剣の先からほとばしった炎の弾が、襲いかかるオオカミの群れに飛んでいきました。
とたんに、オオカミは身をよじり、散らばるように着地しました。ぽっかりと口を開けた穴の向こう側から、うなりながらフルートとロキをにらみつけます。穴の底からは激しい水音が聞こえ続けています。落ちれば地下を流れる雪解け水にたちまち飲み込まれて、押し流されてしまいます。
フルートはさらに炎の剣をふるいました。炎の弾がまた飛び出します。しかし、その動きはオオカミたちに見切られて、炎は簡単にかわされてしまいました。そこに集まっているオオカミたちは、魔王の精鋭部隊です。ゼンが言っていたとおり、一筋縄ではいかないのでした。
空からは雨がたたきつけるように降り続けていました。そこここで水が走って大小の川ができ、氷の大地を削り取っていきます。彼らの目の前でも、伏流につながる穴が音をたてて崩れ、次第に大きく広がっていました。
「兄ちゃん……」
ロキがフルートの後ろで泣き声を上げました。小さなトジー族の少年は、頭からマントをかぶって雨を防いでいますが、オオカミから身を守る術はなにもないのでした。
フルートはそれを背中にかばいながら、穴の向こうに集結していくオオカミの群れをにらみ続けました。一触即発の緊張が漂います。
と、一頭がまた穴を飛び越えてきました。フルートが撃ち出した炎の弾をかわし、少年たちの頭上さえ飛び越えて、彼らの後ろに降り立ちます。フルートたちは、はっと振り向きました。はさまれたのです。
後ろに来たオオカミが大きく吠えて少年たちに飛びかかってきました。すぐそばにいたロキが、悲鳴を上げて逃げようとします。フルートが剣を構えて飛び出します。
すると、その目の前でオオカミが突然地面に倒れました。ばしゃりとしぶきを上げて水たまりに落ち、そのまま動かなくなります。その首の後ろには一本の矢が突き刺さって震えていました。
「ゼン!」
とフルートは歓声を上げて顔を上げました。案の定、グーリーが駆け戻っていて、その背中からドワーフの少年が魔法の弓を構えていました。
「早く乗れ!」
とゼンはどなりながら次の矢をつがえました。フルートもすぐに剣を構え直して振り向きます。オオカミたちが穴を飛び越えて、次々と襲いかかってくるところでした。
ゼンがまた矢を放ちました。雄牛のようなオオカミが急所を射抜かれてまた倒れます。残るオオカミはあと十一頭です。
一方、フルートの剣は暗い雨の中でひらめき続けていました。襲いかかってくるオオカミに、自分のほうから駆け寄っていくと、鋭く切りつけ、返す刀で深く突き刺します。とたんに、巨大なオオカミの体がぼうっと炎を吹き上げ、音をたてて燃え上がりました。フルートの剣は炎の剣と呼ばれる魔剣です。切りつけた敵を燃やし尽くす力を持っています。
その隙に、ロキはグーリーの背中によじ上っていきました。子犬のポチが一生懸命呼びかけていました。
「ワンワン、急いで! オオカミが来ますよ!」
ところが、その足下に本当に一頭のオオカミが走り寄ってきました。トナカイの背中に上がりかけていたロキ目がけて食いついてきます。ロキが恐怖の声を上げます。
「ワン!」
ポチは一言叫ぶと、グーリーの背中から飛び出しました。オオカミの頭の上に飛び下りると、いきなりその目へ牙をたててかみつきます。オオカミは悲鳴を上げて地面に倒れました。
「ポチ!」
フルートは素早く駆け寄り、子犬がオオカミから離れた瞬間に、オオカミに剣を突き立てました。氷の大地の上で、また獣が燃え上がります。
「早く上がれ!」
とゼンがトナカイの背中で弓矢を構えながらどなっていました。ロキがはい上がり、続いて、ポチもフルートの手で投げ上げられてきます。
「フルートもだ! 上がってこい!」
とゼンがどなり続けます。
けれども、フルートがグーリーに手をかけるより早く、後ろから三頭のオオカミが飛びかかってきました。ゼンの弓が鳴って、一頭が死体になって転がりますが、残り二頭がフルートに襲いかかります。
フルートは、とっさに身をよじってそれを避けました。必死に剣をふるってオオカミを遠ざけようとします。
ゼンが次の矢をつがえながら叫びました。
「フルート、盾だ! 盾で攻撃を防げ!」
フルートが左腕に装備している盾は、魔法のダイヤモンドでメッキされた強力な防具です。ところが、フルートは盾を使おうとしませんでした。襲いかかってくるオオカミたちをひたすらかわし、剣だけで攻撃を防ごうとしています。その間にオオカミたちは次々にフルートへ集まり、勇者の少年は周囲を取り囲まれてしまいました。
「馬鹿! 何やってんだよ、フルート!?」
ゼンがわめきながら矢を放ちました。今まさにフルートに食いつこうとしていた一頭が、また死体になって転がります。残るオオカミはこれで九頭になりました。
と、別の一頭がフルートに飛びつき、その肩口にがっぷりとかみつきました。
「兄ちゃん!」
「ワン、フルート!」
ロキとポチが思わず叫びます。
けれども、次の瞬間大きな悲鳴を上げたのはオオカミのほうでした。フルートから飛びのくように離れ、キャンキャンと鳴き声を上げます。その歯は口の中でことごとく砕けていました。フルートの魔法の鎧は頑強で、着ている者をあらゆる攻撃から守るのでした。
フルートはあえぎながら体制を整え直しました。右手に炎の剣を構えたまま、周囲を取り囲むオオカミたちに身構えます。
と、真後ろでオオカミが動く気配がしました。フルート目がけて声も立てずに飛びかかってきます。とたんに、また弓弦が鳴り、剣がひらめきました。矢を受け、剣で貫かれたオオカミが、すさまじい声を上げながら燃え上がります。
ところが、その時、また数頭のオオカミが同時に動きました。四方からいっせいにフルートに飛びかかってきます。それをなぎ払おうとするフルートの剣の下をかいくぐり、一頭がフルートに飛びかかって押し倒します。
そのとたん、フルートの顎の下で留め具がはじけました。金の兜が脱げて飛び、金髪の頭がむき出しになってしまいます。
「フルート!!」
ゼンとポチは叫びました。オオカミの牙が少年の頭を一口にかみ砕こうとします。
フルートは、とっさに剣を突き出しました。切っ先がオオカミの口の中を貫き、悲鳴と共に獣が燃え上がります。狂ったように氷の上を転げ回り、穴の中に落ち込んで伏流の中に飲み込まれていきます――
けれども、フルートの周りにはまだ七頭のオオカミが残っていました。倒れたままのフルートに、隙を突いて襲いかかろうとしています。
ポチはグーリーの背中に立ち上がりました。土砂降りの雨はまだ激しく彼らをたたき続けています。それでも、ポチは風の犬に変身するつもりでした。それ以外、フルートを助ける手段がありません。
すると、それより早く、グーリーからゼンが飛び下りました。エルフの弓を投げ捨て、大声でわめきながらオオカミの群れへ飛び込んでいきます。
「おぉらおらおら……どけってんだよ、てめえら!!」
雄牛ほどもあるオオカミを素手で殴り飛ばし、捕まえて別のオオカミにたたきつけます。力ずくの突撃です。あっというまに獣を蹴散らし、倒れているフルートの元に駆けつけてしまいます。
「ゼ、ゼン……」
フルートはようやく身を起こしました。転がっていった兜との間には別のオオカミがいます。拾い上げることができません。
ゼンはフルートの前で身構えました。後ろからオオカミたちのふいをつくことには成功しましたが、さすがにこの先はこうはいきません。腰からショートソードを引き抜いて、親友に呼びかけます。
「立て! 強行突破するぞ!」
フルートはうなずくと、立ち上がって剣を高くかざしました。炎の弾を撃ち出して、その隙にオオカミの中から脱出しようとします。
そのとき、ひときわ大きなオオカミが、左側からフルートに飛びかかってきました。群れのリーダーです。フルートは、はっと振り向きました。――やっぱり、盾で攻撃を防ごうとはしません。
ガキン、とオオカミの歯が金属をかむ固い音が響きました。オオカミが飛びついていったのは、フルートではなく、その右手に持った炎の剣でした。剣の刃を牙の間にくわえると、そのまま力任せに奪い取っていきます。フルートは思わず声を上げました。
「剣が――!」
ゼンも青ざめて立ちすくみました。巨大な白いオオカミが、炎の剣を木の枝か何かのようにくわえて地面に降り立ちます。少年たちを振り返った瞳は、残忍な笑いを浮かべているようでした。
魔法の武器がなくなったのを見て、他のオオカミたちが間合いを詰めてきました。いっせいにフルートとゼンに飛びかかろうと身構えます。
ウゥーッとポチはトナカイの背中でうなりました。毛を逆立てた体が見る間にふくれあがっていきます。土砂降りの雨は続いています。その中でポチは変身を始めたのでした。
すると、突然どこからか少女の声が響いてきました。
「やめて、ポチ! 消滅するわよ!」
ルルです。聞こえないはずの声がポチの耳を鋭く打ちます。けれども、ポチは変身をやめませんでした。オオカミは今にもフルートたちに襲いかかろうとしています。風の犬で駆けつけるしか方法はないのです。
「ポチったら! ダメだよ!」
メールの声も泣きそうになりながら呼びかけてきましたが、ポチはためらいませんでした。全身がふくれあがり、白く渦巻く風の体が現れます。大粒の雨は容赦なくその上に降りかかり、流れる霧のような体を通り抜けていきます。まるで洗い流されるように、みるみるうちに風の体が薄くなっていきます。ポチは、ぶるっと全身を震わせました。それでも変身をやめようとしません――
すると、ふいに目の前に黒衣の少女が現れました。ふわりと衣の裾をひるがえして、両手を高く天にかざします。
……いえ、それは幻でした。薄れていくポチは、すでに意識がもうろうとしてきています。その夢うつつの世界の中で、ポポロの幻影を見ているのでした。
少女がポチを見て叫びました。
「がんばって! 今、雨を止めるから――!」
天にかざした両手がさっと動いて淡い光が散り、暗い雨雲に広がっていきました。あっという間に強い風が起こり、雲を吹きちぎり、雨を追い払ってしまいます。
突然、ポチの体が爆発的にふくれあがりました。たちどころに、全長十メートルもある巨大な風の生き物に変わります。霧雨のようになった雨の中、うなりをあげながら飛び立ち、オオカミの群れの中に飛び込んでいきます。
ゼン目がけて飛びかかっていったオオカミが、強い風に吹き飛ばされました。巨大な獣が子犬か子猫のように簡単に雪の上を転がっていきます。風はさらにつむじを巻き、フルートとゼンを中心に激しい渦を作り、迫っていたオオカミたちを片っ端からなぎ倒していきました。
吹き倒されたオオカミは、すぐに跳ね起き、驚いたように風の渦を眺めました。地面の上から巻き上げられた水が霧になり、風が白い渦巻きに見えます。その中へ飛び込んでいった一頭が、また吹き飛ばされて地面に転がりました。
すると、渦巻きがふいにほどけて、蛇のように鎌首をもたげました。それは巨大な犬の頭と前足を持つ生き物でした。オオカミたちよりはるかに大きな姿でそそり立ち、ウォォン! と吠えます。
オオカミたちは怖じ気づきました。いっせいに尻尾を後足の間に隠し、後ずさり始めます。そこに向かって、風の犬のポチはまた吠えたてました。
ウォン、ウォン、ウォォーー……!!
天と地を震わせて鳴き声が響き渡ります。
ついにオオカミたちは戦意喪失しました。尻尾を巻いたまま、どんどん後ずさっていきます。
リーダーのオオカミがくわえていた炎の剣を地面に投げ捨てました。仲間たちに向かって吠えます。
オォォーーン!
とたんに、生き残った六頭のオオカミはいっせいにリーダーの元へ集まりました。風の犬のポチやフルートたちに背を見せると、そのまま振り返りもせず、白い大地の上を走り出します。オオカミたちは逃げ出したのでした。
子犬の姿に戻ったポチへ、フルートとゼンが駆けつけました。フルートが腕の中に固く子犬を抱きしめます。
「ポチ、ポチ……大丈夫……!?」
フルートたちは子犬が土砂降りの中で変身しようとして消えかけたのを、目の当たりにしていたのでした。
ポチは尻尾を振りました。
「ワン、大丈夫ですよ。なんともありません」
「ったく、無茶しがやる。消滅したらどうするつもりだったんだ」
とゼンが渋い顔をしましたが、ポチは笑うようにそれを見上げました。
「それは聞けませんよ。フルートだってゼンだって、かなり無茶苦茶やってたじゃないですか。お互いさまです」
と無事だった少年たちの頬を次々になめます。二人の少年は思わず笑ってしまいました。確かに、それはその通りだったのです。
「ありがとう、ポチ。おかげで助かったよ」
フルートは笑顔でもう一度子犬を抱きしめました――。