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第4巻「闇の声の戦い」

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57.ミノタウロス

 風の犬のポチとルルが、かみつき合って遠ざかっていった後、フルートは立ちつくしてしまいました。彼らが戦う風のうなりが、あっという間にトンネルの彼方に聞こえなくなっていきます。迷宮は、デセラール山の地下に、本当に巨大に広がっているのです。

 フルートは唇をかみました。ポチたちの後を追っても無駄です。風の犬の飛翔に、人間のフルートがついていくことはできません。それならば、自分がするべきことは――

 フルートは強いまなざしをトンネルの彼方に向けました。大きな声で呼びます。

「ポポロ! ポポロ――!」

 やっぱり返事はありません。けれども、心の中に、声にならない何かが聞こえるような気がしました。誰かが自分を呼び続けています。迷宮の奥深くから、ずっと、手を伸ばして呼んでいるのが感じられます。

 フルートはただ、その聞こえない声に全身の感覚を集中させて歩き出しました。他には何も見ません。何も聞きません。ただひたすら、自分を呼び続ける「それ」に向かっていきます。

 うごめく壁が、次第に狭く細くなっていきます。小柄なフルートがくぐり抜けるのもやっとなくらいに迫ってきて、少年をとらえようとします。フルートは背中から炎の剣を抜くと、鋭く行く手に振りました。炎の弾が飛び出して、行く手をふさぐ肉の壁を焼き尽くします。その後にまた、ぽっかりとトンネルが口を開けます。

 

 すると、ひゅっと風の音がして、目の前にルルが現れました。真っ黒な風の犬の姿です。白い風の犬は見あたりません。

 ポチはどうしたの!? とフルートが聞くより先に、ルルが叫びました。

「ドウシテダ!?」

 ルルはまるで泣いているような声を出していました。

「ドウシテ、オマエは迷わないノダ――!? まっすぐ、ポポロのところへイク! ナゼ――何故、迷宮ノ中がワカル!? おまえは魔法使いジャないのに!」

 黒い霧のような風の体が激しく渦巻いて、まるで全身を震わせているようです。フルートは答えました。

「ポポロが呼んでくれてるんだよ。ぼくにはそれがわかるんだ――」

「チガウ!!」

 ルルが激しく打ち消しました。

「ポポロを呼ベルのは私ダケ! ポポロが呼んでくれるのハ、私ダケだ! ポポロと私はつながってイルのダカラ! 私とポポロはヒトツなのダ――」

 そこまで言って、ふいにルルは声をとぎらせました。突然、誰かに何かを言われたように、はっとして、一瞬黙り込んでしまいます。風の牙を持つ口が、震えて泣き声をもらします。

「ソウヨ、私とポポロはヒトツなの……。ヒトツだから――だから、イツモ一緒で――ズット一緒デ――」

 先にルルとポチの間でどんなやりとりがあったのか、フルートは知りません。けれども、ルルが何かを思い出して、ひどく心を乱されているのは、はっきり感じられました。ルルの声は泣いていました。どうしようもない悲しさと淋しさに、激しく泣き続けていました。

 フルートはルルに手を差し伸べました。

「戻っておいで、ルル。みんないるんだよ。みんな、君を心配してるんだよ――」

 フルートはルルを抱きしめてやりたいと思いました。黒い闇の姿の淋しい少女を、腕の中に強く抱きしめて、言い聞かせてやりたくなります。ぼくたちはここにいるよ。ちゃんと、ここにいるんだよ――と。けれども、伸ばして触れようとする指先は、ルルの黒い体をすり抜けてしまいます。フルートは、ルルに触れることができないのです。

 

 ルルが、またごおっとうなりをあげて渦を巻きました。フルートに向かって牙をむきます。

「殺ス! オマエを殺シテヤル――!!」

 ルルが飛びかかってきました。風の刃でフルートの金の鎧を切り裂こうとします。

 すると、そのとたん、フルートの胸の上で金の石が輝きました。澄んだ光がほとばしり、黒い姿のルルを激しく吹き飛ばし、トンネルの壁にたたきつけます。ルルは形を失って闇の塊のようになり、飛び立てなくてもがく翼のように羽ばたき、また犬の姿に戻りました。

 ルルが叫びました。

「死ネ! 殺サレテしまえ――!」

 その声に呼ばれたように、突然通路の奥で何か大きなものが動きました。その時、フルートは初めて、そこに高い扉があったことに気がつきました。分厚い金属でできた、両開きの扉です。そこを守るように、大きな怪物がうずくまっています。動き出したのは、その怪物でした。大きな半裸の男の姿をしており、肩から上は固く短い黒い毛におおわれた雄牛の頭につながっています。ミノタウロスでした。

「フルートをコロセ!!」

 ルルは怪物に向かって叫ぶと、そのまま風の体をひらめかせて飛びすぎていきました。生きたトンネルの迷宮を、どこかへ去っていきます――。

 

 ミノタウロスが立ち上がり、フルートに向かって来ました。身の丈二メートルあまりもある大男です。体は人間ですが、頭は雄牛そのもので、大きな曲がった二本の角が両脇から突き出ています。手に持った大きな戦斧を振り上げると、太い腕や胸に束ねたロープのような筋肉がくっきりと浮かび上がります。そのままためらいもなく斧を振り下ろしてきます。

 フルートは大きく飛びのきました。ミノタウロスの斧がトンネルの肉の床にめりこみ、その下の岩盤まで届きました。岩が割れ、かけらが飛び散ります。と、ミノタウロスは食い込んだ斧をあっという間に引き抜き、またフルートに切りつけてきました。

 フルートは、また身をかわすと、背中から炎の剣を抜きました。左腕のダイヤモンドの盾をかざして身構えます。

 ミノタウロスが巨体に似合わない素早さで駆け寄ってきて、頭の真上からフルートに斧を振り下ろしました。フルートが盾でそれを受け止めます。とたんに、フルートの小柄な体は床にたたきつけられました。盾には傷ひとつついていませんが、圧倒的な力の差があったのです。

 倒れたフルートの上に、また斧が振り下ろされてきます。金の鎧の背中をまともにたたきつけます。フルートの胸に激痛が走り、一瞬息ができなくなりました。衝撃で肋骨が折れたのです。魔法の鎧でなければ、鎧ごと完全にまっぷたつにされていたでしょう。金の石が、たちどころに折れた骨を元に戻していきます……。

 

 ミノタウロスは、渾身の一撃をフルートの鎧に跳ね返されて、とまどったような顔をしていました。角のある頭を振り立てて、再び斧を振り上げます。

 その瞬間、倒れていたフルートは跳ね起き、低い位置から炎の剣を横なぎにふるいました。怪物の太い足に切りつけます。

 突然炎が燃え上がり、ミノタウロスの足が火に包まれました。牛の雄叫びが迷宮に響き渡ります。やみくもに振り回した斧が、またフルートを直撃して、フルートの体が吹っ飛びます。

 怒り狂った怪物が、炎に包まれながら襲いかかってきました。小柄な少年の体を持ち上げ、力任せに床にたたきつけます。そのまま、少年を斧でめった打ちにします。刃は体まで届きませんが、衝撃で体中がばらばらになりそうなほど揺さぶられます――。

 と、大きく引き上げられた斧が、兜の端にひっかかり、留め具が弾けました。兜が外れて飛んでいきます。金髪の頭がむき出しになります。

 少年はとっさに横に転がりました。たった今まで頭があった場所に斧が振り下ろされてきます。肉の床がまた切り裂かれ、血がほとばしります。

 降りかかってくる紅い雨の中、フルートは跳ね起き、ミノタウロスに突進していきました。――退いてはかなわないのです。また斧の一撃でたたき伏せられて、今度こそ頭に致命傷を食らってしまいます。首を跳ねようとする斧を、頭を下げてやり過ごし、剣を両手で握りしめて力一杯突き出します。手応えと共に剣の刃が怪物の胸板を貫きました。本物の血が飛び散り、次の瞬間、怪物の体が火を吹きます。爆発するように燃え上がった炎が、フルートの顔と髪をこがします。……すぐに、魔法の石が火傷を癒していきます……。

 

 フルートは、息をはずませながら、燃えていく怪物を眺めました。ミノタウロスの絶叫が、炎の中から何度も響きます。その声を激しい炎の音が飲み込み、やがて、怪物の姿が黒く小さく崩れていきます……。

 その時、何故だかフルートの耳にゼンの声が聞こえた気がしました。

「ま、ホントにおまえにしちゃ上出来かもな」

 肩をすくめるゼンの姿が思い浮かびます。

 フルートは、ほんの少しほほえみました。どこか悲しく淋しげな笑顔でした。炎の剣を背中の鞘に戻します――。

 

 怪物が守っていた扉が、フルートの目の前にそびえていました。鍵はかかっていません。フルートは両手に力をこめて、扉を引き開けました。

 とたんに、黒い大きな翼が目に飛び込んできました。両方の翼の先を重ね合わせ、何かを抱きかかえるように空中に浮かんでいます。フルートは、はっとして思わず身構えました。

 けれども、それは幻でした。翼はたちまち霧のように薄れて消えていきます……。

 後に現れたのは小さな部屋でした。窓のカーテン越しに差し込む薄緑色の光が、部屋の中を柔らかく充たしています。フルートはこの部屋を知っています。天空の国にある、ポポロの部屋です。

 片隅のベッドの上で、白い布団にくるまれて、少女が眠っていました。少女には確かな実在感があります。幻などではないのです。赤い髪とまつげが淡く輝く寝顔は、限りなく安らかでした。

 フルートは思わず溜息をつくと目を閉じました。心の中で、ルル……とつぶやきます。

 この部屋を見ただけで、ルルがどれほど大切にポポロを扱ったかがわかります。部屋の中はとても静かで、少女の眠りを妨げて不安にするようなものは、何一つありません。

 二人が再会したとき、ポポロはルルを覚えてはいなかったはずです。ルルはそのことにショックを受けたことでしょう。それでも、ルルはポポロを守ったのです。最大限の愛情と優しさで、自分を覚えていない妹を守り続けたのです。

 フルートはまた溜息をつきました。迷宮のどこかをさまよっている、孤独な少女を想います。このままでいいはずはありません。絶対に、このままにしておいて良いはずがありません――。

 

 フルートは目を上げると、眠っている少女を揺すぶりました。

「ポポロ、ポポロ!」

 少女はすぐに緑の宝石の瞳を開け、フルートの顔を見たとたん悲鳴を上げました。

「フルート! 血が……!」

 少年はミノタウロスと戦ったときに浴びた血を、鎧にも顔の上にも飛び散らせていました。少年は、はっとして、あわてて両手を背中に回しました。その手には、ミノタウロスを倒したときの血がついています。

「ご、ごめん……怖がらせちゃってごめん……」

 と思わずベッドから後ずさります。

 ポポロは目を見張ったままベッドの上に起き上がりました。急におどおどしてしまった少年を、驚いた顔で見つめます。

「フルート……大丈夫なの? あなたの血じゃないの……?」

 と尋ねると、少年は、ほっとした表情に変わりました。

「うん、大丈夫。怪我はしてないんだ」

 本当は、怪我は金の石に治してもらったんだ、の間違いです。けれども、少年はそれを口にはしません。相変わらず両手を後ろに回したまま、少女に向かってこう言いました。

「ポポロ、君、このまま一緒に迷宮を行けるかい? どうしてもルルを見つけて助けなくちゃならないんだ。君の手助けが必要なんだよ」

 ポポロはまた目を見張り、ほんのちょっとの間、考える顔をしてから、すぐにうなずきました。真剣な口調で答えます。

「あたし、ルルに会ったの。あたしはルルを思い出せなかったわ……。でも、ルルを見たときにわかったの。あたしがずっと聞いていた泣き声……あれは、あの人のものだったのよ。だから、行ってあげなくちゃなくちゃならないの。あたしに何ができるのかわからないんだけど、どうしてだか本当にわからないんだけど……でも、どうしても行かなくちゃならないの。そういう気がするのよ」

 フルートはほほえんでうなずき返しました。

「そうだよ、ポポロ。君はそのために――それをするために、魔法も記憶も全部忘れたんだもの――」

 

 ベッドから飛び下りてきた少女を従えて、フルートは部屋の扉の前に立ちました。力をこめて、扉を外に押し開けます。赤い血が滴るような、生きた迷路が目の前に現れます。

 思わず息を呑んで後ずさりそうになった少女に、フルートは手を差し伸べました。

「大丈夫。怖がらないで」

 鎧に包まれたその手には、赤い血しぶきが飛んでいます。けれども、それをぬぐっている余裕はありません。血の色を承知の上で手を差し出します。

「さあ」

 ポポロは白い手を伸ばし、思い切ってフルートの手の上に重ねました。その手を少年は強く握りしめました。

「行くよ!」

 と言うと、少女と共に通路に飛び出していきます。

 その時、握られた少女の手に、かすかな痛みが走りました。それは右の手首の上の、継続の腕輪が消えていった場所でした――。

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