「ゼン、入るよ」
そう言って、メールが部屋に入ってきました。相変わらず青いドレスを着ています。ゼンは自分のベッドにひっくり返って頭の下で腕を組んでいましたが、メールが近づくとたちまち向こうを向いてしまいました。カーテンも引かずにいた窓の外は、もうすっかり夜です。雨が日中よりも強く降っている音がしていました。
メールが言いました。
「ポチから聞いたよ。北の峰に帰るって言ったんだって? 本気なの?」
責める口調ではありませんでしたが、ゼンは不機嫌そのものの声で答えました。
「本気だ。もうあんなヤツにつきあってられるか」
メールはそんなゼンに溜息をつくと、ベッドの端に座りました。
「いいのかい? 本当にそんなことしちゃってさ。魔王が復活したってのに」
ゼンは少しの間、何も言いませんでした。相変わらずそっぽを向き続けます。が、急にこんなことを言い出しました。
「おまえ、フルートがなんであんなに強力な武器や装備を持ってるか、わかるか?」
メールは目を丸くしました。聞かれている意味がわかりません。すると、ゼンが重ねるように言いました。
「切ったものを燃やしたり炎の弾を撃ち出したりする魔法の剣、熱にも寒さにも平気な上にどんな衝撃にもびくともしない魔法の鎧、たいていの攻撃には耐えるし魔法まで跳ね返すダイヤモンドの盾、どんな怪我でも病気でもたちどころに治す魔法の金の石――過剰なくらいの装備だ。それがどうしてだか、わかるか?」
「どうしてって……」
メールはとまどいました。確かに、メール自身もフルートの装備はできすぎなほど良いと思ったことがあります。けれども、それが何故か、なんてことは考えたこともありませんでした。いろいろな協力者たちが、フルートに強力な武器や防具を与えてくれたという話でしたが……。
すると、ゼンが続けました。
「装備だけじゃない。あいつの周りには強力な味方が集まってる。俺たちもそうだし、白い石の丘のエルフや、泉の長老や、天空王……とにかく、けたはずれにすごいヤツらばかりだ」
ゼンは自分たちのことまで「けたはずれ」の中に数えていましたが、その口調に嫌みはありませんでした。怪力で弓矢は百発百中のドワーフのゼン、風の犬に変身できるポチ、今は無理ですが、一日に二回強力な魔法を使うことができるポポロ、花を使って自在に戦うことができるメール――子どもとは言え、彼らの戦闘能力は相当なものです。ゼンとしては、ただ事実を述べているだけなのでした。
「でも、そうじゃなかったら、あたいたち敵に勝てないじゃないか」
とメールが言うと、ゼンはいきなりベッドの上に体を起こしました。
「それなんだよ!」
「それって?」
メールがまた目を丸くします。
「それだけの装備や人材がそろってるくせに、あいつはいつだってぎりぎりなんだ。全然余裕なんかじゃない! ――あいつの戦い方は自滅的なんだよ。戦いってのは、自分の身の安全を確保しながら攻撃していくのが基本なのに、あいつはいつだって敵の目の前に立って、自分自身の体を盾にして他のヤツらを守る。そんな戦い方があるか!? 強力な装備と俺たちがいるからどうにか勝ってきたけど、そうでなかったら、あいつはあっという間にあの世に行ってるぞ。あんな馬鹿なヤツ、いるもんか!」
ゼンは吐き出すように言い続けます。
「何が勇者だ! 死んじまったら世界も人も救えないじゃないかよ! なのに、あの馬鹿はいくら言ったって変わらないんだ! 自分のことなんか全然考えてやがらない! そんなヤツにつきあいきれるか!!」
ゼンがどなりちらします。
メールは思わず肩をすくめました。
「だから、フルートから離れるってのかい? 全然筋が通ってないよ、ゼン」
たちまちまたゼンが背中を向けます。
「俺はつくづくあいそが尽きたんだよ」
とうなります。
「どんなに強力な装備だってなんだって、自分から死にたがってるヤツを助けることはできないんだ。あんな馬鹿、もうかまってられるかよ――!」
それきり、ゼンは黙り込みました。黒い夜が貼り付いた窓をにらみつけて、唇をかんでいる気配がします。
メールは大きな溜息をつきました。首をかしげてゼンを見ると、長い緑の髪がさらりとこぼれて、青いドレスに包まれた肩から胸元へと流れます。子どもながらも目を奪われるように美しい姿ですが、ゼンもメール自身も、そんなことはまったく気にもとめません。
「やっぱりポポロのことがひっかかってるんだね……」
とメールが言うと、とたんにゼンがまたどなりました。
「うるせえ!」
勢いよくベッドに寝転がってしまいますが、そのままちょっと考え込む顔になり、低い声で尋ねてきました。
「あいつ……ポポロはどうした?」
ゼンは興奮した弾みで、またポポロがフルートを殺そうとした事実を口に出してしまったのです。メールは苦笑しました。
「しょうがないから、また全部話して聞かせたよ……。あの子とルルの関係も、ルルのせいでフルートを殺そうとしたこともね。すごく驚いてたけど、前回ほどショックではなかったみたいだね。記憶をなくしてるからだと思うけど。今はポチがそばについてくれてるよ」
「そうか」
とゼンは言うと、それきりまた黙り込んでしまいました。
そんなゼンをメールは悲しい目で見ました。いつだってゼンの心は小さなポポロのことでいっぱいです。他の誰もそこに入りこむことができません。他の誰も――親友だったはずのフルートさえも。
メールは、ふいに涙がこぼれそうになりました。ゼンに振り向いてもらえない自分が悲しかったからではありません。今まさに決別しようとしている少年たちが、哀れに思えてしかたなかったからです。
「あたい、自分の部屋に戻るよ――」
とメールは言って、ベッドから立ち上がりました。ゼンは何も言いません。けれども、メールがドアのノブに手をかけたとき、声をかけてきました。
「おまえ、いつまでそんなドレス着てるつもりなんだよ?」
メールは思わず真っ赤になって振り返りました。
「に――似合わないって言いたいんだろ? ちゃんとわかってるよ!」
すると、ゼンは大まじめな顔で答えました。
「いや、似合ってるぜ。どえらく綺麗だ。でも、綺麗すぎて、なんかおまえじゃないみたいなんだよ。おまえはやっぱり、いつもの格好のほうがいいぜ」
メールは目をまん丸くしてしまいました。急に胸がどきどきしてきて、いっそう顔を赤くしてしまいます。けれども、そう言った当の本人は、自分が言ったことの影響にはまったく気づかずに、ベッドに仰向けになったまま天井を見上げてしまいました。
少女は思わずまた苦笑しました。ホントにもう! と心の中でつぶきます。
メールがまた戻ってきてベッドに腰を下ろしたので、ゼンが意外そうな顔をしました。
「なんだ、部屋に戻るんじゃなかったのかよ?」
「もうちょっとここにいることにしたよ」
とメールはすまして答えます。
「ち、好きにしろ」
ゼンはぶっきらぼうにそう言うと、どこか照れたような様子でまた窓のほうを向いてしまいました。
そんなゼンをメールは小さくほほえんで見つめました。メールはやっぱりゼンが好きでした。ゼンがメールの気持ちに全然気づいていなくても、ゼンがポポロだけを想っていても、それでもやっぱり、ゼンが大好きでした――。