ゼンは北の峰の中ほどにある岩場に立って、腕組みしたまま空を見ていました。彼方を見る瞳は明るい茶色、風に吹かれている短い髪は焦茶色です。足下の少し先は、切り立った崖になっていて、のぞき込むと目がくらむほどはるか下の方を谷川が流れています。落ちたら絶対に助からない危険な場所ですが、ゼンにはまったく気にする様子がありません。ゼンはまだ十三歳ですが、もう一人前の猟師なのです。この北の峰のことなら、危険も気をつけるべきことも、すべて承知していました。
すると、見つめていた空に小さな点が現れました。たちまちこちらへ近づいてきて、一羽の鳥の形に変わります。色とりどりのその姿は、メールの花鳥に違いありません。ゼンは岩場の奥の木立を振り返りました。
「来たぞ」
短く呼びかけた先に、少女と犬がいました。少女は輝く赤い髪をおさげに結って、黒い長い服を着ています。犬の方は子犬と成犬の中間くらいの大きさで、長い茶色の毛並みのところどころに銀色の毛を光らせています。ポポロとルルです。ゼンの声を聞くと、ポポロは口元を両手でおおって不安そうな顔になり、ルルは何故か怒ったように激しく尻尾を振りました。
岩場の上空に花鳥がやってきて、ふわりと舞い下りてきました。背中に乗っていた子どもたちが声を上げます。
「ゼン! ポポロ、ルル――!」
ポチとフルートが次々に花鳥の背中から飛び下り、最後にメールが下りて片手を鳥に差し伸べました。
「ありがと、花たち。もう休んでいいよ」
とたんに、ざあっと雨が降るような音が起こって鳥の姿が崩れ、たくさんの花が地面に落ちました。たちまちその場に根を下ろし、茎や葉を伸ばして、崖一面を花でおおいます。その様子を見て、ゼンがちょっと笑いました。
「ずいぶん綺麗に飾られちまったな。あとで親父たちが面食らうぞ」
ゼンはドワーフには珍しい猟師の家系に生まれています。ゼンの父親は、北の峰の猟師の組頭をしているのでした。
フルートがゼンに駆け寄りました。
「どうしたの? 何があったのさ――!?」
尋ねながら、フルートはふと違和感を感じました。ゼンは小柄でがっしりした体に普段着を着て、弓矢を背負っています。弓矢は狙ったものは絶対に外さない魔法の武器ですし、矢筒も、いくら撃っても中の矢が尽きることがないという魔法の道具です。けれども、ゼンは戦いの時にいつも身につける青い胸当てや盾を装備していませんでした。腰に下げているのも、ショートソードではなく、猟の時に持ち歩く山刀です。
すると、ゼンが腕組みをしたまま、にやっと笑い返してきました。
「別に何もない。事件なんて、何も起こってないぜ」
はぁっ? とフルートとポチとメールは思わずゼンを見つめてしまいました。焦茶色の髪の少年はにやにやと笑い続けています。
すると、奥の木立の中に立っていたポポロが、ふいに謝り始めました。
「ごめんなさい! ごめんなさい! あたし、一大事だって言われたものだから――確かめないで、みんなを呼んじゃって――」
今にも泣き出しそうな顔と声になっています。フルートたちが驚いてそれを見ると、足下のルルが怒った声で言い始めました。
「ポポロのせいじゃないわよ! いきなり、みんなを呼べって言ってきたのはゼンなのよ! いくらポポロがみんなの声を聞けて、みんなに呼びかけられるからって! 非常識にもほどがあるわ!」
フルートはなんとなく状況が飲み込めてきて、あきれて親友を眺めました。
「要するに、ぼくたちを呼び集めるのにポポロを使ったわけだな。一大事が起きた、って言って」
「おう。そう言えば、みんなすぐにすっ飛んでくると思ったからな。案の定、早かったな」
ゼンは全然悪びれる様子がありません。たちまちメールが食ってかかりました。
「なに考えてんだい、ゼンったら! とんでもないことが起きたんじゃないかと思って、真っ青になって飛んできたのにさ! 城では父上と海王が、天空王に呼ばれて出かけていくとこだったんだよ! あたいも一緒に行くはずだったのに!」
「ポポロもそうよ!」
とルルも声を上げました。
「天空王様が貴族たちをお呼びになったから、天空城に飛んでいく最中だったの。でも、ゼンが一大事だなんて言うから、あわてて地上に下りてきたのに――まったくもう!」
怒りん坊のルルは、すっかりおかんむりです。ポポロはというと、事件でもないのに仲間たちに招集をかけてしまった責任を感じて、半べそをかきながら小さくなっていました。
ゼンは肩をすくめました。
「メールもポポロも、おまえらが行かなきゃ困るような用事じゃなかったんだろ? たまにこうやって全員集合したっていいだろうが」
「そのやり方が問題だって言ってるんじゃないのさ! 心臓に悪い呼び出し方するんじゃないよ!」
とメールが負けずに言い返します。ゼンとまともに言い合いができるのは、仲間内ではメールくらいのものです。ゼンが、へっと鼻で笑いました。
「おまえの心臓が、それくらいでどうにかなるほどやわなもんか。しおらしい真似してんじゃねえよ」
とたんに、メールはかっとなりました。
「なんだってぇ!? しおらしい真似ってどういう意味さ! あたいがしおらしくないってでも――」
「しおらしいつもりだったのか? そりゃ初耳だな」
「ゼン、あんた、あたいに喧嘩売ってんの!?」
「おお、売ってる売ってる。これ以上ぐだぐだ文句言うなら、とっとと西の大海に帰りやがれ。別に引き止めねえぞ」
メールはますます赤くなっていきり立ちました。売りことばに買いことばで、怒って本当に帰ろうとします。
「花たち――!」
と花鳥を作るために声を上げます。
すると、ゼンが急に渋い顔に変わりました。頭をかき、溜息をつくと、少女たちに向かってまた肩をすくめます。
「ったく、真面目すぎるんだよな、おまえらは……。ああでも言わなきゃ、みんなすぐに集まらなかったじゃねえか。いいか。俺たちは事件が起こるまで集まっちゃいけない、なんて誰にも言われてねえんだぞ。会いたきゃ、こうして会ってかまわないんだ。勇者の一行とかなんとか、そんなもんは全然関係ねえんだよ」
メールも他の少女たちも、思わずゼンを見つめてしまいました。いつも元気なこの少年が、何故だかちょっと淋しそうな顔をしたように感じたのです。
すると、フルートが急に、くすりと笑いました。
「同感だな。ぼくたちだって、たまには遊ぶために集まってもいいよね。それくらいしたって、罰は当たらないと思うな」
他でもないフルートがゼンに賛同したので、他の仲間たちはびっくりしました。一番そんなことを言いそうにないように見えるのに……。
すると、ポチも笑うような声で言いました。
「ワン、フルートのお父さんが言っていたんですよ。もっと遊べって。遊ぶのだって、ぼくたちの仕事だよ、って。だから、どうやってみんなに会いに行こうか、ってフルートと話していたところだったんです」
「ゼンのおかげで手間が省けたよ。みんなと一度に会えたしね」
とフルートが笑顔で続けます。ゼンは感心したように腕組みしました。
「相変わらず理解あるよなぁ、おまえの親父さん。大したもんだ」
「ありがとう。――で、何を企んでるのさ、ゼン?」
とフルートは笑いながら尋ねました。親友が何かを計画して自分たちを呼び出したのだと気がついていたのです。ゼンは、にやりと笑い返しました。
「ま、夜まで待てって。楽しみはとっとくもんだぜ」
とたんに、少女たちは好奇心をそそられました。
「え、なに? なにがあるってのさ!?」
「夜に何かをしようって言うの?」
「それで、みんなを急いで集めたの……?」
ゼンを取り囲んで、口々に尋ねてきます。ゼンはまた肩をすくめて親友のほうを見ました。
「これだ。ったく、現金なもんだぜ」
フルートはますます笑い顔になると、仲間たちに呼びかけました。
「ゼンの言うとおりさ。楽しみは先に取っておこうよ。それより今は――」
フルートは金の兜を脱ぐと、仲間たちの顔をひとりずつ見回しました。ゼン、メール、ポポロ、ルルの三人と一匹が目の前に勢揃いしています。
「またこうしてみんなに会えたのが、すごく嬉しいな。ずっと会いたかったんだよ。こんなに早くみんなに会えて最高さ!」
青い瞳が輝きながら仲間を見つめていました。その喜び方があまりにも素直だったので、みんなは思わず面くらって顔を赤らめました。なんとなく、フルートの雰囲気が以前とは少し違っている気がします……。
ゼンが照れたように頬をかきながら言いました。
「ま、そういうことなんだよな。この近くの猟師小屋を使っていいことになってるんだ。夕飯も、もうだいたいできてる。みんなで飯を食って、夕方になったら出かけようぜ」
とたんに、少女たちがまたいっせいに叫びだしました。
「だから、どこへ行くってのさ、ゼン!」
「もったいぶらないで教えてちょうだい!」
「なにがあるの、ゼン……!?」
ゼンとフルートは声を上げて笑い出しました。ポチも、ワンワンと明るい声で吠えます。とうとう、少女たちもつられて笑い出し、山の岩場は笑い声でいっぱいになりました。
ゼンが手招きして歩き出しました。
「来いよ、猟師小屋に案内してやる。夕飯は鹿肉のステーキとクランベリーのパイだぜ」
「すっごい!」
「ご馳走だね!」
子どもたちは歓声を上げると、ゼンの後について山の中へと入っていきました。夏の太陽は西の空に大きく傾いていましたが、日差しはまだまだ明るく、山の木立の間にまで差し込んで、子どもたちの足下から林の中へ長く影を伸ばしていました。