもの調子でぽんぽんと言い返してもらえたら、どんなに胸がすっとすることでしょう……。

 

 やがて、太陽が地平線に近づき、空が淡い紅色に染まり始めました。長い長い一日が終わり、ようやく夜が訪れようとしているのでした。日が沈んでも、北の大地の夏の夜空は白々と明るいままです。ただ、雪原に薄い影が差し、なんとなく見通しが悪くなってきました。

 ロキはトナカイの手綱を引いて呼びかけました。

「ドーッ。もういいよ、グーリー。ここでひと休みしよう」

 トナカイはすぐに走る速度をゆるめ、間もなく雪原の真ん中で立ち止まりました。

 フルートは手を伸ばしてトナカイをなでました。

「グーリーは本当に頼もしいね。何時間もぶっ続けで走ってるのに、全然まいってないんだもの」

 そう言うフルートの左腕は剣帯で体にしっかりと縛りつけられていますが、そんなことにはまったく頓着する様子がありません。ただ、いつものように優しい顔でトナカイをなで続けているだけです。

 ロキがちょっと複雑な表情をしながら答えました。

「前にも言ったっけ? グーリーは本当は三日三晩でも寝ずに駆け続けることができるんだ。ただ、薄暗い中を走って、また雪の下の穴に落ちたりすると困るからさ……」

 言いながら、トナカイの背中から滑り降りて、横腹にくくりつけてある荷物をほどき始めます。夕食の支度をしようというのです。フルートは自分の後ろのゼンに呼びかけました。

「悪いけど、リュックを開けて中から食料を出してくれる? ぼくにはリュックが下ろせないからさ」

 荷物が下ろせないのは、片腕が使えないからです。それをなんでもないことのように言うフルートに、ゼンが唇をかみます。

 

 すると、ロキが言いました。

「食料は出さなくていいよ。兄ちゃんたちには、今日はおいらがごちそうするからさ」

 そう言いながら取りだしたのは、金属製の短い筒と丸い皿でした。雪に浅い穴を掘って筒を差し込むと、その上に皿を置いて、一握りの黒い土を載せます。たちまち、年上の少年たちは興味を引かれてトナカイから降りてきました。

「泥炭か。料理するんだな」

「火皿がまだあったんだね」

 ゼンがテントの中で料理に使った火皿は、グリフィンに襲われたときに、テントごと吹雪に飛ばされてなくなってしまったのです。

 ロキがにっこりしました。

「おいらたちは、旅をするときには火皿の予備は必ず持ち歩くんだよ。寒いときには、テントの中でいくつも焚いたりするし。今日は魚の煮込みを作るね」

 言いながら、てきぱきと泥炭に火をつけ、金属製の台を重ねて上に鍋を置きます。ゼンが持ち歩いているのは両手鍋ですが、ロキの鍋は長い持ち手が一本だけついていて、深いフライパンのような格好をしていました。雪をすくいいれて、それが溶けて沸騰を始めたところへ、凍った小魚を何匹も放りこみます。なにやら調味料を入れて煮込みながら、そのかたわらで、今度は荷物から丸い大きなビスケットのようなものを取り出し、火皿の周りに並べます。

「それは?」

 とフルートが尋ねると、ロキが答えました。

「おいらたちのパンだよ。ちょっと火であぶると柔らかくなるんだ」

 すると、ポチがパンのそばで鼻をひくつかせながら言いました。

「豆の匂いがしますね。原料は豆なんですか?」

「うん、雪エンドウさ。おいらたちの主食だよ」

 じきにパンが香ばしい香りを立て始め、魚はぐつぐつと音を立てて煮上がってきました。ロキは台ごと鍋を火から外すと、雪の上に置いて、フルートたちにパンをひとつずつ配りました。

「魚をさ、この上にのせて、こっちの脂をかけて食べるんだ。これはトナカイの脂肪を温めて溶かしたヤツだよ」

 言われたようにして食べてみると、独特の香りが鼻をつきましたが、パンも魚も案外おいしく感じられました。ふーん、とゼンが感心しました。

「けっこういけるな。特にこのパンはうまいぞ」

「だろ?」

 とロキはまたにっこりしました。今度は少し得意そうな笑顔でした。

「今日は魚で作ったけどさ、トナカイやアザラシの肉を煮ることもあるんだ。パンは中に海藻を練り込むこともあるよ」

「雪クジラも食用だって言ってたよな? あれはどうやって食うんだ?」

「煮込みかステーキだね。でも、雪クジラはめったに捕れないから、すごいごちそうだよ。……あれを雪原に置いてきちゃったのはもったいなかったね。きっと、すごく高く売れたのに」

 と、ゼンがしとめた巨大な雪クジラのことを思いだして、そんなことを言います。ゼンとフルートとポチは、思わず吹き出してしまいました。

「馬鹿言え! あんな馬鹿でかいヤツをどうやって運ぶつもりだよ」

「いくらグーリーでも、あの雪クジラをのせたらつぶれちゃうよ」

 言いながら、声を上げて笑い出してしまいます。ポチも、ワンワン、と笑うように吠えました。だってさぁ、とロキだけがひとり残念そうに口をとがらせています。その顔は、抜け目のない大人のようにも、無邪気で幼い子どものようにも見えていました。

 そして――暖かい食事のおかげか、笑い声のおかげか、ずっと悲しく沈みがちだった少年たちの気持ちも、ようやく少し元気を取り戻してきたのでした。

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