「おい、どっちへ進めばいいんだ?」
通路の分かれ道に立ってゼンが言いました。いらついて怒ったような声です。フルートは困った顔で子犬を見ました。
「わかる、ポチ?」
子犬は必死で通路の床の匂いをかぎ、あたりの空気の匂いをかいでいました。そうしている彼らの後ろから、風はひっきりなしに吹き続けています。通路の中を風が走り抜けていく音が、遠い笛の音のようにヒョウヒョウ、ヒュウヒュウと様々な音色を立てています。
子犬が悲しそうに頭を振り返りました。
「だめです、全然わかりません……。ポポロの匂いがたどれないんです」
そこは地下に広がった巨大な迷宮でした。赤い石を切り出した通路がどこまでも続き、無数の曲がり角といくつもの分かれ道が次々に現れます。そこをもうどのくらい歩き続けたでしょう。通路を曲がり、分かれ道を選んで進んでいくうちに、フルートやメールは、自分が今どのあたりにいるのかすっかりわからなくなっていました。
「俺たちは、自分がどこにいるかはわかるんだぜ」
ゼンがむっつりしながら言いました。「俺たち」と言っているのは自分とポチのことです。彼らは生まれつき、ずば抜けた方向感覚に恵まれているのです。
「問題は、どっちに行けばポポロがいるかってことなんだ。こう分かれ道ばかりじゃ、さっぱり見当がつかないぞ。ここはやたらと広い場所らしいから、通路を片っ端からあたってみるわけにもいかないしな」
「ワン、ポポロの匂いはしてるんです。ただ、ルルの匂いと同じで、どこからも匂ってくるんですよ。だから、どっちに行けばいいいのかがわからないんです」
ポチは本当に困惑した顔をしていました。匂いでこんなに惑わされることがあるとは、自分でも思っていなかったのです。 フルートが慰めるようにポチの背中をなでました。
「この迷宮を作ったのはルルだもの……。同じ犬を惑わせる方法も、よくわかっているよね」
メールは何も言いませんでした。行き先のわからない迷宮。自分たちのいる場所さえも、自分ではわかりません。いくつ角を曲がっても、別の通路に入っても、現れるのは同じような赤い通路ばかりです。言いようのない恐怖に、また全身が震えそうなほど怖くなっていました。本当に、このままどこまでも進んでいって、地下の奥深くから抜け出せなくなってしまったら、どうなるのでしょう――
すると、ゼンがすっとメールの背中に腕を回してきました。かたわらにいて、メールの不安と恐怖を感じ取ったのでしょう。支えるように、少女の腕をつかみます。
メールは目を丸くしてゼンを見ました。ゼンは、ごく当たり前のことをしているように普通の顔つきをしていて、メールを見ようともしません。ただフルートにこう話しかけています。
「誰にも行き先はわからないんだ。こうなったら、行き先はおまえが決めろよ。リーダーはおまえだからな」
ゼンの行動があまりに自然だったので、仲間たちも、ゼンがメールに腕を回しているのを誰も不思議に思っていませんでした。ただ、メールだけがどぎまぎして、思わず顔を赤らめていました。むきだしになった腕をつかむゼンの手のぬくもりを、どうしようもなく意識してしまいます。……その気持ちがあまりに強すぎて、迷宮を怖いと思う気持ちさえ思わず忘れてしまいました。
フルートは二つに分かれた通路を見比べました。どちらも同じ幅、同じような通路です。石の壁が血を塗ったように赤くぼんやり光っています。どちらを選ぶべきか、まったく見当がつきません。
すると、フルートが突然声を上げました。
「ポポロ!!」
と大声で少女の名前を呼びます。仲間たちは、はっとフルートを見ました。なんだか思いがけないことのような気がして、面食らったのです。フルートは呼び続けました。
「ポポロ! ポポロ、聞こえるかい! どこにいるんだ――!?」
けれども、返事はありません。どこからも気配さえも伝わってきません。フルートは唇をかみました。焼けつくように心が焦ります。魔法使いの少女は、どんな場所にいても呼び声を聞き取って駆けつけてくれました。返事もないと言うことは、ひょっとしたら……と不吉な予想に息が苦しくなってきます。
ゼンが口を開きました。
「ポポロは今、記憶をなくしてるんだ。魔力だってないんだし、呼ばれたって答えられないだろう」
と低い声で言います。フルートがポポロの名前を呼んだことに、何故だか愕然としていました。
ポポロは、フルートだけでなく、仲間たち全員の声を聞き取ることができます。ゼンの声だって、彼女に届くかもしれなかったのです。けれども、ゼンはそんなことをしてみようとは思いつきもしませんでした。ポポロが記憶をなくしているので、呼んでもしかたない、と最初から思いこんでいたのです。
ふいに、ゼンの胸に「負けた」という一言が浮かんできて、自分自身であわてました。負けた? 負けたって、何がだよ! 何にどう負けたって言うんだよ……!? 自分に向かって心の中でどなり返します。
そんなゼンの腕を、いつの間にかメールはそっと振りほどいていました。目の前にある分かれ道を、悲しい目で見つめます。その奥にはポポロがいます。ルルに連れ去られて、少年たちが助けにくるのを待ち続けているのです――。
メールは少年たちを振り返りました。
「とにかく、どっちに行くか決めようよ。早くしないと、ポポロが心配だよ」
言いながら、思わず皮肉な笑いを浮かべそうになります。ホントに、あたいったら何を言ってるんだろ……。けれども、ポポロが心配な気持ちは、メールとしても本心です。もう彼女を憎むことも恨むこともできません。いっそ、憎み続けていられた方が楽だったのにね、とまた自分自身に悲しく笑います。
かわいいポポロ。純粋で、ひたむきで、引っ込み思案なくせに、時々、信じられないような勇気を見せるポポロ――。そんな彼女を、メールも好きになってしまっていました。自分にないものを持っている少女がうらやましくて、ちょっぴり憎らしくて、そして、それ以上に大好きで……少年たちと同じように、心配で心配でならなかったのです。
「そら、フルート、早く選んどくれよ。ポポロが待ってるじゃないか。急がないと」
言いながら、なんだか涙が出そうになりましたが、ポポロの顔を思い浮かべて、それをこらえます……。
フルートは右の通路を指さしました。
「よし――こっちを行こう」
根拠は何もありません。ただ、心に強くポポロを想い、その想いのままに道を選びました。一行はうなずくと、右の道へと進んでいきました。赤い石の通路は、どこまでも深く続いています――。
やがて、少しずつ通路の様子が変わり始めました。
赤い灯り石を切り出した四角い壁や床や天井が、だんだん不規則にゆがみはじめ、さらに進んでいくと、石ではなく、もっと柔らかい物質になっていったのです。土や木でもありません。もっと弾力があって、柔らかく、触れると生暖かい肉色の壁です。やがて、通路は四角い形をすっかり失い、血のように赤く、絶えずうごめく、生きたトンネルに変わってしまいました。壁には、まるで血管を思わせるような太い赤いパイプが無数に走っています。その中を、本当に赤い液体が流れていくのが透けて見えるのです。
「ワン……なんだか化けクジラの胃袋の中を思い出しますね」
とポチが不愉快そうに言いました。肉色のトンネルは、まさしく生き物の体内のようでした。
「迷路がルルの腹の中につながってました、なんて言わないだろうな。しゃれにもならないぞ」
とゼンも顔をしかめてフルートを見ました。けれども、フルートは何も言わずに、先へ先へと進み続けて行きます。赤いトンネルは、時々また分かれ道になります。そのたびに、ためらうこともなく右へ左へと選んでいきます。まるで、行くべき道がわかっているような確かさです。そんなフルートを見て、ゼンはまた、なんとなく、たじろいだ気分になりました。不思議ですが、こうして進むにつれて、こいつにはかなわない、という気持ちがますます強くなっていきます……。
メールは、薄気味悪さをこらえながら、懸命について歩いていました。メールはどうもやっぱり狭い場所が苦手です。うごめくトンネルに、今にも押しつぶされそうな恐怖を感じて、それに必死に耐えながら歩いていきます。ゼンはすぐ目の前を歩いています。けれども、メールはもう、その背中にしがみつこうとは思いませんでした。恐怖をこらえながら、涙をこらえながら、ただとにかく進んでいきます。
すると、突然ポチが叫びました。
「ワン! ポポロ!」
赤いトンネルの先の分かれ道に、黒い衣の少女が立っていました。青ざめた顔で、じっと仲間たちを見ています。
「ポポロ!!」
フルートたちは思わず声を上げて駆け寄ろうとしました。
すると、ポポロが両手を挙げました。手を差し伸べたようにも、彼らを押しとどめたようにも見える動きでした。子どもたちが思わず立ち止まると、ポポロはふいに両目から大粒の涙をこぼして言いました。
「みんな……助けて……」
フルートたちは、はっとしました。またいっせいに走り出します。すると、ポポロの姿がふいに一方のトンネルへ消えていきました。まるで、見えない手でつかまれて、一気に引きずり込まれたようです。
「ポポロ!!」
子どもたちはまた叫び、ポポロの後を追って、一方のトンネルへ飛び込んでいきました――。