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第4巻「闇の声の戦い」

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67.囚われ人

 デビルドラゴンから伸びる触手に絡みつかれ、体中を貫かれて、フルートは身動きができなくなっていました。

 金の石はもうフルートの元にはありません。闇の触手に取り上げられ、影の体の中に飲み込まれてしまいました。闇のものは金の石を恐れますが、さすがに総大将のデビルドラゴンは、聖なる石にもまったく動じなかったのです。

 触手が貫いたはずの鎧には、傷はひとつもついていません。魔法の鎧は金に輝き続けています。けれども、フルートの体のほうはそういうわけにはいきませんでした。いたるところを深く突き刺され、傷口から血があふれ続けています。金の石がないので、傷は癒えることがなく、激しい痛みも続いています。それでも、フルートはまだ死んでいませんでした。デビルドラゴンが、巧みに致命傷を避けていたからです。

 痛みと出血で意識がもうろうとしているフルートに、闇の声が話しかけていました。

「ドウダ、ふるーと。死ンデイコウトスル気持チハ? コノママデハ、オマエノ命ハ、アトイクラモ持タナイ。早ク私ヲ呼バナケレバ、手遅レニナッテシマウゾ」

 どこかあざ笑うような響きを含んだ声でした。それと同時に、また新しい触手が突き刺さってきて、激しい痛みが全身を貫きます。一瞬息が止まり、次の瞬間、咳と共に大量の血を口から吐きます。また呼吸ができなくなって、フルートはのたうちました――

 闇の声が笑うように話し続けています。

「痛イダロウ? 苦シイダロウ? コレガ断末魔ノ苦シミトイウモノダ。コノ世ノ中ニ、コレ以上ノ苦痛ハ存在シナイ。命ガ肉体カラ引キハガサレテイク痛ミナノダ。コノ苦シミカラ逃レルタメニナラ、人ハ何デモスル。ドンナ聖人モ、ソノ仮面ヲ脱ギ、己ノ本性ヲ見セル。他人ヲ引キズリ下ロシ、自分ノ身代ワリにシテデモ、自分ハ助カロウトスルノダ。――ソレハ、オマエモ同ジコトダ、ふるーと。コノ状況デナオ、人々ノタメニ、私ヲ呼バナイデイラレルハズガナイ」

 意識はもうろうとしているのに、不思議とデビルドラゴンの声だけは、はっきりと聞こえ続けていました。痛みも苦しみも、いつまでも鮮やかに続いています。気を失って苦痛から逃れることができません。

 ようやくのことで、ほんの少し息をつぐことができました。血まみれの唇で、フルートはかすかにつぶやきました。声にはなりません。それでも、少年はドラゴンに向かって答えていました。

「いやだ……絶対に……呼ぶもんか……」

 また数本の触手がいっせいにフルートを突き刺します。少年が激痛に身震いします。もう悲鳴も上げられません。

 それでも、少年は守り続けていました。目には見えない自分の意志というものを、闇のドラゴンに明け渡すまいと、固く固く守り続けていました――。

 

「うわぁっ――!!」

 デビルドラゴンの闇の息をまともに食らって、ゼンとメールが悲鳴を上げました。すべての命を奪っていく黒い霧が、花鳥と彼らを襲います。

 ――と、突然、花鳥の体の中から何かが飛び出していきました。弾丸のように飛びたち、闇の息に会ったとたん、激しく輝きます。目もくらむ白い輝きが花鳥とドラゴンの間に広がります。

 思わず目をつぶったゼンとメールが再び目を開いたとき、闇の息は白い輝きと共に消え去っていました。

 ゼンは目をぱちくりさせてあたりを眺めました。デビルドラゴンは相変わらず行く手の空に浮かんで、体から伸びた触手にフルートをとらえています。けれども、ドラゴンが彼らに向かって吹きかけた闇の息は、まるで何かが一瞬で消し去ったように、どこにも見えなくなっていました。

 と、ドラゴンがまた口を開けて、闇の息を吹きかけようとしてきました。メールは大急ぎで、息が届かないほど上空まで花鳥を舞い上がらせました。

「な、なんだったんだ、今のは……?」

 ゼンが驚いていると、彼らを乗せた花鳥が、キィーッと鋭い声を上げました。とたんに、メールが驚いて言いました。

「守りの花だって? まさか!」

「また守りの花を使ってたのか?」

 とゼンが聞き返します。守りの花は、白いユリに似た花です。エルフの隠れ家でも、ハルマスのゴーリスの別荘でも、子どもたちを闇から守ってくれました。

 メールはあわてていました。

「で、でも、変だよ……。あたいが連れてきた花の中に、守りの花なんてなかったんだよ! いったいどこから来たって言うのさ――?」

 ゼンとメールは思わず顔を見合わせ、それから、同時にデセラール山を振り返りました。メールは、ハルマスから連れてきた花を一度、山で花畑に戻しました。その後、洞窟を脱出したときに、もう一度呼びかけて花鳥の姿にしたのですが、そのときに、山に咲いていた聖なる花が声を聞きつけて、メールも気がつかないうちに参戦していたのでした。

「花鳥の中には守りの花が混じっているんだな。あとどのくらいある?」

 とゼンが尋ねました。

 メールは花鳥に問いかけ、困惑したように答えました。

「あと三輪……少ないよね」

 けれども、ゼンは眼下のドラゴンを見下ろしながら言いました。

「いいや、ヤツの息を二度かわせたら、それで充分だ……。だが危険だぞ、メール。一緒に行けるか?」

 茶色の瞳が、真剣に少女を見つめてきました。決心を問う目です。メールは驚き、それから、おもむろに、にやりと笑い返しました。あまり女の子らしくない笑い方です。

「あたいを誰だと思ってんのさ。渦王の鬼姫だよ。洞窟の中でさえなきゃ、あたいには怖いものなんかないんだよ」

 それを聞いて、ゼンも、にやっと笑い返しました。

「上等だ。よし、メール、守りの花を一本俺に貸せ。聖なる矢を作ってやる」

 メールは目を丸くし、すぐに言われたとおり、一輪の守りの花を呼び寄せました。それは本当にユリによく似た花でした。ゼンが背中の矢筒からエルフの矢を一本取り出します。

「こいつにその花をしがみつかせられるか? 闇の息をかわしたら、フルートを捕まえてるデビルドラゴンに、この花をたたき込んでやる」

 メールは、また驚いた顔になり、すぐにうなずきました。

「なぁるほどね。けっこう頭いいじゃん、ゼン」

「ちぇ、見くびるな。俺はこう見えても一流の猟師だぞ」

 わざと顔をしかめて見せながら、ゼンが矢を目の前にかざします。メールが短く呪文を唱えると、守りの花からするすると長い茎が伸び始め、細い蛇のように矢に絡みついていきました。

「でも、これってちょっと飛びにくそうだよね。重そうだし」

 白い花が先に咲いた矢は、細く長いラッパのようにも見えます。ゼンがうなずき返します。

「だから、できるだけフルートに近づかなくちゃならねえんだ。覚悟を決めとけよ」

 とたんに、メールが声を上げて笑いました。

「だから、あたいを誰だと思ってんのさ! 行くよ、ゼン! フルートを助けよう!」

 ひゅうっと風を切って、花鳥が急降下を始めました。彼らの下で羽ばたいている影のドラゴン目がけて、まっしぐらに迫り始めます――。

 

 みるみるうちに、デビルドラゴンが近づいてきました。巨大な体が視界いっぱいにまで広がってきます。その背中から伸びた太い触手が、フルートの体に絡みつき、細い触手が何本も鎧の上から少年を突き刺しています。

 メールが思わず短い悲鳴を上げました。ゼンも咽の奥で怒りの声を上げました。

「よくもやりゃあがったな……」

 メールが青ざめます。

「ねえ――フルートは金の石をつけてないよ!」

 ゼンは、もっと大きくうなりました。エルフの弓を構え、聖なる花をつけた矢をつがえて仁王立ちになります。

「近づけ、メール! 思い切りそばまで近づくんだ!」

 メールは花鳥をいっそう速く降下させました。とらわれているフルートに近づこうとします。

 すると、影のドラゴンが長い首をねじって、彼らに向かって口を開きました。真っ黒な霧の息が吹き出してきます。

 とたんに、花鳥の中からまた守りの花が弾丸のように飛び出していきました。黒い霧の真ん中に飛び込んで、白い輝きに変わります。闇の息が一瞬で消えます――

「行け!」

 ゼンはどなり続けました。

「ためらうな! そのまま行け!」

「誰がためらうって!? 馬鹿も休み休み言いなよ!」

 メールが負けずに言い返しながら、さらに花鳥を速めます。そこへ二度目の闇の息が吐き出されてきました。また守りの花が飛び出して、子どもたちを守ります。これで、鳥の中の聖なる花は尽きました。けれども、触手にとらわれたフルートは、もう目の前でした。

 ゼンとメールは、思わずまた息を呑みました。

 フルートは全身血まみれになっていました。鎧には傷ひとつついていないのに、その隙間から紅い血があふれ流れ出しています。想像していた以上の深手を負っているのです。

「フルート!!」

 メールが叫ぶと、その声にフルートが目を開けました。その顔も血に染まって真っ赤です。

 それでも、少年は近づいてくる仲間たちを認めると、目を見張りました。まだ目は見えているのです。そして――フルートは、ほほえみました。それは苦痛に歪んだ笑顔でしたが、それでも、そこに込められた信頼を、仲間たちははっきりと見て取りました。

 ゼンが、闇の触手に向かって矢を放ちました。細い矢は、白い花をしがみつかせたまま、まっすぐ黒い腕へ飛んでいきます。

 そして――

 

 強い輝きがまた照り渡って、フルートをとらえていた触手が一瞬で消えました。細い触手も光に巻き込まれてちぎれていきます。雷鳴のようなデビルドラゴンの声が響き渡ります。

 フルートの体が宙に放り出され、そのまま、まっすぐ地上へ落ち始めました。

「追いかけろ!」

 とゼンがどなり、メールは花鳥でフルートを追いました。鳥の背中にフルートを拾い上げようとします。

 すると、そこへ闇のドラゴンがまた首を伸ばしました。大きく口を開けて、花鳥目がけて闇の息を吐き出します。

 聖なる守りの花は、もうありませんでした――。

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