ゼンが、建物の庭先に座る大人たちの前で馬を止めました。その鞍からフルートが飛び下ります。
「ゴーリス! ゴーリス……!!」
名前を繰り返し呼びながら、黒い服を着た半白髪の男へ駆け寄って飛びついてしまいます。すると、男は笑いながらそれを抱きとめて言いました。
「久しぶりだな、フルート。少しは背が伸びたようじゃないか?」
ロムド国王に仕える貴族のゴーリスでした。十年もの間、シルの町で金の石の勇者を待ち続け、フルートがその勇者だとわかると戦い方を教えてくれた剣の師匠です。本名はゴーラントスと言いますが、フルートは、シルの町で呼んでいたように、今でも彼をゴーリスと呼んでいました。
黒い霧の沼の戦いの後、ゴーリスはシルの町からロムド城に戻り、国王の側近として務めていました。フルートたちは天空の国で魔王を倒した直後に、ロムド城に立ち寄って一度会っていたので、それ以来ほぼ一年ぶりの再会でした。
すると、ゴーリスのかたわらから銀髪の青年が穏やかに話しかけてきました。
「本当にお久しぶりです、勇者殿。お元気そうで何よりでした」
浅黒い肌に整った顔だちの青年で、右目が青、左目が金色をしています。ロムド城一の占者のユギルでした。
「どうしてここに?」
とフルートは泣き笑いの顔になりながらゴーリスとユギルを見比べました。そこへゼンも馬から降りて口をはさみます。
「俺たち、ロムド城まであんたに会いに行くところだったんだぜ」
面倒くさいことが大嫌いなゼンです。挨拶もすっ飛ばして、いきなりそう話しかけると、銀髪の占者はまた穏やかに笑いました。
「これはこれはドワーフのゼン殿。お久しぶりです。実は足をひどく痛めましてね……ここの温泉に療養に来ておりました」
と白い長い衣の裾を持ち上げて、包帯をぐるぐる巻きにした右足を見せます。少年たちが思わず心配そうな顔になると、ゴーリスが笑い出しました。
「というのは真っ赤な嘘だ。ユギル殿の足はなんともない。城を離れてここまで来る口実にしているだけなんだ」
青年も穏やかな笑顔のまま続けました。
「金の石の勇者の一行がわたくしを訪ねてくると占いに出たので、ここまで出向いてきたのです。ただ、城の占者というのは簡単には城を離れられませんので、陛下のお許しを得て、ちょっと芝居を打ったのですよ」
それを聞いてフルートたちは思わず感激してしまいました。彼らが知らないところで、いつも味方でいてくれる大人たちです。
すると、ユギルはふいにほほえみを引っ込めて真顔になりました。
フルートとゼンも、はっとなりました。ロムド城一の占者は、フルートに闇が迫って殺そうとしていることをちゃんと読みとっていたのでした。
その時、ゼンの荷袋の中でもがいていたポチが、ようやく頭を袋の外に出しました。ユギルとゴーリスの顔を見て、ワン! と吠えます。
「ゼン」
と呼びかけたのはメールでした。ポポロと一緒に馬を下りて、すぐ近くまで来ています。そんな子どもたちを見回して、ゴーリスがまた笑いました。
「金の石の勇者の一行はみんな元気だったようだな。かわいらしい仲間まで増えていたんじゃないか」
「西の大海の王女のメールと、天空の国の魔法使いのポポロだよ」
とフルートが紹介すると、ユギルがうなずきました。
「この方たちのことも占盤に現れておりました。勇者殿たちを象徴する金の光、銀の光、小さな星の他に、もう二つの光が共にこちらに向かっていました。青く輝いて燃える炎と……緑に輝く闇です」
そう言って、占者はじっとポポロの上に目を注ぎました。左右の色の違う目に強く見つめられて、少女はおびえたようにメールの後ろに隠れました。
すると、ユギルは少女の向こう側に何かを見透かすような目になって言いました。
「不思議な方ですね……ここに見える姿の奥に、もっと別のものが見える。闇とつながっておられる」
子どもたちはいっせいに、またはっとしました。ポポロと心でつながっているルルのことを指しているのに違いありません。この青年は確かにロムド随一の占者なのでした。ただ、当の少女だけが、何のことを言われているのかわからずに、不思議そうな顔をしていました。
「訳ありのようだな」
とその様子を見ながらゴーリスが言いました。フルートは答えました。
「ここでは話せないんだ……ユギルさんの力をぜひ借りなくちゃならないんだよ」
「わたくしはそのためにこの場所までまいったのですよ」
とユギルはまた穏やかな表情に戻って答えました。ゴーリスはうなずくと、後ろを振り返って呼びかけました。
「客だ、ジュリア。支度を頼む」
フルートたちはその時ようやくゴーリスとユギルの後ろにもう一人の大人がいたことに気がつきました。えんじ色のドレスを着た女性です。栗色の髪を綺麗に結って、小さな宝石をちりばめた髪飾りで留めています。もう若いとは言えない年代ですが、その分、落ちついた雰囲気を漂わせた、とても美しい人でした。
誰だろう、とフルートが考えていると、ユギルが言いました。
「こちらはジュリア・ゴーラントス様。ゴーラントス卿の奥方ですよ」
「奥方……って……」
フルートは目をまん丸にしてしまいました。
「ゴーリス、結婚してたの!?」
と思わず声を上げてしまいます。そんな話は今まで聞いたこともありませんでした。
「結婚していちゃおかしいか? 年に不足はないつもりだが」
とゴーリスがにやりと笑い返すと、ユギルがくすくす笑ってわきから口を出しました。
「先月結婚式を挙げられたばかりのほやほやですよ。お二方は今、新婚旅行の真っ最中なのです」
「余計なことは言わなくていい」
とゴーリスは渋い顔になると、まじめくさってフルートに言いました。
「これも陛下のご命令だ。おまえたちをここで出迎えるのに、他の奴らに怪しまれないように、我々は新婚旅行の名目で来ているんだ」
「でも、職務に忙しくてゴーラントス卿がちっとも新婚らしいことができないでいるので、陛下が心配なさってのご配慮でもあるのですよ」
とまたユギルが口をはさみます。
「だから、ユギル殿は余計なことを言わんでいい!」
とたまりかねてゴーリスが声を上げます。
フルートは目を丸くしたままゴーリスとそのかたわらに立つ女性を見比べてしまいました。
すると、栗色の髪の女性が、にっこり笑ってフルートにかがみ込んできました。
「あなたがフルートね……主人から話はずいぶん聞いていたわ。初めまして、お会いできて本当に嬉しいわ」
落ちついて優美な姿とは裏腹に、率直な言い方をする女性でした。飾らない口調がどこかゴーリスと似ています。フルートはもう一度ゴーリスを見て、そのしかめっ面に思わず吹き出してしまいました。彼の師匠が、年甲斐もなく照れているのに気がついたからです。
フルートは笑顔のまま、二人に向かって言いました。
「ご結婚、おめでとうございます。お幸せそうですね」
ゴーリスはいっそうしかめっ面になると、金の鎧の少年の頭をぐいと押さえつけました。
「生意気に一丁前なことを言うんじゃない。いいから、さっさと中に入れ。話を聞いてやる」
「おやおや。一番弟子がせっかくお祝いを言ってくださっているのに、礼も言わないとは。いけませんねぇ」
とユギルが笑ってまた茶化します。どうやら、新婚のゴーリスは、ユギルに冷やかされて格好のおもちゃにされているようでした。
すると、奥方もゴーリスに言いました。
「話を聞く前に、この子たちをお風呂に入れてあげなくてはだめよ。ずぶぬれだもの、風邪をひいてしまうわ。さ、こっちにいらっしゃい」
と有無を言わせない態度で、雨にぬれている子どもたちを家の中に招きます。ゴーリスが渋い顔のままそれについて家に入っていったので、フルートはまた目を丸くしてユギルにささやきました。
「ゴーリスって、案外恐妻家だったんだね……」
ユギルが吹き出しました。
「難しいことばをご存じですね。ええ、あのゴーラントス卿が、奥方にはまったく頭が上がらないでいますよ」
それから、青年は色の違う両目に、ふっとしみじみしたまなざしを浮かべました。
「それも無理のないことかもしれませんけどね。なにしろ、あのお二人は十年以上も婚約したまま結婚できずにいたのですから。卿が、わたくしの占いを信じて、金の石の勇者をシルの町で待っておられたからです。奥方はその間、ずっとディーラで卿を待ち続けていらっしゃったのですよ――」
フルートは思わずゴーリスたちが入っていった家を見つめてしまいました。ゴーリスが待ち続けた勇者はフルートです。なんとなく、ことばにはできないもので胸がいっぱいになりました。
「……ゴーリスたちは、今は幸せ?」
しばらく黙り込んだ後、フルートはつぶやくように尋ねました。ユギルが優しい目でほほえみました。
「ええ、きっと。少なくとも、わたくしにはそう見えていますよ」
そう太鼓判を押すロムド一の占者を、フルートは笑顔で見つめ返しました。