結局その日は日中になっても気温が上がってきませんでした。
森の中には冷え冷えとした空気が漂い、時折、身を切るような北風が吹き抜けていきます。生き物たちも、もっと暖かいふもとの方へ移動したり、ねぐらにじっと身を潜めているようで、森全体がひっそりと静まりかえっていました。
子どもたちはその日、北の峰の高いところまで登ってみるつもりでいたのですが、山頂の方では雪が降っていると聞いて、あきらめて猟師小屋の中で過ごしていました。とはいっても、全然退屈はしません。なにしろ彼らは六人もいて、積もる話が山ほどあったからです。
メールは闇の声の戦いが終わって、自分の島に戻ってからのことを話していました。
「あたいはね、父上と東の大海に出かけてたんだ。いとこ達とも初めて会ったよ。五人もいるんだ。そのうちの下の三人がなんと三つ子でね。男が二人に女が一人なんだけど、あたいとひとつしか年が違わないんだ。けっこう元気のいいヤツらでさ、毎日海の中を冒険して回ったよ」
「へえ、鬼姫と一緒に冒険できるヤツらが他にもいたのか」
とゼンが感心すると、メールが肩をすくめ返しました。
「どうやら、あたいのこの性格って血筋みたいだね。いとこたちもけっこう似てんのさ。まあ、年上のいとこたちはけっこう落ちついているんだけどね……父上が言うには、その二人だって小さい頃にはやんちゃだったんだって。伯父上の海王だって、子どもの頃には今みたいには落ちついてなかったらしいし」
「なぁるほど。激しいのは海の王族の血か。それに、あの海の王妃が母親ときたら、いとこ達がおとなしいわけないよな。それにしても、おまえみたいな性格のヤツらが他に三人もいるんじゃ、さぞ賑やかだったろうなぁ」
とゼンが笑ったので、メールはあかんべをしました。
「おあいにく。海は広いから、いくらあたいたちが騒いだって誰も文句を言わないのさ。一番年上のいとこはアルバって言うんだけどね、あたいを見て、もう一人妹ができたみたいだって笑ってたよ。これがまた優しい上にハンサムなんだぁ。ほれぼれと見とれちゃうくらいなの。ホント、あんたたちにも会わせてやりたかったね！」
そのとたん、ゼンの胸の奥がちくりと痛みました。突然何か小さな針のようなものが刺さったような感じです。ゼンは笑いを引っ込めると、とまどいながら目をそらしました。なんとなく面白くない想いが胸の内に広がります……。
けれども、話に夢中になっているメールはゼンの変化には気がつかず、ポポロをつついて尋ねていました。
「あんたは、ポポロ？ あの後、何して過ごしてたのさ？」
「あたしは……ずっと同じ。学校や森で魔法の練習をしてたわ。一日に二回しか使えないから、なかなか練習にならないんだけどね……」
そう言って自信なげに目を伏せてしまったポポロのわきで、犬のルルが口を開きました。
「でもね、ポポロは前より魔法がうまくなってきてるのよ。巻き込む範囲がどんどん狭くなってきてるの。そのうち、本当に狙ったところにだけ魔法がかけられるようになるわよ！」
と自分のことのように得意げに言います。ルルはポポロとは姉妹のように育ってきた犬で、いつまでも頼りなかった小さなポポロを、ずっと心配しながら見守ってきたのです。
ポポロが使う魔法は、一日に二回だけですが、その華奢な姿からは想像もつかないほど強力です。強力すぎて、いつも自分でもコントロールしきれなくて、周りにいる人たちまで巻き込んでしまっていたのですが、ここに来て、ポポロの魔法もようやく少しずつ落ちつき始めていたのでした。
「すごい、ポポロ！」
「ワン、ポポロの魔法が完全にコントロールできるようになったら、これほど頼もしいものはないですね！」
フルートとポチから口々に誉められて、ポポロははにかみながらも、嬉しそうにほほえみました。
積もる話は、本当に尽きることがありません。けれども、やがて子どもたちの話題は最近の異常な天気の話に移り変わっていきました。夏とは思えない肌寒さが、自然とその話題を呼んだのです。
「昨日あたしたち貴族が天空王様に呼ばれていたのも、それだったの」
とポポロが言いました。
「今、あちこちで、天気がおかしくなっているんですって……。今はまだ世界の北の方だけでしか起こっていないけれど、そのうち、世界全体に異常気象が広がるだろう、って天空王様がおっしゃってたわ」
「ここやシルの町だけじゃなかったのか」
とゼンが言いました。この頃には、わけの分からない胸の痛みもどこかへ消えて、また元の調子に戻っていました。
フルートは考え込む顔になりました。
「お父さんが言っていたんだよ……。世界のどこかで異常気象が起きると、それが風や海を伝わって、遠く離れた場所にも影響を与えるんだ、って。どこかに異常気象の原因になってる場所があるのかもしれないね」
「それこそ、北の方かもしれないよ」
とメールが言いました。
「あたい、ここに来る直前に、父上や海王と一緒に天空王のところへ行こうとしてた、って言っただろ？ 海の北の方の海流が、急に流れを変えたからなんだよ。いやに冷たい水が南の方まで流れてくるようになったんだ。実際、北の方から、寒くていられない、って言って海の生き物たちが南下してきてたし。父上たちが天空王に相談を持ちかけたら、一緒に話し合おうってことになって、天空城に呼ばれたのさ」
「海も同じか」
とゼンが言って腕組みをしました。まるで引き寄せられるように、フルートやポチと目を見交わしてしまいます。フルートは黙ったまま、上着の上から自分のペンダントを押さえました。その下で、金の石はすでに目覚めて金色に輝いています。
夏とは思えない冷たい北風、北の方から流れ込んでくる冷たい海流、風が乱されたおかげでいつもは吹かない熱風にさらされているシルの町――確かに何かが起こり始めているようでした。それも、世界規模で。少年たちはその中に、闇の気配を感じ取ってしまったのでした。
その時、ポチとルルが、ぴんと耳を立てました。窓の方を眺めます。
「ワン、遠くで鳥が騒ぎ出しましたよ」
「すごい声で鳴いてるわ……」
ゼンは窓辺に立って外を見ました。木立の間を通して隣の山が見えています。ゼンはその上空に、じっと目をこらしました。
「森から鳥が飛び立ってるな。……多分、眠り谷の大猪が姿を現したんだ。あいつが出てくると、いつも鳥たちが大騒ぎするからな」
そして、ゼンは部屋の片隅に置いてあった自分の弓矢を取り上げると、背負いながらフルートとポチに言いました。
「協力してくれ。おまえらがいれば、今日こそあの猪をしとめられるかもしれない」
「あたいたちは？」
とメールがすかさず尋ねました。このおてんば姫は狩りにも一緒についてきそうな気配です。ゼンは肩をすくめました。
「留守番してろよ。おまえは良くても、ポポロたちは狩りなんて見たくねえだろう。ここでしゃべってろよ。腹が減ったら、ウサギのシチューの残りを食ってればいい」
「つまんないの」
メールは口をとがらせましたが、ポポロが青ざめた顔をしているのを見ると、すぐに微笑しました。確かに、ゼンたちが獣を追い詰めて殺す様子を見たら、この小さな少女はたちまち泣き出してしまうでしょう。
「大物を捕っておいでよ！」
とメールは言ってゼンの背中をたたきました。ありったけの力をこめてたたいたのですが、ドワーフの少年はびくともしません。おう、と答えて、にやりと笑い返してきました。
フルートは炎の剣とロングソードを交差させて背負うと、ポチをつれて小屋の外に出ました。森のはずれまで行って、ゼンと一緒に隣の山を眺めます。その上空では、数十羽の鳥たちがギャアギャア鳴きわめきながら旋回していました。
ポチが首をかしげました。
「ワン、あの鳥たちはいつも猪が出るとあんなふうになるんですか？ なんだか、尋常じゃない騒ぎ方だけどな」
すると、ゼンが低い声で答えました。
「猪なんかじゃないさ……。赤峰で何かが起きてるんだ。鳥どもが死にものぐるいで逃げだそうとしてる。ただごとじゃない」
フルートとポチは思わずゼンを見ました。その横顔は、たった今までの気楽さが嘘のように、怖いほど真剣な表情を浮かべていました。フルートは、とっさに上着の胸元からペンダントを引き出しました。魔法の石は金に輝きながら、奥の方から、きらりきらりと澄んだ光を放っています――。
「石が反応してる。闇の敵が近くにいるんだ！」
とフルートは言いました。ゼンが、やっぱり、とうなずきました。
「昨日、親父の猟師仲間が、あの赤峰の上空で鳥のような変な生き物を見たんだ。闇の怪物だったらしいな」
ポチは森の奥の猟師小屋を振り返りました。
「ワン、メールやポポロたちを呼んできましょう……！」
ゼンは首を振りました。
「敵の正体を確かめるのが先だ。正体がわからないヤツとは戦えないからな。だから、おまえらに来てもらったんだ」
フルートとポチはうなずきました。ゼンの言うことは、しごくもっともです。
少年たちの目の前で、ポチが風の犬に変身しました。幻の竜のような姿に変わって、長い体を伸ばします。その背中にフルートとゼンは飛び乗りました。
「行こう！」
フルートの声を合図に、ポチは空に舞い上がりました。
風のうなりと共に、たちまち赤峰が近づいてきます。山の上の空を鳥たちが激しく鳴きながら輪を描いて飛び回っています。狂ったような騒ぎです。
「こいつらはみんな子育て中のヤツらだ。逃げたいのに卵やヒナが心配で逃げられないんだよ」
とゼンが言ったときです。彼らの真っ正面を飛んでいた一羽のトビが、いきなり破裂しました。何の前触れもなく木っ端みじんになり、小さな破片になって四方八方に飛び散ってきます。
フルートたちは思わず息を飲み、自分たちに音をたててぶつかってきた破片に、また驚きました。それは鳥の羽根や肉や骨片ではなく、砕けた石のかけらだったのです。
フルートが、はっとして叫びました。
「ポチ、よけろ！ 石化させる怪物だ――！！」
