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第5巻「北の大地の戦い」

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46.日差し

 フルートとゼンは凍った地面に散らばった自分たちの武器や防具を拾い上げていきました。剣を鞘に収め、弓を背負います。フルートの兜は伏流につながる穴のすぐ近くに転がっていました。あと一メートル先まで飛んでいたら、穴の中に落ちていたところだったので、フルートは思わず冷や汗をかきました。

 すると、ゼンが真剣な目でフルートを見ました。

「やっぱり兜の留め具が甘くなってるんだな。盾も使えなかったんじゃないのか? 例の肘のつなぎ目が調子悪いのか?」

「うん……」

 フルートは左の肘を籠手の上から押さえました。そのまま考え込むような顔になります。

「ワン、大丈夫ですか?」

 とポチが心配そうに見上げてきました。

 雨はすっかりやんで、頭上に青空が広がり始めていました。地面を走る水が次第に小さな流れになり、そこここのくぼみに水たまりができて、空の色を映します。

 そこへグーリーがやってきました。トジー族の少年が飛び下りて、フルートとゼンに駆け寄ってきます。

「兄ちゃんたち! 大丈夫? 怪我はない!?」

 その顔は真っ青でした。年上の少年たちは笑顔になりました。

「おう、そんなドジ踏むもんかよ」

「ロキこそ怪我はなかった?」

 元気そうなフルートたちを見て、ロキは泣き笑いの顔になりました。

「ないよ。ちょっと濡れただけさ」

 ウサギのような耳と茶色の髪の毛が雨に濡れています。ぶるっと長い耳を振ると、雨のしずくが散りました。

「しっかり拭いておかないとな」

 とゼンが荷袋から布を何枚かとりだして、ロキとフルートに投げ、自分もフードを脱いで頭を拭き始めました。いくら魔法の毛皮の服を着ていても、雨が吹き込んで頭や首筋が濡れてしまっていたのです。フルートも兜が脱げたので、髪の毛がすっかり濡れていました。あたりがまだ暖かい空気に包まれているのが幸いでした。そうでなければ、濡れた髪や頭がたちまち凍りついてしまったことでしょう。

 ポチだけは、風の犬に変身していたので、白い毛並みがすっかり乾いていました。

 

 ポチはあたりを見回し、やがて、空の彼方に遠ざかった黒雲を見て口を開きました。

「ワン、雨がやんだから、ぼくは風の犬に変身してフルートたちを助けられました……」

「うん、本当に助かったよ。ありがとう」

 とフルートが答えると、ポチはいっそう深い目になって、静かに言いました。

「ぼく……見たんですよ。ポポロの姿。ポポロは『今、雨を止めるから』って言って、魔法を使ってくれました……。あれは夢みたいな幻だったけど、でも、ぼく、本当にポポロが助けてくれたんだと思うんですよ。きっと、本当に雨を止めてくれたんだ……」

 少年たちは驚きました。思わず青空の向こうに追いやられた雨雲を一緒に眺めてしまいます。

「ポポロ……」

 とフルートがつぶやくと、ゼンが小さく笑いました。

「いかにもあいつらしいな。自分がどんなことになっていたって、必ず俺たちを助けに飛んで来るんだからな」

「ワン、それにルルとメールの声も聞きました。二人とも、すごく心配してくれてました」

 フルートとゼンはうなずきました。とらわれ、逃げ出すこともかなわないでいる少女たち。それでも、彼女たちはやっぱり勇者の仲間なのです。精一杯の力で、少年たちを助けようとしてくれているのです――。

 黙り込んでしまったフルートたちに、ロキがそっと声をかけました。

「そろそろ出発しようよ、兄ちゃんたち……。ここは足下が危ないよ。早くもっと安全な場所に戻らないと」

 フルートたちは我に返りました。確かにその通りです。雨はやみましたが、暖かい風は吹き続けていて、凍った雪の大地は相変わらず溶け続けていました。雪解け水の川は細く小さくなっていましたが、それでも止まることなく流れ続けています。チョロチョロと、雪原のいたるところから水音が聞こえてきます。

 少年たちはまた、グーリーの背中に戻りました。大トナカイの背中は広く、脂のある毛は水をはじいていて、中は少しも濡れていませんでした。そこに座ったとたん、少年たちはいっせいに、ほっとしました。激戦を切り抜けた安堵感に、全員が思わずへたり込みそうになります。

 とたんに、ゼンが声を上げました。

「ああ、腹減った! あれだけ体を動かしたんだ! 飯、飯にしようぜ!」

 食べることをなにより大切にするゼンらしいセリフでした。

 

 伏流の潜む雪原を慎重に渡っていくグーリーの背中で、子どもたちは食事を始めました。フルートがリュックサックからエルフの持たせてくれた食料を出し、全員にそれを配ります。脂肪で固めた肉や果実の小袋です。ロキにも手渡すと、トジー族の少年はとまどいました。

「え、おいらももらっていいの……?」

「食べてごらんよ。元気が出るよ」

「一食、銀貨一枚な」

 とゼンがからかうと、ロキはたちまち真っ赤になって食料を返そうとしました。

「いいよ。おいら、自分のを持ってるから」

 年上の少年たちは声を上げて笑いました。ゼンがロキの髪をくしゃくしゃとかき混ぜます。――頭を乾かすために、フードを脱いでいたのです。

「冗談だ。食ってみろよ。けっこういけるぞ」

 空には洗いたての布のような青空が広がっています。降りそそぐ日の光が暖かく少年たちを包んでいます。本当は、足下の雪を溶かす危険な日差しですが、それでも、ぬくもりは優しく心地よく感じられました。

「どうだ?」

 エルフの食料を口にするロキに、ゼンが尋ねました。自分自身も、口をもぐもぐさせています。

「うん、ちょっと変わった味だけど、けっこうおいしい……。おいらたちが祭りの時に食べるお菓子に少し似てるよ」

「へえ、どんなだ?」

 料理好きのゼンが興味を持ちます。

「トナカイの脂肪と海鳥の卵なんかから作るんだ。夏至の祭りの時に食べるごちそうだよ。そのうち、機会があったら兄ちゃんたちにも食べさせてやるよ」

「そりゃ楽しみだ」

 とゼンが笑って答えます。この二人は、もうすっかり仲良しでした。

 ポチは自分の分の食料を一生懸命食べていましたが、ふと顔を上げると、黙々と歩き続けているトナカイを見て言いました。

「ワン、グーリーは食事をしなくて大丈夫なんですか? グーリーが餌を食べているところって、まだ見たことがないような気がするんだけど」

「大トナカイは食いだめができるんだよ」

 とロキが答えました。

「一度たっぷり食べると、後は一カ月以上、何も食べなくても、氷や雪をなめてるだけで生きていけるんだよ」

「ワン、頼もしいですね」

 と子犬は目を丸くしました。雪と氷の大地に生きる獣は、気候に合わせて、体を独特の仕組みに変えているようでした。

 

 あたりはいっそう暖かくなってきました。日差しは明るく強くなり、肌に吹きつけてくる風がはっきりとぬくもりを伝えてきます。足下の大地はどんどん溶け続けています。グーリーは足元を見ながら、一歩一歩慎重に歩いていました。そのぶんだけ歩みは遅くなり、一行は暖気に包まれた地帯をなかなか抜けることができませんでした。

「ふわぁ、ダメだ! 暑くて我慢できない!」

 とロキが毛皮のマントを脱ぎました。顔が真っ赤になっています。ゼンも毛皮の服の前を開けて、中に風を通していました。

「こっちもだぜ。汗をかきそうだ」

 実際には氷の大地の上の気温はせいぜい二、三度といったところです。普通に考えれば充分寒いのですが、マイナス何十度という寒さを経験して体が慣れていた彼らには、そんな気温でも真夏の暑さのように感じられるのでした。降りそそいでくる日差しが、いっそう彼らを暖めていました。

 ポチは青空を見上げながら、もう一度風の犬に変身しようかな、と考えていました。ポチは変身から戻ると、あたりの気候に順応した体になります。この暑さがしのげる、もっと毛の薄い体になれるかもしれない、と考えたのでした。

 そのとき、ポチはさっきから、一言もフルートの声を聞いていないことに気がつきました。ずっと黙り込んでいるのです。フルートは魔法の鎧を着ているので、暑さ寒さとは無関係です。それで平気なのかな、とは思ったのですが、なんとなく気になって子犬は後ろを振り向きました。

 フルートは左の腕を右手で抱えるようにしながら、うつむいていました。トナカイの歩みに合わせて体が揺れているだけで、身動きひとつしません。トナカイの背に座りながら眠ってしまったように見えましたが、ポチはふと、いぶかしい顔になりました。くんくんと鼻を鳴らしてから、身を乗り出します。

「フルート?」

 見上げたフルートは眠ってはいませんでした。歯を食いしばり、顔を歪めて、必死に何かに耐える表情をしています。その顔色は蒼白で、額からは玉のような脂汗が吹き出していました。

「フルート!?」

 ポチは驚きました。ただごとではありません。

 すると、フルートは左腕を抱えたまま、前のめりに倒れるようにうずくまりました。食いしばった歯の奥から、低いうめき声がもれます。

「フルート! フルート!?」

「フルート兄ちゃん!?」

 仲間たちは仰天して、鎧の少年に飛びつきました――。

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