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第5巻「北の大地の戦い」

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第9章 捜索

35.朝の光

 激しい吹雪がようやくやみました。

 静かになった平原に、地平線から上ってきた太陽が朝の光を投げかけます。

 雪が降り積もったばかりの平原には、表面に風が不思議な波模様を作りだしています。そこに光が差して、ダイヤモンドの粉をふりかけたように雪をきらめかせ、くぼみに青い陰影を落とします。

 さくり、さくり、と軽い音を立てながら、一頭の大トナカイが雪の中を歩いていました。新雪は深く柔らかくて、大きなトナカイの膝近くまで届いています。それをかき分けるようにして小高い丘の上まで来ると、トナカイはそこで立ち止まりました。

 トナカイの背中には、ウサギのような耳をしたトジー族の少年が乗っていました。毛皮の服の上に毛皮のマントをはおり、白く凍る息を吐きながら、黙って雪原を見回しています。ロキです。

 そこは、前日ロキがフルートたちのためにテントを張っていった場所でした。激しい風がテントを吹き飛ばした後、雪があたりをすっかり包んでしまったので、テントを張った位置も正確にはわかりません。いくら見回しても、目にはいるのは雪と空ばかりです。

 やがて、ロキが、ふうっと深い息を吐きました。何も動くもののない景色を眺めながら、つぶやくようにこう言います。

「これだから、ムジラってのはどうしようもないんだよな。ちょっと風に吹かれただけで簡単に死んじゃうんだから」

 何の感情もこもっていない、乾いた口調でした。

 ブルル、とグーリーが白い息を吐きながら鼻を鳴らしました。ロキは皮肉な笑い顔になりました。

「しょうがないったら。おいらたち、やるだけのことはやっていったんだぞ。それでも、兄ちゃんたちは吹雪に飛ばされちゃったんだから……」

 そこまで言いかけて、ロキは急に気がついた顔になると、小さく舌打ちしました。

「ちぇ、そういや、兄ちゃんたちにガイド料をもらいそこねた。こんなことなら半分前金にしておくべきだったなぁ。大損だ」

 

 少年とトナカイは、そのまま、しばらく丘の上にたたずんでいました。いくら見ていても、やっぱり雪原に動くものはありません。

 ところが、ふいにトナカイが歩き出しました。自分から丘を下ると、浅いくぼみの中の雪を前足でかき始めます。間もなく、その中から灰色の塊が出てきました。

 ロキは目を丸くすると、グーリーから飛び下りて、雪の中からそれを掘り出しました。フルートのリュックサックです。ロキは念のためにもう少し周りの雪を掘ってみましたが、それ以外には、物も人も雪の中に埋まってはいませんでした。

 ロキは雪にまみれて凍っているリュックサックの口紐を苦労してほどきました。中の品物は何一つ失われていません。食料、薬草、着替えなどと一緒に、ずっしりと重い財布も出てきます。開けてみると、ざらざらっと手の上に金貨銀貨がこぼれ出ました。フルートは以前の戦いで、王たちから相当な額の金をごほうびにいただいています。それを路銀に持ち歩いていたのでした。

 ロキはまた目を丸くしてそれを眺めました。

「兄ちゃんたちって律儀だなぁ。ちゃんとこうして金だけは残していくんだもん」

 とあきれたようにつぶやきます。

 金貨や銀貨は日の光の中できらきらと輝き続けていました。ロキが何年間こうして働いても稼げないくらいの大金です。少年は、急にニヤリと笑うと、金を財布に戻してリュックサックにしまいました。

「ってことは、おいらがいただいてもかまわないってことだよね。兄ちゃんたちにはもう必要がないものなんだから。ありがとう、兄ちゃんたち。兄ちゃんたちは、やっぱり最高のお客さんだよ!」

 声を上げて笑いながらフルートのリュックサックをグーリーの背中に放りあげると、後を追って自分も飛び乗り、陽気な声を上げました。

「さあ行こう、グーリー。こんなところに長居は無用だ。さっさと戻ろう。そして――」

 

 ふいに、ロキの声がとぎれました。

 グーリーが不思議そうに小さな主人を振り返ります。

 ロキはいつの間にか笑うのをやめて、自分がはおっているマントにふれていました。雨に濡れないように、とフルートが着せかけてくれたものです。毛皮の柔らかな毛並みに沿って、確かめるように、何度もなでています。

「グィ?」

 グーリーが問いかけるような声を出しました。ロキは何も答えません。ただ、マントの縁をつかんで引き寄せると、体にからみつけるように、しっかりとまといます。うつむいた横顔の唇が、小さく震えてつぶやきました。

「兄ちゃん……」

 新雪におおわれた平原は、風の模様を表面に刻みながら、どこまでも広がっています。見渡す限り何も動くもののない世界に、ロキとグーリーだけが、ぽつんとたたずんでいます。

 ロキは先よりももう少し大きな声で呼んでみました。

「兄ちゃん。兄ちゃぁん……」

 返事はどこからもありません。風もやんだ雪原は、怖いくらいに静まりかえっています。

 張り詰めるように冷たい空気の中、ロキはまたマントに手をやりました。魔法のマントは少年の小さな体を暖かく包んでいます。それを着せかけてくれたときの、フルートの優しい声と顔が浮かんできます。追いすがってくるオオカミに向かって矢を放ちながら、「後ろのことは俺たちに任せて逃げろ!」とどなったゼンの、頼もしい姿が思い出されてきます。小さなロキにそんなことをしてくれる人なんて、もう長いこと誰もいませんでした。本当に誰も、誰ひとりいなかったのです――。

 少年の顔が歪みました。突然大声で叫び出します。

「フルート兄ちゃぁん! ゼン兄ちゃぁん!」

 ロキの声が雪原の上に響き渡っていきます。それでもやっぱり返事はありません。

 ロキは今にも泣き出しそうな表情になると、グーリーを走らせ始めました。雪原を見回しながら、必死で呼び続けます。

「兄ちゃん! 兄ちゃんたちぃ! どこさ、どこにいるんだよ!? 返事をしろよぉぉ……!!」

 さえぎるものが何もない吹きさらしの平原であんな猛吹雪に遭ったら、ムジラなど助かるはずがありません。それはわかり切っていたのに、ロキは夢中で呼び続けました。どこかに年上の少年たちが倒れていないか、雪に埋もれている跡が見えないかと、懸命に雪原を探し回ります。

 膝まで潜る深い雪を蹴散らして、グーリーがどっどと走り続けます。やはり目をこらすように、風に匂いをかぐように、頭を上げて周囲を見回しています。

「兄ちゃん! 兄ちゃん! 兄ちゃぁぁん……!!」

 ロキの声が響きます。涙まじりの声でした。

 

 すると、行く手の小さな丘のてっぺんで、突然、どんと雪がはじけました。一瞬炎が吹き出し、続いて、ジュウッと激しい音を立てて白い水蒸気の柱が立ち上っていきます。水蒸気は冷たい空気に出会うと、たちまち、きらきらと輝く氷の粒を作り、あたりの空気の中にまぎれていきました。

 ロキとグーリーが驚いて立ち止まると、そこからフルートが立ち上がりました。右手に抜き身の炎の剣を高く掲げ、楯をつけた左腕の中には子犬のポチを抱きかかえています。その下半身はまだ深い雪の中です。雪原の上に現れた上半身を日の光が照らし、魔法の剣と鎧を輝かせました。

「フルート兄ちゃん!」

 ロキはそう叫んだきり、声が出なくなりました。

 フルートは少年とトナカイのほうを見て笑顔になりました。

「ロキ、グーリー」

 トナカイが命令も受けないうちに走り出して、フルートとポチに駆け寄ってきました。ブルルルと鼻を鳴らしながら、大きな顔をすり寄せてきます。フルートはいっそう笑顔になりました。

「心配して探してくれてたのかい? ありがとう」

 ロキは、本当に信じられないものを見る目をしていました。新雪に半ばまだ埋もれているフルートをじろじろ眺めながら言います。

「兄ちゃん……本物? 幽霊じゃないよね……」

「生きてるよ」

 とフルートは笑い、剣を鞘に戻して、ポチをグーリーの背中に押しやりました。

「とにかく、早く暖まらせてやって。ずっと雪の中にいたんだからね」

 何時間もポチを抱き続けた左腕は固くこわばっていて、すぐには動かせないほどでした。それでも、フルートは全然気にせずに、子犬がトナカイの長い毛の中にもぐり込んでいく様子を見守りました。トナカイの背中の毛は暖かい毛布のようです。冷え切ったポチも、もう心配はありません。安心したとたん、フルートは全身の力が抜けて雪の中に倒れ込みそうになりました。

「フルート兄ちゃん!」

 ロキがまた叫びました。悲鳴のような声です。

 フルートは、とっさに踏みとどまると、頭を振って我に返り、また笑顔を少年に向けました。

「大丈夫だよ。なんでもない」

 ロキが深い雪の中に飛び込んできました。フルートのそばまでやってきて、その顔をまじまじと見上げ、フルートたちが出てきた雪の穴をのぞき込みます。

「雪洞を掘って吹雪をやり過ごしたんだ……。よくこんな方法を知ってたね、兄ちゃん」

 フルートは思わず苦笑いしました。

「偶然だよ。動けなくなってしゃがみ込んだら、雪の中に埋まっちゃっただけさ。この鎧だから平気だったけどね」

 そう言いながら、フルートは夢の中に出てきた少女のことを思いだしていました。あそこでポポロが話しかけてくれなかったら、そして、ポチが腕の中で鳴き出さなかったら、いくら魔法の鎧があっても、フルートは雪の中で目を覚まさなかったかもしれません。すっぽりと雪に埋もれたまま、ポチは凍え死に、フルート自身もやがて酸欠に陥って、静かに最後を迎えていたのかもしれないのです――。

 すると、急に何かがどん、とフルートの胸に飛び込んできました。驚いて見ると、ロキがフルートにしがみついていました。

「兄ちゃん……兄ちゃん、兄ちゃん……」

 と震える声で繰り返し、突然怒ったような口調に変わります。

「あんまり心配かけるなよ、兄ちゃん! てっきり死んじゃったのかと思ったんだぞ!」

 そう言って、小さな拳をフルートの胸当てにたたきつけてきます。

 けれども、ロキの体は震え続けていました。毛皮のフードから突き出した長い耳も小刻みに震えています。まるで泣いているようです。

 フルートは静かにほほえむと、小さな体を優しく抱きしめてやりました。

「ありがとう、ロキ。心配させてごめんね――」

 真新しい雪が降り積もった平原は、朝の光を浴びて、いっそう明るく輝き出していました。

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