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第5巻「北の大地の戦い」

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4.山道

 山の陰に太陽が隠れ、夕暮れが迫り始める頃、子どもたちは猟師小屋を出て、また山の中を歩き出しました。あたりは少しずつ暗くなってきていましたが、空がまだ白く明るいので、足下がよく見えます。先頭を行くゼンの姿もはっきり見えています。鹿肉のステーキとパイで満腹になった子どもたちは、いつも以上に元気で陽気になっていました。

 ゼンは藪の中の細い道を通りながら、どんどん山の奥へ仲間たちを案内していきます。そのすぐ後ろを行くポポロが、しきりに尋ねていました。

「ねえ、ゼン、本当にどこへ行くの……? そろそろ教えてちょうだい」

 いつもは引っ込み思案な彼女も、今はすっかり好奇心のとりこになって、宝石のような緑の瞳を輝かせながらゼンを見上げています。ゼンは振り返って、ちょっと笑い返しました。

「まだだ。いいからついてこいよ。到着してからのお楽しみだぜ」

「んもう、本当に気を持たせるんだから!」

 とポポロの足下を行くルルが声を上げました。相変わらず、ちょっと怒ったような口調ですが、機嫌は悪くありません。ゼンがどこへ案内してくれるのだろう、と藪の中を見透かしながら、きょろきょろしています。そのすぐ後ろをポチがついていきながら、やっぱり、好奇心で目をキラキラさせていました。

 

 すると、ゼンがさらにその後ろにいるメールとフルートへ声をかけました。

「足下に気をつけろよ。近くに崖があるから、よく見て歩け」

 とたんにメールが鋭く笑い返しました。

「馬鹿にすんじゃないよ! あたいは半分森の民なんだから、森歩きは大得意さ。目をつぶったって歩いていけるね」

 ちぇっ、とゼンはつぶやいて肩をすくめました。確かに、メールは初めての森の中でも、まるで子鹿か何かのようにすいすいと進んでいたのです。藪を切り開いた道しか通れない仲間たちに時々じれったくなるのか、ひとりですっと道から外れると、藪の中をくぐり抜けて離れた木立や景色を眺め、また道に戻ってきます。それは本当に、人間たちと一緒に歩いていく気まぐれな森の獣のようでした。

「きみ、すごく生き生きしてるよ」

 とフルートが感心して声をかけると、メールが嬉しそうに振り返ってきました。

「当然。森はあたいの家だもん。海ももちろん好きなんだけどさ、森にいるとすごくホッとするんだ。――森には花も咲いてるしね」

 そう言って微笑んだメールは、先よりもずっと柔らかくて素直な表情になっていました。いつもは大人びて見える顔が、急に年相応な無邪気さを浮かべます。そう、メールはまだ十三歳。フルートやゼンと同じ年なのです。

 フルートは急に小さく吹き出すと、不思議そうな顔をしたメールに言いました。

「思い出したんだ、渦王の島できみと初めて会ったときのこと。森の子どものふりをして、シルヴァって名乗ってたよね」

 ああ、とメールも吹き出しました。

「あの格好をしたあたいを男の子と信じ込んでくれたのって、後にも先にもフルートだけだったなぁ。ほぉんと、フルートは鈍いんだから」

「ごめん。でも、ホントに男の子に見えてたんだよ。顔や格好はともかく、雰囲気がね。『打倒渦王!』って全身で言ってたから」

 メールは顔を赤らめました。

「あれはまあ……あの時は本気で父上に腹をたててたからさ……。今はもう違うよ。父上も、けっこう優しくしてくれるようになったしね。相変わらず忙しくて城にはほとんどいないけどさ、時々あたいのことを連れていってくれるようになったし」

「良かったね」

 とフルートは心から言いました。その優しい笑顔にメールは思わずまた赤くなり、すぐに自分も笑顔になってうなずき返しました。

「うん。ありがと、フルート」

 メールが父親と仲直りできたのは、フルートたちのおかげでした。謎の海の戦いを通じて、やっと彼女も父親の気持ちを知ることができたのです。しっとりと柔らかいものが、メールとフルートの間に通い合いました。

 

 やがて道は下り坂になってきました。藪の中の道に大小の岩が顔を出し始めて、ポポロが転びそうになります。

「このあたりは足場が悪いんだ。つかまれよ」

 とゼンが手を差し出したので、ポポロは素直にそれにつかまって道を下り始めました。いつもはぶっきらぼうで荒っぽいゼンが、ポポロには最大限気をつかっているのが、見ていてはっきりわかります。そんな様子に、今度はメールがフルートをつつきました。

「いいのかい? ポポロのエスコートをゼンに任せちゃってさ。ホントはあんたがあの役をやりたいんじゃないの?」

 フルートとゼンの二人ともがポポロを好きでいることは、他の仲間たちにはすっかりばれてしまっています。そして、メールがゼンを密かに好きでいることも、やっぱりフルートにはばれています。フルートはちょっと肩をすくめ返しました。

「ここはゼンの山だもの。ゼンに任せておくよ……。それより、きみのほうこそ大丈夫? 平気かい?」

 メールはちょっと口をとがらせました。

「だから、あたいは森歩きは得意なんだってば。エスコートなんか必要ないね」

「そうじゃなくて……ゼンとポポロが一緒でも平気かい、って言ってるんだよ」

 いつも優しいフルートですが、意外なときに、意外なくらいはっきりものをいいます。メールはまた赤くなると、まじまじと相手を見つめてしまいました。フルートは、鎧兜も剣も猟師小屋に置いてきて、今はすっかり普段着姿です。どこにでもいそうな普通の少年に見えるし、とても自分と同い年とは思えないほど小さいのに、そのまなざしだけはまるで大人のようでした。メールの心の底にあるものを見透かそうとしているようです――。

 メールは思わず苦笑して目をそらしました。

「ほぉんと、フルートってば、そんな顔してたってやっぱり男の子なんだから。デリカシーがないよ。そんなの、あからさまに聞くようなことじゃないじゃないか」

 すると、フルートがほほえみ返しました。

「それはお互いさまだと思うな。先にぼくの気持ちを聞いてきたのはきみだもの」

「うーん、それを言われると弱いか」

 メールはまた苦笑いをすると、明るい夕空に目を向けました。

「あたいはさぁ、なんとなく悟っちゃったんだよ。割り切れちゃったんだ」

 と妙にさばさばした口調で言って、意外そうな顔をするフルートに、にやっと笑って見せます。

「ゼンはさ、どうしたってあたいのことを女の子とは見られないんだよね。ま、それも無理ないとは思うんだけどさ。なんたって、あたいは渦王の鬼姫だし」

 ちらっと、声に淋しいものが混じりました。海の民と森の民の間に生まれたこの王女は、負けず嫌いな性格のせいもあって、島では鬼姫と呼ばれて、みんなからずっと敬遠されてきたのです。

 けれども、メールは次の瞬間にはまた明るい口調に戻って続けました。

「でもね、ゼンはこんなあたいを仲間としては信頼してくれてるんだよね。二つの種族の血を引いていて、どっちの種族でもあって、どっちの種族でもないってところも同じだし。そういう意味では、すごくいい友だちでいられてると思うんだ。まあ、確かに喧嘩ばっかりしてるけどさ、でも、あたいたち、これでけっこういい線いってると思うんだよね。好きとか嫌いとか――恋愛とかさ、そういうのとは関係なく、こんなのもあっていいんじゃないかなってね……今ではそう思ってんのさ」

「メール」

 フルートはそう言って、緑の髪の少女を見つめてしまいました。その透きとおった笑顔が切なくて、なんとなく胸が痛くなる想いがします――。

 

 すると、ふいに先のほうでポポロとゼンが声を上げました。ポポロが足をすべらせて転びそうになり、とっさにゼンが支えたのです。思わず顔を見合わせた二人が、次の瞬間、ほっとしたように声をそろえて笑い出します。「ほらポポロ、気をつけて」と言うルルの声や、「足下が暗くなってきてますよ」と言うポチの声も聞こえてきます。

 フルートは、なんとなく胸の詰まるような想いにかられて、思わず目をそらしてしまいました。ゼンはポポロが好きで、ポポロもゼンを嫌いではなくて――フルートとしてもそれでもいいと思っているのですが、やっぱり、どうしようもなく動揺してしまう瞬間があります。

 ふと横を見ると、メールも行く手の人たちから目をそらして、そっぽを向いていました。横顔がこっそり唇をかんでいるのが、フルートのところからは見えます。やっぱりね……とフルートは考えました。人の気持ちというのは、そう簡単に変えられるものではないのです。

 すると、メールが突然顔を上げて、からかうような声を上げました。

「ホントに危なっかしいねぇ、ポポロは。ゼンも嬉しくてぼーっとしてるんじゃないよ。ポポロみたいに軽いのも支えられないようじゃ、ドワーフの怪力が泣くじゃないのさ」

「なんだとぉ?」

 ゼンが本気でむっとした顔つきになりました。ドワーフの少年は、ポポロのことをからかわれると、いつだってむきになるのです。メールは思いっきり馬鹿にするように笑うと、ゼンが怒って走ってきてもいいように大きく飛びのきました。

 とたんに、岩が崩れる音が響いて悲鳴が上がり、メールの姿が藪の中に消えました。

「メール!!」

 フルートは叫びました。藪のすぐわきに崖が隠れていたのです。必死に木の枝をつかもうとする手が、ずるずると崖の下に滑り落ちていくのが見えます。フルートはとっさに飛びついて、細い手首をつかまえました。

「メール、フルート!」

 仲間たちが驚いて声を上げました。ゼンとポチがすぐさま駆けつけようとします。

 けれども、その間にもメールの体はどんどん滑り落ちていきました。フルートの体も半分以上崖の上に乗りだしてしまいます。そこは断崖絶壁の上でした。ほとんど垂直に切り立った岩壁のはるか下の方を、白い泡を立てて谷川が流れています。川筋は険しい岩だらけで、このまま落ちれば、岩にたたきつけられて谷川の急流に巻き込まれてしまいます――。

 フルートは空いている方の手で必死に藪の木をつかむと、力をこめてメールの腕を引きました。ぐっと手応えが返ってきて、体が止まります。

 崖の途中に宙ぶらりんになったメールが、真っ青な顔でフルートを見上げました。岩壁に届かないので、手がかりをつかむことができません。メールの右手をつかむフルートの手だけが命綱でした。

 すると、フルートが言いました。

「じっとしてて。今、引き上げるから」

 その声と同時に、ぐいっとメールの体が上へ移動しました。本当にフルートがメールを引き上げ始めたのです。左腕で藪の木をしっかりつかみながらメールを持ち上げていきます。

「お、おい……?」

 途中まで駆けつけていたゼンが、あっけにとられた顔になっていました。ポチも風の犬に変身するのを忘れて、ぽかんとその様子を見ています。

 小柄なフルートが、自分よりずっと身長のあるメールを、腕一本で引き上げていました。じりじりと崖際に体を起こして、低い姿勢で踏ん張り、崖のすぐ下まで少女を引き寄せてしまいます。

 すると、フルートが鋭い声を上げました。

「えぇいっ!」

 気合いと共に全身の力で引っ張り上げます。とたんに、崖の下からメールが飛び出してきました。フルートは、とっさにその細い体を抱きとめると、そのまま地面に仰向けに倒れました。その上に折り重なるようにメールが落ちてきます。

「ワンワン、メール!」

「メール! フルート!」

 ポチとルルがあわてて駆け寄っていきました。

 フルートは自分の上に乗っている少女を見ました。

「大丈夫? 怪我は?」

「ううん、ないよ……ありがとう……」

 礼を言いながら、メールは呆然とフルートを見つめ続けていました。自分より一回り以上小さなフルートです。体つきだって、ゼンとは違って、決してたくましくはありません。なのに、フルートは力ずくでメールを崖の下から引っ張り上げてしまったのです。

 

 ゼンが近寄ってきました。やはり信じられないものを見る目をしています。

「よく引き上げられたな」

 と低い声で言います。フルートは笑いました。

「だって、メールはすごく軽いもの。ぼくにだって持ち上げられるよ」

 けれども、ゼンにはわかっていました。いくら細身で体重が軽いと言っても、人ひとりを腕の力だけで持ち上げるのは人間には大変なことです。それが自分より大きな相手となればなおさらです。非力ではとてもできないことでした。

 フルートはゼンのような力業はできません。戦いの際には、いつだって剣を使います。けれども、剣を振り回して敵に切りつけ、切り伏せていくのにも、実際にはかなりの力が必要になるのです。しかも、フルートは魔王のような大きな相手と切り結び、その太刀筋を受け止めてこらえたことさえあります。見た目によらない強靱な筋肉の持ち主だということでした。

 メールが、今まで見せたこともない、ちょっとはにかむような表情でフルートを見つめていました。それを見たとたん、ゼンは突然、何とも言えない複雑な気分に襲われました。……ことばにはできません。ただ、本当に形容しがたい気持ちになって絶句してしまいます。

 そして、少し離れたところに立ちすくんでいたポポロもまた、何とも言えない表情をして、フルートとメールを見つめていました。大きな緑の瞳をさらに大きく見開き、やがて、黙ってうつむくと、悲しそうにまばたきをします。そんなポポロを、ルルが振り返って見ていました。

 ポチが、くん、と小さく鼻を鳴らしました。この子犬は、人の感情を匂いで感じ取ることができます。その場を充たす子どもたちの感情が、今までになく入り乱れて複雑になっているのをかぎ取っていたのです。

 すると、フルートが立ち上がって仲間たちに呼びかけました。フルートだけは、感情の匂いが前と少しも変わっていません。

「さあ、早く行こうよ。ぐずぐずしてると、足下がますます見えにくくなるよ。ゼン、目的地まではまだ遠いの?」

「お……おう、もうちょっとだ」

 ゼンが我に返ったように返事をしました。メールも立ち上がり、全員が、先頭に立って歩き出したゼンにまたついていきます。何故だか、もう誰も口をきかなくなっていました。

 ポチはじっとそんな子どもたちを見つめていましたが、やがて、ちょっと首をかしげると、何も言わずに歩き始めました。いくら人のことばを話せても、ポチは犬です。人間のことは人間に任せておくのが一番いい、と賢い子犬は考えたのでした。

 次第に暗くなってきた空に、一番星が光り始めていました。

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