生きたトンネルの壁から生まれ出てきたこびとたちは、背丈が三十センチほどしかありませんでした。肉の壁をそのまま自分たちの体にして、裸の赤ん坊のように、短い足でよちよちと駆け寄ってくると、いっせいにフルートたちに飛びついてきます。彼らを見上げる顔に、目や鼻はありません。ただのっぺりした顔の下の方に、大きく裂けたような口があるだけです。
「やだぁ! すっごく気持ち悪いよ、こいつら!」
メールが思わず悲鳴を上げました。メールは袖無しのシャツに短いズボンという格好です。素肌の手足にこびとがしがみつくと、ぬるっと生暖かい肉の感触が伝わってきます。メールはまた盛大な悲鳴を上げて手足を振り回し、こびとを振り飛ばしました。
ゼンはエルフの弓矢を構えて、次々と撃っていきました。矢が突き刺さると真っ赤な血が吹き出してこびとが倒れます。それは、大きさこそ違うものの、人間を矢で射殺す様子にそっくりでした。ゼンは思わず顔をしかめましたが、それでも矢を撃つことはやめませんでした。メールにまた飛びつこうとしていたこびとの頭を、矢で串刺しにします。
と、いきなりゼンの右の足首に、焼けるような痛みが走りました。思わず悲鳴を上げて足元を見ると、一匹のこびとがしがみついていて、鋭い歯でかみついていました。全身に熱いものが駆けめぐり、ゼンの体がしびれて動かなくなります。毒を流し込まれたのです。胸が締め上げられるように苦しくなります。
「ゼン!」
フルートは駆けつけると、剣の柄でこびとを払い飛ばし、急いで金の石をゼンに押し当てました。すぐに毒は消えて、ゼンの体がまた自由になります。
ゼンは大きく息をしました。
「じょ……おだんじゃないぞ……。心臓が止まるかと思った。こいつら、ものすごい毒をもってやがるぞ……!」
今度はメールが大きな悲鳴を上げました。やはり、飛びついてきたこびとたちに手足をかまれたのです。真っ青になって倒れ、胸をかきむしります。
「メール!!」
ゼンは矢でこびとを片っ端から射殺し、フルートは駆けつけて金の石を押し当てました。メールの体からも毒が消えて、顔色が元に戻りますが、そこにまた、こびとたちが襲いかかってきます。ものすごい数で、とても防ぎきれません。
フルートは叫びました。
「ポチ、メールを守るんだ!」
「ワン!」
風の犬のポチが、ごうっと飛んできて、メールの体の周りで渦を巻きました。近づこうとしてくるこびとを、片っ端から吹き飛ばしていきます。
ゼンは自分に迫ってくるこびとを次々に矢で倒しました。その周りには死体が積み重なって、次第に山になっていきます。けれども、こびとは肉色の壁から後から後から生み出されてくるので、いくら倒してもきりがありません。
フルートは炎の剣を握ったまま、悪戦苦闘していました。こびとの毒の牙は、フルートの鎧を食い破ることはできません。ところが、フルートはこびとに向かって剣を振り下ろすことができないのです。何度も切りつけようとするのに、そのたびにためらってしまいます――。
すると、黒い風の犬のルルが笑いました。
「殺セないダロウ、フルート! オマエは、人の姿をシタものヲ切るコトができない。わかってイタさ、優シイ勇者! その優シサに殺されるがイイ! 肉坊主タチ、金ノ石のペンダントを取り上げてシマエ!」
フルートは、はっとしました。こびとたちが、わらわらと取りすがり、いっせいに体をよじ上ってきます。フルートが首から下げている金のペンダントに手を伸ばそうとします。フルートはそれを払い飛ばし、炎の剣で切り払おうとしました。
そのとたん、床に転がったこびとがすさまじい声を上げました。――それは、赤ん坊の泣き声にそっくりでした。フルートは思わず凍りつき、剣が振り下ろせなくなりました。
「フルート!」
ゼンが必死で矢を射ながら叫びました。自分に襲いかかってくるこびとを撃退するので手一杯です。
「しっかりしろ! そいつらは人間じゃない、怪物なんだ――!」
フルートは真っ青な顔で剣を握り直しました。小さな人の姿をした肉坊主たちは、大きな口を開け、赤ん坊の泣き声をたてながら、またフルートにしがみついてきます。鎧の上をよじのぼり、首にかかったペンダントをつかんで奪おうとします。フルートは剣を振り上げられません。
「フルート!」
ポチとメールが叫んでいました。悲鳴のような声です。すると、ゼンのどなり声が響き渡りました
「馬鹿野郎! そんなヤツらに殺されるつもりか!? ポポロはどうするんだよ――!?」
フルートは、突然目覚めたように、はっとしました。右手が剣を強く握り直し、刃をひらめかせます。
すさまじい悲鳴を上げて、一匹のこびとが転がりました。今まさにペンダントを引きちぎろうとしていたこびとです。あっという間に炎に包まれて燃えていきます。
フルートは、自分自身にしがみつく肉坊主にも炎の剣をふるいました。こびとたちが赤ん坊そっくりの泣き声を上げながら、次々と炎に包まれていきます。燃え上がる火の中に立って、それでもフルートは剣をふるい続けました。金の鎧が炎を映して燃えるように輝き、炎の剣は血よりも赤く染まります。その奥の少年の顔は、歯を食いしばり、泣き出すのを必死でこらえるような表情をしていました……。
やがて、フルートの姿は炎にすっかり包まれ、その火を恐れるように、肉坊主たちが大きく下がるようになりました。すると、火の中からフルートが進み出てきました。金の鎧を光らせながら、また炎の剣を振り上げます。
とたんに、肉坊主たちは飛び上がり、我先に逃げ出しました。自分たちと同じ色をしたトンネルの壁に飛び込み、溶けるように消えていってしまいます。あっという間に、トンネルの中からこびとの姿が消えました。
フルートはたった一匹だけになった黒い風の犬を見て言いました。
「ポポロはどこにいるの、ルル――?」
その胸の上では、金の石が光っています。ルルは、ひゅうっと甲高い風の音を立てました。それは、何故だかすすり泣く声のようにも聞こえてきます……。
「渡すモノカ!」
とルルは闇の声でどなり返しました。
「ポポロは私のモノ! 私ダケのモノ! 絶対に渡サナイ! 絶対ニ!!」
ごごぉっと激しい風の音を立てて、ルルは彼らに向かって飛んできました。すさまじい風が通路で燃え上がる火を消していきます。そして、思わず飛びのいた子どもたちの間をすり抜け――そのまま通路を遠ざかっていきました。逃げたのです。
「ルル……」
フルートはつぶやきながらルルの後ろ姿を見送りました。すぐに風の犬のポチが後を追いましたが、じきに自分だけで戻ってきました。
「ワン、すみません。見失いました……」
「ここはルルの迷宮の中だよ。また出会えるよ」
とフルートは言い、炎の剣を鞘に収めました。ゼンもエルフの弓を背負います。通路は矢で射殺されたり、炎の剣に燃やされたりしたこびとの死体でいっぱいです。それを何とも言えない表情で見回しているフルートに、ゼンが言いました。
「ま、おまえにしちゃ上出来だ。相変わらず危なっかしいけどな」
フルートはこびとの死体を見つめ続けながら答えました。
「ぼくだって、どうしようもないときには人でも殺すさ……それ以外、本当にどうしようもないときにはね。ただ、今まではそれをしないですんできただけだ……」
けれども、そう言うフルートの表情は、痛みをこらえる人にそっくりでした。ゼンはちょっと笑って肩をすくめると、黙ったままフルートの背中をたたきました。それは、無理するな、と言っているようにも、それでいいのさ、と言っているようにも見えました。
メールが少年たちに近づいてきました。首をかしげながら、つくづくとフルートを見ます。
「ねえさぁ……ポチは犬だからわかるんだけどさ、フルートはどうしてあれが偽物のポポロだって気がついたわけ? あんなに瓜二つで、やってることも言ってることも、本物のポポロみたいだったのに。ポポロの継続の腕輪が壊れるはずがない、ってわかってたの?」
すると、フルートがほほえみました。厳しく悲しげだった表情が、急に柔らかくなります。
「だって、あのポポロは泣いていたんだもの」
ゼンとメールは目を丸くしました。
「え、なんでだ……? 記憶を取り戻してれば、あいつは本当にあんなふうに泣き虫じゃないか」
とゼンが聞き返します。フルートはさらに笑顔になって、首を振りました。
「違うよ。ポポロは確かにすごい泣き虫だけどさ、あんなふうに何かを決心したときには、いつだって絶対に泣かないんだよ。記憶をなくす前も、なくしてからも同じさ。泣かないで、代わりに笑ってみせるんだ。いつだってそうなんだよ」
ゼンとメールは驚きました。確かに、思い出してみればそうだったような気がします。けれども、彼らはそんなポポロの癖には気がついていませんでした。まして、それを手がかりに本物かどうかを見分けることなど、できるはずもありません――。
ゼンは何故だか急にひどく不愉快になりました。誰も何も言っていないのに、誰かから大声で自分を責められたような気分になります。ゼンは何も言わずにフルートから目をそらしました。
一瞬のうちに固くぎこちない雰囲気に変わったあたりの空気に、フルートがとまどった顔つきになり、ポチは心配そうに少年たちを見比べました。本当に、仲良くなったように見えても、一触即発のものを奥に抱え続けている二人です。人の気持ちというのは、そう簡単に変えられるものではないのです……。
メールはそっと小さく溜息をつくと、静かに少年たちから離れました。なんとなく、また孤独感を感じてしまいます。少年たちとの間に見えない壁ができているようです。どうしてこんなに淋しい気がするのでしょう? もしかすると、さっきまざまざと見せられたルルの過去に、メールも影響を受けてしまったのかもしれません。
すると、そんなメールの背後で、肉色の壁が大きく盛り上がりました。壁の一部がするすると伸びてきて、太く長い触手のようになります。少年たちを見たまま気づかずにいるメールに忍び寄り、突然その体に絡みつきます――
「きゃあっ!」
ふいに上がったメールの悲鳴に、少年たちは、ぎょっと振り向きました。メールが、肉色の触手に絡みつかれて、壁の中に引き込まれようとしていました。必死で抵抗しているのに、もう半分以上壁の中に飲み込まれてしまっています。
「メール!」
少年たちは駆け寄りました。フルートは背中のロングソードを抜いて触手を断ち切ろうとします。が、触手はひどく固く弾力があって、剣の刃を跳ね返してしまいました。みるみるうちに、メールが壁に飲み込まれていきます。
メールがまた悲鳴を上げて手を伸ばしてきました。ゼンがその手をつかんで、力一杯引っ張り出そうとします。ところが、ゼンの怪力でも、メールを引き戻すことができません。止めようもなく、メールの体が飲み込まれていきます。体も肩も壁の中に消えていき、顔も消え、最後に残った白く細い少女の手が、ゼンの手から外れていきそうになります――。
「こんちくしょう!」
ゼンはわめいて、メールの手を強く握り直しました。そのまま床を蹴ります。触手はメールとゼンを一緒に壁の中に引き込んで消えていきました。
フルートとポチは真っ青になって壁に飛びつきました。
「ゼン! メール――!」
必死で壁をたたき、体当たりしますが、肉色の壁は強く彼らを跳ね返すだけです。フルートは飛びのき、ポチを下がらせて炎の剣を抜きました。鋭く剣を振ります。とたんに、切っ先から炎の塊が飛び出して壁の上で破裂し、一気に壁を燃え上がらせました。肉が焼けこげる匂いがあたりに漂います。さらにフルートは燃えている壁に切りつけ、切り開いて行こうとしました。
すると、突然剣の先が、ガキンと固いものにぶつかりました。うごめく肉色の壁の下には岩があったのです。
炎が生きたトンネルをなめるように燃やし、その下から黒い岩壁が現れます。頑とそびえていて、人が入りこむことを拒んでいます。ゼンやメールが飲み込まれていったような入り口や穴は、どこにも見あたりません。
「ゼン! ゼン、メール……!!」
フルートは必死で仲間たちを呼びながら、岩壁を両手でたたき続けました――。