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第5巻「北の大地の戦い」

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9.空飛ぶ怪物

 風の犬のポチに乗ってバジリスクの後を追いながら、フルートは考え続けていました。あまり真剣に考えていたので、自分でも気がつかないうちに、つぶやきがもれます。

「どうして金の石が効かなかったんだろう……?」

 魔法の金の石は、確かにフルートの手の中で輝き、バジリスクを照らしました。なのにバジリスクはひるむこともなく、逆に襲いかかって石を奪い去っていったのです。こんなことは初めてでした。

 すると、ゼンがフルートの後ろで口を開きました。

「バジリスクが襲ってきたとき、障壁も効かなかったよな。金の石の力が弱まっていたんじゃないのか?」

 フルートは首を振りました。

「でも、バジリスクの『にらみ』は、ちゃんと防いでいたよ。毒の息だって……。金の石がおかしかったんじゃないんだ。あいつに金の石の光が効かなかったんだよ」

「ワン、じゃ、バジリスクは闇の生き物じゃないってことですか?」

「あれでか!?」

 と驚くポチとゼンに、フルートはますます真剣な顔で考え込みました。確かに、闇の生き物でないものに、金の石の聖なる光は効きません。フルートたちが金の石の光を浴びても平気なのと同じことです。ただ、バジリスクが現れる直前、金の石は確かに闇に反応してきらきらと光っていたのです。

「やっぱり、あいつの後ろに闇の敵がいるんだ」

 とフルートは半ばつぶやくように言いました。

「バジリスクはきっと、そいつに操られて、ぼくの金の石を奪ったんだよ。金の石が邪魔だから……」

 ゼンとポチが表情を変えました。全員が、同じ「あるもの」を予想してしまっています。

 ゼンが、確かめるように、ゆっくりと言いました。

「もしかして……また、魔王か……?」

「たぶんね」

 フルートは眼下の森に伸びる砂漠の道を見ながら、短く答えました。

 

 魔王を生み出す正体は、デビルドラゴンと呼ばれる闇の影です。それには実体がなく、ただ黒い力で人の心に忍び込み、そこに潜む闇にささやきかけて、心と体を乗っ取ってしまいます。デビルドラゴンに取り憑かれた人物は魔王に変わり、世界の征服とすべての命の不幸を願い、闇の魔法の力で人々を苦しめ始めます。

 闇の声の戦いの決戦で、フルートたちはデビルドラゴンそのものと対決し、光の魔法でドラゴンを遠い彼方へ追いやりました。けれども、ドラゴンを消し去ることはできませんでした。悪そのものの権化であるデビルドラゴンを消滅させることは不可能だったからです。

「ワン。また誰か、あいつにつけ込まれて魔王になってしまった人がいるんですね……」

 とポチがつぶやくように言いました。魔王にされかけて、かろうじてそこから戻ってきた友だちの姿を、心の中で思い出していました。魔王は強力で残忍です。人の心にしか働きかけられないデビルドラゴンと違って、実際にこの世界を打ちのめす力を持っています――。

「結局、この異常気象もそいつのせいか」

 とゼンがうなりました。フルートとポチは何も言わず、ただ心の中で一緒にうなずいてしまっていました。

 

 すると、まったく唐突に、彼らの目の前から砂漠の道が消えました。砂の荒れ地がとぎれ、一面の森に変わったのです。ポチは驚いて、その上空をぐるぐる飛び回りました。

「ワン! バジリスクがいませんよ!?」

 怪物の姿はどこにも見あたりません。痕跡さえ、もうどこにもありません。少年たちは呆然としました。バジリスクは消えてしまっていました。

「やっぱり魔法だ……。金の石を完全に奪われた……」

 フルートが青ざめた唇でつぶやきました。

「ちくしょう! どうする!?」

 とゼンがわめきました。もちろん、金の石を取り返さなくてはならないのはわかっています。金の石は守りの石。それがなければ、彼らは傷を負ってもそれを治すことができないし、闇の攻撃を防ぐこともできません。魔王と戦うためには、金の石は絶対に必要なのです。ただ――金の石とバジリスクの行く先がわかりません。

 フルートは青ざめたまま考え込み、やがて、後ろにそびえる北の峰を見ました。

「ポポロだ……。彼女に金の石を追ってもらおう。みんなで取り戻しに行くんだ」

 ゼンとポチが即座にうなずき、ポチは身をひるがえして北の峰目ざして飛び始めました。

 

 ゼンが黙って赤峰を振り返っていました。緑の森がうっそうと山肌をおおっています。ところどころ赤や黄色に見えるのは、急な寒さで葉の色を変えたカエデの木です。そんな森の中に、怪物に砂漠に変えられた傷痕が生々しく残っていました。ゼンが歯ぎしりをします――。

 フルートも一緒に赤峰を見ていました。あの傷痕がまた植物におおわれて緑の森に戻るまでに、どのくらいの時間がかかるんだろう、と考えます。ゼンたち猟師は森をとても大切にしています。そして、木が育つには何十年、何百年という時間が必要なのです。森が完全に復活するまでには、おそらく、長い長い年月が必要になってくるのでしょう……。

 そのとき、フルートはふと、違和感のようなものを感じました。何かが頭の中でひっかかります。フルートは懸命にそれを追いかけ、やがて、眉をひそめてつぶやきました。

「変だな……」

「何が?」

 ゼンが驚いたように聞き返してきました。これ以上なにがあるって言うんだ、という声と表情をしています。フルートは確かめるように言いました。

「ゼンのお父さんの仲間の猟師は、昨日の夕方、赤峰の上を飛んでる鳥のようなものを見た、って言ったんだよね?」

「ああ。あのバジリスクを見ていたんだろうな。――近くに来てなくて幸いだったよな」

 とゼンが低く答えます。

「でも、赤峰にはその時の跡がないよ」

 とフルートは言い、意味がわからない顔をしたゼンに、たたみかけるように続けました。

「昨日の夕方、バジリスクが一度赤峰まで来ていたなら、その時に森を砂漠にした跡が別にあるはずなんだよ。でも、赤峰には、今バジリスクが飛んだ跡しか残ってない――。昨日目撃された怪物は、また別な奴なんだ、きっと」

 ゼンはそれでもまだ要領を得ない顔をしていましたが、やがて、みるみるうちに顔色を変えていきました。

「って……それじゃ、別にもう一匹、空を飛ぶ怪物がいるってことか? そいつも、この北の山脈の上を飛び回っているって言うのか? 何のために――」

 言いかけて、ゼンは、はっとしました。彼らを乗せているポチも、風の体を激しく揺らめかせました。

「ワン、まさか……!」

 少年たちを不吉な予感が襲います。

 フルートはポチに叫びました。

「猟師小屋に戻るんだ! 早く!!」

 

 彼らが全速力で北の峰へ飛び戻っていくと、森の木々に半ば埋もれている猟師小屋が見えてきました。その様子が出発したときと変わりなく見えて、少年たちは思わずほっと胸をなで下ろしました。

 ところが、次の瞬間、ゼンが顔色を変えました。

「小屋がおかしいぞ!」

 反対側の小屋の壁が崩れ落ちているように見えます。あわててそばに舞い下りた少年たちは、思わず息を飲みました。

 猟師小屋の壁が何か大きな力で壊されていました。太い丸太が折れて地面に転がり、粉々になった板きれがあたり一面に散乱しています。小屋の中で使っていた毛布がずたずたになって風に吹かれています。まるで獣が鋭い爪と牙で引き裂いた跡のようです。

 少年たちは必死で呼び始めました。

「ポポロ! メール! ルル――!」

 けれども、どこからも返事はありません。猟師小屋の中にいたはずの少女たちは、どこにも姿が見えないのです。

 地面の上の腐葉土が、いたるところで踏み荒らされていました。その上で、たくさんの花が引き裂かれ踏みつぶされて、頼りなげに風に震えています。

「メール……」

 とゼンは血の気の失せた唇でつぶやきました。花使いの姫が戦った跡です。周囲の木々の幹には、鋭い刃物で切りつけたような傷が残り、切り落とされた木の枝がいくつも転がっていました。こちらは、ルルが風の犬になったときの、風の刃の跡です。間違いありません。何ものかがここを襲ったのです。少女たちは激しく戦い、敗れて、敵に連れ去られていったのでした。

 フルートたちは必死で少女たちの名前を呼び続けました。どこからも返事はありません。心の中にさえ、返事が返ってきません――。

 すると、ポチがふいに地面にかがみ込んで、ワン、と吠えました。

「フルート、ゼン! これを見てください!」

 それは一枚の鳥の羽根でした。真っ黒い色をしていて、ぬれたように輝いています。

 少年たちはそれを見て、またことばを失ってしまいました。羽根は、端から端までが一メートル近くもある、巨大なものだったのです。

 鳥の声さえ聞こえてこない、静かすぎる森の中、フルートたちは青ざめきって立ちつくしていました……。

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