「勇者フルートの冒険」シリーズのタイトルロゴ

第4巻「闇の声の戦い」

前のページ

37.ポポロとポチ

 長い時間、ポポロはベッドにうつぶせになって、羽根枕を抱きしめていました。ピンクのドレスの裾がベッドの上に花のように広がっています。あまりひっそりしているので寝ているのかと思うほどでしたが、そうではありませんでした。泣くことさえなく、ポポロはじっと考え込んでいたのでした。

 ベッドの足下では、ポチが腰を下ろして、そんなポポロを見守り続けていました。真相を知ってしまったポポロを心配していましたが、同時に、泣き寝入りした彼女がルルに取り憑かれてフルートを殺しに行かないように、見張ってもいました。

 窓の外から雨の音が聞こえ続けています。夜になって雨脚は強まっていましたが、明日の朝になれば、たとえ雨が降っていても、ゼンは二人の少女を連れてここを出て行ってしまいます。子犬のポチにはどうすることもできません。ポチは悲しい目でポポロを見つめ続けていました。

 

 すると、ポポロが枕に顔を埋めたまま口を開きました。

「ポチ、教えてほしいの……」

 けれども、そのままポポロがまた黙り込んでしまったので、ポチはベッドの上に飛び上がって、少女のそばまで行きました。

「何が知りたいんですか、ポポロ?」

「……ルルのこと。ルルって、どんな子だったの?」

 ポチはちょっと首をかしげてから、ベッドにつっぷしている少女のかたわらに座りました。

「そうですね……怒りん坊でしたよ。ぼくたちの中では一番年上だったし、ぼくたち、しょっちゅうルルに怒られてました」

 ポポロは顔を上げてポチを見ました。宝石のような緑の瞳がポチの黒い瞳を見つめます。

「あたしも怒られてた?」

「いっぱい。ポポロはいつも一番たくさん叱られてましたよ」

 ポチはほほえむような顔で答えました。

「でもね、それはルルがポポロを心配だったからなんです。ポポロの魔法は強すぎて、しょっちゅうポポロの思い通りにならなかったから、そのこともすごく心配してましたよ。周りのみんなを巻き込まないように、みんなに怪我させたりしないようにって……。戦いの時には一生懸命ポポロを守っていたし……それよりもっと前、天空の国で魔王に闇の首輪で操られてたときにも、ポポロが他の風の犬に襲われそうになったら、たったひとりで大勢を相手にしてポポロを守ったんです。全身傷だらけになりながら。あの時にもルルは闇に乗っ取られていて、ほとんど何も覚えてなかったんだけど、それでもポポロのことは忘れてなかったんですよね」

 ポポロがまばたきをしました。とまどうように目を伏せます。

「覚えてない……本当に、全然覚えてないのよ、あたし……」

「ポポロは、ルルのために魔法も何もかも忘れちゃったんですよ。ルルを助けに行きたくて。……でも、やっぱりポポロは今でもルルとつながっているんですよ。心の奥底で。ルルの声が今でも聞こえているんでしょう?」

 ポポロはすぐには返事をしませんでした。何かを確かめるように黙り込み、やがて、また口を開きました。

「声っていうか……感じるのよ。どこかに泣いている人がいるの。すごく遠いところなんだけれど、でも、ずうっと泣き続けてるの。苦しい、つらい、ここから助けて……って、その人は言ってるような気がするのよ」

 ポチは目を細めました。遠い彼方で闇にとらわれている、もうひとりの少女を想います。どんなに闇の中に深くとらわれても、闇の力に乗り移られて魔王に変えらようとしていても、それでもやっぱりルルはポポロを忘れていないのです。そして、たったひとり自分の声を聞くことができるポポロに向かって、助けを求め続けているのです。

 本当にどうして、ルル? とポチは心の中で尋ねました。どうしてフルートを殺そうとするの? なんでそんなにフルートを憎むの? 闇の力につけ込まれてしまうくらい、フルートを深く憎んでいるのは、何故? と。

 

 ポポロはまた黙り込んでいました。枕を抱きしめたまま、ずっと考え続けています。本当に、以前ならとっくに大粒の涙を流して泣いているところですが、記憶を失った少女は、どこかもどかしそうに、ただ考え込み続けているだけでした。

 窓の外の雨の音がいっそう強くなっています。いっそ、土砂降りになってしまえばいいのに、とポチは考えました。そうすれば、いくらゼンでも旅立つのを見合わせるでしょう……。ポチの口から思わず溜息がもれました。

 ずうっと、最初の戦いから一緒だったゼン。フルートといつも一緒で、いい相棒同士だった二人です。犬のポチはその間には入り込めませんでした。だけど、二人はポチをやっぱり友だちだと言ってかわいがってくれたし、戦いの時には頼りにしてくれたのです。人のことばをしゃべれることでつらい想いをしてきたポチに、初めてできた仲間でした。

 フルートとゼンが仲良くしていると、それだけでポチは幸せな気持ちになりました。二人が笑っているのを見ると、自分まで一緒になって笑いたくなりました。そして、ずっとずっと一緒にいたいと思っていたのです。フルートと、ゼンと、いつまでも一緒に……。

 

 すると、ポポロがまた口を開きました。ポチを見る目は不安そうな色を浮かべていました。

「ねえ……メールが言っていたの。あたしがルルに操られて、フルートを殺そうとしたんだ、って。ゼンもそう言ってたわよね……。あれ、本当なの? 本当に、あたし、フルートを殺そうとしたの……?」

 少女は恐怖の匂いを漂わせていました。自分が知らない間にしでかしたことを、自分自身で恐れているのです。ポチは痛ましそうな目でそれを眺めました。そんなことはないですよ、と言ってあげたかったのですが、ポポロがそんな気休めを信じるはずがないことはわかっていました。

 ポチはただ、こう答えました。

「大丈夫ですよ。フルートは強いから、簡単に殺されたりはしないんです」

 ポポロの魔法の雷でフルートが危うく命を落としかけたことは、口が裂けても言うわけにはいきませんでした。

 すると、ポポロはまたしばらく黙り込み、やがて、つぶやくようにこう言いました。

「どうして……?」

 それはルルがポポロに乗り移っていたから――とポチが説明しようとすると、その前にポポロがことばを続けました。

「どうして、フルートはそれでもあたしに話しかけてくれたの? あたしはフルートを何度も殺そうとしたのに」

 ポチはちょっと目を丸くしました。少女は、今までとは違うものを、心の中で眺めているようでした。

 ポポロがベッドの上に起き上がりました。相変わらず枕を抱きしめていますが、ベッドの上に座って、他には誰もいない部屋の中を見つめます。まるでそこに誰かが立っていて、それを見ているようなまなざしでした。

「あたしはずっと前からフルートを殺そうとしていたんでしょう? フルートもそれに気がついていたんだ、ってメールが言ってたわ。だけど、フルートはずっと優しかったわ。いつもあたしに気をつかってくれて、笑って話しかけてくれて……。どうしてなの? どうして、そんなことをしてくれたの? あたしは、自分を殺そうとした恐ろしい相手のはずなのに」

 ポチはほほえむような目になってポポロを見上げました。

「ワン。フルートは自分を憎んでいるルルさえ助けに行くんだって言ってますよ。フルートってそうなんです。とにかく、そういう人なんですよ」

「信じられない……」

 ポポロはまたつぶやくような口調になりました。

「どうしてあんな人がこの世にいるの? 大人すぎて人間じゃないみたいよ。あたしより、たったひとつしか年上じゃないはずなのに……」

 羽根枕に顎を埋めて、じっとまた考え込んでしまいます。

 ポチはどう返事をしていいのかわからなくて、ただ黙ってポポロを見上げていました。ポチにはフルートの気持ちがわかります。フルートは、ただとにかく優しいのです。優しくて優しくて、いつだって相手の気持ちを一番最初に考えてしまうから、絶対に誰のことも責めないのです。ポチはそんなフルートが大好きで、同時に、とても痛々しく感じてしまいます。そんなに優しくなくたっていいんですよ、とフルートに向かって言ったこともありましたが、それでもフルートは変わらず優しいままでした。

 だから、たとえゼンや少女たちが離れていっても、ポチだけはフルートと一緒にルルを助けに向かうつもりでいました。ゼンのように頼りにはならないし、少女たちのように強力な攻撃ができないことも承知していたけれど、それでも自分はフルートと一緒に行くのです。どこまでも――自分が行ける限り最後まで。

 少女と子犬は、それぞれ自分の考えの中に座りこんでいました。部屋の中が静かになります。

 窓の外では雨が降り続けていました。湿った空気の匂いが窓の隙間から流れ込んできます。それは、季節を春から夏へと塗り替えていく雨でした。

素材提供素材サイト「スターダスト」へのリンク