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第5巻「北の大地の戦い」

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20.道しるべ

 「お礼なんていらないよ。そんなつもりで助けたんじゃないから……」

 とフルートはとまどいながら少年に言いました。ウサギのような耳をした、トジー族の少年。フルートたちより絶対に幼いはずなのに、その顔つきも、ものの言い方も、なんだかひどく大人びて見えます。それも、良くない意味での大人っぽさです。

「お礼がいらない? じゃ、なんのために、おいらを助けたのさ?」

 と少年がしつこいくらいの調子で聞き返してきました。絶対、裏に何か企みがあるはずだ、と考えているのがありありと伝わってきます。

 けっ、とゼンが吐き捨てるような声を上げました。ますます不機嫌そうな顔つきになっています。

 フルートは困惑しながら静かに答えました。

「何もないよ。ただ助けたかっただけさ。それだけだよ」

 少年はまた、ひどく意外そうな顔になりました。つくづくとフルートたちを見て、やがて、つぶやくように言います。

「変なヤツらだな、あんたら」

「変なのはどっちだ。ったく、かわいげのないガキだ」

 とゼンがうなるようにつぶやきました。

 

 小高い雪の丘の上で、鹿に似た獣が待っていました。風の犬のポチが近くに舞い下りると、すぐに駆けてきて、小さな主人にすり寄ります。

「グーリー!」

 少年が初めて笑顔になって、獣の大きな頭を抱きしめました。

「よしよし、怪我はなかったかい? よくがんばったね、ありがとう――」

 自分の何倍もある巨大な獣を小さな手でなで回し、長い毛並みに頬を押し当てます。獣が甘えた声で鼻を鳴らします。

「これはなんて生き物?」

 とフルートは尋ねました。

「キタオオトナカイ。名前はグーリーだよ。おいらの友だちなんだ」

 と少年が答えました。大人びて見えていた顔が、いきなり無邪気な笑顔に変わっています。そんなところは年相応の子どもらしく見えます。フルートもつられて笑顔になりました。

「そう。きみもグーリーも無事で本当に良かったね」

 すると、少年がまたけげんそうな顔に変わりました。フルートを穴が開くほど見つめて、尋ねてきます。

「それだけかい……? ホントに、金とか物とか、いらないわけ?」

 ゼンがまた大きく肩をすくめました。フルートはほほえんだまま言いました。

「いらない。じゃあね、この後は気をつけていくんだよ」

 そして、フルートたちはまた雪原を歩き出しました。ポチも風の犬から子犬の姿に戻って、一緒に歩き出します。暖かい風が吹く地帯を迂回して、もっと安全な寒い場所を探すつもりでした。

 すると、少年が叫びました。

「ちょ、ちょっと待てよ――!」

 フルートたちが振り返ると、少年は何故か焦ったような赤い顔をしていました。

「なんで、それで行っちゃえるんだよ? な、なにか聞きたいこととか――言いたいこととか、ないのかよ!?」

 それを聞いて、ゼンが面白そうな表情に変わりました。

「おまえは何を聞いてほしいんだよ?」

 少年は思わずことばに詰まって黙り込み、少しの間考えてから、こう言いました。

「あ――あんたら、いったい誰なんだ?」

 フルートとゼンは笑顔になりました。改めて少年に向き直ります。

「これでやっと、まともな話ができそうだな」

 とゼンが笑いながら言いました。

 

「ぼくはフルート。それから、友だちのゼンとポチ。ぼくは人間だけど、ゼンはドワーフだし、ポチはもの言う犬だよ」

 とフルートは少年に向かって自己紹介しました。きみは? と少年に目を向けます。

「おいらは、ロキ。白い海の岸辺にあるガンヘン村から出てきたんだ」

 と少年が答えました。素直に答えている時の様子は、本当に幼い子どもそのものです。くりっとした、あどけない灰色の瞳をしています。フルートに年を聞かれると、十歳だと答えました。

「十歳か。ポチと同い年だな」

 とゼンが言って、もの言う子犬を横目で見ました。

「生意気なのもポチと同じだぜ。十歳ってのはそういう歳なのか?」

 とたんに、ワン、とポチが吠え返しました。

「どういたしまして。ゼンが十歳の頃より、こっちの方がずっと大人なんですよ。ゼンは、きっともっと子どもだったんでしょう」

「あ、この野郎、言いやがったな! 俺が十歳の頃のことなんか知らないくせに! おまえ、ホントに最近生意気だぞ! 年長者には敬意を払えよ、敬意を!」

「年長者だなんて、たった三歳しか違わないじゃないですか。敬意を払ってほしかったら、それ相応のことをやってみせなくちゃ」

 とポチは言って、怒って追いかけてきたゼンから笑いながら逃げ回りました。本当に、以前とはだいぶ様子が変わってきたポチです。けれども、それも成長の現れのひとつでした。どんなに悪口を言っても、からかっても、相手が決して本気で自分を嫌ったりはしない、と信じられるからこそ口にできることでした。

 

 そんな様子にロキは目を丸くしていましたが、やがて、またフルートに尋ねました。

「で……あんたたちはどこへ行くのさ。ムジラはいつだって海岸にしか近寄らないんだ。こんな奥地まで来てるムジラなんて、聞いたことないよ」

 それを聞いて、フルートはちょっと首をかしげました。

「ムジラってのは、人間のこと……? この北の大地には、そんなに人間がやってくるの?」

 フルートたちの間では、北の大地は常冬の大陸で、人間が足を踏み入れればたちまち凍え死んでしまう、と言われていました。それなのに北の大地のトジー族と人間の間に交流があるらしいことが、不思議に思えたのです。ロキはまた、ちょっと意外そうな顔になりました。そんなことも知らないのか、と言いたげな表情です。

「耳がないヤツらは全部ムジラさ。人間もドワーフもエルフも……。ムジラは島から来る。人間が一番多いな。村の大人たちからアザラシやトナカイの毛皮なんかを買っていくんだ」

「島」

 とフルートは繰り返しました。頭の中に学校で習った世界地図を思い浮かべます。フルートたちが住んでいる中央大陸の北には、冷たい海と呼ばれる北極海が横たわり、いくつかの島が点在しています。おそらく、その島の住民と北の大地のトジー族の間で交易が行われているのでしょう。

 ウサギの耳の少年が、顔をしかめて続けました。

「ムジラはずるいのさ。大人たちはみんな、そう言ってる。おいらたちトジーをだまして、金や物を巻き上げることだけしか考えてないんだ。トジーの子どもを船に乗せてさらっていくことだってある。ムジラの仲間に売り飛ばすためにね」

「ロキ……」

 フルートは少年を見つめました。あどけなかった顔が、また大人のような表情に戻って、見据えるような目をしていました。何かを強く憎む目でした。

「ぼくたちはそんなことはしないよ。ぼくたちは、金もうけのために来たわけじゃないしね」

 とフルートが言うと、ロキは我に返ったように言いました。

「それじゃ、ホントに何のためにここに来たのさ。ムジラは寒いのが苦手なんだろう? ちょっと風に吹かれただけで、倒れて死んじゃう、って聞いてるのに。それに――あんたたちは、まだ子どもなんだろう?」

「人を探しに来たんだよ」

 とフルートは答えました。

「ぼくたちの大事な友だちさ。それこそ、さらわれたんだ。この北の大地の北の方につかまっているらしい。ぼくたちは、それを助けに行くところなんだよ」

 そう言って、フルートは北の地平線に見えている山脈に目を向けました。いつの間にか戻ってきていたゼンとポチも一緒に同じ方角を眺めます。少女たちの面影が、薄青い空の中に、はかなく見えるような気がします――。

 

 すると、急にロキが、おかしそうに鼻で笑いました。

「それ、無理だと思うよ。あんたたたちには、この北の大地は絶対に渡れない。だって、あんたたち、ろくな装備もしてないじゃないか。そんなで旅をしていこうだなんて、無謀もいいとこだ」

 馬鹿にしきった声でした。

「なんだとぉ!?」

 ゼンがたちまち顔つきを変えましたが、フルートはそれを押さえて尋ねました。

「ぼくたちは、そんなに無謀に見えるかい?」

「見えるも何も……あんたたち、トナカイも犬ぞりも持ってないじゃないか。歩いてサイカ山脈まで行くつもりなのかい? 絶対に無理だよ、それ」

「サイカ山脈?」

「ああ、あそこに見えてる山脈のこと――。北の最果ての山脈っても呼ばれてるよ。あそこまで歩いていこうとしたら、それこそ何十日かかるかしれない。その前に行き倒れて死んじゃうさ」

 フルートとゼンとポチは顔を見合わせました。フルートは頭の中ですばやく、荷物の中の食料のことを考えていました。エルフが持たせてくれた食料はけっこうな量でしたが、それでも、何十日も旅するには絶対に間に合いません。

 すると、ウサギの耳の少年が、身を乗り出すようにして言いました。

「ねえさぁ――なんだったら、おいらがあんたたちを道案内してやろうか? サイカ山脈まで行きたいんなら、このグーリーに乗せて行ってやるよ。あんたたちには命を助けられたしさ、安くしとくよ」

 そう言って、小ずるそうに、にやっと笑います。

「金を取る気か!?」

 とゼンがまた声を上げました。

「冗談じゃねえ! こんなくそ生意気なヤツの道案内なんて、頼まれたってごめんだぞ! 行こう、フルート! こんなガキにかまってられるか!」

 けれども、フルートは少年から目を離しませんでした。真面目な顔で聞き返します。

「ぼくたちは、君たちのお金を持っていないよ。そういうときには、どうしたらいい?」

「あんたたちの金でいいよ。金や銀でできてるんだろう? 金属は町で高く売れるんだ」

 と少年が答えます。すると、フルートはいっそう真剣な表情になって続けました。

「もうひとつ……。ぼくたちの旅は、すごく危険な旅だ。きっと敵がたくさん出てくる。もちろん、君たちのことは最大限守るけど――それでも一緒に行ってくれるかい?」

「おい、フルート! こんなヤツを仲間に入れるってのか!? 馬鹿も休み休み言えよ!」

 とゼンがたまりかねてどなりましたが、フルートは静かに言いました。

「思い出せよ、ゼン。エルフが言ってたじゃないか。北を目ざせば必ず『道しるべ』に出会う、って。きっと彼がその『道しるべ』なんだよ」

 ゼンとポチは驚きました。思わずまじまじとトジー族の少年を見つめてしまいます。

 少年は、ちょっと面食らった顔になりましたが、すぐにまた小ずるい大人の表情になって言いました。

「じゃ、危険手当も料金に追加ね。支払いは仕事が完了してからでいいよ。それくらいのサービスはするからさ」

「それじゃ、決まった」

 とフルートは答えました。

「ぼくたちを、あの山脈まで連れて行ってくれ」

「わかった。任せなよ」

 ロキは気軽に答えると、自分のトナカイのところへ行って、さっそく支度を始めました。

 

「おい」

 ゼンがまたフルートを捕まえました。

「本気であいつに道案内させるつもりか? 信用できると思うのかよ。あいつ、絶対に裏切るぞ。賭けてもいい。俺たち、途中で雪の中におっぽり出されるぞ」

「それでも、今よりは先に進めるさ」

 とフルートは答えました。

「疑ってたら何も始められない。今はとにかく一刻も早くポポロたちを助けに行って、魔王を倒さなくちゃいけないんだ。あと一週間で北の大地のすべての命は失われる――エルフがそう言っていたんだからね」

 きっぱりとした口調です。ゼンは、それを聞いて思わず天を仰いでしまいました。優しい顔をしているくせに、フルートはものすごく頑固です。フルートがこんなふうに固く決心をしてしまったときには、誰がなんと言ってもその考えを変えることはできないのでした。

「俺は絶対にあいつを信用しないからな」

 ゼンはつぶやくようにそう言いました。

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