吹雪がやってきました。
風に粉雪が舞い上げられる地吹雪ではありません。強い風と共に雪が吹きつけてくる、本物の吹雪です。テントはひっきりなしに風と雪にたたかれて、激しい音を立てていました。
「ワン、吹き飛ばされたりしないでしょうね?」
とポチが不安そうにテントを見上げました。テントの中は泥炭が燃え続けていて暖かですが、風と雪の音がうるさくて、とても眠るどころではありません。ときどき、天井の空気穴から風が吹き込んできて、テントの中に雪を降らせました。
「まあ、大丈夫だろう。支柱の方は風にもびくともしてないからな」
とゼンがのんびり答えました。いつも猟で戸外を歩き回っている彼は、吹雪にも一番落ちついています。
「ロキは町に泊まってるだろうね?」
とフルートは別の心配をしていました。ゼンが笑いました。
「あのちゃっかり者がこんな天気の中を出歩いてるわけないだろう。今頃は宿屋の中でオオカミを売った金を勘定してるさ」
ウォルルル……と突然外で風がうなりました。甲高い笛の音に似た音は、上空からひっきりなしに聞こえています。少年たちは思わず黙って、外の物音に耳を澄ましました。風はますます強まっているようです。ザザザッと砂をかぶせるような音がテントを打ちました。寒さに固く凍った粉雪がたたきつけてくるのです。
「北の大地では、こういう猛烈な吹雪をブリザードって言うらしいぜ」
とゼンがまた話し出しました。
「冬場の北の大地は、毎日ブリザードが吹き荒れるんだとよ。夏場にもしょっちゅう起こるって話だ。ただ、トジー族はこの風を使って、帆を上げたそりで雪原を渡っていくらしいぞ」
「へえ、こんなものすごい風を利用するの」
フルートは目を丸くしました。世界には思いがけない暮らしぶりの人たちがいるものだ、と感心してしまいます。
ブリザードの吹き荒れる雪原が、次第に薄暗くなってきました。短い夜がまたやってきたのです。気温がぐっと下がってきて、テントの端にいると、しんしんとしみこむ寒さを感じてしまいます。ゼンとポチは少しでも暖をとろうと、中央の火皿へ近づきました。泥炭は静かに燃え続けています。
「そら」
とゼンが火の上で温かい飲み物を作って配りました。ポチには、テントの中に吹き込んできた雪をすくい入れて、少し冷ましてから出してくれます。それを飲むと、体がぽかぽかと温まってきました。
「寝なくちゃね」
とフルートが言いました。彼らは小さくとも戦士です。戦士はいつでも最善の戦いができるように、どんな場所でもしっかり眠れなくてはならないのでした。
毛皮の敷物の上に横になると、風のうなり声はいっそう耳につきました。四方八方から気まぐれに吹きつけてきて、テントをたたき、揺すぶっていきます。外は間違いなく氷点下何十度という世界なのですが、テントの中は暖かいままです。一握りの泥炭が、消えることなく燃え続けて、子どもたちを寒さから守っています。
やがて、子どもたちは風の音を聞きながら、とろとろと眠りに落ち始めました――。
寝入りばなの世界に、また茶色の犬が現れました。
「ワン、ルル!」
ポチが尻尾を振って喜ぶと、犬の少女が厳しい声を出しました。
「気をつけなさい、ポチ! 耳を澄ますのよ!」
そこで、ポチはすぐにぴんと耳を立てました。聞こえてくるのは、吹きすさぶ風の音ばかりです。毛皮のテントが風をはらんではためく音も聞こえます。その音はいつまでも続いていて、永遠にやむことがないように思えました……。
と、ポチはぴくりと耳を動かしました。なにか、風と雪以外の音が聞こえたのです。
ばさり、と鳥の翼が羽ばたくような音でした。
ポチは耳を傾け、やがて、全身の毛を逆立てました。羽音は、まっすぐこちらへ近づいてきます。この激しい風雪に逆らって飛べるのですから、とてもただの鳥とは思えません。
「ワン!」
と吠えたとたん目が覚めました。ポチは本当に声を上げたのです。眠りかけていたフルートとゼンも、驚いて目を覚ましました。
「なに、ポチ?」
「どうした?」
ポチは立ち上がってテントの外へ耳を澄ましました。激しい風の音にまじって、本当に羽ばたきの音が聞こえてきます。何か大きな生き物が、テントのすぐ近くに舞い下りた気配がします。
ポチは低く身構えてうなり出しました。
「気をつけて……何かが来ます。すごく大きなヤツですよ……」
フルートは即座にかたわらから二本の剣を取り上げて背負い、リュックサックにくくりつけてあった盾を左腕に装備しました。ゼンもエルフの弓矢を背負って、腰にショートソードを下げます。そうして、彼らは剣の柄に手をかけたまま、ポチと一緒に外の気配をうかがいました。
猛烈な風の音が続いています。風の音がものすごくて、フルートたちには近づいてくる生き物の気配は感じ取れません。けれども、ポチは耳を立てながら言い続けました。
「近づいてきます。まっすぐこっちに来ますよ……一羽……いや、一羽と一匹かな。鳥の足音と、獣の足音がします……」
そのとき、フルートたちの耳にも、テントのすぐそばから、凍った雪を踏む足音が聞こえてきました。とっさにそちらへ身構えたとたん、バリバリッと音を立てて、テントが外から破かれました。巨大な爪のついた鳥の足が、テントの毛皮を引き裂いていくのが見えます。
すると、裂け目からどうっと風が吹き込んできて、あっという間にテントを吹き飛ばしていきました。すさまじい吹雪がフルートたちに襲いかかり、毛皮の敷物や火皿をさらっていきます。少年たちは吹き飛ばされないように、あわてて踏ん張りました。たたきつけてくる風雪に、まともに目も開けていられなくなります。
雪にかすむ視界の中に、何か黒っぽい生き物が立っていました。巨大な二枚の翼を広げています。ワシそっくりの鋭い目とくちばしが、雪の中にちらりと見えます。
ギェェェ……ン!!
つんざくような鳴き声と共に、くちばしが襲ってきました。とっさに散ってそれをかわした少年たちは、また吹雪にあおられて、思わずよろめきました。風が強すぎて、立っているのもやっとです。
すると、急に風が回って、怪物の方から吹き始めました。雪が怪物の巨大な体にさえぎられて、白夜の中にその黒い姿がはっきり浮かび上がります。
それは見上げるほど大きな鳥でした。ワシそっくりの姿をして、全身を真っ黒な羽根でおおわれています。巨大な翼は吹雪の中でも大きく広げられたまま、びくともしません。
ところが、そのワシの体の後ろに、ライオンに似た大きな獣の胴と後脚が続いていました。尾もライオンにそっくりです。
フルートは思わず声を上げました。
「グリフィンだ!」
すると、ポチもワンワン……! と激しく吠え出しました。
「こいつだ! こいつですよ、ルルやポポロたちをさらっていったのは! 猟師小屋に残されてた羽根と同じ匂いがします!」
「なんだとぉ!?」
ゼンは、かっとした顔になると、いきなり腰のショートソードを抜いて怪物に切りかかっていきました。
「この野郎! あいつらをどこにやった!?」
怪物は巨体に似合わない素早さで軽く飛びのくと、ゼンに向かって鋭いくちばしを突き出してきました。
「危ない!」
フルートがゼンの前に飛び出して、左腕の盾で攻撃を受け止めました。フルートの盾は魔法のダイヤモンドでメッキされた強力なものです。くちばしの一撃を跳ね返しましたが、反動でフルートは雪の上にひっくり返りました。左腕全体にしびれが走ります。
そこへグリフィンが襲いかかってきました。かぎ爪のついたワシの前足で、どしん、とフルートの小柄な体を押さえ込んでしまいます。
「フルート!」
「ワンワンワンワン……!」
ゼンとポチが同時に怪物に飛びかかりました。が、怪物が大きな翼を打ち合わせたとたん、吹雪より強烈な風がどっと襲いかかってきて、ゼンたちは雪の上に吹き飛ばされてしまいました。
「ワン、よくも……!」
ポチがうなりながら跳ね起きて、風の犬に変身しようとしました。白い小さな体が淡い緑の光に包まれ始めます。
「だめだ、ポチ! やめろ!」
フルートはグリフィンに押さえ込まれたまま叫びました。こんな猛烈な吹雪の中で変身したら、あっという間に風の体を散らされて、ポチは消滅してしまいます。ポチが、はっとしたように立ちすくみ、緑の光が薄れます。
「このくそっ!」
ゼンがどなりながらグリフィンに飛びつきました。フルートを押さえ込んでいる足を力ずくで持ち上げ、引き離そうとします。
ギェェェ……!
また怪物が鳴き声を上げました。太い柱ほどもある巨大な足が、本当に持ち上がり出したのです。フルートを雪の上に押しつけていた鳥の指が、空しく宙をかきむしり始めます。
「逃げろ、フルート!」
ゼンが叫び、フルートは急いで怪物の足の下から脱出しました。
ゼンはさらにうなり声を上げると、力任せに怪物を持ち上げ、引き倒そうとしました。もう一本のワシの前足が雪を離れて、怪物の上半身が浮き上がります。
と、怪物の翼がまた大きく羽ばたきました。強い風にあおられて、さすがのゼンも思わず力がゆるみます。
すると、その体をもう一方の前足が、がっきと捕まえました。しがみついている足からゼンを引きはがし、文字通りわしづかみにします。ゼンはわめきました。
「この! 放せ! 放しやがれ!」
「ゼン!」
フルートとポチがあわてて駆けつけようとしました。フルートは背中から剣を引き抜きます。
すると、大きな羽音を立てて、グリフィンが空に舞い上がりました。足にはゼンを捕まえたままです。
とたんに、風をさえぎっていた怪物の巨体がなくなって、吹雪がまた、まともにフルートたちに吹きつけてきました。一瞬、雪でなにも見えなくなります。その間に怪物ははるか上空へ飛び上がっていきました。
フルートたちは青くなりました。怪物はゼンをつかんだまま、吹雪の中を遠ざかっていきます。
「ワンワン、ゼン!」
ポチがまた風の犬に変身して後を追いかけようとしました。とっさにフルートはそれに飛びつくと、腕の中に子犬をきつく抱きしめました。
「だめだ、ポチ! 変身しちゃだめだ――!」
怪物の羽音が吹雪の中にを遠くなっていきます。吹雪の音の中にまぎれ、やがて聞こえなくなっていきます。
フルートは真っ青になった顔で空を見上げました。ほの明るい空は吹き荒れる雪で真っ白で、もうどこにも怪物の姿は見あたりませんでした――。