ゼンが作ったシチューで満腹になった子どもたちは、テントの中で思い思いに横になっていました。
床の皮の上に重ねて敷いた毛皮が、地面からの冷気をさえぎります。火皿の上で燃え続ける小さな火がテントの中全体を暖めて、何とも言えない快適さです。
ポチは毛皮の上で体を丸めてうとうとしていました。夢うつつの中に、フルートとゼンの会話が聞こえてきます。二人がどんな格好で話し合っているのか、ポチには目を開けなくてもわかっていました。フルートは二本の剣を外してかたわらに置き、毛皮の上に腹ばいになっています。ゼンの方は魔法の弓矢をテントの内側に立てかけて、肘枕でフルートの方を向いています。近くにいるのに遠く聞こえる声が、こんな話をしていました。
「ロキは本当にいろんなことをよく知ってるよね。ぼくたちより小さいのに、すごくしっかりしてる」
これはフルートの声です。
「そうだな。あいつ、あの歳でこの北の大地を相当歩き回ってるぞ。頭で覚えた知識じゃ、ああはいかないんだ」
とゼンの声が答えて、だがなぁ、と考えるように続けました。
「なんだか腑に落ちないんだよな」
「なにが？」
フルートが聞き返します。
「じいちゃんから聞いた話なんだけどな、トジー族ってのは、大人になると、男も女も体中が毛におおわれて、寒さに強くなるらしいんだ。まあ、顔や手なんかには生えてこないらしいけどな。ところが、子どもは俺たちと同じように毛がないから、寒さに弱い。それで、成長して毛が生えそろうまで、町や村の中で大事に育てられて、外にはめったに出ないって話だったんだ。まあ、じいちゃんが北の大地に来たのはもう四十年も前のことだから、その間にいろいろ変わってるのかもしれないけどな、でも、子どものトジー族が寒さに弱いってのは、今も変わらないんじゃないかと思うんだよな」
「でも、ロキはああして外で働いてるじゃないか」
「だから腑に落ちないって言ってるんだよ。あいつ、子どもなのに、なんで外にいるんだ？ 親はどうしてるんだよ？」
「そう言えば、ロキって家族のことを話したことがないね……」
とフルートが言って、それきり、二人は黙り込みました。考え込んでいるような「匂い」が、少年たちからポチの方へ伝わってきます。
ポチは目を閉じたまま、心の中で小さな溜息をつきました。
ポチは人の感情を匂いという形で感じることができます。こまっしゃくれて生意気なことばかり言うロキが、ときどき、ひどく淋しい匂いを漂わせてくるのを、ここに来るまでの間、ずっと感じ続けていたのでした。
それはあきらめを伴った匂いでした。淋しくて悲しくて、けれども、それをもうとっくにあきらめてしまっている気持ちです。「誰もおいらを助けてなんてくれないんだから」とロキがつぶやいたとき、ポチは、乾いた笑顔の向こうに、大粒の涙を流している小さな少年を見たような気がしました。何がどうなっているのかは、ポチにもわかりません。けれども、ロキがこの広大な大地で、かなり孤独な身の上にあるのは間違いないのでした。
フルートたちは話すのをやめて静かになっていました。考える「匂い」もとぎれとぎれになっています。フルートとゼンは眠り始めているのでした――。
「あら、やっぱり来たのね、ポチ」
茶色の長い毛並みの中に銀色の毛を光らせた犬が、あきれたように話しかけてきました。ルルです。ポチはびっくりしてそれを見返し、あわててあたりを見回しました。
ぼんやりと光る乳白色の世界。景色は霞がかかっているようで、外にいるのか、テントの中にいるのか、よくわかりません。
すると、ルルが首をかしげるようにしてポチをのぞき込んできました。
「こんな雪と氷しかないところまで、何をしに来たのよ？ 危ないじゃないの。凍え死んだらどうするつもりよ？」
ああ、夢だ、とポチは気がつきました。フルートやゼンが夢でポポロやメールを見たように、ポチもようやく夢の中でルルに会うことができたのです。
目の前にいるルルは、本物と少しも変わりがありません。ポチより二回りくらい大きくて、流れるような毛並みがとても綺麗です。弟のような子犬を見つめる目は、ちょっぴり高慢そうですが、その奥に、とても優しくて暖かい色があることを、ポチはちゃんと知っていました。
ポチはにっこり笑うと、尻尾を振って答えました。
「ワン、もちろん助けに来たんですよ、ルル。ポポロやメールはフルートやゼンが助けるから、あなたのことは、ぼくが助けるんです」
すると、ルルはぽかんとした顔になり、たちまち吹き出して大笑いを始めました。
「やぁね、ポチったら！ 本気で言ってるの！？ 助けるどころか、反対にあなたの方が助けてもらうようじゃないの。帰りなさいよ、危ないわ。あたしのことなら大丈夫、心配いらないんだから」
「心配いらない」はルルの口癖です。幼い頃からポポロの姉として生きてきた彼女は、どんなときにでも「自分は心配いらない」と言います。本当は心配してほしいときにでも、つい言ってしまうのです――。
ポチはルルを見つめて、静かに言いました。
「でも、ぼくは心配したいんですよ。だって、そうじゃなかったら、ルルだって淋しいでしょう？」
夢の中でも匂いは感じます。目の前にいる犬の少女からは、心細そうな匂いがはっきりとしていたのです。
とたんに、ルルが怒ったようにウォン！ と吠えかかってきました。
「失礼ね、誰が淋しいですって！？ 大きなお世話よ！ あなたみたいな子どもに心配してもらうようなことじゃないわ！ 生意気言うんじゃないわよ！」
けれども、どなり散らすルルからは、本音を言い当てられてうろたえる匂いが伝わってきます。ポチは静かに力をこめて言い続けました。
「待っててくださいね、ルル。必ず助け出しますから。例えフルートやゼンが途中であきらめちゃうことがあったとしても、ぼくだけは、必ずあなたを助けに行きますから」
犬の少女は驚いた顔になりました。
「フルートやゼンが途中であきらめるなんてこと、あるの？」
「ないと思いますけどね」
とポチは笑うように答えて、それからまた、真剣で優しいまなざしをルルに向けました。
「ぼくは確かにフルートやゼンみたいに武器で戦うことも、ルルみたいに風の刃で戦うこともできないけど、でも、駆けつけることだけはできるんですよ。フルートたちと一緒に、あなたたちを助け出しに行けるんです。だから、待ってて、ルル。きっと――きっと、助けに行きますから」
夢の中のルルの姿は薄れ始めていました。そんな中でも、ルルはまだ、あきれたようにポチを見ています。どんなにことばを尽くしても、彼女には、小さなポチにそんなことができるとは信じられないのです。
「せいぜい凍えないようにね」
とルルが消えながら言いました。
「それと、充分に気をつけるのね。人を信じすぎると、いつか寝首をかかれるかもしれないわよ」
物騒なことばを残して、ルルは完全に消えました。乳白色の靄の中に、ポチだけが残されます。そして――
ポチは目を覚ましました。
ロキが張っていったテントの中で、フルートとゼンが眠っていました。床の真ん中では、火皿の上の泥炭が静かに燃え続けています。テントの中は穏やかで暖かくて、ポチが眠りに落ちる前と何も変わりがありませんでした。
ポチは前足の上に顎をのせると、ふぅ、と思わず溜息をつきました。夢でもやっぱりポチはルルの弟分で、心配されるだけの存在です。夢の中ぐらいは、もっとかっこよくて頼りになるところを見せて、ルルに見直してほしかったのですが。
しかたなく、もうちょっとましな夢を見ようとポチは目を閉じました。もう一度、まぶたの裏側に茶色の犬の姿を思い描こうとします……。
そのとき、ポチの頬のひげを冷たい風が揺らしました。ポチは、はっと目を開けました。突然、外の空気がテントの中に入ってきたのです。風の流れ込んでくる方向を振り向くと、毛皮の手袋をはめた手が、テントの裾から音もなく中に忍び込んでくるところでした。寝ているフルートのかたわらの、炎の剣へと伸びていきます――。
ポチは跳ね起きて吠え出しました。
「ワンワンワン！ 誰だ！？ 何者だ！？」
手がびくりと震えて、いきなり剣の黒い鞘をわしづかみにしました。そのまま一気に外へ奪い去ろうとします。
ポチはとっさに飛びついて、剣をがっきとくわえました。そのまま、うなりながら懸命に引き止めます。
騒ぎに目を覚ましたフルートとゼンが、その光景に驚き、次の瞬間それぞれに動き出しました。フルートが炎の剣に飛びついて奪われないように押さえます。ゼンはショートソードを握ってテントの外へ飛び出していきます。
ポチは今度は手袋をはめた手にかみついていきました。とたんに大きな悲鳴が上がり、すぽんと手袋が脱げました。後に現れたのは、小さな子どもの手です。
フルートもポチも、びっくり仰天しました。外から響いた悲鳴に聞き覚えがあったのです。
テントの前に人影がうずくまっていました。毛皮の服の上に毛皮のマントをまとった、小柄な人物です。フードからは、ウサギのような長い耳が突き出しています。
ゼンがそれを見下ろして、あきれたように言いました。
「おまえ、いったいそこで何をやってるんだよ？」
炎の剣を盗み出そうとしたのは、他でもないロキだったのでした――。
