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第4巻「闇の声の戦い」

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第10章 リーリス湖

41.桟橋(さんばし)

 リーリス湖の上に晴れた空が広がっていました。空一面の埃を洗い流したような鮮やかな青空です。白い絵の具を筆でひと掃きしたように、薄い筋雲が模様を描いています。ゼンが声を上げました。

「いい天気になったな――!」

 フルートも空を見上げて目を細めました。空の中ほどで輝く太陽から、まぶしい光が降りそそいできます。日差しの中に長くいると汗ばんでくるほどの陽気ですが、湖の上を吹き渡ってくる風がひんやりと涼しいので、暑さはあまり気になりません。フルートは脱いだ兜を小脇に抱えて、気持ちよさそうに風の中に立っていました。

 メールとポポロとポチも、長い髪や衣や毛並みを風に吹かれながら、湖とその上に伸びる桟橋を眺めていました。湖の水は雨上がりのせいで灰色ににごっていますが、沖に行くにつれて湖面が青く変わり、鏡のように対岸の山々をその上に映します。その中でもひときわ高くそびえているのが、彼らがこれから向かうデセラール山でした。

 

「さっき使いをやって船を頼んでおいた。ちょっと船長と話してくるから、ここで待っていろ」

 とゴーリスが子どもたちに言って、桟橋の先のほうへ歩いていきました。初夏の景色の中でも、この剣士は黒づくめの服を着込んでいます。その後に、白い長い衣を着たユギルが、杖をつきながらついていきます。本当は痛くも何ともない足ですが、ここに来た本当の理由を他人に気取られないために、そんな演技をしているのです。

 子どもたちは桟橋のたもとに立ちながら、退屈紛れにあたりを眺め始めました。ここはハルマスの船着き場です。長い桟橋には大小様々な船がつながれていて、綺麗に着飾った貴族たちが大勢、船に乗ったり降りたりしています。大半は、どこかへ向かうのではなく、湖上の遊覧に出かける人たちのようでした。たくさんの花で飾り立てた船も、何隻もありました。

 花があると、メールはつい眺めずにはいられません。立ったまま花で飾られた船を見ていると、ふいにこんな声が聞こえてきました。

「見ろよ、あいつら! 男の格好をした女が二人もいるぞ!」

 あざ笑うような子どもの声です。フルートたちはびっくりして声のしたほうを見ました。自分たちのことを言われているのだとわかったからです。また女に間違われて、フルートはちょっと顔を赤らめていました。

 ひときわ多くの花で飾られた大きな船の上から、二人の子どもが彼らを見下ろしていました。年の頃は、フルートたちよりももう少し下でしょうか。いかにも貴族らしい様子をした少年と少女でした。

「変な人たちねぇ。子どものくせにあんな格好をしていて。いったい何者なのかしら?」

 と少女が言います。ポポロよりもっと幼いのは間違いないのに、まるでずっと年上のような言い方をします。その格好も、髪を高く結い上げ、重くて豪奢なドレスを着込んで、まるで大人の女性のような姿をしています。つんと取りすました顔が、いかにも見下すようにフルートたちを眺めていました。

「行こうよ」

 とフルートはゼンの腕を取りました。ゼンがかっとした顔で、今にも言い返しそうになっていたからです。

「きっと大道芸人だよ」

 と船の上の少年がドレスの少女に話しているのが聞こえました。

「芝居をしてみせる奴らさ。あの剣も鎧も張りぼてなんだ。弓矢もなまくらさ。犬に怪物の格好をさせて、戦って見せるんだろう」

 ゼンは百発百中の矢を、少年と少女の目の前の船べりに突き立ててやろうと、弓を握りました。あわててフルートが止めます。

「よせったら! ここで騒ぎを起こしたら、ゴーリスたちが困るんだぞ」

 そう言われれば、ゼンもこらえるしかありませんでした。歯ぎしりをしながら弓を離します。

 ところが、黙って立ち去ろうとするフルートたちを、意地の悪い声はなおも追いかけてきました。少女が甲高い声で言います。

「なぁに、あの子の髪の毛! 緑色よ! 気持ち悪い――!」

 メールが、はっと足を止めました。他の子どもたちもいっせいに立ち止まって、思わずメールを見ました。メールの緑色の髪は、母方の森の民ゆずりです。青い髪をした海の民の間で、メールがずっと自分の髪の色を気にしていたことを、少年たちは知っていました。ひとり記憶を失っているポポロでさえ、メールのただならない反応に心配そうに見上げます。

 メールは真っ青な顔をしていましたが、仲間たちの視線に気がつくと、すぐに、ふん、と笑って見せました。

「慣れっこだよ。人魚たちのほうが、ずっと口が悪いからね」

 懸命に冷静でいようとしているのがわかる笑顔でした。

 すると、ゼンが怒ったように言いました。

「おまえの髪の色は綺麗だよ。夏の初めの森の色だからな――」

 と、船の上の子どもたちをにらみ返します。メールは、ちょっと目を丸くすると、今度は本気で笑いました。

「むきになんないでよ、ゼン。あんなヤツら、相手にするほうが馬鹿なんだからさ」

 すると、今度は少年の声が聞こえてきました。本当に、聞こえるように、わざと大声で言っているのです。

「あの黒い服の奴は陰気だよなぁ。きっと幽霊の役だぞ。死人の役なんだ」

 今度はポポロがはっとしてうつむき、フルートが思わず船を振り返りました。とたんに、ゼンがその腕をつかみました。

「こら。俺にばっかり我慢させといて、自分だけ勝手に切れるなよ。ずるいぞ」

 と牽制します。

 フルートはようやく怒りをこらえると、少女たちを連れて、桟橋の先のほうへと進んでいきました。貴族の少年と少女は、彼らが遠ざかっていくのを見て、船の中へ引っ込んでしまいました。

 

 ゴーリスは桟橋の先端につながれた中型の船のそばで、船長らしい人物と話していました。その少し手前に立っていたユギルが、子どもたちに気がついて近づいてきました。

「どうしました? 何かありましたか?」

「クソ生意気な貴族のガキどもがいただけだ」

 とゼンがぷんぷん怒りながら答えました。

「ったく、エスタでも感じたけど、貴族ってヤツはホントに気にくわないぜ。何様だと思ってやがる。自分たちが世界中で一番偉いと思ってんだろ。自分ひとりじゃ食い物ひとつ調達できないくせしやがって!」

 すると、ユギルがほほえみました。

「それは同感ですね。貴族にはまったく、ろくな人間がいない」

 フルートたちは思わず目を丸くしました。占者の口調は穏やかですが、その奥に辛辣なものがありました。

「ユギルさんは貴族じゃないの?」

 とフルートが尋ねると、若い占者は、今度ははっきりと皮肉な笑顔になりました。

「ご冗談を! わたくしは南方諸国の庶民の出ですよ。縁あってロムド国王にお仕えする身にはなりましたが、貴族の仲間入りなどするつもりはありません。勧められたって、まっぴらごめんです」

 意外なほど強い拒絶のことばです。フルートは首をかしげて、年若い占者を見上げました。どうやら、この人にも何かありそうだな……とぼんやり考えます。

 すると、メールが言いました。

「だけどさぁ、ゴーリスや奥方だって貴族なんだろ? それはかまわないわけ?」

 ユギルはまた笑いました。今度はもっと柔らかい笑顔です。

「あの方たちは別格ですよ。特にゴーラントス卿は、本当に貴族らしくない方だ。偉ぶらないという点では陛下と同じくらいです」

 ユギルは話の中でゴーリスとロムド国王を同格に扱っていました。子どもたちは何となくまた目を丸くして、実は批判家だった占者を見つめてしまいました。長い銀髪の青年は、何事もなかったように、静かな表情に戻っています――。

 

 そこへゴーリスがやってきて、フルートたちに船長を引き合わせました。

「この人の船で対岸まで渡るんだ。そこからデセラール山に向かうことができる」

 とゴーリスが言ったので、ポチが口を開きました。

「ワン、船なんて使わなくても、ぼくが風の犬に変身すれば湖を渡れますよ。その方が早いと思うんだけど」

 とたんに、船長がわぁっと大声を上げて飛びのきました。犬が口をきいたのに仰天したのです。その反応にポチも驚き、すぐに苦笑いするような口調になりました。

「ワン、うっかりしてました。そういえば、ここは普通の場所だったんだ……」

 しょげたように尻尾と耳がたれます。

 フルートはすぐにポチを抱き上げて抱きしめました。

「かまわないさ。驚く人には驚かせておこう。気にすることないよ」

 ゴーリスも穏やかに笑いながら子犬の頭をなでました。本当に、大人かと思えば、突然傷つきやすい顔をのぞかせる子どもたちです。成長の具合がアンバランスなのは、フルートばかりではないようでした。

「ここで風の犬に変身されるのは困るんだ」

 とゴーリスは言いました。

「ジーナの町をルルが襲ったことは、このあたりにも風の噂で伝わっている。ここに風の犬が現れたら、それが敵なのか味方なのか見分けられる奴はいないからな。ハルマス中が大騒ぎになる」

 すると、ユギルも言いました。

「対岸には小さな町がありますが、すぐに住む人もない山岳地帯になります。対岸まで船で行ったら、そこから先は勇者殿たちの好きなようにお進みください」

 それは、彼ら大人たちが、このハルマスの船着き場で子どもたちと別れを告げることも意味していました。再び子どもたちだけの旅が始まるのです。けれども、大人と子どもの両方の顔を持つ勇者の一行は、当然のことのようにうなずき返しただけでした。

 

「わっしの船は桟橋の一番先っぽにあるヤツです。準備ができましたら、どうぞ……」

 と船長がおっかなびっくりそう言って、船に向かって歩いていきました。そうしながら何度も頭を振っています。

 実を言えば、船長も金の石の勇者たちの話は聞いたことがあったのです。金の鎧の少年とドワーフの少年と人のことばを話す犬の一行が、ロムドから闇の霧を払い、隣国エスタで風の犬を退治した話は、今ではもう有名な物語になって、ロムド中のいたるところで語られていました。

 けれども、実際に目の当たりにした勇者の一行は、船長が想像していたよりもずっとずっと子どもだったのです。本当に、頼りないくらい小さくて幼い勇者たちの姿に、船長はとまどい、本当に彼らが世界を闇から救う勇者なのだろうか、と疑わずにはいられないのでした――。

 

 フルートたちが後に続いて船に向かおうとすると、ひとりの貴族が桟橋をこちらへ歩いてくるのが目に入りました。立派な身なりをした中年の男性で、結ぶだけで何時間かかったのだろうと思うような、意匠を凝らしたひだつきリボンを首元に巻いています。その男を見たとたん、ゴーリスとユギルが密かに顔をしかめたことに、フルートは気がつきました。

 リボンの男が話しかけてきました。

「これはこれはゴーラントス卿、銀の占者のユギル殿、珍しい場所でお会いいたしますな。卿たちはこれからどちらへお出かけですか?」

 口調はごく穏やかですが、その裏に、何とも言えない響きがありました。聞いていると背筋がむずがゆくなるような、わざとらしいていねいさです。作り笑いの顔の中で、薄青い目が意地悪く光っていました。

 ゴーリスが、そっけないほど簡潔にそれに答えました。

「我々は出かけん。人の見送りにきただけだ」

「ほう? 人とはその子どもたちのことですかな? えらく変わったご様子の子どもたちですな。そんな方たちとお知り合いとは、さすがは変人で名高いゴーラントス卿だ」

 と男はあからさまに揶揄(やゆ)してきましたが、ゴーリスは何もいわずにそれを無視しました。子どもたちを船にうながそうとします。

「そら、先にいってろ――」

 すると、男がまた言いました。

「そう言えば、卿は新婚旅行の最中であられるのでしたな。奥方様はお元気ですかな? うば桜に花が咲いた、めでたいことだと、家内たちが喜んでおりましたぞ」

 ゴーリスの妻のジュリアは、まだ三十代前半で、うば桜と称されるような年齢ではありません。露骨すぎるほど露骨な悪口でしたが、ゴーリスは鋭い目で男を見たまま、やはり何もいいませんでした。

 男は作り笑いを消すと、ふん、と目を細めて、少しも動じようとしない黒い男をいまいましそうに眺めました。さらにトゲのある口調で言い続けます。

「そうそう、ジーナの町に風の怪物が現れたとか? 陛下がエスタ軍に援軍を依頼なさったと聞き及びましたが、まことですかな? 陛下の片腕と自負されるなら、そのような情けない行動に走らずに、ご自慢の金の石の勇者をお呼びになれば良いのだ。彼らなら、風の怪物もすぐに退治してくれるのでしょう? 卿も出し惜しみをなさる――」

 子どもたちは思わず顔を見合わせてしまいました。金の石の勇者の一行はここにいます。けれども、この男もまた、目の前の子どもたちがまさか自分の話している人物たちだとは、想像もできずにいるのでした。ゼンが大きく肩をすくめ、フルートがそれにちょっと苦笑いを返します。

 すると、それまでずっとかたわらで黙っていたユギルが、突然口を開きました。

「これはカミチーノ卿、気づきませんで大変失礼をいたしました。卿もご自分の勇者をお持ちになられたかったのですね。なるほど、そうすれば陛下からもご厚情をたまわれますし。では、さっそく占って、もう一組ほど勇者を見つけ出すことにいたしましょう。そうですね、人里離れた南の湿地帯で十五年ほど待ち続ければ現れるような、銀の石の勇者などはいかがでしょうか――?」

 口調こそていねいですが、カミソリの刃のように鋭くあからさまな皮肉でした。カミチーノ卿と呼ばれた男は、さっと顔を真っ赤に染め、続いて怒りのあまり顔を真っ青にしました。派手なリボンがぶるぶると震え出します。そのまま、ものもいわずに背中を向けると、大股で桟橋を遠ざかっていきましたが、乗り込んでいった先は、フルートたちを馬鹿にした子どもたちが乗る、花だらけの船でした。

 

「おーやおや、あいつ、あの子たちの父親みたいだよ」

 とメールがあきれた声を上げました。

「くっだらねぇ! ホント、この親にしてこの子ありだな!」

 とゼンも吐き出すように言いました。すっかり気分が悪くなっています。

 フルートは師匠を心配そうに見上げました。

「ゴーリス、ゴーリスはぼくのせいで他の人からいつもあんなことを言われてるの? 金の石の勇者を見つけてきたせいで――」

「馬鹿が。子どもが大人の話に心配なんぞするんじゃない」

 とゴーリスは笑ってフルートの金髪をくしゃくしゃにしました。ユギルも言いました。

「彼らは自分たちに力がないのを承知しているので、負け惜しみに吠えているだけのことです。本当に悔しければ、やってみせれればよいのだ。実現するかどうかもわからない占いの結果を信じて、現れるあてもない勇者を十年間も待ち続けることなど、できもしないくせに」

 それを聞いて、ゴーリスはちょっとおもしろそうな顔をしました。

「なんだかユギル殿自身が自分の占いに自信なかったような口ぶりだな。信じていたわけではなかったのか?」

「いいえ、金の石の勇者が必ず現れることはわかっておりました。ただ、それがいつなのかが読めなかったのです。十年間、わたくしの占いを疑うことなく待ち続けてくださったのは、陛下とゴーラントス卿のお二方だけでした」

 そう言って、ユギルは深々とゴーリスに頭を下げました。感謝と敬意を込めた心からの礼でした。

 ゴーリスは苦笑しました。

「まあ、俺だってまったく疑わなかったというわけではないんだが……結果としては、そういうことになるかな」

 と言って、フルートの頭をまたなでます。十年間待ち続けた彼の前に現れた、本物の金の石の勇者です――。

 すると、ポチが言いました。

「ワン、そろそろ船に乗り込みましょう。船長さんが待ちかねていますよ」

 その声に一行は我に返った顔になると、急いで桟橋の先の船へ歩き出しました。嫌みたらしい貴族の親子が乗った船には、もう目も向けませんでした。

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