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第5巻「北の大地の戦い」

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29.生きる手段

 フルートとポチがテントの中から飛び出してきて、ゼンのところへ駆けつけました。フルートは炎の剣を握ったままでいます。テントのすぐわきにかがみ込んでいたロキは、あわててテントの裾から片手を引き抜きました。手袋のなくなった手を、隠すようにマントの中へ引っ込めます。

 フルートは眉をひそめました。ポチも疑わしい目でロキを見上げました。

「ワン、フルートの剣を盗もうとしてましたよね」

 たちまちゼンの顔が厳しくなりました。問いただすように小さな少年をにらみつけます。

 ロキはとまどったように立ち上がると、年上の少年たちに向かって愛想笑いを向けました。

「やだなぁ、兄ちゃんたち、本気で怒んないでよ。ちょっとした冗談だったのにさ……。フルート兄ちゃんの剣を隠したら、びっくりするかな、って思っただけなのに」

「ポチ?」

 とフルートが子犬に問いかけました。もの言う子犬は、ロキを見上げたまま答えました。

「ワン、違いますね。嘘を言ってます」

「嘘じゃないよ! 本当さ! ただちょっと――おいらも魔法の剣を使ってみたかっただけなんだよ!」

 とロキが必死で言います。すると、ゼンが言いました。

「無駄なんだよ。こいつは人の考えてることがわかるんだ。嘘をついても一発でばれるんだよ」

「え?」

 ぎくりとしたように、ロキがポチを見ました。みるみるうちに、その顔が青ざめていきます。ポチは答えました。

「ワン、匂いで考えがわかるんですよ。あなたからは嘘の匂いがしています。本当はフルートの剣をどうするつもりだったんですか?」

 二人と一匹の少年たちに見据えられて、ロキはおどおどと後ずさりましたが、ゼンがそれを追って前に出ると、観念したように立ち止まりました。うなだれて、低い声で答えます。

「町でさ……売ろうと思ったんだ……」

 フルートは思わず息を飲みました。他の少年たちも驚きます。炎の剣は、フルートの片腕とも言える大切な武器です。それを盗まれて売られそうになったこと自体が、彼らには本当に思いがけないことでした。

「この野郎! よりによって、炎の剣を……!? なに考えてんだよ!?」

 ゼンがロキの襟首をつかみました。小さな体が軽々と宙に浮いて、ロキが悲鳴を上げます。フルートは我に返って親友を止めました。

「よすんだ、ゼン……! ロキ、わけを聞かせてよ」

 ロキは、怒った顔のゼンと真剣な目をしているフルートを見比べ、最後にもの言う子犬を見て、またうなだれました。

「言うよ……。だから放してよ、ゼン兄ちゃん」

 ゼンが投げ捨てるようにロキを放したので、少年は雪の上に転がりました。あわてて身を起こした少年は、そのまま雪の上にうずくまりました。わけを話すと言ったのに、そのまま黙り込んでしまいます。

「おい!」

 ゼンがいらいらして声をかけると、小さくうずくまったまま、ロキが低く言いました。

「だって、しょうがないじゃないか。生きてくのには金が必要なんだからさ……」

「金ほしさに炎の剣を盗もうとしたのか!」

 またゼンがロキを締め上げそうになったので、フルートはあわててまた、それを止めました。

「ねえ、ロキ。君は本当に二言目にはお金のことを言うよね。どうしてそんなにお金がほしいの? 何か目的があるのかい?」

「目的?」

 ロキが皮肉な調子で笑いました。とても十歳の子どもには思えない、冷めた笑い声です。

「金がなかったら何も買えないじゃないか。食料も必要なものも、何もかも。だから金がほしいのさ。なんか変かい?」

 ゼンがまたどなりかけましたが、フルートはそれを抑えて尋ねました。

「ねえ、ロキ……君、お父さんやお母さんは?」

「いないよ」

 案の定の答えです。それきり、またロキが黙り込んでしまったので、フルートは重ねて尋ねました。

「亡くなったの? それじゃ、君はどうやって暮らしてるわけ?」

 きっとそのあたりにわけがあるに違いない、とフルートは読んだのでした。

 すると、ロキがちらっと年長の少年たちを見上げました。

「長い話になるよ……ここじゃ寒いな。テントの中で話そうよ、兄ちゃんたち」

 と、こんな状況でもちゃっかりとそんなことを言います。ゼンは思わず大きくうなると、顎でテントを示しました。

「じゃ、とっとと入って話せよ」

 ロキの条件を呑むようで悔しいのですが、実際、テントの外に立つうちに、本当に体が冷え始めていたのでした。

 そこで、少年たちはテントの中に戻り、また話の続きを始めました――。

 

「おいらは、父ちゃんと母ちゃんと、ガンヘン村のはずれの家に住んでたんだ」

 とロキは話し始めました。その目の前にはフルートとゼンとポチが座っています。彼らの間では、火皿に載せた泥炭が静かに燃え続けていました。

「ガンヘン村は海辺の村さ。父ちゃんは夏場は凍った海の上でアザラシなんかを捕ってたし、冬場はトナカイで内陸へ荷物を運ぶ仕事をしてた。猟は無理だけどさ、冬の仕事は、おいらも子どもの頃からずっと手伝ってたんだ」

 今だってたった十歳の子どものはずなのに、ロキはそんなことを言います。

 すると、ゼンが口をはさみました。

「だが、おまえらトジー族の子どもは、町や村の外に出ないはずだろう? 夏でもこんなに寒いんだから、冬場の寒さは子どもには相当きついはずだぞ」

 ロキは驚いた顔になり、それから苦笑いを浮かべました。

「うん、確かにトジー族の子どもは、普通は村の外には出ない。冬は特にそうさ。迷子になったら、あっという間に凍死しちゃうもんな。でも、おいらたちにはグーリーがいたし……それに、誰も助けてなんてくれなかったから、おいらたちだけでがんばって働くしかなかったんだ」

 また、誰も助けてくれない、というセリフが出てきました。ロキが周囲の人たちをどう思っているかが伝わってくることばでした。

 ゼンがまた尋ねました。

「どうしてだよ。トジー族は仲間意識がすごく強くて、みんなで助け合って生きてるんだ、ってじいちゃんから聞いていたぞ。そうしないと、厳しい寒さの中で生きのびていけないから、ってな。それなのに、おまえらだけは助けてもらえなかったのか?」

 ロキはますます驚いてゼンを見つめ、それから、急に怒ったように目をそむけました。

「ゼン兄ちゃんは、トジー族でもないくせに、いろいろ知りすぎだよ……。そうさ。普通のトジー族はそんなふうに暮らしてる。でも、おいらたちは、父ちゃんたちが人づきあいがあんまり好きじゃなかったから……。だから、二年前、父ちゃんが海に猟に行って氷の割れ目に落ちたときにも、誰も助けに駆けつけてくれなかったんだ」

 ロキの声に強い感情がまじりました。人を恨む気持ちです。

「家から見える場所だった。村からも見えてた。でも、その夏は氷がやたら薄い年で、危険だから、って誰も助けに行ってくれなかったんだ。父ちゃんがずっと氷にしがみついてるのは見えてたのに。それを見て、母ちゃんはロープを抱えて父ちゃんのところへ走っていって……そのまま、氷が割れて二人とも海の中に消えてった。戻ってこなかったよ」

 沈黙になりました。

 ゼンもフルートも、ことばもなく少年を見つめてしまいました。それが言い逃れやお涙ちょうだいのための作り話ではないことは、ポチに確かめるまでもなく、はっきりわかりました。ロキは、自分が座る毛皮をじっとにらみつけています。まるで、両親が海へ消えていく場面を見据えているような目です。

 

 やがて、ロキはまた冷めた声で話し始めました。

「後に残されたおいらは、生きるために自分で働くしかなかったさ。おいらは父ちゃんがやってたみたいに、グーリーで荷物を運ぶ仕事をしてるんだ。ときどき、ムジラのガイドもやる。めったにないけどな。でも、おいらはまだ子どもだからさ、どうしたって足元を見られるんだよな。正規の料金を請求したって、馬鹿にされて値切られる。ぶん殴られて、料金を踏み倒されることだってある。だから、こっちだって利口でなくちゃならないんだよ。ときどきは、こっそり特別料金をいただくことだってあるのさ」

 そう言って、ニヤッと笑ったロキは、もういつもの小生意気な表情に戻っていました。

 ゼンは苦い顔をしました。

「要するに、客の荷物をくすねて売っぱらってたんだな。ったく、なんてヤツだ」

「しょうがないさぁ。だって、自分を助けられるのは自分しかいないもんね。姉ちゃんだって、おいらが――」

 言いかけて、ロキはふいに口をつぐみました。表情が変わります。口をすべらせてしまったのです。

「お姉さんがいるの?」

 とフルートが尋ねると、渋々ロキはうなずきました。

「おいらより四つ年上で、アリアンっていうんだ……。姉ちゃんは、おいらがそういうことすると怒るんだ。でも、おいらがやらなかったら、姉ちゃんだって助けられないんだから……」

 フルートは、ちょっと首をかしげました。助ける、ということばに、なんだか特別な意味合いが込められているような気がします。

「お姉さんは働いていないの?」

 とまた尋ねると、ロキは肩をすくめました。

「一応働いてる。姉ちゃんは占い師の卵さ。ホントはすごくいい目をしていて占いも正確なんだけど、村には昔っからの占い師がいるから、そいつが嫌がらせしてくるんだ。姉ちゃんには、めったに客は来ないよ」

 フルートたちは、思わず溜息をついてしまいました。聞けば聞くほど、ロキがこんな風になったわけがわかるような気がします。

 

 すると、ロキが真剣な顔になってフルートたちを見回してきました。

「おいらの話はこれで全部だよ。ねえさぁ……もう絶対兄ちゃんたちの荷物を盗んだりしないからさ、おいらを首にしないでおくれよ。兄ちゃんたちから料金をもらえないと困るんだ。サイカ山脈まで、兄ちゃんたちを案内させておくれよ」

「ちぇ、虫のいいヤツだな」

 とゼンはぼやき、フルートを眺めて、すぐに苦笑いをしました。フルートの表情を見ただけで、返事がわかってしまったのです。

 フルートがロキに言いました。

「わかった。君をこのままガイドに雇っておくよ。その代わり、本当にもう、ぼくたちの武器を狙ったりするんじゃないよ。これがなかったら、ぼくたちは魔王を倒せないんだからね」

 ロキは目をぱちくりさせました。

「じゃ、やっぱり、兄ちゃんたちは本気で魔王を倒すつもりなんだ……」

「いいか、本当にもう、こんなことするなよ。今度やったら、本気でぶん殴ってやるからな」

 とゼンが念を押します。ロキが肩をすくめて笑いました。

「ゼン兄ちゃんに本気で殴られるのはごめんだなぁ。命がなくなっちゃうよ。――わかった、約束するよ。絶対にもう、こんなことはしないから」

 フルートとゼンは、黙ってポチを見ました。ポチは同じく黙ったままうなずき返しました。ロキからはもう、嘘をついている匂いは漂ってこなかったのです。

 少年たちに許してもらえたとわかるや、ロキがいつもの抜け目ない顔に戻って言いました。

「ねえ、それじゃさ、ハクヤの町に行ってきていいかい? オオカミを売ってこなくっちゃ」

「なんだ、まだ行ってなかったのかよ。とっとと行ってこい」

 とゼンがまた顔をしかめました。

 ロキは、えへっと茶目っ気たっぷりに笑うと、あっという間にテントから飛び出していきました。フルートたちが後を追って外へ出ると、ロキは雪原の彼方からグーリーを呼んでいるところでした。その背中にはまだ雪オオカミが積んだままになっています。

「じゃ、いってくるね。ああ、兄ちゃんたち、さっきおいらが開けたテントの裾、ちゃんと埋め戻しておいてね。隙間があると、吹雪になったときにテントが飛ばされちゃうから」

 ちゃっかりとそんなことを言い残すと、ロキはグーリーに飛び乗って町へ駆けていきました。

 

 それを半ばあきれて見送っていたゼンが、突然声を上げました。

「しまった! あいつからフルートのマントを取り返すのを忘れてたぞ!」

「別にいいよ。ロキに貸したんだから」

 とフルートが答えると、ゼンがかみつきました。

「いいや、あいつ、絶対におまえのマントを町で売っぱらってくるぞ! なんたって魔法のマントだ。間違いなく金になるもんな。ちきしょう!」

「そうだとしても、かまわないったら。ぼくにはもう必要ないものだもの」

 とフルートは穏やかに答えて、遠ざかっていくロキとグーリーの後ろ姿を眺めました。小さな黒い影は、まっすぐハクヤの町へ向かっていきます。

 フルートと並んでそれを眺めながら、ゼンが言いました。

「あんな打ち明け話を聞かせてきたからって、油断するなよ。相手の同情を引いておいて盗みを繰り返すってのが、泥棒の常套手段なんだ。あいつは信用するな」

 厳しい声です。フルートは、ちょっと笑いました。

「信じなかったら、道案内なんて任せられないよ。ぼくたちは北へ行かなくちゃいけないんだ。ロキを信じなくちゃいけないんだよ」

 ゼンは、じろりとフルートをにらみました。

「このお人好し!」

「そんなの、承知の上だろう?」

 フルートは笑顔のままです。

 雪原の彼方では、ロキたちが町に入っていくのが見えていました。景色が次第に薄くけむってきます。風が出て地吹雪が起き始めたのです。

 ポチが言いました。

「ワン、さっきより冷えてきましたよ。本当に吹雪になるかもしれません」

「ロキの言うとおり、テントを直さないとね」

 とフルートがテントにかがみ込みました。隙間があいた裾の部分を、ていねいにまた雪に埋め戻します。

 ゼンは腕組みをしたまま、ロキが入っていった町をにらみ続けていました。町は地吹雪にどんどんかすんでいきます。風がばたばたとテントをたたき始めます。

 すると、ゼンがふいにつぶやきました。

「ったく……ガキのくせして、あいつ!」

 やりきれない想いを込めた声が、強い風の中に苦々しくちぎれていきます。

 地平線の彼方から、吹雪が近づいていました――。

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