「勇者フルートの冒険」シリーズのタイトルロゴ

第4巻「闇の声の戦い」

前のページ

61.出口

 通路の真ん中に立ちすくんで、メールは悲鳴を上げ続けていました。どこからともなく、すさまじい音が響いてきます。それはまるで何かが吠え狂う声のようでした。声が響き渡るたびに、トンネルの肉色の壁は黒く溶け落ちていって、むき出しになった岩肌にひびが走ります。通路がみるみるうちに崩れ始めます。

 ゼンがメールの手を引きながらどなっていました。

「馬鹿、こんなところで立ち止まるな! 走れ!」

 けれども、メールは恐怖にとらわれて身動きすることができません。今にも崩れ落ちそうで怖かった洞窟。それが現実に今、目の前で崩れようとしています。メールたちを生き埋めにして、押しつぶそうとしています。

 ゼンがまた何かをどなってきました。メールは金切り声を上げました。

「こ――ここは崩れないって言ったじゃないのさ! 嘘つきぃ!」

 今さらそんなことを言ってもしかたないのに、ゼンに向かってわめいてしまいます。

 すると、少年が怒ったような声を上げました。こいつはもう! と、どなったような気がします。

 と、次の瞬間、メールの体がふわりと持ち上げられました。力強い腕に抱きかかえられています。ゼンがメールの細い体を横抱きにしたのでした。

 驚いて声も出なくなったメールに、ゼンが言いました。

「よぉし、そのまま静かにしてろ。しっかりつかまってろよ。走るぞ」

「で、でも、ゼン――あんた、出口の場所がわかるの!?」

 とメールは思わず聞き返しました。魔法で別の場所に飛ばされてきた彼らです。自分たちがいる場所は、全然見当がつきません。

 走り出そうとしていたゼンは、思わず足踏みをすると、つまらなそうに腕の中のメールを見ました。

「おまえなぁ、そんなこと言ってる場合かよ。とにかく逃げるんだよ。俺はこんなでもドワーフだぞ。地下で生きてきたドワーフの勘を信じろよ!」

 そう言うなり、ゼンは走り出しました。メールの重さなどまるで感じない様子で、通路を先へ先へと走っていきます。その周りで肉色の壁が腐り落ち、もろくなった岩壁がどんどん崩れてきます。落ちてくる岩を避けながら、ゼンは走り続けました。自分自身の中の直感を信じながら、出口を目ざします――。

 

「ワンワンワン! フルート! ポポロ――!」

 白い子犬が吠えながら通路の横道を駆けてきました。その周囲にも、大小の岩が次々に落ちかかってきます。ルルの先導でポポロと走っていたフルートは歓声を上げました。

「ポチ!」

 子犬が尻尾を振りながら駆け寄ってきました。

「ワン、良かった、合流できた! 道を戻ってきたらフルートたちの匂いがしたものだから!」

 ポチは首から血を流して白い毛並みを紅く染めていました。ルルと戦ったときに負った傷です。フルートがあわてて金の石で治療しようとすると、ポチが言いました。

「後でいいです、大丈夫だから。今は早く逃げないと――!」

 彼らの周りの岩壁には、どんどんひびが広がっています。ドラゴンの咆哮は、地震のように山を揺るがし続けています。ポチはそのまま先に走り出ると、先頭に立っているルルに並びました。

 茶色の毛並みのルルは、走りながら、すまなそうにポチを見ました。ルルが負わせた首の傷からは、まだ血が流れ続けています。実はその怪我のせいで、ポチは風の犬に変身できなくなって、自分の足で走っていたのでした。出血の量が多いので、時々足下がふらついて転びそうになります。けれども、そのたびにポチは体制を立て直して、また走り続けました。

 ルルが声を震わせました。

「ポチ……ごめんなさい……」

 すると、ポチは笑うような声を出しました。

「ワン、大丈夫ですよ。ルルが戻ってきたんだもの。ぼくは、それだけでもう元気なんですよ」

「ポチ……」

 ルルは驚いたように、自分より二回りも小さな子犬を見つめてしまいました。自分よりいくつも年下のはずなのに、なんだか、ずっと大人な相手と話しているような気がしたのです。

 

 すると、ポチがふいに後ろを振り返りました。

「来る! すごく大きなものが追いかけてくる気配がしますよ!」

 フルートたちは、はっとしました。影のデビルドラゴンが彼らを追ってきたのに違いありません。

「走れ! とにかく走れ!」

 フルートはポポロの手を引いて走りながら、そう叫び続けました。

 迷宮の奥から邪悪な気配が迫っていました。彼らが走り抜けてきた通路が、音を立てて崩れ落ち、つぶれていくのが聞こえます。それは、デビルドラゴンが彼らを追いかけてくる音そのものでした。

 突然、子どもたちの周りで悲鳴が上がりました。腐って崩れ落ちていく肉の壁が、いたるところで盛り上がり、そこから小さな人の頭のようなものが突き出てきます。目も鼻もない顔の中で、裂けたような口だけが大きく開いて泣き声を上げています。無数の肉坊主たちが、崩れる壁から抜け出すことができなくて、悲鳴を上げ続けていました。赤ん坊の大きな泣き声にそっくりです。

 ポポロが悲鳴を上げて、片手で自分の耳をふさぎました。フルートもつらそうに顔をしかめながら、それでも少女の手をつかんで走り続けました。闇の力で作られた生きた洞窟。そこにとらわれている闇の生命たちを助ける方法を、フルートは持ちません。泣き声は死にものぐるいで助けを求め続けています。生きた壁の中から小さな手を突きだして、すがりつくように精一杯に伸ばしてきます。けれども、彼らが闇にある限り、フルートにはどうしても彼らを救うことはできないのです――。

 

 すると、かたわらから、こんな声が聞こえてきました。

「まぁた何とか助けたいとか考えてやがるな、この馬鹿は」

 フルートは驚いてそちらを見ました。自分たちと並んで、メールを抱きかかえたゼンが走っていました。あきれた顔でフルートを眺めています。

「あいつらは怪物なんだ、って何度言えばわかるんだよ。もっと急げ! ここももうじき崩れてくるぞ」

「ゼン」

 フルートは目を丸くしました。ポポロも歓声を上げました。

「ゼン! メール!」

 ゼンは直感のままに迷宮を走って、見事に出口へ向かうフルートたちと合流したのでした。

 とたんに、メールがゼンの腕の中でもがき始めました。

「下ろして! 下ろしとくれよ! もう自分で走れるってば……!」

 さすがに仲間たちの前では、ゼンに抱きかかえられているのが恥ずかしくなったのです。ところが、とたんにゼンにどなられました。

「うるせぇ!! そのままじっとしてやがれ!」

 花使いの姫はその迫力に負けて、思わずまたおとなしくなってしまいました。そんなメールを、ゼンは空気のように軽々と運び、気がかりそうに振り返ってきたルルに向かって、にやりと笑い返しました。

「よう、戻ってきたな。あんまり心配させるなよな」

 ルルは驚いて、とまどったようにまた前に向き直りました。そのまま出口を目ざして走り続けます。すると、並んで走るポチが、ふと優しい目になりました。ルルから、とても暖かい匂いがしてきたからです。ルルは走りながら泣いていました。それは嬉し涙の匂いでした――。

 

 洞窟は腐り、崩れ落ちてきます。追ってくる音は激しくなり、通路が何度も大揺れに揺れます。赤ん坊のような泣き声が洞窟中に響き渡っています。

「おい、ここの入り口はむき出しの岩場だったよな。くぐれるかな」

 とゼンがフルートに話しかけてきました。フルートも同じことを考えていました。迷宮の入り口は赤い灯り石の通路と細く入り組んだ溶岩の洞窟になっていたのです。こんなに急速に崩れてくる中、あそこを無事に通り抜けられるかどうかわかりません。

 すると、先を走るルルが言いました。

「あれは迷宮を隠すための入り口だったの。別に、本当の出口があるわ」

 そう言う間にも、また天井が崩れてきます。ガラガラと音を立てて岩が子どもたちの上に降りかかってきます。

 とたんに、フルートが叫びました。

「金の石――!」

 たちまち澄んだ金色の光が彼らを包み、落ちてくる大小の岩を跳ね返しました。光の障壁です。フルートは走りながら言いました。

「光から出ないで! 行く手をふさがれないうちに脱出しよう!」

 洞窟が崩れるスピードは、ますます速くなってきます。まだ赤く血が通っている生きた壁を突き破って、岩が落ちてきます。いたるところで肉坊主たちが悲鳴を上げ、岩に押しつぶされて泣き声を上げていました。洞窟中に赤ん坊の声がいっぱいに響きます。

 すると、ふいにその声がひとつになりました。無数の肉坊主たちが声をそろえて、ほぎゃあ、ほぎゃあ、と泣き出します。

 子どもたちは驚いて、思わずあたりを見回してしまいました。覚えてはいませんが、それは、自分たちが母の胎内から生まれてきた時に、この世界に高らかに上げた産声そのものでした。

 先頭を走るルルが声を上げました。

「見えてきたわ!」

 行く手に光がありました。血の色の道の果てに、明るい出口が見えています。ルルとポチは、ポポロと手をつないだフルートは、メールを抱きかかえたゼンは、必死で走り続けました。出口に向かって。光に向かって。赤ん坊の産声は、ますます高く響き渡ります。そして――

 子どもたちは迷宮の外に飛び出しました。勢いあまって草におおわれた土の上に転がります。

 そのとたん、彼らの後ろで洞窟が崩れ落ちました。岩と土が落ち、地響きを立てて通路がつぶれていきます。その中に、ひとつの声が高く高く響き渡りました。

 ほぎゃあぁぁぁ……

 

 そして、それっきり、声は聞こえなくなりました。ただ、山の地下で洞窟が崩れつぶれていく音と地響きだけが続きます。山は何度も大揺れに揺れました。

 子どもたちは顔を見合わせました。土埃と汗に汚れた顔ですが、誰も怪我はありません。ただ、ポチだけが首から血を流し続けていましたが、フルートが首からペンダントを外して石を押し当てると、あっという間にその傷も消えていきました。

 子どもたちの上に笑顔が弾けました。声を上げて笑いながら、お互いに抱き合い、肩をたたき合って喜びます。彼らは生きています。生きて、無事に迷宮から脱出することができたのです。

「ルル!」

 フルートが茶色の犬を呼びました。ひとり、少しとまどった様子をしていた彼女を、また強く両手に抱きしめます。

「やったよ、ルル! 助かったよ! 助かったんだよ!」

 犬の少女の目に、また涙が浮かびました。泣きながらフルートに体をすり寄せます。

「フルート……! フルート、フルート……」

 ことばにならずにただ名前だけを繰り返すルルを、他の仲間たちはほほえみながら見つめました。暖かいものが心に通い合います――。

 

 ところがその時、地響きの続く山から、ふいに真っ黒なものが空に舞い上がりました。

 それは空一面を黒雲のように暗く染め、みるみるうちに、巨大な影に変わっていきました。長い蛇のような首と頭、空をおおわんばかりの大きな四枚の翼……

 デビルドラゴンが、デセラール山の迷宮から抜け出して、上空に姿を現したのでした。

素材提供素材サイト「スターダスト」へのリンク