「メール! ポポロ! ルル――!」
少年たちは壊れた猟師小屋のそばで名前を呼び続けていました。激しい戦闘のあげくに少女たちが敵にさらわれていったのはわかっていましたが、それでも呼ばずにはいられませんでした。激しい怒りと後悔が胸を焼きます。
「ぼくが……ぼくが、石が目覚めたことを教えなかったから……!」
フルートは唇を震わせながら言いました。
「闇が迫ってくるのはわかっていたんだ! なのに、ぼくときたら、自分の楽しさばかり考えていて……!」
「うるせえ! それなら俺だって同じだ!」
とゼンが乱暴にさえぎりました。
「敵が現れているのはわかってたのに、あいつらをぎりぎりまで安全なところに置こうなんて考えちまったんだ! ちきしょう、そうさ! たとえ女でも、あいつらだって勇者の仲間なんだ。ちゃんと教えることは教えとかなくちゃならなかったんだよ!」
すると、ポチが口をはさんできました。
「ワン。今さらそんなことを言ったってしかたありませんよ。とにかく、みんなを助け出さなくちゃ。後を追いかけましょう」
三人の中ではポチが一番冷静でした。フルートとゼンは、思わず子犬を見ました。
「後を追うって……行き先がわからないじゃないか」
「それに、フルートの金の石だってバジリスクに奪われたままだ! それだってほっとけないんだぞ!」
すると、ポチはワン、と鳴いて答えました。
「ぼくたちは今、赤峰のある南の方角から飛んできました。でも、途中でメールたちをさらった空飛ぶ怪物は全然見かけませんでしたよ。ということは、怪物がメールたちを連れ去った方角は多分――」
「北か……」
とフルートが言いました。季節はずれの冷たい風や、異常な冷たい海流が流れて来る方角も北です。確かに、闇の気配はそちらから伝わってきます。
すると、ポチが言い続けました。
「金の石を奪ったのも、メールたちをさらったのも、多分犯人は新しい魔王です。だとしたら、メールたちを助けに向かえば、金の石だって魔王の近くにあるのかもしれません。そうじゃないですか?」
フルートとゼンは、思わずまたポチを見つめてしまいました。言われるとおりです。その通りですが……
「ポチ、おまえ、なんか最近やたらと賢くないか?」
とゼンが思わず言いました。こんな場面ですが、半ばあきれていました。
「本当に十歳なのかよ? なんか、うんと年くった賢者みたいだぞ」
「ワン、もの言う犬はもともと賢いんですよ」
とポチはすまして答えると、真剣な目になって続けました。
「行きましょう、フルート、ゼン。ぼくが風の犬に変身します。北へ向かって、みんなを助けなくちゃ」
フルートはうなずきました。少女たちに真相を教えなかったばかりに、彼女たちをさらわれてしまった後悔は続いています。けれども、ポチの言うとおり、そんなことを考えていても何もならないのです。今はとにかく救出に向かわなければなりません。
「装備を整えようぜ」
とゼンが猟師小屋の中を見ながら言いました。中はめちゃくちゃに荒らされていますが、幸い彼らの防具や荷物はそっくり残されていました。フルートの金の鎧兜やゼンの青い胸当てが部屋の片隅で光っています。フルートとゼンは小屋に駆け込もうとしました。
ところが、その時、上空から、ばさりと大きな羽ばたきが聞こえてきました。
少年たちは思わずぎょっとして、反射的に身構えました。普通の鳥の羽音ではありません。もっと巨大な翼が起こす音です。フルートはとっさに背中の剣を抜きました――。
上空から一羽の鳥が舞い下りてくるところでした。本物のワシです。けれども、何という大きさでしょう。みるみるうちに下りてくると、少年たちが見上げる空をおおいつくしてしまいました。翼の先から先まで十メートル以上もあります。
「こいつも魔王の手先か!?」
ゼンがエルフの弓を下ろして矢をつがえました。狙ったものは決して外さない魔法の弓矢です。ところが、矢を放つよりも早く、ワシからこんな声が響いてきました。
「やめなさい、ゼン。この鳥は敵ではない。おまえたちの味方なのだ」
聞き覚えのある声でした。深く厳かで、聞いているだけで思わず頭を垂れてしまいたい想いにかられます。少年たちはびっくりして、思わず声を上げました。
「白い石の丘のエルフ――!?」
大ワシの背の上に、長い銀髪に長い緑の衣を着た背の高い男が乗っていました。物見の丘とも呼ばれる場所に百年あまりも前から住んでいる賢者のエルフでした。
大ワシが少年たちの目の前に舞い下りました。巨大な体なのに、森の木立の間に空間を見つけて、器用に降り立ちます。その背中には小枝と太い蔓で編み上げた座席がくくりつけてあって、その先のところにエルフが立っていました。ワシの首にかけた手綱を握っています。
エルフに目を向けられて、少年たちは突然口がきけなくなってしまいました。エルフの瞳は深い森のような緑色で、何もかもを見透かすように、鋭くまっすぐにのぞき込んできます。このまなざしに会うたびに、子どもたちは恐れ多い気持ちでいっぱいになって、何も言えなくなってしまうのです。思わず本当に頭を垂れてしまいます。
すると、エルフがワシの背から下りながら言いました。
「おまえたちが予想しているとおり、ポポロたちを連れ去ったのは新しい魔王だ」
相変わらず、このエルフには余計なことを言う必要がありません。何も言わなくても、人にはわからない独特の手段を使って、今何が起こっているのか、彼らが何を考え何をしているのか、すべてを見通してしまっているのです。
少年たちは思わずまた顔を上げました。フルートが尋ねます。
「魔王の正体はなんですか? 今度は誰が魔王になってしまったんでしょう!?」
「それは私にも答えることはできない」
と賢者のエルフは答えました。
「魔王を取り巻く闇はあまりにも深く濃い。その中を見通すことは、元が光の民である私には不可能なのだ。だが、奴が何を望み、何をしようと考えているかは私にもわかっている。北の彼方から、すさまじい憎悪の念が伝わってくるのだ」
「北……」
少年たちは顔を見合わせました。やはり、示されてくる方角は北です。
「ワン、魔王はルルたちをどこへ連れ去ったんですか? ぼく、そこまでフルートたちと飛んでいくつもりだったんです」
とポチが言うと、エルフは首を振りました。
「いくらおまえが風の犬になっても、そこへたどりつくことは難しい。かの場所はここから遠い。まして、フルートとゼンの二人を背中に乗せていては、たどりつく前に力尽きて、海に落ちてしまう」
「だから、それってどこなんだ!? あいつらはどこに連れて行かれたんだよ!!」
ゼンが我慢しきれなくなってどなりました。握りしめた拳を大きく震わせています。
エルフは静かに答えました。
「北の大地だ。そこに、新しい魔王は潜んで、世界に闇の手を伸ばし始めている」
少年たちは思わず息を飲みました。北の大地の噂は彼らも聞いたことがあります。彼らが住む中央大陸の北方、冷たい海を越えた向こうに横たわる大陸で、吹雪が一年中荒れ狂い、決して溶けることのない雪と氷が大地をおおっています。大陸の中央付近には北極点があるので、別名北極大陸とも呼ばれます。住んでいるのは氷の怪物と寒さを好む獣たちだけ。人間が足を踏み入れれば、たちまち凍えて死んでしまうと言われている場所でした。
けれども、少年たちがとまどったのは一瞬でした。フルートは仲間たちに向かってきっぱりと言いました。
「行こう。メールとポポロとルルを助けるんだ!」
「おう!」
「ワン!」
ゼンとポチが即座に答えます。その場所がたとえ終わることのない冬に閉ざされた死の大地でも、生きるものが何もない灼熱地獄の底でも、どこまででも少女たちを助けに行くつもりでした。
すると、エルフが言いました。
「支度をしたら、このワシにのりなさい。私がおまえたちを北の大地まで送り届けてやろう」
少年たちはびっくりしました。白い石の丘のエルフは、これまでも闇と戦うたびごとに、彼らに道を示し、さまざまな魔法の道具やアドバイスを与えてくれていました。けれども、こんなふうに白い石の丘の外まで出てきて、直接助けてくれるようなことはなかったのです。
フルートは思わずエルフを見つめてしまいました。何故だか不安な気持ちがよぎります。
「大丈夫ですか……? あなたは世の中の多くのことを見通す目を得る代わりに、この世界に関わる力を捨てたのだと聞いてます。ぼくたちを助けることは、この世界に関わってしまうことにはならないんですか……?」
エルフや、天空王のような自然の王たちは、人間にはわからない厳然とした取り決めごとに支配されているのだ、と以前聞かされたことがあったのです。なんとなくなのですが、エルフがこうしてフルートたちを助けに出てきたこと自体が、その取り決めに違反しているんじゃないか、という気がして心配になったのでした。
すると、エルフは賢い勇者を見つめました。深い緑の目が、めったに見せない慈しみの色を浮かべていました。
「おまえは優しいな、フルートよ……。だが、心配には及ばない。私におまえたちの援助を求めてきたのは、天空王と、海王、渦王、そして泉の長老の四人の王たちだ。おまえたちにこの大ワシを届けてほしい、と言ってな。これは天空の国に棲む光の鳥だ。北の大地まで、おまえたちを楽々と運ぶことができる」
「天空王たちが!」
少年たちはまた驚いてしまいました。いつでも、彼らの知らないところから彼らに助けの手を差し伸べてくれる王たちです。
すると、ふと、ゼンが首をひねりました。
「天空王は空の王だし、海王渦王は海の王だけど、泉の長老もやっぱり王様なのか? 冠とかはかぶってないよな?」
とたんに、エルフが笑い出しました。この人物が声を上げて笑うのは、とても珍しいことです。
「長老は、我々光の一族の中でも最も年老いていて、最も偉い御方の一人なのだ。世界中の泉をつかさどっていて、あらゆる水辺の出来事を知ることができる。自然の王たちは何人もいるが、泉の長老に敬意を払わない王はいない。その頭に王冠をいただく必要さえないほど、偉大で古い王であられるのだ」
少年たちはますますびっくりしてしまいました。確かに魔の森に住む泉の長老は、とても年老いていて、ことばにできない威厳がありましたが、それでも、天空王たちより偉いほどの人物だとは思っていなかったのです。
「ぼくは、そんなすごい人に助けてもらって、金の石を授かったんだ……」
とフルートがつぶやきます。
すると、エルフが言いました。
「長老が金の石を与えたのではない。たとえ自然の王たちであっても、誰も石に命じることはできないのだ。金の石は、自らの意志でフルートを自分の勇者に選んだ。それを見て、泉の長老もおまえを助けようと考えたのだよ」
フルートは思わず自分の胸元に手を当てました。服の下に金の石のペンダントはありません……。
すると、エルフが続けました。
「仲間たちを救いに向かうのだ、フルート。たとえ今は手元から石が奪われていても、おまえは紛れもなく金の石の勇者だ。おまえと金の石の絆は誰にも断つことができない。時が充ちれば、必ず石はまたおまえの元に戻ってくるだろう。今はおまえたちがするべきことをするのだ」
それは力強いことばでした。フルートは、はっきりとうなずくと、親友を振り返りました。
「準備をしよう、ゼン。北の大地に行くんだ」
「おう! 急ごうぜ」
二人の少年は猟師小屋の中に駆け込むと、それぞれに装備を身につけ始めました――。