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第4巻「闇の声の戦い」

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52.思い出

 扉をくぐると、そこは一面の花野でした。

 エルフが住む白い石の丘のように、見渡す限り、色とりどりの花が咲き乱れています。花使いの姫が呆然とつぶやきました。

「なんで……こんなところに花畑があるのさ……?」

「天空の国の花野だ。ルルが思い出して作ってるんだよ」

 とフルートは景色を見回しながら言いました。なんだか本当に胸が痛くなってきます。目の前に広がる風景は、家の居間も花野も、いい知れない懐かしさに充ちています。なんでもない景色なのに、とても優しい色合いをしているのです。

 ルル……? とフルートはそっと心の中で呼びかけました。君はこの中で何をしていたの? 山の地下に懐かしい景色を創り上げて、何をしたかったの……? と。

「花だぞ。おまえ、嬉しくないのか?」

 とゼンがメールに尋ねましたが、メールは青ざめた顔を横に振りました。

「冗談。これ、普通の花じゃないよ。花の幽霊たちさ。本物じゃないんだ。かえって気味が悪いよ。こんなにありありと見えるのに、何も言わないんだもん。……それに、なんでこんなに淋しそうなのさ? こんなに綺麗なのに、ものすごく淋しそうだよ、この花畑」

 メールもまた、フルートと近いものを目の前の景色に感じ取っているようでした。

 

 すると、ポチがぴんと耳を立てて声を上げました。

「ルルとポポロだ!」

 花野の真ん中に人と犬の二人の少女が立っていました。フルートたちは急いで駆けつけました。やっぱり、本物の少女たちではありません。黒い衣を着て赤い髪をおさげにしたポポロは、さっき居間で見たよりももっと幼い姿をしていましたし、ルルももっと小さな子犬になっていました。今ちょうど十歳のポチと同じくらいの大きさです。

 ポポロは花野の中に立ちつくしまま、顔に手を当てて泣きじゃくっていました。そんなポポロの足下に、ルルが何度も何度も体をすり寄せています。

「泣かないで、ポポロ。もう泣かないで。ほらね、あのいじめっ子たちは逃げていったでしょ? あいつらがまた来たって、私がまた追い払ってあげるから」

「あの子――あの子たち、ルルを魔法でやっつけるって言ったわよ……!」

 むせび泣きながらポポロが言いました。

「ルルがやられちゃう! ルルが死んじゃう! あた、あたしのせいで! そんなのいやよぉ――!」

 ポポロがしゃがみ込み、ルルを抱きしめていっそう激しく泣き出しました。幼い犬の少女は、そんなポポロを見つめて、優しく笑いました。

「馬鹿ね、ポポロ。あんな子たちに、私が簡単にやられるもんですか。あいつらのへなちょこ魔法なんて全部かわしてみせるわよ。私は大丈夫。それより、ポポロこそ、もっと強くならなくちゃ。何を言われたって無視してやるの。そんなふうに泣いてばかりいるから、あいつらは面白がってからかってくるのよ――」

 年に似合わない、いやに大人びた口調でした。

 と、また幻の少女たちが消えました。花野も消え失せます。後に現れたのは、肉色の壁がうごめく、赤いトンネルでした。メールは悲鳴を上げて、思わずゼンに飛びついてしまいました。

「やっぱりここは迷宮の中か」

 とゼンが苦々しく言いました。振り返れば、さっき彼らが出てきたはずのポポロの家の居間がありません。ずっと彼らが歩いてきたのと同じ、生きたトンネルが続いているだけです。

 

 すると、フルートが行く手を指さしました。

「また出てきた……!」

 そこは薄緑色の光があふれる部屋でした。カーテン越しの光が部屋に優しく充ちる中、ベッドの上でポポロが眠っていました。とても小さなポポロです。おそらく五つか六つ、という年頃でしょう。泣き寝入りしてしまったようで、頬にはまだ涙の痕が残っていました。

 ポポロのお母さんがいて、そんな娘にそっと毛布をかけてやっていました。そして、かたわらにいる小さなルルに目を向けます。

「ありがとう、ルル。おかげでやっと落ちついたわ……。あなたが慰めてくれたおかげね」

 ルルは小さな茶色の尻尾を床の上でパタパタと振りました。幼い顔にとても得意そうな表情を浮かべます。

「任せて、お母さん。私はポポロのお姉さんだもの。ポポロを慰めるのは、私の役目。ずうっとポポロのそばにいて、助けてあげるんだから」

 ポポロのお母さんはルルを見つめてほほえみました。その金色の目はとても優しくて、ちょっぴり心配そうな色を浮かべています。すると、ルルはいっそう張り切って、大きく尻尾を振りました。

「大丈夫よ、お母さん! 私はポポロのそばにずっといるわ! 約束するわよ。私はそのために生まれてきたんだもの――!」

 とたんに、その幻も見えなくなりました。薄緑色の部屋が消えた後には、また肉色のトンネルが戻ってきます。

 

 フルートたちはことばもなく顔を見合わせていました。

 過去の幻は、ルルとポポロのつながりの深さをまざまざと彼らに見せつけてきます。それはとても優しくて、同時に、とても悲しいもののように彼らには見えました。そして、どの場面にも、何故だかひどい閉塞感があるのです。小さな部屋の中も、一面の花野も、その場に居合わせるだけで息が詰まってきそうな気がしてきます――。

「ポポロとルルしか出てこないんだよ……」

 とメールがつぶやくように言いました。

「あとはお父さんとお母さんだけ。他には誰も出てこないのさ。たったそれだけの登場人物の世界なんだ。ルルは、ポポロしか見ていないんだよ……」

 子どもたちはそれを聞いて、さらにことばを失ってしまいました。何かが変です。優しいから、ポポロの姉代わりだから、そんなことばだけでは説明しきれないものがあります。それが、彼らを落ちつかない気持ちにしていました。

 

 すると、彼らの目の前に、また一つの光景が浮かんできました。さっきと同じ、薄緑色の部屋です。ただ、ベッドに寝かされているのは、少女ではなく赤ん坊でした。真っ白い産着を着て、白い柔らかな布団の中ですやすやと眠っています。その頬はバラ色、短い髪は輝くような赤い色をしていました。

 ポポロのお父さんとお母さんが、ほほえみながらそれをのぞき込んでいました。二人とも、今よりもっと若々しい様子をしています。お父さんの腕の中には、ちっぽけな犬がいました。茶色い毛をした、まだ本当に幼い子犬です。それに、お父さんが話しかけていました。

「ほらルル、見てごらん。この子がポポロだよ。君は、この子を守るために天空王様からつかわされたんだ。今日からこの子が君の妹だよ。君はお姉さんさ」

「おねえさん?」

 子犬がびっくりしたような顔をしました。眠っている赤ん坊を、まじまじと見つめます。

「でも、この子、犬じゃないわよ。ぜんぜん似てないわよ」

「それでも、この子はあなたの妹なのよ、ルル。よろしくお願いね」

 とお母さんがほほえみながら子犬をなでました。

「いもうと……?」

 幼いルルは、一生懸命赤ん坊の顔をのぞき込み、やがて、ふいに、にっこり笑うような声で言いました。

「かわいいっ――!」

 居合わせていたフルートたちは、いっせいにまた、はっとしました。本当に嬉しそうなルルの声です。嬉しそうで、ほんの少し誇らしそうで……。

 ふいに、ゼンが驚いた声を上げました。

「おまえ、なんで泣いてんだよ!?」

 メールが、涙をこぼして、それをしきりに手でぬぐっていました。あわてた表情をしているゼンに向かって、うるさそうに顔をしかめて見せます。

「自分でもわかんないよ。だけど、なんでだか泣けてきちゃったんだ……」

 とても優しい記憶。優しい場面。なのに、どうしてこんなに淋しく感じられるのでしょう。ルルがポポロだけを見つめて生きてきたのがはっきりわかってしまって、それがたまらなく切なく思えます。いつもポポロと二人で生きてきたルル。だけど、その生き方は、なんだかとても悲しく思えてなりません。ひとりぼっちと同じくらい淋しい、二人ぼっちです――。

 

 すると、赤ん坊が眠る部屋が消えた後に、ポポロが立っていました。今現在の十二才の姿です。黒い星空の衣をかすかに光らせ、涙をいっぱいにためた目でフルートたちを見ていました。

「ね、わかったでしょう……?」

 とポポロは言いました。紛れもなく、フルートたちに向かって話しかけています。

「ルルは、あたしのためにうちに来た犬だったの。ずうっと、あたしのために生きてきてくれたのよ。だから、あたしもルルを放ってはおけないの。ルルには、あたししかいないんだもの。……みんな、ここまで助けに来てくれて、本当にありがとう。でも、あたし、ここに残るわ。だって、ルルがいるから――。ルルが、一緒にいてほしがってるから――」

 ぽろぽろと涙がこぼれました。ポポロは両手で顔をおおって泣き始めました。

 赤いトンネルの中を、フルートたちの背後から風が吹き続けていました。ヒュウヒュウと笛のような音が迷宮の中に響いています。

 ゼンがいぶかるように言いました。

「おまえ……本物のポポロか?」

 こう立てつづけに幻を見せられては、何が現実で何が幻なのか、さっぱり見分けがつきません。すると、目の前のポポロが、こっくりうなずきました。相変わらず泣き続けています。

「ここに残るって、本気なの、ポポロ!?」

 とメールが叫びました。思わず流した涙は止まってしまっています。ポポロがまた、それにうなずき返しました。

「ルルはね、あたしを取り戻したいばっかりに魔王になっちゃったのよ。でも、あたしさえルルと一緒にいれば、ルルだって悪さはしないわ。ずっとここでおとなしくしてるって。約束してくれたのよ――」

 ポポロはそう言って顔を上げ、大粒の涙を流し続けながら、かすかに笑うような表情をしました。

「だから、ね、大丈夫なの。あたしたちは大丈夫。心配しないでね……」

 ゼンとメールは立ちすくみました。何と言っていいのかわからなくなってしまいます。

 

 すると、ずっと何も言わずにいたフルートが、ふいに大きな溜息をつきました。青い瞳で少女を見つめると、静かな声で話しかけます。

「ポポロ、君、ルルのことを思い出せたの……?」

 ポポロが、泣きながらまた、こっくりうなずきました。フルートは、ちょっと目を細めて優しいまなざしになりました。いっそう静かな声で重ねて尋ねます。

「どうやって? あんなに、どうしても思い出せなかったのに」

 すると、ポポロがほんの少し、たじろいだ表情になりました。とまどうように答えます。

「どうやって、って……ひとりでに。ルルに会って話していたら、いつの間にか思い出してたのよ……」

 フルートは、はっきりとほほえみました。話す相手を哀れむ、悲しい笑顔でした。

「そんなはずはないよ。ポポロは継続の腕輪のせいで何もかも忘れてしまっているんだ。腕輪の石が壊れるまでは、どうやったって思い出せないんだよ。嘘をついてもだめさ、ルル。ポポロはどこにいるの?」

 ゼンとメールは驚きました。あわてて、目の前の少女を見直します。涙のたまった目を大きく見張って立ちすくむ姿は、どこから見ても、ポポロその人です。

 すると、フルートの足下から、ポチがワン、と鳴きました。

「ぼくのこともだませないですよ、ルル。迷宮の中にずっと追い風を吹かせていたのは、匂いで自分の正体がばれないようにするため? そんなことしたってダメですよ。ぼくにはちゃんとわかるんだから。だって、同じ犬なんだもの」

 立ちすくんでいたポポロが、自分の肩を抱きました。わなわなと全身を震わせ始めたと思うと――ふいにその姿が崩れました。どっと黒い闇の塊が現れ、次の瞬間、翼のように広がって、真っ黒い風の犬に変わりました。

 ごうごうと風のうなる音を立てながら、風の犬のルルが叫びました。

「ヨクモ、ヨクモ、ヨクモ――!! オマエなんてキライだ! 大嫌イだよ――!!」

 いきなり、ごうっとフルート目がけて襲いかかってきます。けれども、それより早く、ポチが風の犬に変身して前に飛び出してきました。黒い風の犬に白い風の犬が、真っ正面からがっぷりとかみつきます。ばっと黒い霧の血が飛び散りました。

「ギャン!」

 ルルは悲鳴を上げて飛びのくと、恨みのこもった目でフルートとポチをにらみつけました。

「コロス――あんたタチ全員、みんなコロシテヤル――!!」

 ゼンがとっさにエルフの弓を下ろして構えました。百発百中の矢をつがえて、ルルの首輪に狙いをつけようとします。

「ゼン!」

 とメールが叫びましたが、ゼンが矢を放つより早く、その矢の先をフルートがつかんで押さえました。もう一方の手で胸の金の石を握りながら叫びます。

「やってごらん、ルル! こっちには金の石があるよ! 君の攻撃くらい防げるさ!」

 風の犬のルルが、また大きく震えました。おびえるように、金の石から大きく離れます。

 と、ふいに、ルルは頭を上げて、大きな遠吠えを上げました。

 アオーオォォーーーン……!!

 尾を引く悲しげな声が、山の地下の迷宮に響き渡っていきます。

 すると、トンネルの肉色の壁が、いたるところで盛り上がり、ちぎれて肉の塊に変わりました。小さな人の姿になって動き始めます。トンネルの中は、あっという間に、無数のこびとでいっぱいになりました――。

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