夢から覚めたゼンは、頭を起こしてあたりを見回しました。走り続ける大トナカイの背中の上、雪と氷の大地は飛ぶように後ろへ流れ続けています――。
ゼンは頭を抱えるように額に手を当てました。そのまま、じっと考え込んでしまいます。
すると、ポチが振り返ってきました。
「ワン、どうかしたんですか?」
人の感情をかぎ分けられる子犬は、ゼンからひどく困惑したような複雑な匂いを感じ取ったのでした。
すると、ゼンが低く言いました。
「あんのヤロウ……」
怒った声でした。フルートが聞きつけて振り向きます。
すると、ゼンが急に顔を上げました。唐突に、フルートとポチに尋ねてきます。
「おい、おまえら。おまえらも夢を見たって言ってたよな? おまえらは、誰の夢を見た!?」
「え?」
フルートたちは驚きました。質問の内容もですが、それを聞いてくるゼンがただごとでない表情をしていたからです。すぐにポチが答えました。
「ワン、ぼくはルルの夢をよく見ますけど……」
「ぼくは……ポポロの夢……」
とフルートもためらいながら答えます。少し心配でしたが、予想に反してゼンは不機嫌にはなりませんでした。ただ、怒ったような顔のまま、やっぱり、とつぶやいただけです。
「どうしたのさ、いったい?」
とフルートは尋ねました。
「呼ばれたって言ってたんだよ」
とゼンは答えました。
「俺の夢に出てきたメールがな。俺は呼んだつもりなんかなかったんだが……。おまえらは、ポポロやルルを呼んだような気がするか?」
「呼んだ?」
フルートとポチは思わず顔を見合わせました。そんなことをした覚えはありません。ただ――
「ワン、ルルに会いたいな、ってはずっと思ってましたけどね。夢でもいいから会って話したいな、って」
それはフルートも同じ気持ちでした。
そういうことか、とゼンがつぶやきましたが、なにが「そういうこと」なのか、フルートたちにはさっぱりわかりません。
「本当に、何の話をしてるのさ、ゼン!?」
とたまりかねてまた尋ねると、ゼンが意外なほど真剣な表情を向けてきました。
「あいつら――夢の中に出てきたメールやポポロやルル――おそらく本物だぞ。あいつら、俺たちの夢の中までやってきてるんだ」
フルートもポチもびっくりして、すぐには声が出せませんでした。ゼンが言うことは、あまりにも唐突に聞こえます。
すると、ゼンが言い続けました。
「全然予想もしなかったことを言いやがったんだよ、あいつが……。俺が見てる――俺が眠りながら考えてる夢だったら、絶対に言わないようなことをな。ポポロだって、ルルだって、一人ずつおまえらのところに現れてる。間違いない。あいつらは本物なんだ。心だけ飛ばして、俺たちの夢の中に出てきてるんだぞ」
「本物……?」
フルートは繰り返しました。言われてみれば、夢に出てくるポポロは、妙に存在感があるような気がします。フルートの予想外の行動も何度もしました。夢と言うには、確かに現実的すぎる気がします――。
と、唐突にフルートは真っ赤になってしまいました。夢の中で落ち込んで、ポポロに抱きしめられたのを思い出したのです。頬に触れた胸の柔らかな感触がよみがえってきます。
ゼンがたちまちそれに気がついてどなり出しました。
「あ、おまえ、なに赤くなってんだ! さては夢だと思って、どさくさまぎれに何かしやがったな!? ポポロに何をした!?」
とフルートを締め上げてしまいます。フルートはあわてて叫び返しました。
「な、何もしてないよ! ぼくは何もしてない! ただ、ポポロに慰めてもらっただけだよ――」
ゼンは意外な顔になって手をゆるめました。
「慰めてもらった?」
「……だって、夢だと思ってたから……」
赤い顔のまま、そっぽを向いてしまいます。
気がつくと、ポチもグーリーの長い毛の中に頭から潜り込んでいたので、ゼンはあきれました。
「おまえは何やってんだよ、ポチ?」
「何でもないですよ」
とポチは答えました。いつも妙に悟ったようなことをいう子犬が、珍しく動揺した声を出しています。
「ただ、ちょっと――うわぁ、どうしよう、って思ってるだけですから」
ポチはポチで、霜の花咲く町の中で、死んだ母親のことをルルと話した場面を思い出していたのでした。あんな話、本物のルルに聞かせるつもりは全然ありませんでした。ただの夢だと思っていたから、記憶の一番深いところにしまってあった、一番悲しい思い出を語ったのに……。
「おまえらもかよ」
とゼンはつぶやき、さっきの夢のやりとりを思いだして複雑な顔になりました。
俺を好きなのか、と尋ねたら、あんたはポポロを好きなはずだろう、と泣きそうな声で答えてきたメール。それは、ゼンの質問を肯定しているようにも、否定しているようにも聞こえました。
いったいどっちなんだ、とゼンはいらだちながら考えました。落ちつきません。白黒はっきりしないことには、どうにも気持ちが落ちつきません。行く手の地平線には、サイカ山脈がぼんやりと見えています。
「ちきしょう。助け出すぞ。助け出して……あれがどういう意味なのか絶対に聞いてやるからな!」
とゼンは歯ぎしりをしながら、自分にだけ聞こえる声でつぶやきました。――そんなふうにいらだつ気持ちの奥に、もうひとつ別の本心があることに、ゼン自身はまだ気がついていませんでした。
すると、彼らの前からトジー族の少年が振り返ってきました。
「兄ちゃんたち、さっきから何を大騒ぎしてるのさ?」
とあきれたように尋ねてきます。
とたんに、フルートが顔を上げ、ロキを見て、そうか……とつぶやきました。
「夢に出てきた君のお姉さん……あれも本物だったんだ」
ロキは目を丸くしました。
「え、なんだいそれ? 姉ちゃんが夢に出てきたの? フルート兄ちゃんの?」
「うん。まだ君のお姉さんの絵姿も見ていなかったのに、あれとそっくりの姿で夢に現れたんだ」
ロキは、さらにぱちぱちとまばたきをしました。少し考えてから、確かめるように尋ねてきます。
「姉ちゃん、あの絵とそっくり同じだったのかい……?」
「うん。あれより本当にもっと綺麗だったけどね。――悲しそうな目で、じっとぼくを見てた。何か言いたそうに」
「おまえは姉貴の夢を見ていなかったのか?」
とゼンがロキに尋ねました。
「そりゃ見てたさ。いつも姉ちゃんは夢に出てきて……じゃ……」
ロキは大きく目を見張りました。驚いたような表情になります。
「それじゃ、おいらが見てた夢の中の姉ちゃんも、もしかしたら、本物だっていうの? まさか……」
「どうなんだ? 夢にしちゃ、やけに現実的な感じがしなかったか?」
とゼンが確かめると、ロキはとまどいました。
「現実的って言うか……姉ちゃんは、いつもの通りの姉ちゃんだったよ。自分のことより、おいらのことばっかり心配するんだ。夢の中でもおいらの心配をして、いろいろ言ってきたんだ」
「どんなことだ?」
「……兄ちゃんたちと仲良くしろ、とか……」
少年たちは思わず顔を見合わせてしまいました。
フルートも、今なら、夢の中の少女が何を言おうとしていたのかわかるような気がしました。悲しげな美しい瞳は、きっと、こう訴えていたのです。お願い、弟を守ってちょうだい――と。
ったく! とゼンが声を上げました。フードの上から頭をかきむしります。
「なんてヤツらだよ……! 魔王につかまってるくせに、俺たちの心配をして、夢ン中に出てきやがるなんて! 自分たちこそ、心配されるような状況なのによ!」
「ワン。ぼく、何べんもルルに助けられましたよ。注意しろ、って言いに夢に出てきてくれたんです」
「ぼくもポポロに命を救われた……」
とフルートもつぶやきます。ゼンは何も言いませんでしたが、メールが夢に現れなければ自分が今頃ここにいなかったことは、やっぱり十二分に承知していました。
三人と一匹の少年たちは、誰からともなく行く手のサイカ山脈を見つめました。遠くにかすんで見える白い山々。その間の平原では、きっと吹雪が起きているのでしょう。雪と氷に隔てられた彼方に、少女たちはいます。体は魔王にとらわれながらも、心だけはその力を振り切って、少年たちのすぐ近くまで来て寄り添っていたのです。
フルートとゼンの胸の内に、熱いものがあふれ始めました。少女たちを魔王に奪われて以来、ずっと自分を責め続けていた後悔が、熱い気持ちと入れ替わっていきます。
必ず来てね、助けに来てね、待っているから――と少女たちは夢の中で繰り返し言っていました。深く強い信頼を込めながら。それならば、彼らがするべきことはたったひとつです。
「行こう。そして、絶対に助け出すんだ」
フルートが、きっぱりと言いました。他の少年たちが、いっせいにうなずきます。
「それっ!」
とロキのかけ声が響き渡り、大トナカイが速度をぐんと上げました。
目ざすサイカ山脈はまだ遠い彼方です。それでも、走れば走る分、確実に山は近づいてきます。彼らは進むしかありません。今はそれだけが少女たちを救う唯一の方法でした。
フルートはトナカイの上で身を乗り出すと、胸からほとばしる想いをそのまま声にして叫びました。
「行け、グーリー! 走れ――!!」
蹄の音がいっそう高くなり、トナカイは疾走を始めました。
北へ、北へ、北へ――。彼らは風のように駆け続けました。