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第4巻「闇の声の戦い」

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第13章 現在の迷宮

54.ひとりぼっち

 メールは固くて柔らかいものに全身を包まれて、押しつぶされそうになっていました。周りは真っ暗で何も見えません。ただ、体が奥へ奥へと引き込まれていくのを感じます。苦しくて今にも息が止まりそうです。

 メールは必死で動かない手を伸ばそうとしました。自分の手を握ってくれていたゼンの手は、もう感じられません。暗闇の中、メールはひとりきりです――。

 死んじゃう! とメールはふいに思いました。死んじゃう! あたいはこのまま闇に押しつぶされて死んじゃうんだ……! 恐ろしさに気が狂いそうになります。戦って死ぬことを恐れないほど勇敢な自分が、闇の中で小さくなって、恐怖に震えもがいています。助けて、とメールは叫ぼうとしました。誰か助けて! ここから助けて! ――けれども、声は出ませんでした。闇の中、息が詰まっていて、もう声も出せなかったのです。

 すると、ふいにメールの体がどこかへ出ました。

 急に周りから圧迫感がなくなって、空中に放り出され、そのまま、どさりと下に落ちます。

 メールは、荒い息をしながら目を開けました。目の前に白い星がちらついていて、すぐにはあたりの様子が見えません。やっと、まともに周りが見えるようになったとき、メールはまたぎょっとなって息を呑みました。

 そこは、閉じられた空間でした。周り中を生きた壁がぐるりと取り囲んでいます。どこにも出口はありません。血の滴るような肉色の壁が、メールを押しつぶそうとするように、うごめき続けています。

 メールは悲鳴を上げました。のどの奥からすさまじい声がほとばしって、自分でも抑えることができません。狂ったように叫び続けます――。

 

 すると、突然ぶっきらぼうな声が聞こえました。

「うるせえ、どなるな。耳が変になる」

 メールはびっくりしました。その拍子に、叫び声が止まります。

 目の前にゼンがいました。ちょっと顔をしかめながらメールの前に立ち上がります。

「おお、いてぇ。腰打っちまったぞ……。おい、こんな狭い場所でわめくなよ。ホントに耳がおかしくならぁ」

 メールは目をぱちくりさせ、あわててもう一度周りを見回しました。やっぱり、肉の壁に取り囲まれた狭い空間です。その中に、自分とゼンがいました。

「な、なんで……? どうしてゼンがここにいるのさ……?」

 と思わず尋ねると、ゼンがあきれた顔をしました。

「何言ってんだ、おまえ。助けに来たのに決まってんだろうが」

 メールはあわてふためいて、またあたりを見てしまいました。フルートもポチもいません。さっきいた通路とは、まったく別の場所です。

「だ、だって……ポポロは……?」

 すると、ゼンがメールを見ました。一瞬のうちに、その目の中をいろいろなものが通り過ぎていきます。焦りも、腹立たしさも、心配も、怒りも、あきらめも――。そうして最後に目に残ったのは、ほんのちょっと笑うような優しい色でした。

「あっちにはフルートとポチがいるんだ。こっちに一人くらい来たってかまわねえだろう」

 メールは、ぽかんとゼンを見つめ返してしまいました。思わず聞き返してしまいます。

「ホントにそれでいいの?」

 すると、ゼンは、むっとした顔になって、座りこんでいるメールの頭を押さえつけました。

「うるせえな。それ以上なんだかんだ言ってみろ、俺は戻るぞ。せっかく助けに来てやったのに文句言うんじゃねえや」

 たちまち、メールもかっと赤くなりました。助けに来てくれなんて誰も言ってないじゃないか! と言い返しそうになります。

 すると、それより早く、ゼンがまじめな目になって言いました。

「自分は大丈夫だ、なんてルルみたいなことを言うなよ。大丈夫なわけねえんだから。助けてほしいんなら、そう言え。おまえもルルも全然素直じゃねえぞ」

 メールは何も言えなくなりました。ただただゼンを見つめてしまいます。そんなメールに手を貸して立たせてやりながら、ゼンは言い続けました。

「怖いんなら怖いでいいんだよ。誰にだって苦手はあるんだ。助けてほしけりゃ、口に出して言え。ちゃんと来てやるんだからさ」

「ゼン――」

 メールの目に涙があふれました。そのまま、思わずゼンに抱きつくと、広い肩に顔を埋めて泣き出してしまいます……。

 さすがのゼンも、これには面食らって赤い顔になりましたが、それでもメールを突き放そうとはしませんでした。メールは上背のある体を小さくかがめて泣き続けています。震えるその背中は細く華奢です。

 ゼンは苦笑すると、メールの背中をぽんぽんとたたいてやりました。

「そら、泣くなって。おまえらしくないぞ。それこそ鬼姫の目に涙だろうが」

 とたんに、メールはまたかっとなって、顔を上げました。

「なんだい! あたいが泣いちゃいけないってのかい!? ポポロなら泣いていいのに!」

 怒った拍子に涙が引っ込みます。そんなメールに、ゼンはにやりと笑い返しました。

「そうだ、泣くなよ。おまえが泣くと調子狂わぁ。おまえはこっちのほうが断然いいぞ」

 メールは思わずまた、かっと真っ赤になりました。今度は怒りのためではありませんでした……。

 

「さて、と」

 ゼンは閉じられた狭い空間の中を歩き回りながら、うごめく壁をあちこちたたきました。手応えとかすかな音を確かめ、やがて、一箇所で立ち止まります。

「ここだな。見てろよ、メール」

 腰からショートソードを抜くと、そのまま力任せに壁に切りつけます。壁を走る血管のような管が切れ、ばっと赤い液体が飛び散ります。それは本物の肉を切り裂き、血が吹き出る様子にそっくりでした。切り裂いた跡の隙間から、別のトンネルが見えていました。やはり赤い生きた壁に囲まれながら、向こう側へ続いています。

 ゼンは壁の切れ目を腕で押し広げながらメールに言いました。

「そら、行くぞ」

 とメールを先にくぐらせ、続いて自分も外に出ます。メールは新しい通路に立って、思わずぽかんとしてしまいました。本当に、ゼンにかかると何でも簡単なことのように見えてきてしまいます――。

「どうやら全然別の場所に飛ばされてきたみたいだな。さすがに、どこにいるのかさっぱりわからねえや。……ま、なんとかなるだろ」

 深刻な状況のはずなのに、ゼンはあっさりとそう言うと、先に立って歩き出しました。メールはあわててその後についていきました。肉色の生きた通路は、どこまでも深く続いています――。

 

 すると、突然目の前の光景が変わりました。戸外の風景です。白い高い塔が、青空にまっすぐそびえていました。入り口には大きな両開きの戸があって、固く閉じています。その前に、茶色の毛並みの犬がぺったりと伏せていました。何かを待ち続けるように、じっと閉じた扉を見つめ続けています。

「ルルだ……」

 とメールが言いました。現実ではない、幻の光景だとわかっていても、何故だか思わず声を潜めてしまいます。ゼンも、何も言わずに、うずくまるルルを見つめました。今現在のルルとほとんど変わらない大きさです。ひどく淋しそうに、扉の前でうずくまり続けています。

 すると、どこからともなくポポロのお母さんが現れました。ポポロによく似た赤い髪をしています。金の目がルルを見て涙ぐむ様子も、瞳の色こそ違っていても、本当にポポロにそっくりです。お母さんはそっとルルに近寄って話しかけました。

「あの子の修行はまだまだ終わらないのよ、ルル。あと四ヶ月以上もかかるの。ずっとここで待ち続けているつもり……? 家に帰っていらっしゃい。お父さんも心配しているわよ」

 ルルは伏せたまま、首を横に振りました。

「ポポロはひとりで修行の塔でがんばってるんですもの。私だって、ここで待っていられるわ。それに、ここにいるとポポロを感じられるの。泣いてるけど……しょっちゅう泣いてるんだけど、でも、本当にがんばってるのよ。あのポポロが……。信じられないくらいよ」

 お母さんは、ルルと一緒に白い修行の塔を見上げました。

「そうね……。初めてよね、あの子がこんなに自分からがんばろうとしているのは。よっぽど、みんなの力になりたいのね……」

 みんなというのが自分たちのことだと、居合わせているゼンとメールにはわかりました。これは天空の国の光景です。風の犬の戦いの後、ポポロは、自分の魔力を伸ばすために、半年間修行の塔にこもりました。その時の思い出なのです。

「どうしてかしら?」

 とルルが急に怒ったような口調になりました。

「ポポロはあんなにずっと、自分で魔法を使うのを怖がってたのに。どうして、こんなに急に自分から魔法をがんばろうとしてるのかしら? そんなに、あいつらがいいの――?」

 ふてくされたように前足に顎をのせて、じっと何かを見据えるルルを、お母さんは困ったような目で眺めました。ルルったら、とたしなめようとして、それをやめ、代わりにそっと背中の毛をなでてやります。

「夕ご飯までには家に帰っていらっしゃい。夜中ここにいたりしてはだめよ。夜露は体に毒ですからね……」

 ふうっと幻の光景が消えていきました。肉色の通路が戻ってきます。ただ、淋しさだけがいつまでも漂うように残り続けていました。

 

 メールは、また泣き出しそうになっていました。ポポロの修行が終わるのを、塔の前で待ち続けているルル。その姿が、戦いに出かけた父の帰りを待ち続けた昔の自分と重なったのです。

 不安をじっと胸に抱えながら、ただひたすら待ち続けていた日々。戦いの中で父が敵の刃に倒れて死んでいく様子を、何度も夢に見ました。翼があれば、今すぐにでも飛んでいって、父を守って一緒に戦いたいと願い続けました。誰もわかってくれなくても、父でさえそんな娘の気持ちをわかろうとしなくても、それでも、メールは父のそばにいたかったのです。父と一緒に居続けたかったのです……。

 ふいに目の前に海が広がりました。岩場の上に人魚が座っています。長い美しい金髪を裸の胸にたらし、魚の尾のうろこを日の光にきらめかせています。

「姫様は本当におかわいそうよね」

 と人魚が意地の悪い声で言いました。

「だぁれもわかってくれないんですものね。だって、怖い怖い鬼姫様だもの。姫様みたいな乱暴者、渦王様だってもてあますわよ。自業自得。姫様は、死ぬまでずっとひとりで生きていくことよ。ずっと待ちぼうけを食らいながら、たったひとりでね――」

 メールは大きく身震いをしました。うるさい! と人魚にどなり返そうとしましたが、声が出ませんでした。本当に、今にも声を上げて泣き出しそうになってしまいます。

 人魚の意地悪い声は続きます。

「お母様も死んでしまって、姫様にはもう誰もいないのよね。仲間もいない、友だちもいない、ひとりぼっちの姫様。本当にお気の毒。いっそ、自分だけで、一人っきりの王国の女王様におなりになったら? 何もかも自分の思い通りになるから、きっと素敵よ」

 あざ笑うように言って、尻尾の先で海面をたたきます。しぶきが空中に飛び散って光ります。

 すると、突然誰かがメールの腕をつかみました。温かい手で、ぐっと抱き寄せてくれます。――隣に立つゼンが、メールに腕を回して引き寄せていました。

「おまえまで巻き込まれるんじゃねえ」

 とゼンは顔をしかめて言いました。

「闇のやり口だぞ。心の中の一番弱いところを見せつけて攻めてくるんだ。隙を見せるな」

 メールは青ざめた顔でゼンを見つめました。やっぱり声が出せません。唇をただ震わせるだけです。

 すると、ゼンは目の前に座る幻の人魚をどなりつけました。

「あっち行けよ、怪物! おまえなんかに用はないんだ! こいつはもうひとりぼっちなんかじゃない! ちゃんと俺たちっていう仲間が一緒にいるんだからな!」

 メールは驚きました。人魚も海の岩場もたちまち消えていって、後には、トンネルの中に立つゼンとメールだけが残ります。

 ゼンがメールに、ちょっと肩をすくめてみせました。

「だろ? 違うか?」

 

 メールの目から、どっと涙があふれました。メールは両手で顔をおおうと、声を上げて泣き出しました。――嬉し泣きでした。

 ちゃんと俺たちっていう仲間がいるんだからな、というゼンの声が何度も頭の中に響いています。それを聞きながら、メールはようやく気がつきました。それが、自分の一番聞きたかったことばだったのだと。

 心の奥底で、何かが溶けていきます。幼い頃から、固く凍り付いたように沈み続けていたものが、溶けて泡のようにわき上がり、涙と一緒に流れ出していきます。

 泣きながら、メールは心の中で繰り返していました。もういいよ、ゼン。もういいよ……と。

 ゼンが自分の想いに気がついてくれなくても、ゼンがポポロだけを好きでいても、もうかまいません。それでも、ゼンはメールをちゃんと見て、メールの気持ちを感じて、わかってくれているのです。それはメールが望んだ形の愛情とは違っています。だけど、ゼンはゼンにできる限りの形で、メールを大事に思って、想いを寄せてくれているのです。

 それならば、もういいよ、とメールは泣きながら考えました。それでもう充分。あたいはそれだけでもう、充分幸せだよ、と……。

「ああもう! だから泣くなって言ってるだろうが!」

 ゼンが悲鳴のような声を上げました。本当に困惑した顔をしています。そんなゼンを見て、メールは泣き笑いをしました。

「あんたの苦手――見つけたよ、ゼン。あんた、誰かに泣かれるのに弱いんだ。どうしていいのかわからなくなっちゃうんだろ?」

 ゼンはたちまち赤くなりました。まったくその通りだったのです。

「馬鹿! 泣いてるくせに冷静にそんな分析してんじゃねえや!」

 と乱暴にどなり返してきます。メールは笑いました。泣きながら、声を上げて笑います。心がどんどん軽くなっていくのが、はっきりと感じられます――。

 通路を吹き抜ける風のすすり泣くような音は、遠くかすかになっていました。

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