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第5巻「北の大地の戦い」

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第11章 追っ手

43.襲撃

 すべてが氷でできた宮殿の大広間に、黒ずくめの男が立っていました。背は高からず低からず、痩せている以外には特に特徴もないような男です。

 その目の前には巨大な獣の群れがいました。雄牛ほどの大きさもある白いオオカミたちです。時折、凶暴な顔を上げてあたりを見回しますが、男がそちらへ目を向けると、たちまち地面に伏してしまいます。

 宮殿の大広間には得体の知れない炎が燃えていました。熱を持たない青白い炎です。それが宮殿を支える氷の柱や壁や天井に広がり、あたり一面を冷たく輝かせています。オオカミたちの白い毛皮が氷のようにきらめきます。

 男がオオカミたちの前に踏み出しました。巨大な猛獣を前にしながら、少しも恐れる様子がありません。オオカミたちは十数頭いましたが、いっせいに後ずさると、ひれ伏すように床にぺったりと腹と顎をつけました。宮殿の床も、磨かれたような氷でできています。

 黒ずくめの男がオオカミたちを見ました。薄青い目には、ひとかけらの情もこもっていません。

「勇者どもを追え」

 と男は命じました。

「追い込み、追い詰め、北の大地から葬り去るのだ。一人も逃すな。わかったな」

 すると、群れの先頭にいたオオカミが人のことばで答えました。

「王の御意のままに」

 伏せていたオオカミたちが、いっせいに起き上がって吠え出しました。ウォン、ウォン、ウォォン……と声が宮殿中に響き渡ります。

「行け」

 男が命じると、オオカミの群れは大広間から駆け出しました。氷の城から吹雪の荒れ狂う大地へと飛び出していきます。と、群れはまるで見えないトンネルに飛び込んでいったように、こつぜんと吹雪の中から姿を消しました。

 黒ずくめの男は、大広間の一方の壁を見ました。銀と氷を磨き上げた、巨大な鏡がはめ込んであります。その上にはひとつの景色がありありと浮かび上がっていました。白い大地を三人の少年と一匹の子犬が、大トナカイに乗って走り続けています。

「たどりつかせるものか」

 と男はつぶやきました。薄笑いが顔に浮かんでいます。

「きさまらは全員、絶望の中で死んでいくのだ。人間の情愛など何の役にも立たないのだと思い知るがいい」

 その声は氷でできた宮殿の空気よりも冷え切っていました。

 すると、氷の鏡の奥で何かが動きました。淡いかすかな四つの光です。光の群れは、男が宮殿の中へ目を戻した隙に鏡の表を走ると、そこに映る少年たちにむかって、まっすぐに飛びこんでいきました――。

 

 一面の花野の真ん中に、フルートとゼンとポチは立っていました。風が吹くたび、足下で色とりどりの花が揺れ、むせかえるような香りが鼻をくすぐります。花野の上には綺麗な水色の空が広がっています。

 少年たちは驚いてきょろきょろとあたりを見回し、やがて、互いに顔を見合わせました。

「ワン。これ……夢ですよね?」

「ああ、俺たち、トナカイに乗って北の大地を走ってたはずだぞ。また夢を見てるんだ」

「でも、こんなふうに三人一緒にいる夢なんて初めてだね」

 そう言って、フルートはまた、あたりを見回しました。花野はエルフが住む白い石の丘や、ポポロたちが住む天空の国の花畑に似ていましたが、景色の中にあるはずの石の丘や天空城がどこにも見あたりません。やっぱりこれは夢なのです。

 フルートは思わず首をかしげて仲間たちを見ました。自分たちが本当に同じ夢を見ているのかどうかはわかりません。前にフルートが見た悪夢のように、夢の中に他の仲間たちが出てきているだけなのかもしれないのです。けれども、不思議そうな表情でとまどっているゼンやポチを見ていると、なんだか、本当に自分たちが同じひとつの夢の中にいるんじゃないか、という気がしてくるのでした。

 

 すると、彼らの後ろで風が小さく渦巻きました。続いて、声が呼びかけてきます。

「みんな――」

 フルートはどきりとしました。ポポロの声です。ゼンとポチも、はっとした様子で振り返り、そのまま少年たちは立ちすくんでしまいました。そこには、黒衣の小さな少女だけでなく、緑の髪の長身の少女も、銀毛のまじった犬の少女も、寄り添うように一緒に立っていたのでした。

 ポポロ、メール、ルル……と少年たちはそれぞれにつぶやきました。三人の少女を同時に見る夢など、それこそ本当に初めてのことです。まるで現実に仲間の少女たちと巡り会えたような気がして、少年たちは身動きすることさえできなくなりました。ちょっとでも動いたら、少女たちがまた消えていきそうな気がしたのです。

 すると、少女たちのほうが自分から少年たちに駆け寄ってきました。背の高いメールはゼンを見下ろし、ルルはポチの黒い瞳をのぞき込み、ポポロはフルートの鎧の胸にすがりつきます。少年たちはいっそうどぎまぎしました。これが本物の少女たちなのかもしれないと思うと、本当に、声に出して確かめることさえできなくなります。

 ようやくゼンが口を開きました。

「メール、おまえ……」

 と言いかけ、ちらっとわきにいる仲間の少年たちを気にして、やめてしまいます。

 とたんに、そのメールが口火を切りました。

「なにをぼさっとしてんのさ! 呑気に夢なんて見てる場合じゃないよ! さっさと目を覚ましなよ!」

「魔王が狙っているわよ! 手下を送り込んできたわ!」

 とルルも叫ぶように言います。ポポロがフルートにすがりつきながら必死で言いました。

「逃げて、フルート! 今度来るのはただ者じゃないの! 魔王の親衛隊なのよ! 皆殺しにされちゃうわ!」

 フルートたちは、またはっとしました。思わず周りを見回します。花野は、色とりどりの絨毯を地平線まで広げています。まさしく、夢のような景色です。

 すると、突然空にグーリーのいななきが響き渡り、ロキの悲鳴が聞こえてきました。

「兄ちゃんたち、敵だ! 雪オオカミだよ――!!」

 

 フルートは目を覚ましました。

 目の前でロキが後ろを向いて真っ青な顔をしています。指さす先に、雪の大地を駆ける白い獣の群れが見えていました。

 とたんに、ポチとゼンが声を上げました。

「ワン! 魔王の親衛隊ってオオカミだったんですか!」

「前のオオカミよりでかい! 確かにただ者じゃなさそうだぞ!」

 フルートは仲間たちを驚いて眺めました。フルートが夢の中で少女たちから聞いたのと同じことを、ポチとゼンは言っていました。すると、ロキも言いました。

「兄ちゃんたちも夢で教えられたんだね! あいつら、魔王の親衛隊なんだ。手下の中でも選りすぐりの精鋭部隊さ! 追いつかれたら皆殺しにされちゃうよ!」

「君は姉さんから教えられたんだ」

 とフルートは言いながら、背中から剣を引き抜きました。ゼンはすでにエルフの弓を下ろして、百発百中の矢をつがえようとしています。ポチが風の犬に変身しようと身構えます。

 そのとき、ごおっと音を立てて風が吹いてきました。大きなグーリーさえ思わずよろめくほどの突風です。その風が暖かく湿っていたので、少年たちは、はっとしました。いつの間にか、空が真っ暗になっています。

「雨が来るぞ!」

 とゼンが叫んだとたん、猛烈な雨が降り出しました。たたきつけてくるような土砂降りです。分厚い毛皮を着たゼンやロキさえ痛さを感じるほど、強く激しい雨でした。

 フルートは、とっさにポチに飛びついて胸に抱きしめました。激しい雨や雪の中で変身すると、ポチは消滅してしまいます。一瞬風になりかけていたポチが、フルートの鎧に守られながら子犬の姿に戻りました。

「マントを着ろ!」

 とゼンがロキにどなり、トジー族の少年が大あわてでマントを頭からかぶります。北の大地で水に濡れてしまうのは危険なのです。

「グーリー、雨雲から抜け出すんだ!」

 とフルートは叫びました。ヒィホホーン、とトナカイが応えます。けれども、トナカイが空の明るく見える方へ走ろうとすると、そちらからオオカミの群れが迫ってきました。激しい雨もものともせず、まっしぐらにこちらへ向かってきます。

「ちきしょう! 雨で矢が飛ばねえぞ!」

 とゼンがわめきました。さすがの魔法の矢も、しのつく雨にたたかれて、途中で力尽きて落ちてしまうのです。

 フルートは、ぎりっと奥歯をかみしめました。巨大なオオカミたちが迫ってきます。白いその姿が大きくなってくるのが、暗い雨の中でもはっきり見えています。けれども、フルートたちには風の犬のポチに乗って迎え撃つことも、矢で阻止することもできないのです。

 ヒホーン、とまたグーリーが鳴きました。どうしたらよいのか判断できなくて、立ちすくんでしまっています。ワン! とポチが叫びました。

「こっちからもオオカミが来ます! はさまれますよ!」

 とたんにロキが顔を上げました。頭からかぶったマントの下から、鋭くあたりを見回します。雨は氷の大地を激しくたたき続けています。みるみるうちにその表面を溶かして、大地全体が川のように流れ出していくのが見えます。

 ロキは叫びました。

「走れ、グーリー! 雨を利用して、あいつらをまくんだ!」

 トナカイはひときわ高くいななくと、土砂降りの雨に溶け出した平原へ全速力で駆け出しました――。

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