少年たちが猪狩りに出かけてしまった後、猟師小屋に残った少女たちは、なんとなくことば少なくなっていました。メール以外は狩りになどついていきたいとは思わないのですが、それでも、なんだか少年たちから置いてきぼりを食らわされたような気がするのでした。
その中でも特にポポロがしょんぼりしているので、メールはわざと陽気に声をかけました。
「すぐに戻ってくるってばさ。ポチだって一緒にいるんだもん。どんな獲物だって、すぐに空から追い詰めてしとめちゃうよ」
すると、ポポロが、ううん、と首を振りました。
「そのことじゃないの……。なんだか、どうしてあたしって、こんななのかなぁ、って……そう考えてたの……」
溜息まじりにそんなことを言ってうつむくポポロに、メールとルルは目を丸くしました。
「何の話、ポポロ?」
とルルが尋ねます。
ポポロは小屋の壁にもたれるように座っていましたが、黒い衣を着た膝を抱え込むと、ちょっと首をかしげるようにして、何もない部屋の真ん中を見つめました。宝石のような緑の瞳が悲しげに揺れています。
「メールはゼンに、大物を捕ってきてね、って言ったでしょう?」
とポポロに言われて、メールは思わず苦笑しました。
「そんな優しい言い方したかな、あたい? で、それがどうかしたかい?」
「ルルはポチに、気をつけてね、って声をかけたわ」
とポポロがメールの質問を無視するように続けます。今度はルルが苦笑いしました。
「油断してフルートたちを振り落とすんじゃないわよ、って言ったのよ。ポチったら、なんだかホントに頼りない感じなんだもの」
すると、ポポロは静かに自分の膝を引き寄せました。
「誰も、フルートには声をかけなかったでしょう……? だから、あたし、フルートに言ってあげようと思ったの。気をつけてね、大物捕ってきてね、って……あたしも言おうと思ったんだけど……言えなかったの」
少女の声が揺れました。メールとルルは思わず呆気にとられてしまいました。
「なに、ポポロ、そんなこと気にしてたのかい? そんなの言ったって言わなくたって、どうってことないって。フルートは全然気にしてないさ――ってより、声をかけてもらうことなんて期待もしてなかったね。そういうヤツだもん」
「そうよ。それにあのとき、フルートたちは大急ぎで狩りに出かけちゃったんだもの。声をかける暇なんてほとんどなかったわよ」
口々にそう言ってくれる友人たちに、ポポロは首を振りました。
「今だけじゃないんだもの……。あたしって、いつもこう。本当はもっといろいろ言いたいことや話したいことがあるのに、いつだって、その勇気が出てこないんだもの……。本当にこれを言っていいのかどうかわからなくて……変なこと言っちゃって、フルートやゼンたちを怒らせたり嫌な気分にさせたらどうしよう、って考えちゃって……」
そう言って、いっそう悲しそうにうつむく少女を、メールはつくづくと見つめてしまいました。小さくて引っ込み思案で臆病なポポロ。そんな彼女をフルートとゼンの二人がそれぞれに好きでいることを、彼女自身は知りません。メールは、ほんの少しの間黙り込んで、思わずこみ上げてきたねたましさをやり過ごすと、おもむろに口を開きました。
「ゼンもフルートもさ、ポポロに声をかけてもらえば喜ぶと思うよ。どんなことだってそうさ。それは間違いないんだよ」
それは確信を込めたことばでした。
すると、ポポロがほんのちょっと黙り込んでから、つぶやくように言いました。
「メールがうらやましいなぁ……」
メールとルルは同時に驚きました。ポポロがこんなことを言うのを、初めて聞いたような気がします。
ポポロは膝を抱きしめ、ためらうようにそっとメールを見上げました。
「メールは、フルートともゼンとも、いつだって何でも話せちゃうし、フルートたちだってメールには何でも話してくれるでしょう……。わかるの。あたしはいつだってフルートたちに心配してもらってるのよ。だから、みんな言いたいことの半分もあたしには言わずにいるのよね……。今だって、メールだけだったら、きっとゼンたちは一緒に狩りに連れて行ってくれたのよ。でも、あたしがいたから……」
メールは思わずポポロから目をそらして天井を見上げました。なんと言ってやって良いのかわかりません。それは、二人の少年たちがポポロを特別大事にしている証拠なのですが、小さな少女にはそうとは感じられないのです。
メールは少し考え込むと、こう言いました。
「あたいのことなんか、うらやましがることないって。ポポロにはポポロのいいとこがいっぱいあるんだからさ。自信持ちなって。……それに、あたいは渦王の鬼姫だよ。あたいみたいになっちゃったら、だぁれも心配なんてしてくれなくなっちゃうってば。誰にも心配してもらえないってのも、けっこう淋しいもんなんだよ」
そう言って陽気に笑ってみせるメールの笑顔の陰で、本当に淋しさが揺れました。意地っ張りな彼女は、自分の弱みをなかなか外に出せません。ポポロみたいに素直になれたら、とうらやましがっているのは、メール自身のほうなのでした。
そんなメールをルルが黙って見上げていましたが、やがて、改まったように尋ねてきました。
「ねえ、メール、あなたは誰か好きな人がいるの?」
メールは本気で一瞬ことばが出なくなりました。思わず真っ赤になります。
「ななな……なにさ、やぶからぼうに! それがなんで今の話に関係してくるわけ!?」
と、むきになって聞き返すと、犬の少女は小首をかしげて答えました。
「別に今の話には関係ないんだけど、一度聞いてみたいと思ってたのよ。ゼンだってフルートだって、見た目はともかく、中身は本当にステキじゃない? メールはあの二人をどう思っているの?」
言いながら、ルルは視界の端にポポロの姿をとらえていました。ポポロは目を見張ったまま、メールと同じくらい顔を赤くして、海の王女の答えに聞き耳を立てています。本当は、ポポロこそがそれをメールに聞いてみたかったのです。
ホントにもう、この子ったら……とルルは心の中でつぶやきました。ポポロは、フルートとゼンがメールを好きなのではないかと思って、それでいつも以上に引っ込み思案になっているのです。メールが二人をどう思っているのか知りたくてたまらないのに、それをメールに聞いてみる勇気もありません。本当に、いらいらするくらいじれったくて、「姉」としては一肌脱がずにいられなかったのでした。
メールは少しの間、本気でうろたえていましたが、ルルとポポロの二人が真剣な目で見つめているのに気がつくと、急に顔つきを変えました。苦笑いをすると、あきれたように肩をすくめて見せます。
「やだなぁ。そんなに本気で聞いてくるようなことかい、もう……。あのね、あたいがあいつらに何でも話してもらえるのは、あたいが女の子扱いされてないからなんだよ。あいつらにとって、あたいは同類、男の子の仲間みたいなもんなのさ。ゼンなんか、ホントこれっぽっちも優しくしてくれないし、フルートだって初めてあったときにはあたいを男の子だと信じ込んでたしね。……そんなだもん、こっちだって、向こうをどうこう思えるわけないじゃないのさ」
けれども、最後の一言をメールは仲間たちの目を見て言うことができませんでした。大きな嘘、自分で認めてしまうこともできない嘘でした。つい思い出してしまったゼンの顔を、あわてて頭の中で打ち消します――。
すると、ポポロが大真面目で言いました。
「メールはすごく女らしいわよ。あたし、そう思う。メールが乱暴に見えるのって表面だけ。本当は、ものすごく優しくて、いろんなことに気がつくのよね。みんなのこと、励ましてくれたり慰めてくれたり……。だから、フルートもゼンも、メールのことを信頼してるんだわ。二人とも、メールのステキなところにちゃんと気がついてるのよ」
ポポロにしては珍しいくらい力をこめてそう言い切ります。
メールは、ぽかんとポポロを見つめてしまいました。彼女にこんなふうに誉めてもらうなんて、意外中の意外に感じられます。何故だか急にとても照れくさくなって、でも、そんな中にとても嬉しい気持ちがこみ上げてきて――メールは思わず腕を伸ばすと、ぎゅうっとポポロを抱きしめてしまいました。
「もう、ポポロったら! ホントにかわいいんだからさぁ!」
と言って、声を上げて笑い出してしまいます。ゼンたちにこそ言ってもらいたかったことを、大真面目でメールに言ってくれるポポロ。本当に素直で純真で優しくて……少年たちがポポロを好きなように、メールもやっぱり、そんなポポロが大好きなのでした。
そんな二人の様子を見て、ルルは溜息をついてそっと頭を振りました。
「ダメだわ、こりゃ……」
メールを出し抜いて少年たちに接近するなんて芸当は、ポポロにはできっこありませんでした。
すると、急にメールがルルに目を向けてきました。
「で――あんたはどうなのさ、ルル? あんたは、ポチのことをどう思ってるの?」
仕返し、とばかりに鋭く尋ねます。この手の突っ込みは大得意なメールです。
ルルはびっくりして、黒い瞳をまん丸にしました。
「え、ポチ? どう思うって――どういうこと?」
と思わず本気で聞き返してしまいます。メールは笑いました。
「それこそ、ポチを好きかい、ってことだよ。同じもの言う犬だし、風の犬になれるのも同じだし。特別何とも感じないわけ?」 ルルはますます目を大きく丸くして――突然、ぷーっと大きく吹き出してしまいました。
「や、やだぁ! どうしてあたしがあんな坊やを好きにならなくちゃならないのよ! ポチはまだ子どもよ。たった十歳じゃないの。いくらなんでも……。もの言う犬同士だからって、それだけでくっつけるのはやめてちょうだいよ!」
ポチがそばで聞いていたら絶対に傷つくようなことを言って、ルルは笑い続けました。メールは思わず肩をすくめ、ポポロもちょっと考え込む顔になりました。二人とも、ポチがルルを好きでいるのをなんとなく感じていたのです。
「ま、確かにポチも小さいけどさ」
とメールは言いました。
「でもね、あの子もあれで案外頼りになるんだよ。見た目によらないのはフルートたちと同じなのさ」
けれども、ルルは笑い続けていました。怒る気にさえならないほど、問題外の話だったのです。
「そうねぇ、あの子が自分一人で大猪を捕まえてきたりしたら、ちょっとは見直してあげてもいいかしら。でもね、そんなの起こりっこないじゃない?」
と言いながら窓枠に前足をかけて外をのぞいたルルは、次の瞬間、キャン! と吠えて窓から飛びのきました。窓のすぐ外に、真っ黒い影が立っていたのです。
ルルは全身の毛を逆立てながら叫びました。
「気をつけて! 窓の外――何かいるわ!!」
メールとポポロも、はっと身構えました。窓が真っ暗になっています。何かが迫ってきているのです。メールが叫びました。
「下がって、ポポロ!」
とたんに、外から何かが飛び込んできました。ガラスが音をたてて砕け、窓枠が粉々に吹っ飛びます。
窓を突き破って小屋に飛び込んできたものは、巨大な鳥のくちばしのように見えました……。