冷え切った大地を、キタオオトナカイのグーリーは走り続けていました。どこまでも延々と続く、雪と氷の世界です。強い風が吹くと地吹雪が起きて、雪煙であたりは何も見えなくなります。それなのに、トナカイは迷うこともためらうことなく、同じスピードで走り続けていきます。トナカイが目ざす方角は北です。
地吹雪の間、子どもたちはトナカイの背中に伏せていました。トナカイの毛皮にぴったり身を寄せていると、上等の毛布にくるまったように体が温まってきます。蹄が凍った地面を蹴る反動も軽くリズミカルです。気持ちのよい暖かさと軽い振動に、子どもたちは次第に眠気を誘われてきました。これまでの疲れも出てきて、トナカイの毛の中で、うとうとと眠り始めます。
と、フルートが我に返ったように身を起こしました。吹きすさぶ風に逆らいながら、地吹雪の中を見回します。風がうなりをあげながら兜を揺すぶり、体に巻いたマントの裾をはためかせます。それを見て、ゼンも起き上がりました。
「どうした!?」
と風の音に負けないように、声を張り上げて尋ねます。
フルートは首を振って見せました。
「なんでもないよ。ただ、見張っていた方がいいかな、と思っただけさ」
行く手で待ちかまえているのは魔王です。魔王はフルートたちが北の大地に上陸したことを知っています。必ず妨害の手を伸ばしてくるはずだ、とフルートは考えたのでした。
すると、一番前に座っていたロキが、トナカイに伏せた格好のまま振り返って笑いました。
「本気で走ってるキタオオトナカイに追いついて襲いかかれるようなヤツなんて、そうはいないよ。おまけに地吹雪だからね。敵なんて現れないよ。兄ちゃんたちは安心して寝てていいよ」
ロキはいつの間にかフルートたちを「兄ちゃんたち」と呼ぶようになっていました。人なつこい笑顔でしたが、ゼンは、けっ、とつぶやいてそっぽを向きました。
「グーリーが走ってる間、ロキは眠らないの?」
とフルートが尋ねました。小柄な自分よりさらに小さな少年の姿に、思わず心配な気持ちになります。すると、ロキがまた笑いました。
「眠るさ。グーリーはすごく頭がいいんだ。行き先さえ教えておけば、自分で一番いい道を見つけて走っていってくれるんだよ」
すると、ゼンが口をはさんできました。
「はん。それで雪の中の川に落ちそうになったわけか」
たちまち、ロキがムッとした顔になって起き上がりました。
「あれは――あんなふうに雪が溶けたのなんて、初めて見たからだよ! もうあんな場所には絶対近づかないように言ったから、あとは大丈夫さ!」
「どうだかな。せいぜい気をつけろよ。今度川にはまっても助けてやらないからな」
「もうはまらないって言ってるだろう!?」
むきになってロキが言い返します。
「よせよ、ゼン――」
フルートはあわてて親友を抑えました。いくら生意気に見えても、相手はまだ十歳の子どもです。ゼンが本気になって口げんかをする相手には思えませんでした。
その時、また強い風が吹いてきて、地吹雪が彼らを包みました。ゼンは、ふん、と鼻を鳴らすと、トナカイの上に身を伏せました。ロキも憤慨しながら前に向き直って体を低くします。
そんな二人を吹雪の隙間に眺めながら、フルートは思わず溜息をつきました。ゼンの気持ちもわからないではないのですが、今はとにかく北へ向かうことの方が大事なのです。ロキを信用しないことにはどうにもならないのですが……。
風は粉雪を巻き込んで激しく吠え狂っていました。身を起こしたままでいたフルートのマントが、たちまち雪にまみれて凍っていきます。ひときわ濃い地吹雪が吹きつけてきて、あたりは白一色に変わり、すぐわきにいるゼンやロキの姿さえ見えなくなってしまいます。まるで白い闇に包まれたようです。
何も見えない世界の彼方へ、フルートは心で呼びかけていました。
ポポロ、メール、ルル。みんな、無事でいるかい? ……と。
フルートたちはトナカイに乗って、少女たちのところへ向かっています。けれども、彼らが目ざしているサイカ山脈に、本当に少女たちがいるのかどうかはわからないのです。フルートを包んでいる白い闇が、少女たちとの間も遠くへだてているようでした。言いようのない焦りがフルートの胸を焼きます。
すると、白い世界の中に小さな少女の姿が見えました。星のきらめきを抱いた黒い衣を着ています。
少女はフルートに背を向けたまま、じっと目の前の景色を眺めていました。そこには雪と氷の北の大地が広がっています。暖かい風が吹き、雨が降りしきる中、大地はどんどん溶けていました。縦横無尽に走る川が、両岸の雪の壁を崩していきます。
激しくしぶきをたてる川が人を運んできました。ウサギのように長い耳をしたトジー族の少女です。崩れ落ちてきた雪や氷の塊と共に、川下へと流れていきます。その瞳はロキと同じ灰色ですが、水の中で大きく見開かれたまま、何も映してはいませんでした。トジー族の少女は、雪解け水の川の中で溺れ死んでいたのです。
とたんに黒い衣の少女が両手で顔をおおって、わっと泣き出しました。
「もう……やめて……!」
少女が泣きながら言いました。
「あたしの力をこんな怖いことに使わないで……お願いよ……!」
大きすぎる魔力を持って生まれてきてしまった小さなポポロ。優しい少女は、自分の魔法で北の大地が崩れ、多くの人の命が奪われていくのを見て、耐えきれずに泣いているのでした。しゃくり上げるたびに、華奢な背中や赤いお下げ髪が激しく揺れます。
フルートは胸がつぶれるような想いでそれを見ていましたが、やがて、とうとう我慢ができなくなって、後ろから少女を抱き寄せました。細い肩に両腕を回して、胸の中に強く抱きしめます。少女が身をすくめたのを感じましたが、かまわずフルートは言いました。
「ごめん、ポポロ……ごめん……。ぼくがしっかりしてなかったばっかりに、こんなつらい想いをさせちゃって……」
そう、フルートはずっと後悔していたのです。皆が集まった北の峰で金の石が目覚めたとき、すぐにそれを少女たちに伝えていれば、こんなことにはならなかったはずなのに、と何度も何度も考えて、自分自身を責めていたのでした。
「ぼくは……自分のことだけ考えていたんだよ。ただ、楽しく過ごしたいなんて考えちゃって……ぼくは金の石の勇者だったのに……」
すると、少女が振り返ってきました。涙でうるんだ宝石の瞳が、間近からフルートを見上げます。
「ううん」
とポポロは答えました。
「フルートのせいなんかじゃないわ。誰の責任でもないの……。悪いのは魔王なのよ」
フルートは腕の中に少女を抱いたまま、いたたまれない想いに顔を伏せました。自分たちの力が及ばなかったばかりに、その魔王に少女たちをさらわれてしまったのです。悔しさに全身が震えます。
すると、ポポロがそんなフルートの腕にそっと手を触れました。
「そんなに自分を責めないで、フルート……。わかってるの。フルートがあのとき、あたしたちに何も教えなかったのは、あたしたちがみんなに再会できて、すごく喜んでいたからなのよね。あたしたちの楽しい気持ちに水を差したくなくて、それで、闇が迫っていることを黙ってくれていたんでしょう」
フルートは首を振りました。
「ぼくは……ぼくのためにそうしていたんだよ。ぼくがわがままだったんだ……!」
激しすぎる後悔に、思わず涙が出てきそうになります。
すると、ポポロがまたフルートを振り返ってきました。もう泣いてはいません。ただ、優しい緑の瞳でじっと少年を見つめます。
「フルートは、もっとわがままでいいと思うわ……。デセラール山でルルに向かって言ったでしょう? フルートは、もっともっと自分のために生きていいのよ」
フルートはポポロを見つめ、また目を伏せてしまいました。本当に涙がこみ上げてきます。すると、少女は優しく続けました。
「ねえ、フルート……きっと助けに来てね。あたしたちは魔王にとらわれて、本当に何もできないの。だから、必ず助けに来て。お願い……」
フルートの腕の中から少女が溶けるように消えていきました。フルートは愕然として、思わず声を上げました。
「ポポロ――!?」
とたんに目が覚めました。
フルートは駆け続けるトナカイの背中に座っていました。周囲は相変わらず白い地吹雪に閉ざされています。フルートがふいに声を上げたので、他の少年たちが驚いたように起き上がってきました。
「……夢を見たのか?」
とゼンが低い声で尋ねました。フルートが少女の名を呼んだのをはっきりと聞いたのです。
フルートはうろたえながら小さくうなずきました。もちろん夢に決まっています。ただ、信じられないほど実在感のある夢でした。両腕の中に、少女の体を抱きしめた感触がまだ残っているような気がします。
すると、ロキが、こまっしゃくれた表情で尋ねてきました。
「ねえ。ポポロって、フルート兄ちゃんの恋人かなんかのわけ?」
とたんに、ゼンがひどく不愉快そうな顔になりました。
「違うよ」
とフルートは答えて、地吹雪の白い闇を見つめました。切なさに胸が苦しくなります。とらわれの少女たちは、雪の闇の彼方です。
すると、ポチが小さな体をフルートにすり寄せてきました。
「ワン、ぼくたちはサイカ山脈に向かってますよ。ちゃんとポポロたちに近づいているんです」
だから焦らないで、と言いたげなポチでした。フルートはうなずきました。
「うん、行こう……。ポポロたちが待ってる。助けに行かなくちゃ――」
「当然だろうが。とっとと魔王をぶっ倒そうぜ。そしてあいつらと北の大地を救うんだ」
とゼンも言います。フルートとポチが、それにまたうなずき返します。
そんな少年たちを、ロキが振り返って見つめていました。その灰色の目は、ひどく意外なものを見ているように、丸く大きくなっていました――。