「勇者フルートの冒険」シリーズのタイトルロゴ

第4巻「闇の声の戦い」

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51.居間

 トンネルの分かれ道から先へ飛び込んだ子どもたちは、驚いて思わず立ち止まりました。

 そこは小さな部屋でした。部屋を作っているのは、肉色の壁でも、赤い灯り石でもありません。ごくありふれた白い壁に囲まれた、四角い部屋です。部屋の真ん中にテーブルと椅子があり、その奥に扉が見えます。……その部屋に見覚えがあるような気がして、フルートとゼンとポチは、思わず目をぱちくりさせました。

 ワン、とポチが吠えました。

「ここ、ポポロの家の居間ですよ! 天空の国にある、ポポロの家にそっくりだ!」

 フルートとゼンは、思わずたった今くぐってきた部屋の入り口を振り返りました。その先には、うごめく肉色のトンネルが見えています。ここはやっぱり、デセラール山の地下にある迷宮の中です。

「この迷宮はルルが作ったものだ。きっと、ルルが自分の家の部屋を真似して作ったんだ……」

 とフルートは言いながら、部屋の中を見回しました。先にここへ引き込まれたはずのポポロの姿が見えません。部屋の奥の壁に扉が二つ並んでいました。フルートたちは知っています。右は台所へ続く扉。左は、短い廊下につながる扉で、その先にポポロの部屋もあるのです。フルートはためらうことなく左の扉に近づいてノブを回そうとしました。

 

 すると、その目の前で扉が開いて、奥から少女が出てきました。ポポロです。赤いお下げ髪に緑の瞳、黒い長い衣……どこもいつもと変わりのない姿です。ただ、大きな瞳には涙をいっぱいためて、今にも泣き出しそうな表情をしながら、開いたドアの向こう側を見ていました。

「だって、しかたがないのよ、ルル」

 とポポロはドアの向こうに話しかけていました。

「どうしようもないんだもの。あたしの魔法は、本当にまるで暴れ馬だわ。どうしたって、あたしには抑えきれないだもん!」

 怒ったような、今にも泣き出しそうな声で、そんなことを言っています。

「ポポロ……?」

 とフルートは思わず声をかけました。けれども、少女はまったくこちらを見ようとはしません。ただ、扉の向こうにいるらしいルルを見ています。

 フルートは思いきって手を伸ばして、ポポロに触れてみました。――手はポポロの体をすり抜けました。ゼンとメールとポチが驚きの声を上げます。幻だったのです。

 すると、開いた扉から一匹の犬が部屋に入ってきました。茶色の長い毛の犬――ルルです。毛並みのところどころで、トレードマークの銀毛が光っています。フルートはルルにも触れてみましたが、やはり手がすり抜けます。目の前にいるポポロとルルは、実体ではないのでした。

「ちくしょう、おとりかよ!」

 とゼンが怒り出しました。ルルが、彼らを惑わせるために幻影を見せているのだと思ったのです。

 けれども、その腕をメールが押さえました。

「しっ、静かに……あの子たち、何かしゃべってるよ」

 幻のポポロとルルは、そこに居合わせる子どもたちなどまるで目に入らない様子で、二人で話し続けていました。ルルが言います。

「何を弱音を吐いてるのよ、ポポロ! そんなこと言ってたら、あなたはまた大勢の人を巻き込んで、怪我をさせたり迷惑をかけたりしてしまうのよ! 弱音を吐いちゃだめ! きっとできるんだから。練習していくしかないのよ!」

 叱りつけるような口調ですが、その黒い両目は決して怒ってはいませんでした。励ますような、力強い目です。

 ポポロはぽろぽろと泣き出すと、しきりに涙をぬぐいながら言いました。

「あたし……あたしだって、みんなにそんなことしたくはないのよ……。だけど……練習すると、そのたびにやっぱり誰かを巻き込んじゃうんだもの……! そうでしょう!? ルルのことだって……!」

 すると、茶色の犬は急に優しい目になりました。ほほえむような表情で、ポポロの衣の裾に、そっと体をすり寄せます。

「私のことは気にしなくていいのよ、ポポロ。私は大丈夫。だから、ね、一生懸命練習しましょう。大丈夫よ、いつかきっと、あなたはちゃんと魔法を使いこなせるようになれるから――」

 ふいに、ルルの声がとぎれました。それと同時に、茶色の犬の姿が消えます。ポポロの姿も、かき消すように見えなくなって、部屋の中には、ただフルートとゼンとメールとポチだけが残されました。

「なんだ……今のは……?」

 ゼンが目を見張りながら言いました。幻影? ルルが作りだした惑わし? けれども、目の前で繰り広げられたポポロとルルの会話は、いやに生々しく感じられました。

 

 すると、突然、開いた扉の向こう側で、すさまじい声が上がりました。つんざくような少女の悲鳴です。フルートたちは、ぎょっとすると、扉に飛びついて押し開けました。扉の向こうに飛び込みます――。

 そこも、やっぱりポポロの家の居間でした。テーブルの上で一本のロウソクが燃えていて、そのすぐ近くにポポロとポポロのお父さんがいました。何故だか、小柄なポポロがいっそう小さく見えます。二人は立ちすくんで部屋の中を見つめていました。

 フルートたちも、そちらをみて、またぎょっとなりました。生き物が火だるまになって床中を転げ回っています。炎の中からすさまじい悲鳴が上がり続けています。少女の声です。

「ルル!!」

 とポチが悲鳴のように叫びました。燃え上がる生き物に駆け寄ります。けれども、炎に包まれた獣は、ポチの小さな体を突き抜けて、部屋中を転げ回っていきました。

 ポポロのお父さんが片手を差し伸べて声を上げました。

「ロエキ!」

 とたんに、炎が一瞬で消し飛びました。小さな獣が、どさりと床の上に倒れます。全身、真っ黒に焼けただれ、燃えて炭になった毛や皮膚の崩れたところから、血の色の肉がのぞいて見えます。ポポロがこれ以上出せないほどの悲鳴を上げました。そのまま、その場に崩れるように倒れてしまいます。気を失ったのです。

 

 すさまじい光景を呆然と眺めながらも、フルートは気がつきました。床に倒れているポポロは、今より小さく幼い姿をしています。これは現在のことではありません。過去の出来事なのです。おそらく、昔、本当にポポロとルルの間であったことなのでしょう。ルルは、ポポロの火の魔法に巻き込まれてしまったのです。そういえば、ルルはしょっちゅう他の人たちがポポロの魔法に巻き込まれることを心配していた……とフルートは思い出しました。

 ポポロのお父さんは真っ青になっていました。大やけどを負って虫の息でいるルルに両手をかざし、必死で呪文を唱えます。すると、ルルの体が淡い緑の光に包まれて、みるみるうちに火傷が治り始めました。焼けただれた皮膚の下で新しい皮膚と毛並みが作られ、殻を破って生まれ直してくるように、また元通りの茶色い子犬の姿に戻ります。

 ルルは目を開けました。すぐには声が出せなくて、ぶるぶると震えています。そんなルルを、ポポロのお父さんは抱きしめました。

「すまない、ルル……! まさかおまえが巻き込まれるとは思わなかったよ! ポポロの魔法がこんなに強くなっていたのに気づかなかったんだ。もっとしっかり、おまえに守りの魔法をかけておくべきだった……!」

 ルルはお父さんの腕の中で、まだ震え続けていました。その様子にフルートは思わず胸が痛くなりました。この気持ちはわかります。どんなに怪我がすぐに癒されても、痛みがすぐに消えてしまっても、大怪我をした瞬間の痛みと恐怖の記憶は消えません。ずっと、心の奥底に刻まれて、忘れることはできないのです。それは、魔法の金の石を持ったフルートだって同じことでした。ただ、それを口に出しては言わないだけで……。

 すると、ルルが突然震えるのをやめました。抱きしめるお父さんから身をひくように体を離すと、普通の声になって話し出します。

「大丈夫。私はもう大丈夫よ、お父さん。ポポロが気を失ってるわ。早く手当をしないと」

 驚くほどしっかりした声です。その場に透明人間のように存在している子どもたちは、なんとなく、いっせいに、どきりとしました。その言い方が、あまりにも気丈すぎるように感じられたからです。

 心配そうな顔をするお父さんの腕から、ルルはするりと抜け出しました。床の上に倒れているポポロに駆け寄って、鼻を押し当てます。

「ポポロ。ポポロ、しっかりしなさいよ!」

 と声をかけます。ちょっと叱りつけるような、はっきりした口調ですが、やっぱり怒った目はしていません。ポポロはやがて正気に返り、ルルが元通り元気な姿になっているのを見ると泣き出しました。ルルを固く抱きしめ、ごめんなさい、ルル、ごめんなさい……と泣きじゃくりながら繰り返します。

 そんなポポロを、まるで抱きしめるような表情で受け止めながら、ルルは言いました。

「馬鹿ね、ポポロ。私は大丈夫よ。お父さんがちゃんと治してくれるんだもの、大丈夫なの。気にすることなんかないんだから……」

 部屋の中からルルの姿が消えました。ルルを抱きしめるポポロも消えていきます。気がつけば、ポポロのお父さんも、ロウソクが燃えるテーブルも消えて、部屋は空っぽになっていました。

 

 ゼンが青ざめた顔でフルートを見ました。

「おい、これって……」

 フルートはうなずき返しました。

「うん。きっと、ルルとポポロの過去だ。ルルが迷宮の中に魔法で映し出しているんだよ。……まるで、ナイトメアが見せる悪夢みたいだ」

 最後の一言を、フルートは眉をひそめてつぶやきました。胸の奥が、かすかにうずいています。これまでに何度もナイトメアに襲われて、悪夢に苦しめられた記憶です。今はもう、フルートの中にナイトメアはいません。それでも、時々あのときの悪夢を思い出すと、立ちすくみそうなほどの恐怖に襲われることがあるのです。

 夢は闇の領域に属するものなのかもしれない、とフルートはずっと考えていました。夢はたいてい夜に見ます。そして、夜は闇の支配下にあるものです。夢と闇はどこかでつながっているのかもしれない、とフルートは思うのでした。だから、闇の魔王や闇の怪物たちは、人の夢に忍び込んだり、その夢を操ったりすることができるのかもしれません……。

 フルートたちの目の前に広がったのは、夢ではなく、過去の幻です。おそらくルルが持つ過去の記憶でしょう。けれども、その記憶もまた、夢ととても近いもののように感じられます。思い出して繰り返し見るもの。実体のようで実体ではない幻の世界……。過去の記憶を映し出す様子が、ナイトメアの悪夢に似て見えるのは当然なのかもしれない、とフルートは考えました。まして、それがつらく悲しい記憶だとしたら、なおのこと――。

「あの子が自分の魔法を怖がってたはずだよね」

 とメールがつぶやくように言いました。一番最後に仲間になった彼女は、ポポロの魔法が他人を巻き込むと聞いても、今まではどうもぴんと来なかったのです。

 すると、ふいにポチが叫び出しました。

「ルル! ルル、どこなの!? 出てきてください――!」

 なんだか今にも泣き出しそうな声でした。必死であたりを見回し、犬の少女の名前を呼び続けます。さっきポポロを呼んだフルートの声にも負けない真剣さでした。

 突然、部屋の奥の左の扉が開き始めました。かすかにきしみながら、ゆっくりと開いていきます。フルートたちは顔を見合わせると、すぐにそちらへ歩き出しました――。

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