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第5巻「北の大地の戦い」

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23.暮れない夜

 風は北の大地に吹き続けていました。地吹雪が断続的に続く中、キタオオトナカイのグーリーはひたすら走り続けます。吹雪の切れ間に見える景色は、雪と氷の白一色の世界。まったく変わりがありません。

 やがて、空が薄暗くなってきた頃、ようやく風がやみました。夕暮れがやってきたのです。地平線まで見通せるようになった雪原に、ほんのり赤くなった空の色が映ります。

 ロキがトナカイの手綱を引きました。

「よぉし、グーリー。もういいよ。今日はここで休もう」

 ドッドッと蹄の音をたてて、大きなトナカイが立ち止まります。

 ロキはフルートたちを振り返って言いました。

「ホントはグーリーは三日三晩だって寝ないで走れるんだけどさ、夜の間は見通しが悪くて危険だから、ここで夜明かしするからね。夕飯にしよう」

 そう言いながらトナカイの背中からすべり下ります。後について地面に下りたフルートが尋ねました。

「どうやって夜を過ごすの? テントを張るのかい?」

 トナカイの横腹には大きな布の塊がくくりつけてあります。それがテントだろうとフルートは見当をつけていたのです。

 うーん、とロキは空を見上げながら言いました。

「兄ちゃんたちは先を急ぎたいんだろ? この感じだと今夜は雪は降らないだろうから、グーリーの背中で朝を待ってて大丈夫だと思うな」

 空が夕焼けに赤く染まってきました。地平線に太陽が近づくと、太陽も地平線も雪の大地も、オレンジがかった赤い色に変わります。ゼンがトナカイから下りながら、不機嫌そうに言いました。

「なんでもっと早く準備を始めなかったんだよ? 間もなく日が暮れるぞ。何も見えなくなるじゃないか」

 ゼンは猟師です。狩りのために戸外で夜を過ごすときには、まだ手元が見える明るいうちに食事や野営の支度をするのが常だったのです。

 すると、ロキがゼンをにらみ返しました。

「見えなくなんてならないよ。今は夏なんだから――」

「なんでだよ」

 とたんに、ロキが馬鹿にするような顔になりました。

「なぁんだ、ゼン兄ちゃんは知らないんだ。北の大地の夏は、夜がすごく短いんだよ。夏至の頃には夜が来ないことだってあるんだぞ」

「な――なんだよ、それ! そんなことって、あるのかよ!?」

 ゼンは驚いてどなりかえします。

 すると、ポチが口をはさんできました。ポチはフルートと一緒にトナカイの背中から下りていました。

「ワン、ぼくは聞いたことがありますよ。ぼくたちの国でも、夏には日が延びて昼間が長くなるけど、北や南の最果ての世界では夏にはすごく昼間が長くなって、一日中、全然日が沈まなくなるんだって。白夜――って言うんでしたっけ?」

「そう。今はもう夏至を過ぎてだいぶたつから、日が沈む時間も少しはあるんだけどね。それでも、夜はせいぜい二時間くらいだよ。しかも、真っ暗にはならないんだ。ほぉんと、ゼン兄ちゃんは何も知らないんだから」

 以前グーリーを馬鹿にされたお返し、とばかりに、ロキがあざけるように言います。こいつ! といきり立ったゼンを、あわててフルートが止めました。

「よせったら……! とにかく、夕食にしようよ。腹ごしらえしなくちゃ」

「一食銀貨一枚でいいよ」

 とロキがにやにやしながら言いました。

「二人と一匹だから、銀貨三枚だね」

「誰がおまえに食わせてもらったりするか! 自分の食料くらい持ってるぞ!」

 とゼンがどなり返します。本当に、自分より小さな少年を相手に喧嘩腰です。ロキは肩をすくめると、彼らから離れた場所に荷物を下ろして、何やらそこで煮炊きを始めました。雪と氷の地面の上でどうやって火を起こしているのか不思議でしたが、ゼンがロキにひどく腹をたてているので、近づいて確かめることはできませんでした。

 脂肪で肉や木の実を固めた食料を仲間たちと分け合いながら、フルートがゼンに言いました。

「本当にどうしたのさ、ゼン。なんだかずっと怒りっぽいみたいだよ」

 とたんに、ゼンはますます不機嫌になりました。

「うるせえ。どうせ俺は短気だよ。人の気もしらねえで!」

 とぶっきらぼうに言うと、あとはもう一言も口をきかずに食事を始めます。フルートはまた溜息をつくと、思わずポチを見ました。賢い子犬も、さすがに怒っているゼンは取りなしようがなくて、困ったようにフルートを見返しました。

 

 気がつくと、黒衣の少女がゼンのすぐ目の前に立っていました。

 ゼンは驚いて、まじまじとそれを見つめてしまいました。

「ポポロ」

 と声をかけると、少女がほほえみます。緑の宝石のような瞳が、優しくゼンを見上げてきます。

 ゼンはとまどいました。なんでポポロがここにいるんだ? と混乱した頭で考えます。確か、たった今まで北の大地の雪の中で、フルートたちと食事をしていたはずなのに……。

 ポポロは何も言わず、ただほほえみながらゼンを見つめていました。手を伸ばせばふれられるほどの距離です。すぐそばにいたはずのフルートやポチの姿はどこにもありませんでした。ただ、白い靄のようなものにおおわれた空間が広がっているだけです。

 ああ、夢か、とゼンは気がつきました。そういや、さっき、フルートもポポロの夢を見ていたな。俺も今、夢を見てるんだ……。

 そこで、ゼンは少女に尋ねました。

「ポポロ、無事でいるか?」

 うん、と少女がうなずきました。夢の中のポポロは、ゼンの苦手な涙は浮かべていません。ゼンは思わずほほえみました。

「それなら良かった。魔王に負けるなよ。必ず助けてやるからな」

 すると、ポポロがまた笑顔でうなずきました。ありがとう、と小さな唇がつぶやいたようでした。

 ゼンは急にどぎまぎしてきて、照れ隠しにまた、あたりを見回しました。夢なのに、なんとなく本当にポポロと向き合っているような気がしてきたのです。あたりは淡い白い靄から、雪と氷の世界に変わっていました。なのに、寒さは全然感じません。やっぱり夢なのです――。

 肩をすくめながらまたポポロへ目を戻したゼンは、とたんに、びっくりして相手を見直しました。小さな黒衣の少女が、いつの間にか長身の美少女に変わっていたのです。緑の髪を後ろでひとつに束ね、色とりどりの袖無しシャツとうろこ模様の半ズボンを身につけています。

 ゼンは思わず言いました。

「なんでおまえまで出てくるんだよ、メール」

 とたんに、美少女が、ぷっとむくれました。

「あたいが来ちゃ悪かったのかい? 呼ばれたから、せっかく来てやったのにさ」

「呼ばれた?」

 ゼンは目を丸くしました。

「俺は呼んでなんかないぞ」

「呼んだんだよ。――でも、いいよ。あたいが来ちゃ迷惑だったんなら帰るから」

 とメールはぷんぷんしながら両手を天に差し伸べました。花たちを呼んで、花鳥で帰ろうというのです。ゼンはあわててそれを引き止めました。

「待てったら! 誰も迷惑だなんて言ってねえだろうが! ……ったく、すぐ怒るんだからな、おまえは」

「怒らせてるのは、あんただろ!」

「おまえが短気なんだよ。もうちょっと素直に人の話を聞けよ」

 すると、突然メールが真面目な顔になりました。ゼンの目をまっすぐのぞき込みながら言います。

「あんたがそれを言えるの? 怒ってばかりいるのはあんたのほうだよ、ゼン。ロキの言うことに、いちいちむきになって腹を立ててさ」

 夢の中でもメールは単刀直入です。たちまちゼンは憮然としました。

「俺はフルートみたいなお人好しじゃねえんだよ。あいつは信用ができねえ。それは見え見えなのに――」

「相手はまだ子どもだよ。ちっちゃな子の言うことを真に受けるなんて、らしくないよ」

 ゼンは返事をしませんでした。

 メールはそんなゼンをつくづくと見つめて、それから体を起こしました。気の強そうなまなざしが、急に柔らかく優しくなります。

「ねえ、ホントは悔しいからなんだろ、ゼン……。ポポロを魔王にさらわれちゃったから。だから、ずっと腹を立ててるんだ。違うかい?」

 ゼンは、じろりとメールを見上げました。

「違う」

 とうなるように答え、疑わしげな表情になったメールに向かって続けました。

「さらわれて悔しいのはポポロだけじゃない。おまえもルルもだ。みんな、まとめてさらわれちまって……! ったく、俺もフルートもポチも、すぐそばにいたってのにな!」

 吐き出すように言って、思わず歯ぎしりをします。本当に激しい怒りがこみ上げてきて、体が震え出しそうになります。フルート同様、ゼンも、魔王に少女たちを奪われてしまった自分をふがいなく感じていたのです。ゼンがずっと腹を立てていた相手は、実は自分自身だったのでした。

 メールは驚いたように目を丸くしていましたが、ふいに、にっこり笑いました。少年のような笑顔が広がります。

「へぇ……なんか嬉しいね。あたいたちのことも心配してくれてたんだ」

「あったりまえだろう!」

 ゼンはますますぶっきらぼうに答え――急に不安になって、メールを見つめなおしました。緑の髪の少女は、以前と少しも変わらない姿でそこにいます。

「大丈夫だな、メール? ……何もされてないよな?」

 と尋ねます。これは夢だとわかっているのに、聞いてみないではいられませんでした。

 たちまちメールは苦笑いになりました。

「ホントにもう、ゼンったら……。案外心配性なんだからさ。変なこと考えてんじゃないよ。大丈夫に決まってるだろ?」

 やはり、これは夢です。メールはゼンが期待したとおりの答えを言ってきました。

 何とも言えない気持ちになったゼンに、夢の中のメールがまた、静かにほほえみました。

「ねえさぁ、ゼン……必ず助けに来とくれよね。そうすりゃ、あたいたちをさらわれた責任と相殺(そうさい)だよ。あたいたち、みんな、あんたたちを待ってるからさ。ずっと、信じて待ってるからさ――」

 目の前からメールの姿が薄れて消え始めました。馬鹿、行くな! とゼンはどなろうとしました。メールを引き止めようと思わず手を伸ばします。

 

 とたんに夢が消えました。

 ゼンは雪の上に座ったまま、フルートやポチと一緒に食事をしていました。片手を空中に突き出しています。

 そんなゼンを、フルートとポチが驚いたように見ていました。彼らの友人は、突然何もない空中に手を伸ばして、何かをつかもうとしたのでした。

「ワン、ゼンも夢を見たんですか?」

 とポチが少年の表情を見ながら尋ねました。ゼンはとまどい、思わず赤くなった顔を怒ったようにそむけました。

「あいつらの夢だ。……この雪のせいだな」

 と、やり場のなくなった目で周囲をにらみつけます。日が落ちた空は、ロキが言っていたとおり、いつまでたっても暗くなりません。白々と明るい空の下で、雪と氷の世界は、ぼんやりと光り続けています。白一色の風景は、そこを進む者たちが見る夢を映し出すキャンバスになっているようでした。

 フルートは何も言いませんでした。「あいつら」ということばに、ゼンもポポロの夢を見たのだと察して、思わずこみあげてきた嫉妬の想いをこらえます。本当に、いくら納得しているつもりでも、こういう気持ちは全然割り切れません――。

 すると、ポチがうらやましそうな声を出しました。

「ゼンもフルートもいいですね……。ぼくも夢でもいいから会いたいなぁ」

 ポチが一番会いたいと思っている相手は、銀毛が混じった毛並みの犬の少女に違いありませんでした。

 北の大地の夏の夜空は、いつまでたっても明るいままです。どこか現実感のない白さの中で、少年たちは少女たちを想い続けていました。

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