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第5巻「北の大地の戦い」

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第7章 テント

26.雨

 ロキ、フルート、ゼン、それにポチの三人と一匹の子どもたちを乗せて、キタオオトナカイのグーリーは北の大地を進んでいきます。

 大きな角と体のトナカイは、子どもたちの他に、さっきしとめた雪オオカミの死体もひとつ背中に積み込んでいます。町に着いたらそこで高く売るんだ、とロキが嬉しそうに言っていました。小牛ほどもあるオオカミを余計に乗せても、グーリーは飛ぶように駆け続けていきます。驚くほどの体力と脚力です。

 

 やがて、あたりが次第に暖かくなってきて、頭上の薄い雲から霧雨が降り出しました。ロキが空を見上げて頭を振りました。

「やだな……また迂回しなくちゃ」

 とグーリーの進行方向を変えます。足下の雪はもうゆるんでいて、グーリーの蹄が雪の中に潜るようになっていました。

 やがて、霧雨が本格的な雨に変わって、足下はますます状態が悪くなってきました。雨雲はかなり広範囲に広がっていて、なかなかその下から抜け出せません。遠くから雷の音も聞こえてきます。

 ロキはグーリーを慎重に先へ進ませながら、濡れた耳をさかんに振っては水のしずくを飛ばしました。

「兄ちゃんたちも濡れないようにしなよ。また寒い場所へ戻ったら、たちまち凍傷にかかっちゃうからね。……ホントにいやだな。北の大地では今まで雨なんて降ったことがなかったんだよ」

「今まで降ったことがない? それでよくこれが雨だとわかったな」

 とゼンが口をはさみました。ロキは肩をすくめました。

「外から来たムジラたちから話には聞いてたさ。天から水が降ってくるなんて、とても信じられなかったけど、今はもうよくわかったよ」

 言いながらまた耳を振ります。ロキの着ている毛皮の服も、表面が雨でしっとりと濡れて、白い毛が黒っぽくけばだっています。なんとなく、このままにしておくと服の内側まで雨で濡れていってしまいそうに見えました。雨の降らない大地に住むトジー族の服は、雨水を防ぐ作りにはなっていないようでした。

 フルートは自分が着ていた毛皮のマントを脱ぐと、後ろからロキに着せかけてやりました。エルフからもらったマントです。魔法がかかっているので、暖かいだけでなく、水も完全にはじくことができます。

 ロキがびっくりして振り返りました。

「ダメだよ、兄ちゃん! 脱いだらあっという間に凍死しちゃうぞ!」

 と怒ったように言ってきます。フルートは、にっこりしました。

「大丈夫なんだよ。ぼくが身につけてるこの鎧兜は特別製だから、暑さ寒さはまったく平気なんだ。マントはポチを寒さから守るために着ていたんだけど、グーリーがいればその必要もないしね。着ておいでよ、ロキ。雨に濡れなくなるよ」

 ロキは疑わしそうな目でフルートを見ました。金の鎧兜はフルートの全身をおおっていますが、それでもすべておおいつくしているわけではなく、隙間からは下に着ている服がのぞいています。シルの町から着てきた、薄い布の服です。それが雨に濡れていくのが見えます。

「ホントに大丈夫なのかい、フルート兄ちゃん。服、濡れてるぞ」

 とロキが言うと、フルートはまた笑って見せました。

「雨がやめば、そのうち体温で乾くよ。本当に、氷の中でも炎の中でもまったく平気なんだよ」

 ロキはさらにとまどい、やがて、おずおずと言いました。

「マントの借り賃はタダかい……?」

 フルートとゼンとポチは同時に吹き出してしまいました。

「いいから借りとけよ! フルートが金なんか取るわけねえだろ!」

 とゼンが笑いながら言いました。フルートは手を伸ばして、マントをしっかりロキにかけ直してやりました。

「頭からかぶっておいでよ。雨が防げるからね」

 ロキはまだ信じられないような顔をしていましたが、やがて、うん、と小さくうなずくと、素直にマントをかぶって前に向き直りました。小さな手がマントの縁をしっかりつかんでいます。そんな少年を、なんとなくフルートは見つめてしまいました。ちょっとした態度の端々に、無償の優しさというものをあまり受けてこなかったらしい様子が見えるロキでした。

 

 やがて、やっと雨が止みました。雨雲から遠ざかるにつれて、またあたりが寒くなっていきます。本当に狭い範囲で暖かい場所と寒い場所が交互に現れます。魔法が呼んだ暖かい風と、北の大地本来の冷たい空気が、上空で複雑に入り乱れているのです。

 雨に濡れたフルートの鎧の表面が、水晶でメッキされたように、すっかり氷におおわれました。ロキがそれを気にすると、フルートはまた笑いました。

「大丈夫なんだったら。こんなふうでも、中は全然寒くないんだよ。寒さを感じてる君たちには申し訳ないくらいなんだ」

「なら、いいけどさ……でも、凍傷にかかるときって、自分では全然感じないんだぜ。気をつけなよ、兄ちゃん」

 意外なくらい、ロキはフルートたちの心配をしてくれます。とはいえ、それがガイドとして客の心配をしているのか、フルートたちに少しずつうちとけてきたのか、そのあたりはまだ判断しにくいところでした。

 寒さはますます厳しくなっていきます。雨に濡れたグーリーの毛の表面も白い氷におおわれます。けれども、トナカイの毛には脂があるので、手で払ってやると案外簡単に氷が落ちていきました。

 グーリーの毛の中にもぐり込んでいたポチも、少しだけ体が雨に濡れましたが、一度風の犬に変身して元に戻ると、白い毛は完全に乾いてしまいました。

「ったく、風の犬ってのは便利だよなぁ」

 とゼンが言いました。感心を通り越して、なかばあきれたような声です。

「ワン。だって、こっちは力も武器もない小さな子犬ですからね。これくらいの特技はなくちゃ」

 とポチがすまして答えます。

「ちぇ、おまえのどこがそんなか弱い存在だよ。風の犬になれば、あんな馬鹿でかい姿になるくせして。しかも空は飛べるし、風の力で攻撃できるし、動物の言うこととかもわかるし。特殊能力がありすぎるぞ、おまえ」

「自分にこういうことができないからって、ひがまないでくださいよ、ゼン」

「なんだとぉ! 俺のどこがひがんでるって言うんだ!?」

「ひがんでるようにしか聞こえませんよ。いくら怪力と弓矢しか特技がないからって、逆恨みは――」

「この野郎! 怪力と弓矢しかってのはなんだ、『しか』ってのは!?」

 とうとう腹を立てたゼンがグーリーの毛の中からポチを引きずり出しました。変身して逃げられないように、風の首輪をつかみます。弱点を押さえられて、ポチがキャンキャン悲鳴を上げます。

 フルートは笑いながら二人を引き離しました。

「もうやめろよ。背中で大騒ぎするから、グーリーが迷惑がってるぞ」

 その通り、と言うように、トナカイが走りながらブルル、と鼻を鳴らしました。

 

 すると、行く手を見ていたロキが、伸び上がって叫びました。

「町だ! 町が見えてきたよ!」

 フルートたちはいっせいにそちらを見ました。白い雪と氷の大地、その地平線に白い家が寄り集まっているのが見えました。

「ダイトか?」

 とゼンが尋ねたので、ロキは目を丸くしました。

「なんで都の名前を知ってるの? あれは違うけどさ。あれはハクヤの町だよ」

「そっちは知らないな。ダイトはじいちゃんから聞いたんだよ。昔、一人でこの北の大地まで来たことがあるんだ」

 ロキはますます目を丸くしました。

「ドワーフがダイトまで来たことがあるの!? ずいぶん内陸にある都なんだぜ」

「もう四十年も前のことになるけどな。じいちゃんは、ドワーフには珍しく、冒険家だったのさ。他のヤツらが北の峰から一歩も外に出ない中で、じいちゃんだけはあっちこっち歩き回っていたんだ」

「ゼンはその血を引いたね」

 とフルートが言いました。ゼンの祖父には、フルートも会っています。知恵と、それを上回る経験の深さを感じさせる、頼もしい老人でした。

 へへっ、とゼンは得意そうに笑いました。

「この北の大地の話は、じいちゃんから何度も聞かされていたけどな。まさか本当に自分も来ることになるとは思わなかったよなぁ」

 ふぅん、とロキはつぶやいて、改めてゼンを見つめました。ちょっとゼンのことを見直しているような目でした。

 すると、ゼンは、にやりと笑ってロキを見返しました。

「ここほどじゃないけどな、俺たちが住んでる北の峰だって、冬場には相当寒くなるんだぜ。すっぽり雪におおわれて、それがすっかり凍りつく。その上を、俺たち猟師は走り鳥や馬に乗って獲物を追いかけるんだ。寒さを甘く見りゃ、あっという間に体や命を失うようになる。寒さや自然の厳しさは、俺たちだって充分承知してるんだぜ」

「それにしちゃ、兄ちゃんたちの装備って、いやに軽かったじゃない。テントも持ってなかったしさ。歩きの旅なのにテントがないってのは、絶対無謀だよ」

 とロキが言うと、フルートが口をはさみました。

「賢者のエルフが、それでいいと見ていたんだよ。エルフには、ぼくたちがロキと出会うことがわかっていたんだ」

 すると、ロキはまたとまどった顔になりました。

「賢者――ってなんだい? 占い師みたいな人かい?」

「世の中のあらゆる出来事を、自分のいる場所からすべて見通して知っている人だよ。訪ねていくと、いろいろな大事なことを教えてくれたり、役に立つものを与えてくれたりするんだ」

 ふぅん、とロキはまたつぶやき、なんとなくとまどった様子のまま、また行く手のハクヤの町を眺めました。がらりと話を変えます。

「おいら、あの町でオオカミを売ってくるよ。ただ、兄ちゃんたちは一緒に行かない方がいいと思うな。内地のトジー族にはムジラが嫌いなヤツが多いから。それこそ、町の外にテントを張っていくよ。おいらが戻るまで、兄ちゃんたちはそこで待っててよ」

 それを聞いて、フルートがゼンに言いました。

「まるで、人間を嫌う洞窟のドワーフたちみたいだね。なんだか、トジー族とドワーフって、似たところがけっこうあるような気がするな」

 すると、ゼンが答えました。

「自然の中で暮らしている民ってのは、多かれ少なかれ、どこか似てくるんだよ。それに、人間が人間以外のヤツらから嫌われてるのは世界中共通だ。じいちゃんが言ってたぞ」

「悪かったね、そんな人間で」

 と思わずぼやいたフルートに、ゼンは、またにやりと笑いました。

「人間はずるくて卑怯だからな。でもまぁ、おまえは例外だよ、フルート。人間とは思えないくらい、べらぼうにいいヤツだもんな」

 まともに誉められてフルートが顔を赤らめると、ポチが混ぜっ返しました。

「ワン。そういうのを人間たちは『馬鹿がつくほど人がいい』って言うんですよ」

「ポチ!」

 フルートは声を上げ、ゼンは大声で笑い出しました。

「違いない、まったくその通りだな!」

 ポチも、ワンワン、と笑うように吠えます。とうとうフルートもそれ以上怒ることができなくなって、一緒になって笑い出してしまいました。雪原に明るい笑い声が響き渡ります。

 

 そんな少年たちを、ロキは見つめていました。

 とまどうように、何かを考えるように、黙ってずっと見つめ続けていました――。

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