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第4巻「闇の声の戦い」

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55.使命

 黒い岩壁の前で、フルートとポチは立ちすくんでいました。ゼンとメールは、触手のようなもので確かに壁の中に引き込まれていきました。けれども、肉のような壁を焼き払った跡には、固い岩壁がそびえているだけで、二人を消えていった場所はどこにも見あたらないのです。

 フルートは岩壁に何度も拳をたたきつけ、大声で二人を呼びましたが、壁はびくともしません。やがて、フルートは唇をかむと、悔しそうに壁を見据えました。二人は魔法で別の場所に連れ去られたのに違いありません。そのまま、一瞬食い入るようなまなざしをすると、岩壁から離れます。

「これ以上やっても無駄だ。行こう、ポチ」

 冷静な声です。ポチは思わず驚きましたが、すぐにうなずき返しました。フルートから、祈りに似た匂いがしてきたからです。ゼンとメールならば絶対に大丈夫。きっと無事でいるに決まってる。そんなふうに信じようとする、強い気持ちの匂いでした――。

 

 黒い風の犬のルルが逃げ去った通路は、行き止まりになっていました。フルートとポチは来た道を引き返し、分岐点まで戻りました。ポポロに化けたルルが、涙ながらに助けを求めてきた場所です。左に進んだところを、今度は右へ行きます。肉の壁のトンネルは、どこまでも続いています……。

 すると、突然青い海原が広がりました。フルートとポチは思わず足を止めました。また幻です。一面に広がる海は穏やかで、波ひとつ立たない水面に日の光が降りそそいで青く輝いています。その上に人々が集まっていました。海の上に立つ青と白の鎧の渦王、海の中から顔を出しているメールとマグロ、空に浮かんでいる風の犬のルルと、その背中に乗ったポポロ――ルルの体は真っ白で、まだ闇に染まってはいませんでした。

「ワン、これは……」

 とつぶやくポチに、フルートは答えました。

「謎の海の戦いの決戦の場面だ。大藻海だよ」

 人々は青空の一点を見上げていました。そこには何もありません。けれども、人々は青ざめた顔のまま、そこを食い入るように見つめ続けているのでした。

 すると、突然ルルの背中からポポロが叫びました。

「天空王様! 天空王様!!」

 たちまち空が暗くなって、上空にのしかかるように、巨大な岩盤が現れました。魔法の力で世界の空を移動していく天空の国です。そこに向かってポポロは叫び続けました。

「天空王様! フルートたちが連れ去られました! お助けください――!!」

 少女はすでに大泣きに泣いていました。緑の瞳から涙がこぼれ続けています。フルートとポチには、それがいつの場面のことかわかりました。フルートとポチとゼンが魔王に謀られて、閉じられた闇の空間に連れ去られた直後の様子なのです。

 天空の国から、天空王の声が響いてきました。

「こちらから闇の結界の中に入っていくことはできないのだ。世界は魔王の力で閉じられている。道しるべがなければ、誰も入っていくことはできない」

「道しるべとは何ですか!?」

 ポポロは泣きながら必死で尋ねました。消えていった仲間たちの後を追いかけようとしているのが、ありありとわかります。

 天空王の声が答えました。

「呼び声だ。助けを求める声が、闇の結界の中へ道しるべを開く。だが、彼らが助けを呼ぶかどうかはわからない。彼らが呼ばなければ、彼らは闇の中で魔王に抹殺されるだろう。世界を救う者たちは失われる――」

 天空王の声は沈痛でした。人々は声をなくし、さらに青ざめた顔で空を見上げ続けました。

 

 すると、ポポロが突然、きっぱりと言いました。

「フルートはあたしを呼んでくれます」

 その口調の強さに、人々は思わず驚いて、小さな魔法使いの少女に注目してしまいました。ポポロはもう泣いてはいませんでした。緑の宝石の瞳をまっすぐ空に向け、青ざめた顔のまま、空の彼方に何かを見ていました。

「フルートは、絶対にあたしを呼びます。そうしたら、その声を道しるべに、あたしが結界の中に行きます」

「何を言ってるの、ポポロ!」

 ポポロを乗せたルルが、悲鳴のような声を上げました。

「あなたはもう、魔法を全部使い切っているのよ!? それなのに、魔王のいる場所に行ってどうするの! あなたまで殺されちゃうわよ!」

 すると、ポポロは首を振りました。

「それでも行くのよ。フルートはあたしを待ってる。必ずあたしを呼んでくれる。だって、あたしだって金の石の勇者の仲間だもの――」

 いつも泣いてばかりいるポポロとは思えない、強い強い口調でした。

 天空王の声が言いました。

「もしも、そなたが闇の結界に行くことができたなら、そなたに力を授けよう。彼らが闇に打ち勝つための光の力だ。ルルを呼ぶがいい」

 ポポロは、こっくりとうなずきました。もう一粒の涙も流していません。ルルに向かって確かめます。

「いいわよね、ルル?」

「あ、あたしは……でも、だめよポポロ! 危険すぎるわ! そ、それに――あいつらが呼ぶわけないじゃない! あんなにさんざん、あなたを呼ばずに待たせていたようなやつらよ!? あなたをあんなに泣かせて――。呼ばないわ! 絶対に呼ぶわけないわ!」

 すると、ポポロは手を伸ばして、自分を乗せているルルの首をぎゅっと抱きしめました。

「ううん、ルル……あたしにはわかってるの。フルートはあたしを呼んでくれるわ。あたし、信じてるの――」

 ルルは絶句しました。信じられないような顔で、ポポロを見上げます。ずっと、ルルに守られて、泣きべそをかいていた妹のポポロ。その彼女が、今、まっすぐ空に目を向けていました。少女の緑の瞳は、もうルルを見てはいません。空の彼方にいる仲間たちを、じっと見つめ続けているのです。

「ポポロ――」

 言いかけたルルの声に、突然、空の彼方からの声が重なりました。少年の声です。

「ポポロ! ポポロ――!!」

 姿の見えないフルートが、闇の中から少女を呼んでいました。ルルの白い風の体が透きとおるほどに青ざめました。必死でポポロに絡みついて引き止めようとします。少年の声が呼び続けていました。

「ポポロ、来てくれ!!」

 少女が、空を見上げたまま、にっこりと笑いました。細い華奢な腕を空に差し伸べて、呼び返します。

「フルート!」

 その姿が、指の先から見えなくなっていきます。まるで、かき消すように、ルルの背中から消えていきます。

「ポポロ! ポポロ! ポポロ!」

 ルルは悲鳴を上げ、狂ったように空を飛び回って呼び続けました。少女の姿はもうどこにもありません。闇の彼方の戦場へ、ひとり駆けつけていったのです。こちらの世界へルルだけを残して。

「ポポロ――ッ!!」

 ルルの絶叫が海に響き渡り――

 幻の場面は消え失せました。

 

 海の光景が赤いトンネルに戻った後も、フルートとポチは声も出せずに立ちつくしていました。ルルの気持ちが、痛いくらいにわかります。フルートは片腕で自分の体を抱くと、もう一方の手で口を押さえました。その奥で、つぶやくように言います。

「ルル……」

 ふいに、ポチが弾けたように吠え出しました。

「ワンワンワン! ルル、どこ!? どこにいるの、ルル!?」

 フルートも顔を上げました。きっぱりした口調で言います。

「ポポロと、ルルを見つけ出そう! 二人を連れ戻すんだ!」

 少年と子犬はトンネルの中をまた歩き出しました。小走りになるほどの足取りで進んでいきます。先に立つのはフルートです。道を知らせるものは何もないのに、まるで何かに呼ばれるように、迷うこともなく分かれ道を選び、進み続けていきます。

 すると、また別の光景が広がりました。今までとは違って、とてもおぼろな景色です。淡い霧に包まれたような、優しい光の中に、光り輝く髪とひげの立派な男の人が立っていました。黒い星空の衣の天空王です。光の中に向かって手を差し伸べ、呼びかけていました。

「来たれ、守るものよ。そなたに使命を与えよう――」

 伸ばした手の中に、一匹の子犬が現れました。銀毛が混じった茶色い毛並みの小さな犬です。きょとんと、黒い瞳で天空王を見上げます。天空王が厳かに言いました。

「わしのことばがわかるな? そなたはこれから、ある者のもとへ行くのだ。その者と共にあることが、そなたの使命だ」

 子犬はさらに不思議そうに光の王を見上げ続けました。

「シメイ?」

 と幼い声で繰り返します。すると、天空王がほほえみました。

「そなたに名前をつけてやらねばならぬな。――ルル。今日からこれがそなたの名前だ」

 

 おぼろげな景色が本物の霧となって消え失せ、後には茶色い長い毛並みの犬が現れました。今現在の姿のルルです。フルートとポチに向かって、静かに口を開きました。

「私は、これより前のことは覚えていないの。これが私の一番最初の記憶……。自分の本当のお父さんもお母さんも、私は何も覚えていないわ」

 フルートとポチは、何も言わずにただルルのことばを聞いていました。ルルの声はとても静かで、そして、ひどく悲しそうでした。今にも泣き出してしまいそうなほど、悲しく淋しく響いてきます。

「私は、きっと元はただの普通の犬だったんだわ。それを、天空王様が魔法でもの言う犬に変えてくださったの。だから、私は最初から何も持っていない。本当の両親も、生まれた家も、きょうだいも、なんにもないの。私にあるのは、ただポポロだけ。だって、私はポポロを守るために創られた犬なんだもの――」

 フルートたちの目に、ルルがにっこり笑ったように見えました。それは、泣くよりも悲しく孤独な笑顔でした。

「ポポロは渡せないわ。だって、私には本当にポポロしかないんだもの。だから、ね――死んでチョウダイね、フルート――」

 少女の声が闇の声に変わり、ごおっとうなりをあげて、黒い風の犬が現れました。立ちすくむフルート目がけて、まっしぐらに襲いかかってきます。

 けれども、それより早く、風の犬に変身したポチが飛び出して、またルルに飛びつきました。二匹の風の犬はトンネルの中をもつれ合い、激しく渦を巻きながら絡まって、かみつき合いました。黒と青の霧の血が飛び散ります。

「ええい、邪魔をスルナ! オマエも――オマエも死ネ――!」

 闇の声がうなり、ルルは猛然とポチの首にかみつきました。青い霧の血が吹き出します。

「ポチ!」

 フルートが駆けつけようとすると、ポチががっぷりとルルの肩にかみつき返しました。そのまま二匹は大きなつむじ風になり、トンネルの中をすさまじい勢いで駆け抜けていきました。あっという間に、遠く彼方へ飛びすぎて行ってしまいます……。

「ポチ! ルル――!」

 フルートの呼び声が、トンネルの中に響き渡りました。

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