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第4巻「闇の声の戦い」

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42.いやがらせ

 子どもたちを乗せた船は、桟橋を離れて、湖を走り始めました。風向きは変わって追い風が吹いています。船は帆に風をいっぱいに受けて、まっすぐに南の湖岸を目ざしていきました。その行く手にはデセラール山がそびえています……。

 船の上では少年と少女たちが、桟橋で見送るゴーリスとユギルへ大きく手を振っていました。いつまでもいつまでも、お互いの姿が豆粒のように小さくなってしまうまで、旅立つ者たちと見送る者たちは手を振り合います。

 やがて、船は灰色の帆だけのようになり、湖面を遠ざかっていきました。ゴーリスは手を下ろすと、安堵の笑顔とも苦笑いともつかない表情をしました。

「やっと行ったな。……一時はどうなることかと思ったが」

「彼らは勇者の一行です。彼らがそろわなければ、魔王には対抗できないところでした」

 とユギルはなお船を見送りながら静かに言いました。

「魔王か」

 とゴーリスは難しい顔になって腕組みしました。

「今回の戦いは、あいつらにとって、これまでとは違ったものになるんだろうな。なにしろ魔王を倒すんじゃない。助けに行かなくちゃならないんだからな」

「ルルはまだ完全に魔王に変わってはいません。それだけが望みの綱です。もしも勇者殿たちが間に合わなければ、その時には、勇者殿たち自身の手でルルを倒すしかないでしょう」

「フルートは、それだけは絶対にやりたがらないだろうな」

 とゴーリスはつぶやくように言って考え込みましたが、やがて、ふと思い出したように小さく笑いました。

「そういえば、ユギル殿は昨夜、出発するのを明日の朝まで待てと言ったな。あれは、あいつらがあんなふうに仲直りすることが見えていたのか?」

 すると、占者は穏やかにほほえみました。

「わたくしに見えていたのは、ただ、旅立つ金の光に、四つの光が共に寄り添って行く様子でした。予想はつきませんでしたが、きっと何かが起こるのだろうと思っていたのです」

 ゴーリスは、感心したように、つくづくとユギルを見つめました。

「なるほどな。やはり、ユギル殿の占いはよく当たる」

「お誉めにあずかり光栄です」

 青と金の瞳の占者は、静かに頭を下げます。

 そのとき、また追い風が吹きました。風は大人たちのかたわらを吹きすぎると、まっすぐに南へ、デセラール山へと湖を吹き渡っていきました――。

 

 

 湖を走り続ける船の上で、子どもたちは風に吹かれていました。本当に良い天気です。メールが思いっきり伸びをして言いました。

「あーあ、いい気持ち! 波がないし潮の香りもしないから、ちょっともの足りないけどさ、水辺はやっぱり落ちつくね」

 それを聞いて、ゼンが笑いました。

「やっぱり半分は海の民か。ま、おまえらしくていいんじゃないか?」

「あら、ありがと」

 メールがにやっと笑い返します。本当に全然女の子らしくない笑顔ですが、妙に目を惹きつける輝きがあります。ゼンはちょっと驚きました。いつの頃からか、時々こんなふうにメールがまぶしく見えるのです――。

 ポポロは、ゴーリスとユギルに精一杯手を振った後、その手を下ろして手首をさすっていました。その様子に、フルートは声をかけました。

「どうかしたの? 痛いの?」

「うん、手首の上のところが……別に何もなってないみたいなんだけど、昨日の夜から、ときどき痛むのよ」

 フルートは首をかしげました。試しに首からペンダントを外して金の石を押し当ててみましたが、ポポロの手の痛みは消えません。心配そうな顔をするフルートに、ポポロは笑って見せました。

「大丈夫よ。そんなにひどくないから。いつも痛いわけじゃないし……」

 そして、ポポロは手首を押さえたまま、船べりにもたれて湖を眺め始めました。赤いおさげ髪と黒い服が風にはためいています。フルートはその様子をじっと見守り続けました。ポポロが押さえているのは、右の手首です。ポポロの魔法を継続させている腕輪が消えていった場所でした――

 

「魔法の石が壊れる時期、ですか?」

 と銀髪の占者は言うと、形の良い眉を寄せました。彼らがゴーリスの別荘を出発する前のことです。フルートは占者のユギルに、継続の石がいつ壊れるかわからないか、と尋ねたのでした。

 ユギルは、難しい顔のまま答えました。

「それは誰にもわからないことですね。次の瞬間に砕けることもあれば、何万年も後のこともあります。石の寿命は、その石自身しか知らないことなのです」

「でも、ポポロは、腕輪についた継続の石が壊れない限り、魔法も記憶も取り戻せないんです」

 とフルートは必死で言ってから、ちょっと口ごもりながら続けました。

「ぼくたちは……それでもかまわないんです。たとえ忘れられたままでも、きっと、もう一度ぼくたちのことを覚え直してもらえるだろうから……」

 とても潔く立派なことばに聞こえますが、格好をつけているわけでも何でもなく、フルートは本心からそう思っていました。

 もちろん、彼女に思い出してもらえないのはとても淋しいことです。思い出してもらいたいのは山々です。けれども、どんなに記憶をなくしていても、彼女はやっぱりポポロでした。優しくて引っ込み思案でけなげなポポロのままなのです。それならば、きっとまたポポロと友だちになれる。また前のように仲良くなっていけるに違いない。ポポロがユギルの占いに協力を申し出てから後、フルートはそんなふうに考えるようになっていたのでした。

 ただ――。

「ポポロのお父さんとお母さんが気の毒です」

 とフルートは言い続けました。時に厳しいこともあったけれど、本当はポポロをとても愛していたお父さんと、いつもポポロを優しく抱きしめていたお母さん――。フルートはその二人に天空の国で会ってきているのです。ポポロが両親まで忘れたままでいるのは、どうしてもつらすぎるように思えました。それに、これから助けに行くルルのことだって、ポポロは忘れたままです。ルルは自分のお姉さんだと言っていたのに……。

 すると、ユギルは小さく溜息をつきました。

「勇者殿のお気持ちはわかりましたが、大変に難しいですね。人にはどうすることもできないことです。石は自らの寿命が尽きなければ砕けることがありません。あるいは、まったく反対の力に出会い、反対の力のほうが勝った時に石は粉々に砕けると言われていますが、それは……」

「反対の力?」

 とフルートは思わず聞き返しました。

「その石の持つ力と正反対の力、ということです。たとえば、愛の石であれば憎しみの力、正義の石であれば悪や犯罪の力、ということになるのですが」

 フルートは思わず考え込んでしまいました。ポポロの記憶と魔法を封じているのは継続の石です。「継続」と正反対の力というのは、いったい何になるのでしょう……?

 

「おい……! おい、フルート!」

 ゼンに脇を小突かれて、フルートは、はっと物思いから覚めました。気がつくと、仲間たち全員が船べりに立って、心配そうに湖を見ていました。ゼンが行く手を指さして言います。

「見ろよ、あれ。あいつらの船だぞ」

 花に飾り立てられた派手な船が、すぐ目の前を走っていました。船尾がみるみるうちにこちらに近づいています。追い風を受けて走るこちらの船が、それにぶつかりそうになっていました。

「どけ! どいてくれ!」

 フルートたちの船の船長が、必死で舵を操りながらどなっていました。

「あいつら、わざと俺たちの船の進路に入ってきたんだ。妨害してるぞ」

 とゼンが顔をしかめて言いました。その間にも、向こうの船はどんどん迫ってきます。減速しているのです。

「危ない!」

「ぶつかる!」

 少女たちが叫び、思わず目を閉じてしまいます。船長が大きく舵を切ると、船は今にも転覆しそうなほど左に倒れて、かろうじて先を行く船をかわしました。子どもたちは全員船の甲板に投げ出されました。あやうく湖に落ちそうになったポチを、とっさにフルートが抱きとめます。

「あ、あいつらぁ……」

 ゼンが怒りで顔を真っ赤にしながら立ち上がりました。船は体制を立て直し、花の船の左脇を追い越していきます。その船べりに大勢の人間がいて、笑いながらこちらを眺めているのが見えました。その中には、例の少年と少女と、カミチーノ卿と呼ばれた貴族の姿もありました。

「危ないねぇ、気をつけてくれたまえ!」

 とカミチーノ卿が大声で言ってきました。笑い顔のままです。ゼンは歯ぎしりをしてどなり返しました。

「ぬかせ! そっちがわざと邪魔してるんじゃないか! 沈みたいのか!?」

 船上の貴族たちが、いっせいにどっと笑い声を上げました。彼らの船はフルートたちが乗った船の倍以上の大きさがあります。ぶつかった時に大破するのは、間違いなく、フルートたちの船のほうでした。

「あれはわっしの友人の船なんですがね」

 と船長が子どもたちに言いました。苦い顔をしています。

「やっこさん、今頃、真っ青になりながら舵を握ってるに間違いねえですよ。あの喫水線(きっすいせん)をごらんな。あんなに深く沈んでる。あの船は定員越えだ。たぶん、三十人以上乗ってるんでしょう。むちゃな走らせ方をしたら、たちまち転覆だ」

「こっちがぶつかったって、船に穴が開いたら沈没だろうが。 ったく、なに考えてやがるんだ!」

 とゼンがまた怒ります。

 

 すると、カミチーノ卿が船の上を振り返って、何かを命じるのが見えました。とたんに、花だらけの船がぐんとスピードを上げて、またこちらに近づき始めます。

「また来るよ!」

 とメールが声を上げました。船長が必死で舵を切ってよけようとしますが、迫ってくる船のスピードのほうが速くて、よけきれません。

「ワン、ぼくが風の犬になって脅かしてきましょうか?」

 とポチが言いましたが、フルートは首を振りました。ここはまだハルマスの街からそんなに離れた場所ではありません。ポチが風の犬に変身すれば、町の人たちの目に触れてしまうに違いありませんでした。

「きゃあっ!」

 ポポロが悲鳴を上げました。大きな船がこちらを押しつぶそうとするように、ぐんぐん横に迫ってきます。船体がまるで壁のようにフルートたちの目の前にそそり立ちます。今にも船べりにぶつかりそうです。船長が歯を食いしばりながら梶を切り続けます。

 すると、フルートが叫びました。

「ゼン、突き放してくれ!」

 ドワーフの少年は、お? という顔をして、次の瞬間にはフルートの言う意味を理解しました。船の右舷へ駆け寄ると、すぐ目の前まで迫っている相手の船の横っ腹に両手を突き出し、力一杯押し返します。とたんに、双方の船はぐんと大きく離れました。ゼンならでは力わざです。

 高い船の甲板にいる人々には、何が起こったのか見えていませんでした。ぶつかる寸前で急に離れていった船を見て、口々にわめいています。その中には、あの少年と少女もいました。手を振り上げながら何かをどなっています。

 ゼンは腰に両手を当ててそれを見上げながら言いました。

「ったく、馬鹿としか言いようがないよな」

「このまま振り切れますか?」

 とフルートは船長に話しかけて、目を丸くしました。舵を握る船長が、まるで信じられないものを見るような目でこちらを見ていたからです。

「あの馬鹿でっかい船を素手で押し返した……? ぼっちゃん方、あんた方、いったい何者です……?」

 船長はゼンの怪力に驚いていたのです。フルートは思わず笑いました。

「ぼくたちは金の石の勇者の一行ですよ。そう聞いてませんでしたか?」

 なんだか、とても久しぶりにこのことばを言ったような気がしました――。

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