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第5巻「北の大地の戦い」

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13.飛翔

 「魔王は世界中に異常気象を引き起こしている」

 空を飛ぶ大ワシの背中で、白い石の丘のエルフが話していました。同じ鳥の背には枝と蔓で編み上げた座席がくくりつけてあって、そこにフルート、ゼン、ポチの三人の少年たちが乗っています。ワシが非常に速く飛び続けているので、彼らの周囲をごうごうと猛烈な風が吹き抜けていきます。風の音がうるさすぎて、自分たちの声さえよく聞こえないほどなのに、何故だかエルフの話す声だけは、大声でもないのにはっきり伝わってきます――。

「異常気象の中心は北の大地だ。魔王が自分の魔力で暖かい風を呼び込み、大地の雪と氷を溶かし始めたからだ。……おまえたちにはなかなか思い及ばないだろうが、この世界の北の果てに氷と雪の大陸があることは、世界の気候の安定のためには絶対に必要なのだ。世界中の風と海は循環を続けている。赤道付近で暖められた空気は、暖気と雨を北と南へ運び、少しずつ冷えて、やがて極地方までたどりついて冷やされ、また赤道の方向へ戻っていく。海流もまたしかりだ。太陽から受け取るエネルギーを世界中へ配る役目を果たしている」

 子どもたちは黙ってエルフの話を聞いていました。かなり難しい内容で、ゼンなどは半分も意味がわかりませんでしたが、それでもとにかく、北の大地が世界中のために大事な場所だということだけは理解しました。

 エルフは話し続けました。

「北の大地が溶け出したせいで、世界中の風と海流が乱れ始めた。今まであり得なかった場所で、熱風が吹いたり冷たい風が吹いたり、干ばつが起きる場所があるかと思えば、今まで数百年に渡って一度も雨が降らなかった場所に大雨が降っている。気象の乱れは自然界の乱れを招き、天災を引き起こす。多くの生き物たちの命が奪われるようになる――」

 少年たちは黙ったままうなずきました。それは、彼ら自身が身をもって体験して不安に感じていたことでした。フルートとポチは雨がまったく降らないで乾ききっているシルの町の牧場を、ゼンは真夏に冷たい風が吹いている北の山脈を、それぞれに思い出していました。

 

 大ワシが飛び続ける空は、すでに夕暮れを迎えていました。薄暗くなっていく空は灰色の分厚い雲でおおわれ、その雲の隙間から、鈍い銀色に輝く別の雲が見えています。彼らの下を飛びすぎていく海も、暗い灰色に変わりつつあります。まるで冬のように寒々とした空と海です。

 鳥の背に乗る者たちに吹きつけてくる風が、いちだんと冷えてきました。突き刺さるような風です。ゼンは何も言わずに毛皮の服の紐を締め直しました。そうすると、風が服の中に入りこまなくなって、ぴたりと寒さを感じなくなります。エルフからもらった毛皮の服でしたが、魔法もかかっているので、信じられないほど暖かく着心地が良いのでした。

 同じような毛皮のマントをフルートも身にまとっていました。フルート自身は魔法の金の鎧を着ているので暑さ寒さは関係ありませんが、マントの中にポチが潜り込めるので、やはり役に立っていました。

 ごうごうと吹きすさぶ寒風の中、エルフだけがいつもと変わらない薄い緑の長衣をはためかせ、手綱を握ってワシを操り続けていました。見ているだけで寒くなってくるような姿ですが、エルフはまったく平気な顔をしています。寒さを防ぐような魔法を自分にかけているのに違いありませんでした。

 

 エルフは話し続けていました。

「魔王の願いは、いつも非常にはっきりしている。以前のゴブリン魔王は、世界中の人や生き物を自分の支配下に置き、不幸にすることを願った。だが、今度の魔王は支配など望んではいない。奴の目的はたったひとつ、世界中の生き物たちを皆殺しにすることなのだ」

 静かな声が衝撃的な事実を伝えてきます。少年たちは思わず息を飲み、互いに顔を見合わせてしまいました。なんと激しく危険な願いでしょう……。

 エルフはワシを操り続けていました。その目はじっと北を見つめています。

「魔王はすべての命を憎んでいるが、特に人間たちを強く憎んでいて、一度に全滅させようと考えている。そのために、世界中に異常気象を引き起こそうとしているのだ。人間は自然現象に対してまったく力を持たないからな……。奴は風や海流を乱すだけでは満足せず、北の大地を一気に溶かしてしまおうと考えて、さらに強い魔力を求めたのだ。北の大地をおおう雪と氷が溶けて海に流れ込めば、海面は今よりずっと高くなり、急激な変化に狂った海が、津波となって世界中の大陸を襲う。多くの生き物と植物たちが、一気に海の中に飲み込まれてしまうのだ――」

 とうとうフルートが我慢しきれなくなって声を上げました。

「何とかならないんですか!? それを食い止めることはできないんですか!?」

「そのために、自然の王たちが力を尽くしている」

 とエルフは静かに答えました。

「天空王たちが直接おまえたちのもとへ助けに現れないのはそのためだ。たとえおまえたちが王たちを呼んだとしても、彼らは駆けつけることができない。海王、渦王、天空王、泉の長老、その他ありとあらゆる自然の王たちは、今、一箇所に集まって、暴れ出そうとする海を必死で抑えている。だが、魔王が新たに手に入れた魔力は非常に大きい。北の大地はみるみるうちに溶けている。北の大地の雪と氷がすっかり溶けて海に流れ込んでしまえば、自然の王たちにも、もうそれを抑えるのは不可能になる。海は世界中の命を飲み込んでしまうだろう。そして、大荒れに荒れた海は、自らの中に育んできた、海の生き物たちの命まで奪っていってしまうのだ……」

 少年たちはまたことばを失いました。陸地を襲う大きな波、それに飲み込まれ波間に消えていく人や獣や森、荒れ狂い渦を巻く海の中で、流れに巻き込まれて死んでいく魚や海の民たち……そんなものが少年たちの脳裏に浮かびます。

「ちくしょう!」

 とゼンが叫びました。ポチも、ウゥーッと低くうなっています。

 すると、フルートが青ざめながらエルフに言いました。

「魔王が新しく手に入れた魔力というのが、ポポロなんですね……? そのために、彼女は魔王にさらわれてしまったんだ」

「その通りだ」

 とエルフは答えました。

「初め、奴の狙いはポポロだけだった。だが、彼女と一緒にいたメールとルルの戦いぶりを見て、その力にも興味を持った。それで、全員を連れ去ったのだ。今、魔王はポポロの魔力だけでなく、メールやルルの力まで自分のものにしている。これは非常に危険なことだ。だが、メールやルルのためには幸いなことだった。おかげで魔王に殺されずにすんだのだからな」

 少年たちは絶句しました。魔王に殺されずにすんだ、という短いことばが、少女たちを襲った危険の大きさを、ありのままに語っていました。

 

 フルートは唇をかんで、じっとうつむいていましたが、やがて目を上げるとエルフに尋ねました。

「どこへ行けばポポロたちを助け出せますか? どうすれば新しい魔王を倒せるんでしょう?」

「北の大地へたどりついたら、ひたすら北を目ざすのだ」

 とエルフは答えました。

「おまえたちの道は北へ続いている。きっと道しるべが現れるだろう。それに従っていくのだ。その旅路は、長く険しい道のりになる。だが、それをたどれば、おまえたちは必ず敵の元に乗り込んでいくことになるのだ」

「北……」

 と少年たちはまたつぶやきました。北の大地のさらに北の果てに潜む魔王を考えたとき、一瞬、真っ黒い影のようなデビルドラゴンの姿を思い出してしまいます。魔王は、その内側にあの闇の竜を棲みつかせているのです。人の心を破滅と絶望に追いやろうとする悪の怪物を……。

 

 すると、エルフが静かな声になって話しかけてきました。

「もう眠りなさい。北の大地まではまだまだ遠い。この大ワシが夜中飛び続けても、まだたどり着けないのだ。今は眠って、英気を養っておくがいい」

 あたりはもうすっかり暗くなっていました。雲が厚くたれ込める空に星や月は見えません。海も真っ黒な平原のように眼下に横たわっています。どこにも何の目印も見えない空を、それでも、エルフは迷うことなくワシを操って飛び続けていきます。

 少年たちは黙ったまま、ワシの背中の座席の上で横になりました。毛皮の服やマントを体にからめ、寒風に直接さらされてしまわないようにします。ポチはフルートのマントの中にもぐり込んで、鎧にぴったり身を寄せました。

 目をつぶっても、しばらくは風の音が耳について眠ることができませんでした。ごうごうと激しくうなる音は、まるで、怪物が空に吠え続ける声のようです。それでも、彼らは戦士です。戦士はどんな場所であっても眠れなくてはいけないのでした。

 懸命に目を閉じ続けながら、少年たちはいつの間にか少女たちのことを考えていました。魔王が彼女たちの力を必要としている以上、少女たちを殺すことはありえません。けれども、彼女たちがどんな扱いを受けているんだろうか、と考えると、心を奥底から焼かれるような、言いようのない焦りと怒りを感じるのでした。どうか無事で、と少年たちは祈りました。どうか、魔王やその手下たちから酷い目にあわされたりしていませんように……と。

 吠え狂う風の音の中、ようやく眠りに落ちていこうとした瞬間、少年たちはそれぞれの夢の中で少女たちの姿を見ました。フルートは宝石の瞳の小さな少女を、ゼンは緑の髪の海の王女を、ポチは銀毛の光る犬の少女を。その姿は幻のように淡く、少年たちが思わず手を伸ばして駆け寄ろうとしたとたん、音もなく闇の中に消えていってしまいました――。

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