「ポポロ、ポポロ――。起きなさいったら、ポポロ」
ちょっぴり怒ったような少女の声に何度も呼ばれて、ポポロはやっと目を覚ましたました。
部屋の中は柔らかな朝の光でいっぱいでした。薄緑色に透けて光るカーテンの向こうから、にぎやかな鳥の声が聞こえてきます。外はとても良い天気のようです。
ポポロは、小さな部屋のベッドに黒い星空の衣を着たまま寝ていました。ふんわりかかった羽毛布団は真っ白です。とまどって起き上がると、ベッドのすぐ目の前に犬が座っていて、あきれたように話しかけてきました。
「やっと起きたわね、ポポロ。ほんとによく寝てるんだから。何度起こしたと思ってるの? 早く支度をして、朝食を食べちゃって。今日は一時間目にムイ先生の実技があるのよ。ムイ先生は厳しいんだから、遅れて行ったら叱られちゃうわよ」
子犬と成犬のちょうど中間というところでしょうか。てきぱきとした口調で話すと、先に立って部屋のドアに向かって歩き出します。長い茶色い毛並みのところどころで、銀色の毛が光っていました。
ポポロは黙ってその後ろ姿を見つめました。少女がついてこないので、茶色の犬が不思議そうに振り返ります。
「どうしたの? 急がないと遅刻よ」
それでも、ポポロは黙って見つめたままです。
すると、犬は急に吹き出しました。
「やぁね、ポポロったら。また寝ぼけてるんじゃないの? 夢を見たんでしょ。フルートたちと冒険に出かけてる夢。まったくもう、しっかりしてよね!」
「あの……」
ポポロはますますとまどいながら口を開きました。
「あの……あなた、誰……?」
茶色の犬が一瞬、凍りついたように動かなくなりました。
まじまじとポポロを見つめて、それから小さく笑います。
「やだ……ポポロったら。冗談はやめてよ。びっくりするじゃない」
ポポロは何も言えませんでした。冗談なんかじゃないの。あたしは何も覚えていないのよ、と答えようとしたのですが、相手の目つきを見るうちに、急に怖くなって声が出なくなってしまったのです。犬の目はまったく笑っていませんでした。食い入るようなまなざしで、ポポロを鋭く見つめ続けています。
すると、犬が吠えるように叫びました。
「本当にもう、ポポロったら! しっかりしてちょうだい! 私はルルよ、忘れちゃったの!?」
「ルル!?」
ポポロはびっくりして、思わず声を上げました。ルルと言えば、あの真っ黒な風の犬のことです。フルートの命を狙い、湖の上の船を襲い、つむじ風のように舞い下りてきて、船の上にいた自分をさらって――そして――
ポポロはあわててまたあたりを見回しました。薄緑色の柔らかな光があふれる部屋。小鳥のさえずり。白い布団のベッド……
「ここ、どこ? ここはどこなの? あたしはどこにいるの!?」
うろたえて繰り返すポポロを、ルルと名乗った茶色の犬は、目を見張ったまま見つめ続けていました。やがて、どこかうつろな口調で、そっと話しかけてきます。
「ここはあなたの部屋よ、ポポロ……。わからないの?」
ポポロは両手で口をおおって、必死で首を横に振りました。わかりません。まったく思い出せません。
突然、ポポロはどうしようもなく怖くなりました。数日前、何もかも忘れた状態で目覚めたときにも、やっぱり少年たちはひどく驚いていました。怖いくらいの顔で詰め寄ってきましたが、緑の髪の少女がポポロをかばってくれました。待ちなよ、この子は記憶喪失だよ、と。
ここには誰もいません。頼りになる緑の髪の少女も、本当は優しかった二人の少年も、白い賢い子犬も――。
ポポロは震えながら呼び始めました。どこにも姿が見えない仲間たちの名前を必死で叫びます。
「メール! フルート、ゼン、ポチ! みんな、どこにいるの……!?」
すると、ポポロの目の前で、茶色の犬がわなわなと震え出しました。激しい声で叫び返してきます。
「どうしてあいつらの名前を呼ぶの、ポポロ! 私はここよ! どうして私を無視するのよ!?」
ポポロは泣きそうになりながら、また首を振りました。そんなことを言われても無理なのです。どうしても思い出せないのです。恐怖に充ちた目で、犬を見つめ返してしまいます。
すると、犬の声が変わり始めました。澄んだ少女の声から、地の底から這い上がってくるような低い声に、一気に移り変わっていきます。
「私を忘れたのね、ポポロ……! あいつのセイだ――アイツの――あノ、フルートノ――!!」
突然その姿が輪郭を失いました。真っ黒い霧の塊が現れ、渦巻きながら形を変えていきます。次の瞬間、うなりながら部屋に浮いていたのは、全身黒づくめの大きな風の犬でした。薄緑色の部屋が、薄れるように消えていきます……。
おびえて動けなくなったポポロに向かって、黒い風の犬が激しく吠えかかりました。
「ヨクモ、ヨクモ、ヨクモ――!! 許さなイ、殺ス、コロしてヤル――!!」
叫ぶうちに犬の姿は崩れ、真っ黒な闇が現れました。闇は大きく広がると、巨大な二枚の翼になって、ばさりと羽音を立てました――