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第5巻「北の大地の戦い」

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16.北の大地

 深い緑の海に面して切り立つ白い氷の壁。それがぱっと白い雪煙を上げたと思うと、音をたてて砕け、雪崩を打って海に落ちていきます。海がしぶきを上げ、大荒れの波の上に氷の塊が浮かびます。そんな光景が、大陸の海岸線のいたるところで起きています。

 風を切って飛ぶワシの背からそれを眺めながら、フルートが思わずつぶやきました。

「北の大地が崩れていく……」

 それ以外、表現することばが思いつきません。氷の大陸が縁からもろく崩れ、次々と海へと落ち込んでいくのです。こんなふうに崩れ続ければ、やがて、北の大地はどんどん小さくなって、最後にはすべて海に飲み込まれて消えてしまうのかもしれません。

 すると、エルフが言いました。

「大陸自体は変わらない。北の大地も、おまえたちが住む大陸と同じように、礎(いしずえ)に堅い岩の大地がある。ただ、厳しい寒さが、その上に降り積もった雪を何千メートルという分厚い氷の層に変えた。その氷が、異常な暖かさに出会い、溶けて崩れているのだ」

 ゼンは海の上に浮かぶ大小の氷を見ていましたが、やがて一人うなずいて言いました。

「あれが氷山ってやつだろ? じいちゃんから聞いたことがあるんだ。北の大地の周りの海には氷山がいっぱいで、下手をすれば、閉じこめられて船ごと押しつぶされるんだ、って。実際、じいちゃんは危なく氷の中に閉じこめられそうになって、自分で船を担いで、氷の上を歩いて脱出したらしい」

 いかにも怪力のドワーフらしいエピソードでした。フルートたちは、波間で音をたててぶつかり合う氷山を、声もなく見下ろしてしまいました。間違ってあの間に落ちてしまえば、あっという間に氷山にはさまれて、本当に押しつぶされてしまうでしょう。

 

 一行を乗せた大ワシは、エルフに操られるまま、北の大地の海岸線を飛び続けていました。切り立った氷の崖が低くなってきたと思うと、今度は、とどろくような音が聞こえ始めます。やがて近づいてきた光景に、子どもたちはまた声を上げて驚きました。

 氷の地面に深く谷を刻みながら、水が流れていました。氷が溶けた水が寄り集まってできた大小の川です。それが何十本、何百本と大地の上を走り、さらにより集まって大きな川になって海岸まで押し寄せます。氷の岸壁の上、海面は百メートルあまりも下にあります。冷たい激流は岸壁を飛び出し、海面目ざして、大きな滝となって注ぎ込んでいきます。響きわたるとどろきは、滝が勢いよく落ち込んで海面を打つ音でした。そんな滝が海岸線に沿って無数に見えます。海面は滝からわき上がる霧で真っ白にけむっていました。

「ワン、本当に北の大地が溶けてる……」

 ポチが座席の縁に伸び上がって、呆然とつぶやきました。

 ゼンは滝が注ぎ込む海をじっと眺めていましたが、やがて、拳を握ってどなりました。

「くそっ! これじゃ海だっておかしくならぁ! 魔王め、よくもこんなことを思いつきやがったな!」

 そのとき、フルートが鋭く息を飲みました。

「人だ!」

 と叫んで、一番近くの川を指さします。激流の中を何かが流れていました。空からは小さな黒い点のようにしか見えませんが、それでも確かに人の形をしているような気がします。と、それは岸壁のはずれから宙に飛びだし、滝の水と共に海へ落ち始めました。

「ワン、助けなくちゃ!」

 ポチがとっさに風の犬に変身しました。フルートがそれに飛び乗ろうとします。

 すると、エルフの声が響きました。

「あの者はとうに死んでいる。助けることはできない」

 子どもたちは、はっとエルフを見ました。エルフは感情の読めない顔で、じっと滝を見つめていました。人の影ははるかな高みから海へ落ち、やがて、水しぶきに飲み込まれて見えなくなっていきます――。

 子どもたちは真っ青になっていました。

 フルートが思わず握りしめた拳を震わせて言いました。

「どうして……? あれは誰なんですか!?」

「北の大地に住むトジー族だ」

 とエルフは静かに答えました。

「彼らは雪や氷と共に生きる民だ。彼らはこのような気候を今までに経験したことがない。あの者は川の流れに巻き込まれて溺れ死んだのだ。すでに何百人というトジー族が、溶けた大地に飲み込まれ、川から海へ押し流されて、命尽きている」

 子どもたちはまた海を見ました。海面は滝が吐き出す霧でけむっていて何も見えませんが、その霧の中に下りていけば、同じように海に放り出されたトジー族の遺体が、いくつも浮いているのかもしれませんでした。

 フルートは唇をかみました。食い入るような目で、海と、溶け続ける大地を見つめます。その両手の指は、座席の縁を固く握りしめたまま、小刻みに震えていました。

 風の犬から子犬の姿に戻ったポチが、そんなフルートの足下に体をすり寄せました。ゼンも、フルートと並んで大地をにらみつけます。誰も一言も口をききません。お互いに目を見かわすことさえしません。けれども、少年たちは全員がまったく同じ想いを胸に抱いていました。

 

 大ワシは海岸に沿って飛び続けます。

 やがて、行く手にまた雲が見えてきました。巨大な灰色の雲が低くたれ込めています。そこから先の北の大地の風景は、雲に隠されてまったく見えませんでした。

 あたりの空気がいっそう暖かくなってきたような気がして、少年たちはとまどいました。ポチが、鼻をひくひくさせながら言います。

「ワン、なんだかきな臭いですよ……煙の匂いがします」

 エルフがうなずきました。

「これこそが、奪われたポポロの力なのだ。見せてやろう。雲の上に出るぞ――」

 ワシが力強く羽ばたきを繰り返し、一行はたちまち上空に舞い上がっていきました。巨大な雲が、一面の海のように眼前に広がります。その彼方に、ひときわ濃く、もくもくと雲がわき出している場所が見えて、子どもたちは目を丸くしました。上から見た雲の海は、太陽の光を浴びて白く輝いているのですが、わき上がる雲は黒く、その中にきらきらと赤い小さな光を交えていました。

 フルートが、はっとして言いました。

「噴煙だ……! 火山が噴火してるんだ!」

 フルートは、炎の剣を取りに、炎の馬と火の山まで行ったことがあります。その時に空から見た景色にそっくりだったのです。

 ゼンとポチは、思わず顔を見合わせました。

「おい、これがポポロの力ってことは……」

「ワン。魔王はポポロの魔力を使って、火山を噴火させてるってことですか!?」

 エルフが、またうなずきました。

「魔王は、風をねじ曲げて北の大地に暖気を呼び込んだだけでは飽き足りず、大地の奥で眠っていた火山を魔法で噴火させたのだ。火山が吹き出す溶岩は、大地の氷を一気に溶かしている。噴き上げる噴煙は雨を招いて、そこでまた氷が溶ける。あの雲の下では、大地が急速に崩れているのだ」

 フルートは青ざめた顔でエルフを見ました。確かめるように尋ねます。

「そこにも、トジー族の人たちはいるんですね?」

「いる」

 エルフは短く答え、行く手をおおう雲の海に、またじっと目を向けました。

「新しい魔王は、人の命を奪うことにまったくためらいがない。このままいけば、北の大地の上の命は一週間以内に完全に失われるだろう。そして、大地の氷はすべて水となり、海に注ぎ込んで津波を引き起こし、他の大陸に襲いかかっていくのだ――」

 フルートは唇をかみ、じっと雲を見つめました。雲の海は噴煙にかき乱され、大きくうねりながら、風に乗って大陸の上を流れていきます。雲の間にひらめいて見えるのは、乱れた大気が起こす雷に違いありません。

 フルートは口を開きました。

「あれを止めるのには、どうしたらいいですか?」

 低いけれども、はっきりとした声でした。

 エルフが答えました。

「魔法で引き起こされた噴火を止める方法はない。魔王の元に乗り込み、魔王を倒すより他はないのだ」

 フルートはうなずきました。血の気が失せた青白い顔の中で、青い瞳だけが強く光りながら北の大地を見つめています。

 

 すると、ゼンが肩をすくめました。

「どのみち、俺たちはメールやポポロたちを奪い返しに、魔王をぶっ飛ばしに行くんだ。やることは同じだぜ。――で、どこに行きゃ魔王に会えるんだ?」

「北をめざすのだ」

 とエルフは以前言ったのと同じことを繰り返しました。

「ただひたすら、北を目ざしていけば、必ずその道は魔王の元へ至る」

 それを聞いて、ポチが言いました。

「ワン、北はどっちの方向になるんでしょうか?」

 行く先の方向をつかむのは自分の仕事、と考えているのがわかります。すると、エルフがほんの少しほほえむような表情になりました。

「どこから歩き出しても、大陸の中央を目ざしていけば、そちらが北だ。ここは北極大陸なのだから」

 ポチはちょっと驚いた顔になり、すぐに納得してうなずきました。北極点は大陸の中央付近にあるのですから、確かにそういうことになります。

 なんとなく大陸の中央と思える方角を眺めた少年たちに、エルフは言いました。

「このあたりは暖かすぎて上陸するには危険だ。歩いて行くには、もっと寒い場所を選ばなくてはならない。上陸地点を探すぞ」

 寒い場所のほうが歩きやすくて安全、ということも、少年たちの常識からは外れています。ここは世界のはずれの極地方なのだと、改めて感じてしまいます。

 フルートは思わず片手を胸元にやって、それに気がついて苦笑いしました。守りの石は、ここにはないのです。

 すると、それを見ていたゼンが言いました。

「俺たちがいるさ。何が現れようと俺たちがしっかり守ってやるから、どんと安心してろ」

 ポチも、ワン、と鳴きました。

「ぼくもいますよ。ぼくだって、ちゃんと役に立てると思いますよ」

 そんなふうに励ましてくれる仲間たちに、フルートは思わずほほえみ返しました。

「ありがとう……。君たちのほうこそ気をつけてね。金の石がないから、癒しの力は使えないんだもの」

 フルートが心配していたのは、結局、仲間の身の安全のほうだったのです。ゼンは、思わず顔をしかめてフルートを小突きました。

「ったく、相変わらずだな、おまえは。頼むから、他人のことだけでなく、自分のこともちゃんと考えろよ。金の石の勇者がいなかったら誰にも魔王は倒せないんだからな」

「うん、わかってる」

 とフルートは答えました。けれども、本当にその真実の重さをフルートが理解しているのかどうか、仲間たちはなんとなく首をひねりたくなるのでした。いつも、自分のことより仲間や他人のことをまず考えてしまうフルート。それがあまりに優しすぎて、仲間たちはときどき不安になってくるのです――。

 エルフは黙ったまま大ワシを操り続けていました。空をすべるように飛び続ける彼らの目の前に、純白の北の大地が広がっていました。

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