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第5巻「北の大地の戦い」

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第4章 上陸

14.心配

 翌朝、目を覚ましたフルートは、自分がどこにいるのか、すぐには思い出せませんでした。

 周囲には白い霧が出ています。まったく見通しがきかない中、どこからか激しい風が吹きつけてきて、霧を押し流していきます。フルートがまとっている毛皮のマントも真っ白でした。表面にびっしりと霜が凍りついているのです。フルート自身は魔法の鎧を着ているので暑さ寒さを感じませんが、あたりは相当な寒さになっているようでした。

 すると、ひときわ濃い霧が流れ去った後、急に霧が薄れて視界が開けてきました。木の枝を組んだ床が目に入ります。フルートは毛皮のマントにくるまって、床の上に横になっていたのでした。すぐそばにゼンもいました。同じような毛皮でできた服を着込み、木の枝を蔓で編み上げた壁にもたれかかって、風の吹いてくる方向を眺めています。ゼンの服の上にも、床や壁の上にも、いたるところに白く霜が降りていました。

 その時、フルートのマントの中で何かがうごいたと思うと、ワン、とこもった声が聞こえてきました。ポチです。それで、フルートもようやく、今自分がどこにいるのかを思い出しました。ここは、空を飛ぶ大ワシの背中の上です。白い石の丘のエルフが、彼らを北の大地まで運んでくれているのです。魔王にさらわれたポポロとメールとルルを救い出すために――。

 フルートの胸が、突然激しく痛みました。言いようのない怒りと後悔がフルートをわしづかみにします。

 少女たちは自分たちの目の前からさらわれていったのです。バジリスクに誘い出され、金の石を奪われて夢中になっていた、その隙に。崩れていた猟師小屋の壁、引き裂かれ踏みにじられた花、周囲の木々に残された風の刃の傷痕……そんなものが次々脳裏に浮かんできて、フルートは思わず拳を握りました。自分自身のふがいなさに、全身が震え出しそうになります。

 

 すると、フルートのマントの中から、ひょっこり子犬が顔を出しました。一瞬、ひどく心配そうな目をフルートに向けると、次の瞬間、風に目を細めて、ぶるぶるっと大きく身震いしました。

「ワン、寒いですねぇ……。もう北の大地の近くまで来ているんですか?」

 ゼンが振り向きました。

「おう、起きたか。まだだ。到着まであと五時間以上かかるとよ。北の大地ってのは遠いよな」

 そう言うゼンにもいつもの元気はありません。それきり口をつぐんで、さえない顔をまた行く手に向けます。その間にも周囲から霧がどんどん薄れていきます。彼らは空に浮かぶ雲の中を飛び続け、ようやくその中から抜け出そうとしていたのでした。

 明るくなってきた霧の中に、巨大な鳥の翼が見え始めました。力強く羽ばたきを繰り返しながら、背中の者たちを北へ北へと運んでいます。その首の根元には、手綱を握ったエルフが立っていました。鳥の羽毛も座席も子どもたちも、何もかもが霜で真っ白になっている中、エルフだけは、銀の長い髪を風になびかせ、緑の薄い長衣をはためかせていて、いつもと少しも変わりがありません。その姿がとても厳かに見えて、子どもたちは思わず目を伏せてしまいました。

 すると、エルフが急に振り返ってきて言いました。

「朝食にしなさい。これから向かうのは世界で最も寒い場所だ。しっかり食べることが体温を生み出し、おまえたちの命を守る。心がけるがいい」

 ことばと共に、大きな袋が放られてきます。中にはパンや焼き肉、果物や飲み物などが入っていました。少年たちは敬虔な気持ちなどたちまち忘れて、枝でできた座席の上に座り直すと、さっそく食事を始めました。彼らのモットーは「まずは食え」です。エルフに言われるまでもなく、どんな場所でも、これから何が始まるとしても、とにかく食べることだけは絶対に忘れないのでした。

 

 厚切りにしたパンとチーズをほおばりながら、フルートが言いました。

「北の大地っていうのはどんな場所なんだろうね?」

 子犬のポチは首をかしげました。

「ワン。それは行ってみなくちゃわからないけれど――一年中、雪と氷に閉ざされた世界だとは言われてますよね」

 すると、フルートは手にしていた食事をじっと見つめました。

「いろいろと、今までの旅とは違うことになりそうだね。まず食べ物を手に入れることができなくなるんだろうし、道や森だってないんだろうし」

 まだ見たことのない常冬の大陸。それはフルートの想像をはるかに超えていて、さらわれていった少女たちを救おうと考えても、どんなふうになるのか、どんなふうにすればいいのか、まったく思いつかないのです。

 すると、口いっぱいに肉をほおばってもぐもぐやりながら、ゼンが言いました。

「だけど、北の大地にだって人は住んでるんだぜ。じいちゃんが言ってた」

「人が?」

 フルートは驚いて思わず聞き返してしまいました。厳寒の大陸に足を踏み入れた人間は、たちまち凍え死んでしまうと聞いていたのです。ゼンはうなずき、急いで肉を水で飲み下すと、話を続けました。

「もちろん、ただの人間じゃないけどな。トジー族っていう、寒さに強い特別な種族だ。そいつらは北の大地だけに住んでいて、氷で家を作って暮らしているんだとよ。町や村だってあるらしいぜ」

「ワン、町や村も!?」

 とポチも目を丸くしました。意外な話で、すぐには信じられません。すると、ゼンが肩をすくめました。

「俺のじいちゃんは、峰のドワーフには珍しく冒険好きだったんだよ。若い頃は、けっこうあっちこっち遠くまで狩りに出かけていて、北の大地にも船一つで行ってきたって話なんだ。そこで、トジー族っていう人間と出会ったんだとよ。えらく変わった生活ぶりのヤツらだったらしい」

「ふぅん……」

 フルートは考え込みました。北の大地にも人がいるという事実は、朗報にも悲報にも聞こえました。人が住んでいるからには、北の大地でだって人が生きられるという証拠です。けれども、北の大地は今、魔王によって一気に溶かされようとしていると言います。トジー族という人たちは無事なんだろうか、とフルートは思わず心配になりました。

 すると、ゼンが急に口をとがらせて仲間たちを見ました。

「なんだ、ふぅん、で終わりかよ。リアクション悪いな。北の大地に人がいるなんてとても信じられない、とか、どんなふうに暮らしているのさ、とか、なんか突っ込んで来ることはないのかよ?」

「え……?」

 フルートとポチは思わず目を丸くしてしまいました。そんなこと言われても、今はまだ、そこまで頭が回らなかったのです。

 ゼンは溜息まじりでまた肩をすくめました。

「ったく、のりの悪いヤツらだな。話し甲斐がないぜ」

 何故だか、妙に不機嫌そうな顔をしています。フルートはますますとまどいましたが、ポチはゼンを少しの間見上げてから、こう言いました。

「ワン、そういうことを言うのは、いつもメールでしたよ。ぼくたちじゃありません」

 とたんに、ゼンはじろりとポチをにらみました。

「うるせえや。おまえ、やっぱり最近ものすごく生意気だぞ」

 と不機嫌そのものの顔で言うと、また食事に戻ってしまいます。フルートとポチは顔を見合わせてしまいました。ゼンがメールのことをひどく心配しているのが、はっきりと伝わってきたからです。

 

 すると、鳥の首元からエルフがまた振り返ってきました。静かな声でこう言います。

「メールも、他の女の子たちも、ゼンが心配しているような目には遭ってはいない。安心するがいい」

 ゼンが、はっとエルフを見て、深い緑の目に出会ったとたん、とまどったように視線をそらしました。その顔が赤くなったり青くなったり、めまぐるしく色を変えます。

 エルフがフルートとポチに言いました。

「メールたちは、闇の声の戦いの際に、エスタ辺境軍の男たちから危険な目に遭わされそうになったことがあっただろう。それをゼンは心配しているのだ」

 フルートとポチも、たちまちはっとしました。風の犬討伐を命じられて気が立っていた辺境軍の兵士たちは、メールたちが女だというだけで、よってたかって自分たちの慰みものにしようとしたのです。その時には、フルートとゼンで少女たちを守ったのですが……。

 フルートが真っ青になったのを見て、ゼンが言いました。

「なんだ、おまえも一応わかってたのか。俺はまた、おまえはこういうことは全然知らないのかと思ってたぞ」

 うなるくらいに低い声でした。フルートは目を伏せました。

「メールが仲間に入った後、お父さんに教えられたんだ。女の子たちが仲間にいるなら、特に気をつけてやりなさい、って……」

「俺のほうは、まあ、周り中、親父の仲間の大人しかいないからな。いやでも話は耳に入ってくるさ。――マジな話、あいつらは女の子としても相当綺麗なほうだ。いくら子どもでも、絶対に危険なんだよ。しかも、あいつは本当の年よりずっと上に見えちまうしな」

 そう言って唇をかんだゼンの脳裏には、メールの大人びた背の高い姿が浮かんでいるのに違いありませんでした。

 すると、エルフがまた口を開きました。

「女の子たちは現在はその心配からは遠いところにいる。魔王の目的は、あくまで彼女たちの『力』だ。魔王自身も、その手下どもも、彼女たちをそういう対象としては見ていない。安心するがいい」

 ゼンとフルートは黙ったままうなずきました。遠く敵の手に奪われている少女たち。今はただ、この賢者のことばを信じる他はありませんでした。

「ワン、朝食をすませてしまいましょう」

 とポチにうながされて、少年たちはまた、食事の続きに戻りました。もう誰も口をきこうとはしません。ただ、少女たちを心の中で想いながら、黙々と食べ続けます。そんな少年たちを、強く冷たい風がなぶっていました。あたりをおおう霜が、いっそう白さを増しています。

 目ざす北の大地が、次第に近づいてきていました――。

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