「結局、ポポロ様はご自身の魔力を本当に恐れられていたのでしょうね」
濃い緑の植物におおわれた中庭で、石のベンチに座って、銀髪の占い師が話していました。ここは、ハルマスの街のゴーリスの別荘です。無事にそこまで戻ってきたフルートは、ベンチの前に立って、静かに話を聞いていました。そのかたわらにはゴーリスも並んで立っていて、やはり黙ってユギルの話を聞いています。ユギルの声は淡々としていました。
「わたくしは詳しくは存じませんが、ポポロ様はずっと、ご自分の魔力のことでつらい思いをされていたのではありませんか? 強すぎる力を持つ者は、えてして、その力のせいで周囲から疎まれるものです……。ポポロ様は、ご自分の魔力を封じることを継続の石に願ったとき、おそらく、そのつらい思い出の数々も一緒に忘れてしまいたい、と願われたのです。それで、一切の記憶をなくしてしまわれたのでしょう」
フルートは黙ってうなずき返しました。それは、とても心当たりのあることでした。小さくて心優しいポポロ。彼女はいつだって、強力すぎる自分の魔力に振り回されて、深く傷ついてきたのです。
別荘の中庭は静かでした。緑の植物の間から、銀に輝くリーリス湖と青くそびえるデセラール山が見えています。あれほど激しい戦いがあったことなど、信じられないような穏やかさです。その景色を背景に、銀髪の占い師は話し続けていました。
「継続の石は、一つの願い、一つの出来事を永久に継続させる力を持っています。それは、石自身の寿命が尽きるか、石の力を上回る、まったく正反対の力に会わなければ、壊れることがありませんでした。ポポロ様は、ご自分の魔法と記憶を忘れてしまうことを願われた。それは、ポポロ様にとっては、本当に深い強い願いだった。けれども、それと正反対の願いが上回ったとき――つまり、勇者殿たちをご自分の魔法で救いたい、皆様の記憶を取り戻したい、と心の底から強く願ったとき、継続の石は砕けて散ったのです」
そう言って、ユギルはフルートを見上げました。鎧を脱いで普段着姿になった少年は、驚いたような表情をしていました。
「結局、それが石に対抗する、正反対の力だったってことですか? ぼくたちを自分の魔法で助けたい、って思うことが?」「そういうことです」
とユギルがうなずきます。
フルートは何も言えなくなりました。そもそもポポロが魔法を忘れたのは、フルートを自分の魔法から守り、ルルを助け出しに行くためでした。けれども、その力に打ち勝つものもまた、同じ仲間たちを想う心だったのです。
すると、フルートのかたわらに立っていたゴーリスが、静かに口を開きました。
「デビルドラゴンとの対決は、本当に激しかったようだな……。おまえは危うくまた死にかけたんだろう。違うか?」
ハルマスのゴーリスの別荘まで戻ってきたとき、子どもたちはもう怪我一つなく、元気な様子でいました。けれども、彼らが脱ぎ捨てた服にはおびただしい血の痕があり、特に、フルートの服は、これでよく命があったものだとおもうほど血に染まっていたのでした。子どもたちは地下の迷宮での出来事や最後の決戦については何も語りません。一緒に付き添ってきた、オーダという名の黒い戦士も、詳しいことは何も話しません。それでも、ゴーリスやユギルたちには、子どもたちが想像を絶する経験をくぐり抜けて生還してきたのだとわかったのでした。
フルートはゴーリスを見上げました。死にかけたのだろう? という質問には、そうだとも違うとも答えずに、ただ、ほんの少しほほえむ顔でこう言いました。
「ポポロは、本当にぼくたちの切り札なんだよ。……いつだってそうなんだ。必ず、彼女がぼくたちを助けてくれるんだよ」 ゴーリスは思わず苦笑いをすると、愛弟子の金髪の頭をくしゃくしゃにしました。
「あんまり心配させるな――と言いたいところだが、金の石の勇者には、そんなことを言っても無駄か。まったく、おまえのご両親の気苦労が知れるぞ!」
空を流れる雲が太陽の前を横切り、庭が一瞬薄暗くなりました。はっと反射的にそれを見上げたフルートは、雲が切れてまた太陽が輝き出すのを見ると、遠い目と声になって言いました。
「デビルドラゴンは、ポポロの光の魔法と金の石の光の中で消えていきました。ぼくたちは、あれに打ち勝ったんでしょうか……?」
期待するような――けれども、きっと、そうではないのだろう、と悟ってしまっているような声でした。ユギルは静かに答えました。
「わたくしの占盤は壊れてしまったので、今は簡単な占いしか行えません。ですから、はっきりとは見えないのですが……デビルドラゴンの影は、今もやっぱり世界を漂っているようです。勇者殿たちの光の魔法によって、ずっと小さく弱々しくなってしまいましたが、それでも、やっぱりまだ存在し続けているのです……」
それは、彼らの戦いがまだこの後も続いていくということでした。フルートはただ、黙ってうなずきました。ひとりきりならば不安でつらい戦いかもしれません。でも、フルートには、一緒に戦ってくれる仲間たちがいるのです……。
すると、その仲間の筆頭のゼンが、中庭に入ってきました。木陰のベンチに人々を見つけると、近づいてきてフルートを指さします。
「ちょっとこいつを借りていいか? 話があるんだ」
ゼンはいつになく真剣な声と顔をしていました。
二人の大人は目を見かわして一瞬意味ありげな表情をすると、すぐにうなずき返しました。
「どうぞごゆっくり。わたくしの話はすみましたから」
とユギルが立ち上がり、ゴーリスと連れだって屋敷に戻っていきます。中庭にはゼンとフルートだけが残りました。
「なに、話って?」
改まってそんなことを言うゼンに、フルートはちょっと緊張しながら尋ねました。ゼンは一瞬口ごもってから、はっきりと言いました。
「ポポロのことだ」
案の定でした。
フルートは思わず視線をゼンから外し、ちょっと迷うような表情をしてから、また友人の顔を見つめ直しました。
「それで?」
と聞き返します。
ゼンはおもむろに腕組みをしました。そうして目の前に立つドワーフの少年は、本当にフルートとほとんど同じ背丈をしています。視線の高さは、どちらが上でも下でもありません。
「俺はポポロが好きだ。で、おまえもやっぱりポポロが好きだ。これはお互いもうわかっちまってるよな」
とゼンが何のためらいもなくそう言い切ったので、フルートは思わず面くらいました。また視線を外しそうになって、あわててゼンを見つめ直し、黙ってうなずき返します。
「で、だ」
とゼンが続けました。
「おまえはどう思ってるか知らないが、俺はこれでもけっこうマジなんだよな。あいつが本気で好きだ。だから、いくら相手がおまえでも、あいつを譲ろう、なんて気にはなれない。そこんとこだけは、はっきりさせておこうと思ってな」
フルートの顔が曇りました。また、ひとりの少女を巡ってゼンとぎくしゃくしてしまうのではないか、と不安になります。もう、あんな想いをするのは二度とごめんです……。
すると、そんな友人の表情を見て、ドワーフの少年は、にやりと笑いました。
「だから、な、おまえも遠慮なくあいつを好きでいりゃいいんだよ。おまえだってマジなんだろ。なら、おまえだって、あいつにアタックして全然かまわないわけだ。――俺とおまえは、条件的にはまったく同じだもんな」
フルートは目を丸くして友人を見つめてしまいました。なんだか、ゼンがこんなことを言うなんて信じられない気がします。見つめ返してくるゼンの目は、強くてまっすぐでした。
やがて、フルートはかすかにほほえむような顔になって言いました。
「ぼくは……君にポポロを任せようかと考えてたよ。ポポロを頼む、ってずっと言おうと思ってた――」
とたんに、ゼンが顔つきを変えました。かっと赤くなり、いきなりフルートの服の襟元をつかんでどなります。
「馬鹿にすんな!! そんなことしてみろ! 本気でぶん殴って、絶交してやるからな!」
と本当に拳を握ります。フルートはまた目をまん丸にすると、今度は、もっとはっきりとほほえみました。
「うん、しないよ……。だって、できないもの。ずっと、そう言おうと思っていたけど、結局やっぱり言えなかったんだもの……」
ゼンが意外そうな顔になりました。そんな親友に、フルートはほほえみ続けながら言いました。
「ねえ、ゼン……ぼくたちは間違ってたかもしれないよね。どっちがポポロを取るとか、譲るとか、そういうことじゃなかったんだよ。ポポロの気持ちは、ポポロ自身のものだ。だから、彼女がぼくたちのどっちを選ぶかは、彼女自身が決めることだったんだよ――」
ゼンはますます驚いた表情になると、ふいに、ちぇっとつぶやいて友人を放り投げました。
「ホント、おまえって言うことがいちいち格好よすぎるんだよな。優等生のセリフだぞ。もうちょっと、こう、がむしゃらってか、本気出してみろよ。かっこ悪くてもかまわないだろうが」
「そう?」
とフルートは答えました。今はもう、はっきりと笑い顔になっています。
「これでもけっこう本気で言ってるつもりなんだけどな……。選ぶのはポポロ自身だ。こんなぼくだって、もしかしたらポポロは選んでくれるかもしれない。だから、それまではぼくも絶対にあきらめない――そういう意味なんだよ」
「こんなぼくだって、だとぉ?」
ゼンはあきれてフルートを見つめてしまいました。
「おまえ、それ、すさまじい冗談にしか聞こえないぞ。だいたい、おまえはなぁ――」
と言いかけて、ゼンは親友が本気で不思議そうな顔をしているのに気がつき、たちまち苦笑いになりました。本当に、自分自身のことはよく見えていないフルートです。
「……ま、いいか。そう考えるようになっただけでも、おまえにしちゃ上出来だもんな」
と、ゼンはどこかで言ったようなセリフをまた繰り返しました。
すると、フルートが急に真剣な顔になって考え込みました。
「でもさ、もしかすると、ポポロがぼくでも君でもない、別な誰かを選ぶって可能性だってあるよね。天空の国の誰かとか……」
「馬鹿野郎! 縁起でもないことを言うな!」
フルートは、たちまちゼンに頭を殴られてしまいました――。