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第4巻「闇の声の戦い」

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38.フルート

 ゴーリスと奥方の部屋のドアがノックされました。奥方を相手に寝酒のグラスを傾けていたゴーリスが、やっぱり来たな、という顔で立ち上がります。ドアの向こうにいたのはフルートでした。うつむきがちに、ひっそりと立っています。

「入れ」

 とゴーリスに言われてフルートは部屋に入り、勧められるままに長椅子に座りました。奥方のジュリアが温かい飲み物を作って出してくれます。ゴーリスはフルートの前の椅子に座ると、苦笑いをしながら言いました。

「まあ、えらく派手にやらかしたな。正直、おまえがあんなに怒ったのは意外だったぞ。以前のおまえなら、争いごとは極力避けようとしたはずだからな。ゼンがおまえを心配して言ってくれていたのは、ちゃんとわかっていたんだろう?」

 フルートはうなずきました。そう、わかっています。ゼンはしょっちゅうフルートに対して怒りますが、いつだってそれはフルートの身を案じてのことなのです。馬鹿野郎、そんな無茶な戦い方ばかりするな! もっと自分を大切にしろ! と……。当のフルート自身よりも、もっと本気になってフルートの心配をしてくれるのです。

 椅子の中でしょんぼりとうつむいたフルートを、ゴーリスは苦笑したまま、つくづくと眺めました。本当に静かで優しげな少年です。十三になってもまだ、その顔は少女のようですし、線の細い肩や背中も子どもっぽいままです。ただ、うつむいて床を見つめる瞳だけが、年にまったく似合わない、深い苦悩の色を浮かべていました。

「で、どっちの子なんだ?」

 とゴーリスは声をかけました。意味が取れなかったフルートが不思議そうに見返すと、ゴーリスは笑うような顔のまま言いました。

「親友だったはずの男同士があんなふうに争うときには、後ろに必ず女が絡んでるものなんだよ。おまえたちが取り合ってるのはどっちなんだ? 海の王女様のほうか? 魔法使いのお嬢さんのほうか?」

「あ……」

 フルートは思わず真っ赤になって目を伏せてしまいました。いくら隠しているつもりでも、人生経験豊富な大人たちの目には、火を見るよりも明らかだったのです。

 ゴーリスは何も言わずにフルートの答えを待っています。フルートは長い間ためらってから、ようやく言いました。

「ポポロだよ……」

 おそらくそれもほとんど予想がついていたのでしょう。ゴーリスは黙ってうなずきました。

 

 その後は長い沈黙になりました。フルートは床を見つめたまま黙っています。そんなフルートをゴーリスはただ見ていました。愛弟子が自分から話し出すのをじっと待っているのです。外からは雨の音が聞こえていました。日中よりも強く降っているようです。

 やがて、フルートはようやく口を開きました。目を上げることなく、ひとりごとのように、低い声で話し始めます。

「ゼンは……すごくいいやつなんだ……」

 ゴーリスは何もいわずに耳を傾けていました。その後ろには奥方のジュリアが立っていて、やはり静かにフルートのことばを聞いています。

「北の峰で初めて出会ったときから、それはすぐにわかったんだ……。すごく強くて明るくて、ゼンが言うと、どんな困難なことでも大したことないような気がしてくるんだよ。実際に、ものすごく頼りになって……ゼンがいたから、ぼくはメデューサにも闇の卵にも魔王にも勝てたんだ。彼がいなかったら、絶対にぼくは死んでたんだ……」

 うつむいた目が、過ぎてきた日々を遠く眺めていました。とても十三の少年とは思えない、大人のようなまなざしです。

「だから、ポポロと出会って、ゼンがポポロを好きだってわかったとき、ああ良かったなって思ったんだ。あんなにいいやつなんだもの、幸せになっていいよな、って。ポポロだって、ちゃんとゼンの良さをわかってたし、あの二人ならお似合いだよね、って考えようとしたんだけど……」

 声が急に少し震えました。少年は自分の声を抑えるように、ちょっと黙り込むと、すぐにまた話し出しました。口調は前にもまして静かです。

「ぼくは金の石の勇者だから、いつだって魔の敵が現れると石に呼ばれるんだ。どの戦いも、本当にいつも命がけになる。ぼくだけじゃなく、ゼンもポチも何度も死にかけているんだよ。ぼくは魔法の石を身につけてるからすぐに助かるけど、ゼンたちはそういうわけにはいかない。いつか石が間に合わなくて、死なせちゃうんじゃないか、って……ゼンたちは大丈夫かもしれないけど、ポポロたちは女の子だし、力だってすごく限定されてるから、もしかしたら本当に敵に殺されちゃうんじゃないか、って……ずっと、本気で怖かったんだ。ぼくのそばにいたら、必ずまた戦いに巻き込まれて、死ぬほど危険な目にあうようになる。それよりは、ゼンのそばのほうが安全じゃないか……っても考えたんだけど……」

 フルートの声が今度ははっきりと震えました。フルートは唇をかむと、目を閉じました。何かをこらえるように、両手を固く握り合わせます。

「とてもそんなふうには割り切れなかったんだろう?」

 とゴーリスが穏やかに言って、黙ってうなずくフルートに薄くほほえみました。

「まあ、そんなもんだ。人を好きになるって気持ちは、理屈でどうこうできるようなもんじゃないからな」

 

 フルートはまたしばらく黙り込んでから、ようやくまた話し出しました。静かな声はますます低くなり、かすかに震え続けていました。

「今回、旅立ってから、なんだか何かが本当におかしくなってきたんだ……。どうしてだかわからない。だけど……ゼンはぼくがポポロに近づくとむきになって怒るようになったし、ぼくもゼンがポポロと仲良く話しているのを見ると、なんだか……すごく悔しい気がして……。本当は、言ってやりたかったんだ。ゼンがぼくのことを気にするたびに、そんなに気にするなよ、って。ぼくにとってポポロは妹みたいなものだから、それで大事に思ってるだけなんだよ、って……だけど……どうしても、言えなかったんだ……」

 フルートを見つめて話を聞いていたゴーリスが、ふいに驚いたように椅子から腰を浮かしました。少年は長椅子の中でうつむいたまま泣き出していました。大粒の涙が、閉じたまぶたの隙間から次々にあふれてきて頬を伝っていきます。

「ゼンと気まずくなるのは絶対に嫌だったのに……ぼくたちはどんどんぎくしゃくしていっちゃって……とうとう喧嘩みたいになっちゃって……。あげくの果てに、ゼンをものすごく怒らせて、ポポロにとんでもない魔法を使わせちゃった。ポポロは魔法も記憶も全部忘れてる……。ぼくとゼンも、どうしても元に戻れない。こんなになってるのに……それでもぼくはまだ……ゼンに言ってあげられないんだ……」

 フルートの声はすすり泣きに変わってきていました。ゴーリスがフルートの隣の席に移ってきて、その肩を抱きます。フルートは声と体を震わせながら言い続けました。

「わかってるんだよ。たった一言……ポポロを頼むよ、って言えれば、それでまた元通りに戻れるって……。だけど……だけど……」

 フルートは固く拳を握りしめて声を振り絞りました。

「言えないんだよ、それが……! どうしても、どうしても、言ってあげられないんだ……!」

 すすり泣きがいっそう激しくなりました。ゴーリスはフルートの肩を強く抱きました。

「無理するな。そんなに『いい子』でいる必要はないんだぞ。おまえひとりがそんなにがんばらなくてもいいんだ」

 フルートは頭を振りました。涙は止まりません。

 ゼンやポポロたちとこれきり別れることになってしまっても、それでもフルートはルルを助けに行くつもりでした。たとえルルがフルートを恨んでいても、憎しみのあまり自分を殺そうとしていても、それでもやっぱり、助けに行かずにはいられないのです。

 ただ、自分のかたわらに、ぽっかりと大きな深い穴が開いてしまったようで、それがことばにできないほど悲しくて、フルートは泣き続けました。今までフルートを支え続けてくれたすべてのものが、残らず暗闇に飲み込まれてしまったようです。寒いくらいに淋しくて、フルートは震えながら泣いていました。泣いても泣いても、涙は止めどなくあふれ出してきます。

 ゴーリスはそんなフルートを見つめていましたが、やがて、金髪の小さな頭を広い胸に抱き寄せました。

「泣け、フルート。泣けるんなら、思い切り泣いてしまえ。その方が、たぶん、早くすっきりするだろうよ……」

 フルートの嗚咽が激しくなってきました。泣き声は次第に大きくなっていき、ついに、フルートはゴーリスの胸にしがみつくと、声を上げて泣き出してしまいました。小さな子どものように、わあわあと大泣きを始めます。

 そんなフルートを、ゴーリスはただ黙って抱き寄せてくれていました。

 

 やがて、フルートはゴーリスの胸にすがったまま泣き寝入りしてしまいました。涙の跡を頬に残したまま、ぐっすりと眠ってしまいます。

 ゴーリスは、そんなフルートの頭をそっと長椅子に下ろして、おもむろに立ち上がりました。痛ましい目で愛弟子を見下ろします。

 すると、ずっと黙ったまま二人を見守っていたジュリアが、かたわらに来て一緒にフルートをのぞき込みました。

「かわいそうに……よっぽど我慢をしてきたのね」

「もともと自分の気持ちをめったに口に出さない奴だからな……。俺も、こいつがまともに泣いたところを見たのは初めてだ。それだけに、内にこもるんだな。とうとう限界点を越えたんだろう」

 そんなふうに言いながらも、ゴーリスは相変わらず気がかりそうにフルートを見つめていました。こんなに大泣きしても、明日になれば少年はまたなんでもないような顔をしてルルを助けに出かけるのだと、ゴーリスにはわかっていたのです。淋しさも悲しさも、穏やかな顔の陰に隠しながら――。因果な奴だな、とゴーリスは胸の内でつぶやきました。

 すると、ジュリアがフルートをつくづくと見つめながら言いました。

「初めて見たとき、体こそ小さいけれど、なんて大人な子だろうと思ったのよ。話し方も一人前だし、まるで小さな大人を相手にしているような気がしたわ。でも、やっぱり年相応の子どもだったのね……」

「ある部分はな」

 とゴーリスは答えました。苦々しい声です。

「だが、別の部分はびっくりするほど大人になっている。本物の大人も顔負けなくらいだ。普通、十三やそこらのガキが、自分と一緒にいると不幸になるから一緒にいないほうがいい、なんて考えるか。まったく……」

 ゴーリスは溜息まじりで愛弟子を見つめ続けました。その服の胸元からはペンダントがこぼれ出て、金の石が静かに輝いています。黒衣の剣士はつぶやきました。

「大人に、させられているのかもしれんな。こんなに小さな石のくせに、えらく重たいもんだ――」

 そして、ゴーリスはまた溜息をつくと、フルートを寝室に運んでやるために、部屋のドアを開けました。

 すると、そこに子どもたちが勢揃いしていました。

 ドアの前の廊下に、ゼン、メール、ポポロ、ポチが立っていて、とまどうようにゴーリスと部屋の中を見つめてきます。

「おまえら」

 とゴーリスが驚くと、ゼンが顔をしかめながら言いました。

「あいつの泣き声が部屋まで聞こえてきたんだよ」

「ものすごい泣き方だったよね――」

 とメールも言います。

 ポポロは何も言いませんでしたが、やっぱり心配そうに部屋の中をのぞき込んでいました。

 ゴーリスはかたわらに寄って、子どもたちを部屋に入れてやりました。少年と少女たちと子犬が長椅子に駆け寄ります。フルートは涙の跡の残った顔で、ぐっすり眠り続けていました。

 ポチは長椅子に前足をかけて、伸び上がってフルートをのぞき込みました。

「ぼく……フルートともう一年半も一緒にいるけど、あんなにすごい泣き声を聞いたのは初めてでしたよ……。あなたの前でならフルートも泣くんですね。あなたはフルートの先生だから……」

 とゴーリスを振り返ります。フルートの力になりたいのに及ばない自分に、しょんぼりしていました。

 すると、ゴーリスがほほえんで子犬にかがみ込みました。

「俺はもうこいつの先生じゃない。こいつはもう、俺を越えてずっと先に行っちまったからな……。俺にできるのは、せいぜいこうやって思い切り泣かせてやるくらいのことだ」

 それから、ゴーリスは目を細めて少年や少女たちを見回し、改めて子犬の頭をなでました。

「こいつについていけるのは俺じゃないんだ。こいつをよろしく頼むぞ」

 そして、ゴーリスは長椅子からフルートを抱き上げました。フルートは眠り続けています。大きな腕に抱えられた体が、いやに小さく幼く見えて、子どもたちは思わずとまどいました。ゴーリスがそれをフルートの部屋へ運び、ポチが追いかけていきます――。

 子どもたちはまた廊下に出ました。フルートはゴーリスに運ばれて行ってしまいました。ゼンが黙って自分の部屋へ向かって歩き出し、メールがその後についていきます。二人とも、何も言いません。

 すると、ゼンが急に立ち止まりました。じっと自分の足下を見つめて立ちつくします。メールはけげんそうにそれに並びました。

「ゼン……?」

 すると、ゼンは顔を上げ、そのまま今度は天井を見上げました。そして、突然両手で自分の顔をピシャリと音高くたたくと、乱暴な声を上げました。

「ったく! 俺は何をやってんだよ!」

 どなっている相手は自分自身です。

「ずっと決めてたじゃないかよ! あいつは俺が守るんだって……! どんなことがあったって、どんな敵が出てきたって、俺が援護してやるって! そうさ、あいつのおふくろさんにだって、そう約束して出発してきたんだぞ!」

「ゼン?」

 メールは驚いて少年の顔を見つめました。ゼンが大きく息をします。吐き出すように、自分自身を叱りつけるように、言い続けます。

「あいつが誰を好きだって、そんなことは関係ないんだ。俺はあいつを守る。何があったって、あいつは死なせない。大事なことはそれだけだったんだ。俺はどうしてそんなことも忘れてたんだ――!?」

「ゼン!」

 メールが目を輝かせてのぞき込んできました。これ以上ないくらい嬉しそうに笑う少女に、ゼンはわざと顔をしかめて見せました。

「来いよ。これからどうしたらいいか、俺の部屋で打ち合わせだ」

 と先に立って歩き出します。メールはその後についていきました。ゼンの心が急速にフルートへ向かい始めているのが、そばにいるだけで感じられます。そこにいるのは意固地になって背中を向けている少年ではありませんでした。以前のように暖かくて頼もしいゼンでした。

 ふいにメールはたまらなく嬉しくなってゼンの服の裾をつかまえると、振り向いた少年に、にっこり笑って見せました。

「ねえさあ、あんたはやっぱり、こっちのほうがすごくあんたらしくて素敵だよ」

 ゼンは目をまん丸くすると、照れたように真っ赤になりました。

「ちぇ、ありがとよ――」

 ぶっきらぼうにそう言うと、ゼンはメールと共に自分の部屋へ歩いていきました。

 

 誰もいなくなってしまった廊下に、ポポロはひとりでたたずんでいました。ゴーリスたちの部屋のドアも、もう閉じています。しばらくの間、ポポロはピンクのドレスを握りしめて、ただじっと立っていました。

 と、少女が顔を上げました。人気のない廊下の突き当たりを見つめて呼びかけます。

「ユギルさん――」

 曲がり角から銀髪の青年が現れました。意外そうな顔をしています。

「よくわかりましたね、ポポロ様。気配を隠しておりましたのに。記憶を失っても、あなたはやっぱり魔法使いでいらっしゃる」

 近づいてきたユギルをポポロは真剣な目で見上げました。緑の宝石の瞳が、青と金の瞳をまっすぐに見つめます。

「お話と――お願いがあるの。聞いてもらえますか……?」

 少し震える声で、それでもはっきりとポポロは言いました。ユギルはゆったりとほほえみました。

「おうかがいいたしましょう。わたくしの部屋へどうぞ」

 そこで、ポポロは若い占者の後について、廊下を歩いていきました。

 夜はふけていきます。

 外から聞こえてくる雨音が、いつの間にか弱くかすかになっていました。雨は夜明けまでには降り止みそうな気配でした……。

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