子どもたちが大人たちと出会った建物は、ゴーリスの別荘でした。奥方のジュリアがてきぱきと召使いに命じて子どもたちに風呂を使わせ、軽い食事をとらせます。フルートとゼンは生き返ったような気分になって、ゴーリスとユギルのいる居間に行きました。
もう夕刻が近づいてくる時間帯でした。少しずつ暗くなってくる窓から、ひんやりした空気が流れてきます。壁際で赤々と燃える暖炉が心地よい光を部屋中に投げかけています。その暖炉のすぐ前では、子犬のポチが、洗いたての真っ白な毛並みを乾かしていました。少年たちが部屋に入ってきたのを見ると、ちょっと頭を上げましたが、その場から動こうとしません。フルートは首をかしげました。子犬がまた元気をなくしてきているのを感じ取ったのです。
「適当に座れ。今、飲み物を出してやる」
とゴーリスが手ずから黒茶をいれながら言いました。田舎町のシルで身分を隠して十年もひとり暮らしをしてきただけあって、ゴーリスはとても気さくです。
ユギルは同じテーブルに向かって座っていました。その前には記号や文字のようなものが刻まれた黒大理石の円盤が置かれていています。少年たちが見てもさっぱり意味がわかりませんが、ユギルが占いの時に使う占盤に違いありませんでした。
そこへ、ゴーリスの奥方に連れられて、少女たちが部屋に入ってきました。フルートとゼンは思わず椅子から立ち上がってしまいました。メールもポポロもいつもの服を脱いで、裾の長い綺麗なドレスに着替えていたのです。メールは流れるようなラインの青いドレス、ポポロは花のようにふわりとしたピンクのドレスです。
少年たちがあっけにとられた顔をしているのを見て、メールがたちまち真っ赤になりました。
「しょ、しょうがないんだよ! 風呂に入ってる間に、あたいたちの服が勝手に洗濯に出されちまったんだもん! こんな服しかなかったんだよ!」
と弁解するようにわめきます。すると、奥方が笑いました。
「こんな服しか準備できなくてごめんなさいね。ここは別荘地だから、貴族御用達の店しかないのよ。でも、よく似合っていると思わないこと?」
少年たちは心からうなずいてしまいました。急いで調達した服にしては、どちらもそれぞれの少女に本当によく似合っています。メールのドレスは長身の彼女を鮮やかに描き出していますし、ポポロのドレスは控えめな彼女を優しく包んでいます。そして、少女たちが洗った髪を結わずに長くたらしたままにしていたので、その姿はなおさら女の子らしく、かわいらしく見えていました。
「へぇ、馬子(まご)にも衣装だな」
とゼンが不用意につぶやいて、たちまちメールに張り飛ばされました。
「馬子で悪かったね! いいから早く話を始めようよ! 夜になっちゃうじゃないのさ!」
「いてて。なんだよ、一応ほめてんだぞ」
「全然ほめてないっ!」
あっという間に口げんかを始めたメールとゼンに、部屋の中の大人たちが声を上げて笑いました。フルートも笑っていました。二人のこんなやりとりを聞くのは久しぶりのような気がします……。
一同が席に着き、熱い飲み物が配られると、ユギルがテーブルを囲んだ面々を見回しました。ユギルの右隣から、ゴーリス、奥方のジュリア、ポポロ、メール、ゼン、フルートの順で座っていて、フルートの足下にはポチがうずくまっています。
全員がユギルに注目すると、若い占い師はうなずいて、おもむろに口を開きました。
「さて、これから勇者殿のご希望する占いをいたしますが……その前に、わたくしから話しておかなくてはならないことがあるのです。少し長い話になりますが、よろしいでしょうか?」
これまでの出来事や知りたいことを話し出そうとしていたフルートは、ちょっと驚きましたが、すぐにうなずき返しました。そこに座る青年は、さっき庭先でゴーリスを冷やかして笑っていたときとは、まったく別の顔つきをしていました。若いのに同時にひどく年とっているような、不思議な雰囲気を漂わせています。
すると、青年は目の前の占盤に両手をのせて静かに話し出しました。
「わたくしが勇者殿たちをずっと占ってきたのは、先ほど申し上げたとおりです。けれども、それは最近始めたことではありません。わたくしは、勇者殿が一番最初の冒険に出かけたときから、ずっと勇者殿を占盤で追い続けていたのです」
フルートはまた目を丸くしましたが、黙ってユギルの話の続きに耳を傾けました。
「一番最初の冒険は、このロムドの国をおおった黒い霧を払うことでしたが、その旅の間に勇者殿は北の峰でゼン殿と出会い、南の荒野でポチ殿と出会いました。その時、わたくしの占盤には、金の光が銀の光や星の光と一緒になったのが、はっきり映ったのです。言うまでもございませんが、金の光は勇者殿を示す象徴、銀の光はゼン殿の象徴、星の光はポチ殿の象徴です……。霧の中心は闇があまりに深くて、わたくしにもとても見通すことはできませんでした。けれども、勇者の一行が金の石を使って霧を払った瞬間、占盤に大きな黒い影が現れたのです。それは巨大な蛇のような形をしていて、あっという間に聖なる光に打ち消されていきました――」
「俺たちが闇の神殿で闇の卵を壊したときのことだな」
とゼンが口をはさみました。
青年はうなずきました。
「あの時、闇は確かに世界の最果てまで追いやられて、消えていったのです。けれども、占盤の上には、正体のしれない影が残りました……。それは見えるようで見えない影でした。力の弱い占者であれば、とても気づくこともできないでしょう。わたくしの目にも映らないことがしばしばありました。その動きは、まるで、この世界のあちこちに開いている穴をくぐり抜け、身を潜めながら、何かを探し回っているようだったのです」
そして、銀の髪の占者は、じっと占盤の上に目を注ぎました。黒い石の円盤は、ただ部屋の暖炉と燭台の光を映しているだけで、フルートたちの目には影も光も、何も見えません。
少しの間、口をつぐんでから、ユギルはまた話し続けました。
「勇者殿たちの二番目の冒険は、隣のエスタ国を襲う風の犬を退治することでした。結局その背後には魔王がいて、勇者殿たちは天空の国まで上っていって、魔王と対決しました。その時に、緑の輝きが勇者殿のそばに現れました」
とポポロに目を向けます。何も覚えていない少女は、びっくりしたような顔になると、あわてて隣のメールの腕にしがみつきました。
「魔王は勇者殿に倒され、天空の国とエスタに平和が戻り、すべてが丸く収まったように見えました。けれども、遠い海の中に、なにか得体の知れない影が見え隠れしていました。そして、ある日突然、海の東半分が闇でおおわれてしまったのです――。占盤に現れた闇は、魔王の復活を示していました。わたしくは遠くロムドにおりましたが、勇者殿たちが魔王と戦い、海を闇から解放していく様子を、つぶさに眺め続けていたのです。大変な戦いでしたね――正直、あなた方が魔王に勝てるかどうか、わたくしでさえ危ぶんだほどなのです」
そう言って、ユギルはじっと子どもたちを見つめました。その色違いの瞳が、痛々しそうな表情を浮かべています。謎の海の決戦で子どもたちがどれほどの死闘を繰り広げてきたか、占者は遠い場所にいながら、しっかり見届けてくれていたのでした。
フルートはほほえんで見せました。
「でも、ぼくたちは魔王に勝ちました。ポポロが闇の結界に飛び込んできて、外からみんなの力を引き入れてくれたんです」
急に話の中に自分の名前が出てきて、ポポロがまた驚いた顔になりました。
ユギルは静かにまたうなずきました。
「勇者の一行は深く濃い闇の中で今にも光が消えそうになっていました。金の光が仲間を守って必死で抵抗しているのが見えました。そこへ、緑の輝きが飛び込んできたのです。それは闇の外にいる黒い翼とつながっていて、外にある大いなる光を闇の中へと導きました。その光は闇を破り、勇者殿たちは魔王を倒すことができたのです」
フルートは話を聞きながら、ふと首をひねりました。
「黒い翼……?」
話の内容からみて、それがポポロの愛犬のルルを示す象徴なのはわかりました。けれども、それと同時に、フルートはいつかどこかで、黒い翼のようなものを見たことがあった気がしたのです――。
ユギルの声は、いつしかとても低く静かになっていました。呼吸する音さえ、その声を妨げてしまいそうで、一同は息を潜めながら占者の話を聞き続けていました。
「魔王がこの世界から消滅したとき、東の海をおおっていた闇はちぎれて消え、また世界に平和が戻りました。ところが、その時、また占盤の上に淡い闇の影が差したのです。それは、魔王が消滅するのと同時に現れました。そして、また世界をさまよい始めたのです。何かを探し求めるように……。その影が半月ほど前、急にまた占盤から消えたました。と同時に、私だけでなく、城中の占者の占いに凶兆が現れたのです。それは、魔王復活の兆しでした――」
フルートたちはいっせいに目を見張りました。この話を聞くのは初めてだったのでしょう。ゴーリスや奥方まで驚いた顔をしています。
ゼンがあわてたように言いました。
「ちょ、ちょっと待てよ……ってことは、なんだ……魔王ってのは何度倒しても、また復活してくるものなのか? 倒しても倒してもきりがないのか?」
フルートも真剣な顔で考え込みながら言いました。
「ぼくは、あのとき確かに魔王にとどめを刺したつもりでした。だけど、それが本当なら、どんなことをしても魔王を消滅させることはできないってことなんでしょうか……?」
すると、ユギルは静かに答えました。
「残り続けるのは、闇の影だけです。それに実体はありません。世界をさまよって宿主を見つけ、そのものを魔王に変えるのです。あなた方も、闇の影が去った後の魔王の正体を、目の当たりにしたのではありませんか?」
少年たちは、はっとして顔を見合わせました。闇の結界の中、死闘の果てに倒した魔王は、彼らの目の前でちっぽけなゴブリンに戻っていったのです……。
「ゴブリンはデビルドラゴンの血を飲んで魔王になったんだ、って言っていました」
とフルートが思い出して言うと、ユギルが答えました。
「血というのはおそらく象徴的な意味合いなのでしょう。あるいは、そのゴブリンは、自分ではデビルドラゴンの血というものを飲んだつもりでいたのかもしれません。正体は闇の力そのものです。それに乗り移られたものが、魔王になってしまうのです。そして、その闇の力は、勇者殿たちが一番最初に倒した闇の卵から生まれ出たものだったのです」
少年たちは、まったく声が出せなくなりました。闇の神殿の奥で、生き物の命を飲みながら育っていた闇の卵。それがかえってしまったら世界は絶望のどん底に突き落とされただろう、と賢者のエルフは言っていました。フルートたちは、かろうじてそれを食い止めることができたのだ、と。けれども、実際には、闇の卵の力の一部はこの世界にとどまり続け、世界の征服と破滅を望む魔王を生んでいたのでした。
ちっ、とゼンがいまいましそうに舌打ちしました。
「因縁だよな。結局俺たちは、ずっとあの闇の卵と戦い続けていたってわけか」
フルートは、なおも黙ってじっと考え込んでいましたが、やがて、目を上げるとユギルを見ました。
「それで……ゴブリンを去った闇の力は、今度は誰に乗り移ったんですか? 今度の魔王は何者なんでしょう?」
けれども、そう言いながらも、フルートはその正体を薄々予想していました。闇の力が占盤から姿を消して、魔王復活を示し始めたのが半月前。それとちょうど時期を同じくして起こり始めた出来事があったからです……。
すると、銀の髪の占い師がふいにほほえみました。意味がさっぱりわからなくて、きょとんとした顔をし続けるポポロに、優しく目を向けます。
「いいえ、このお嬢さんではありません。この方の魂は緑の輝きのままです。けれども、このお嬢さんの向こう側には黒い翼が見えます。その翼に、闇の力が取り憑いたのです」
とたんに、ものすごい勢いでゼンが立ち上がりました。
「ルルか……? ルルが、新しい魔王になったってのかよ――!?」
そうどなったゼンの顔色は、真っ青になっていました。