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第4巻「闇の声の戦い」

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56.二匹の犬

 どこまでも続き、複雑に枝分かれしていく迷宮の中を、二匹の風の犬はもつれながら飛んでいきました。互いの体に深く牙を立て、決して放そうとしません。風の体がトンネルの壁をたたきつけ、ひらめいたルルの体が風の刃になって壁の血管を断ち切り、真っ赤な血がほとばしってきます。

 と、ふいにルルがポチから牙を放しました。ポチもルルの体を放します。二匹は大きく離れると、そのまま身構えて見つめ合いました。

 ポチが叫びます。

「ワン、ルル! ぼくたちのところに戻ってきてください! あなたはまだ魔王になってない! 今なら戻ってこられます!」

 黒い風の犬は、ごうごうとうなりをあげながら笑うような声を出しました。

「優しいワネ、ポチ。フルートにソックリ。犬は飼い主ニ似てくるモノナノよね……。でも、もうダメヨ。もう戻レナイ。私ハもう闇にナッテシマッタのだもの」

 ポチは激しく頭を振りました。首元からは青い霧の血が吹き出し続けています。魔王の魔力を持つルルの傷はたちまち癒えましたが、フルートの金の石がそばにないポチは、傷を治すことができないのです。けれども、そんなことは気にも止めずに、ポチは言い続けました。

「あなたはまだ完全な闇じゃない! ぼくにはわかるんです! だって、あなたはポポロをまだ愛してるもの! ポポロを大切に思ってるんだもの――!」

 すると、その瞬間、ルルの姿がふうっと薄れました。まるで消滅しそうなほど、黒いからだが透きとおって見えなくなります。ポチが驚いて駆け寄ろうとすると、その前でまたルルの姿が戻ってきました。黒く渦巻く体はいっそう黒く染まり、ポチを見る目は、残酷な光で彩られていました。

 ルルがあざ笑うように言いました。

「モウ遅イ。私は魔王ダ。モウ、戻ることはデキナイ。だって――私は、ポポロをタベテシマッタノダモノ――」

 ポチは大きく目を見張って立ちすくみました。タベテシマッタ――食べてしまった!? 相手のことばの意味を理解したとたん、ぞっと全身の毛が逆立ちました。

 ルルはうつろな声で笑いながら言い続けました。

「ポポロがイケナイノよ。私ヲ裏切ったりスルカラ。こんなにズット守ってきた私ノコトを、忘レテしまったりスルカラ。私ヲ怖がって逃ゲヨウとするんだモノ。ダカラ――タベテアゲタノ。ずうっと、ズウット、私と一緒ニイラレルヨウニ――」

 

 ポチは何も言わずにルルを見つめ続けました。その風の瞳が、すっと細められ、痛々しそうに相手を見ます。口を開いて話しかけた声は静かでした。

「ねえ、ルル……それで、今の気持ちはどんなですか? 満足? それとも――」

 ルルがまた、ごおっと風の音で笑いました。吹き出した風が、迷宮のトンネルの中をすすり泣くように遠ざかっていきます。

「モチロン、満足よ! とても幸セ! だってモウ誰にもポポロヲ取られないンデスモノ! ポポロはズウット私とイッショナノ――!」

 すると、ポチはルルを見てほほえみました。犬の笑顔は人の目にはそう見えなくても、犬同士になら表情がわかります。静かな声のまま、ポチは話し続けました。

「そんなはずないですよ、ルル。嘘をついてもわかるって、言ったでしょう? あなたはポポロを食べたりしてない。ポポロはまだ生きてます。ぼくにそれがわからないと思ったの――?」

 ルルはまた激しく渦を巻いて、わめくように言いました。

「違ウ、チガウ! 私はポポロヲ食ベタ! オマエに何ガワカル!? ナニガ――!」

「友達を食べてしまったら、満足なんて感じないんですよ」

 とポチが答えました。ルルは叫ぶのをやめてポチを見つめ、次の瞬間、愕然とした表情になって思わず身を引きました。ポチが自分自身のことを言ったのだと気がついたのです。

「オマエ……まさか、あなた……友達をタベテしまったコトがあるの……?」

 ポチは静かにほほえみ続けていました。

「生きている、本物の友達じゃなかったですけどね。でも……ぼくには本当に友達だったんだ」

 そして、ポチは風の目を遠く上に向けました。肉色のトンネルの壁を透かして、はるか向こうのものを眺めるような目つきをします。

「ぼく、いくつくらいだったかなぁ……。四つか、五つか……もう生まれたお屋敷を飛び出していて、お母さんも凍え死んでしまった後で、ぼくはひとりぼっちだったんだけど。人間にね、飼われていたことがあるんです。女の人で、ぼくのことをかわいがってくれてました。子どものない人だったから、ぼくを子ども代わりに思っていたみたいで、ある日、ぼくに友達を作ってくれたんです。パンを焼いて作った子犬。小さかったけど、茶色くて、ふかふかで、本物そっくりの犬に見えました。ぼくは、嬉しくて嬉しくてね、そいつにこっそりチビって名前をつけて、親友にしたんです。声に出して呼んだりすると、ぼくがもの言う犬だってばれて大騒ぎになっちゃうから、絶対に口には出さなかったけど。チビって言うのは、ぼくが生まれたお屋敷で、その家の子どもたちがぼくを呼んでくれてた名前なんです――」

 ルルは何も言いませんでした。目の前のポチの話を聞きながら、ただ空中にたたずんでいます。ポチは思い出話を続けました。

「ぼくは、チビをどこにでも連れて行きました。家の中でも、家の外でも……寝るときにも、寝床の中に入れて一緒に寝ました。チビはパンだからすごくいい匂いがしてたけど、絶対に食べる気にはなれなかった。一緒に寝てると、すごく暖かくて幸せな気持ちになれて……だから、心の中で話しかけてたんです。チビ、ずっと一緒にいようね、ずっとずっと一緒にいようね、って。でも、そうしたらある日、ご主人に言われたんです。シロ――あ、シロって、その頃のぼくの呼び名なんだけど――シロ、いつまでお友達を持って歩くつもり? って。このままじゃカビが生えて食べられなくなってしまうわよ。そうしたら、お友達がかわいそうでしょう? って。ぼく、その頃は本当に小さかったから、それもそうだな、って素直に考えて、言われたとおりにチビを食べたんです。もう日にちがたってたから、少し堅くなってたけど、でも、おいしかった。ご主人はパンを焼くのがとても上手だったんです。そして、チビはいなくなっちゃって、ぼくはまたひとりぼっちになりました――」

 ポチは、黒いルルをじっと見ました。のぞき込むように、その黒い瞳を見つめます。

「ねえ、ルル――本当にポポロを食べて満足しましたか? 一緒にいられるようになって幸せだと感じてる? そんなはずないですよ。友達を食べてしまったら、またひとりぼっちに戻っちゃうんです。友達は確かにぼくの一部になって、ぼくと一緒になるのかもしれない。だけど、それはやっぱり『ぼく』だから――そばにいて、ぼくを暖めてくれたりはしないんです。友達は、外にいて、自分と違うものだから友達なんです。友達を食べたって、絶対に、ぜったいに、幸せなんて感じられないんですよ――」

 

 ポチは、ずいとルルに近寄りました。気押されるように、黒いルルが後ずさります。ポチはたたみかけるように言いました。

「ルル、ポポロはどこですか? ポポロを自由にしてあげてください。友達は、無理やりに言うことを聞かせて友達にしておくものじゃないんですよ。こっちが相手を好きで、相手がこっちを好きでいてくれるときに、初めて友達になれるんです」

 ごうごうと、ルルの体の中で風が鳴りました。まるで泣き声のような音を立てます。ルルは大きく頭を振り、ふいに叫び声を上げました。

「イヤダ、イヤダ! ポポロは渡サナイ! 絶対にワタサナイ――!!」

 ルルは猛烈な黒い霧の流れになると、突進し、風の犬のポチを跳ね飛ばしてトンネルの彼方へ飛び去っていきました。遠い笛の音にも似たすすり泣きが遠ざかっていきます――。

「ルル……」

 ポチは悲しい目で、飛び去っていく犬を眺めました。ポチはルルと同じもの言う犬で、風の犬です。ルルがどう思っていても、ポチは正真正銘ルルの仲間のつもりでいました。その気持ちがルルに伝わっていかないのがたまらなく切なくて、ポチの咽から思わず声がほとばしりました。

 ウォォーーオォォォーー……

 ポチの遠吠えは、悲しく尾を引きながら、迷宮の中を遠く彼方まで伝わっていきました……。

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