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第4巻「闇の声の戦い」

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29.森

 その日、子どもたちは山越えを終えることができませんでした。山と山の間の谷を過ぎたあたりで日が大きく西に傾き、森の中が暗くなってきます。フルートは無理をせず、そこでキャンプをすることに決めました。

 森の木立の間から見える空は、まだ明るい青い色をしていました。夕食の支度を始めるには、まだ少し早すぎる時間です。ゼンは弓矢を背負い直すと、フルートに言いました。

「その辺を見てくる」

 相変わらずぶっきらぼうで、ことば少なくなっているゼンですが、少しずつ落ちつきを取り戻してきているのを、フルートは感じていました。少女たちのわきを通り過ぎるとき、メールに短く一声かけていきます。ポポロはまだゼンを怖がっていましたが、ゼンはそちらには目も向けようとせずに、森の奥へ姿を消しました。

 メールは、それを見送ってから、フルートのところへ来て言いました。

「あたいたちは水を汲んでくるよ。ここに来る途中に川があったからね」

「一緒に行こうか?」

 とフルートが言うと、メールは笑って肩をすくめました。

「水を汲むだけだもん、大丈夫だよ。心配性だね、フルート」

 そして、革の水筒を持つと、ポポロと連れだって今来た道を歩いて下っていきました。谷間を川が流れていたのです。ポポロはメールにすっかりなついてしまって、素直に後についていきます。

 フルートはそれを見て、思わずほほえんでしまいました。ポポロは記憶を失ったままですが、仲間たちの関係がそれなりの形で落ちつき始めているのを感じて、なんとなく胸をなで下ろしていたのでした。

 残る大きな心配はひとつだけでした。フルートは地面にうずくまったままでいる子犬に目を向けると、そっと声をかけました。

「ポチ、本当にどうしたの……?」

 

 もの言う子犬は、本当にほとんどしゃべらなくなっていました。花畑でメールが花の乱舞を見せてくれたときには、喜んでちょっと元気になったのですが、その後はまたゼンの荷袋にもぐり込んでしまって、馬から降りてからは、うずくまったまま全然動こうとしませんでした。具合が悪いのかとも考えたのですが、それともまた違っている気がします。

 子犬が目を上げて、ちらっとフルートを見上げました。フルートはポチのわきに座ると、背中を優しくなでてやりました。

「何か心配事でもあるの? 話してごらんよ」

 すると、ポチは迷うような目の色をして、やがて、また目をそらしてしまいました。長い間、考え込むような様子をしていましたが、フルートはせかさずに、ポチの背中をなでながらじっと待ちました。

 すると、ポチが口を開きました。

「ワン、ぼく、ずっと気になってるんです――」

「何が?」

 とフルートはうながしました。

 ポチはまた考える顔になり、ためらうように黙り込みましたが、それでもフルートが辛抱強く待つと、ようやく言いました。

「ぼくの気のせいかもしれないんです……ただ、そんな気がするだけなのかもしれないんだけど……でも……」

「ポポロのこと?」

 とフルートは尋ねました。子犬の様子がおかしくなった時期を考えると、それしか思い当たらなかったからです。ポチがうなずきました。

「ワン、どこから話したらいいんだろう……いつのことから話したら……」

 と迷うように言い続けます。いつから、どこから、という子犬のことばにフルートは思わず首をかしげました。予想していた以上に、深い話なのかもしれません。

 

 ところが、そこへゼンが戻ってきました。斜面になった森の中を血相を変えて駆け下りてきて、フルートたちに向かってどなります。

「おい、やばいぞ! 向こうにオオカミの真新しい足跡があった! このあたりの森はオオカミの縄張りだぞ!」

 フルートとポチは、たちまち跳ね起きました。ゼンがあたりを見回して鋭く尋ねてきます。

「メールとポポロはどこだ!?」

「二人で谷川まで水を汲みに行ったんだよ!」

 とフルートは青くなって答えました。ゼンは歯ぎしりをしました。

「連れ戻そう! すぐにここを離れるんだ!」

 猟師のゼンがこれほど焦っているということは、のっぴきならない状況だということでした。フルートたちはすぐに谷川に向かって駆け出しました。

 が、すぐにポチが立ち止まると、耳をぴんと立てて言いました。

「ワン! メールとポポロが叫んでます!」

 少年たちが思わずどきりとなると、今度は、彼らの耳にも声が聞こえてきました。それはメールが助けを求めている声でした。

「やばい!」

 ゼンがどなりました。オオカミに出くわしたのに違いありません。フルートは叫びました。

「ポチ、風の犬だ!」

「ワン!」

 子犬がたちまち変身します。それに飛び乗って、少年たちはまっしぐらに助けに駆けつけていきました――。

 

「さ、これでよしっと」

 一杯になった水筒に栓をしながら、メールが川辺に立ち上がりました。ずっしりと重くなった革袋を肩に担いで、ポポロに笑って見せます。

「ほぉんとに、女にだって水汲みくらいできるのにね。フルートときたら心配性なんだからさ」

 谷間を流れる川は流れが速く、苔むした大小の岩にぶつかっては白いしぶきを立てて、あたりにひんやりした霧を漂わせていました。頭上におおいかぶさるように伸びた岸辺の木の枝が、川面に緑の影を投げかけています。森の奥では鳥がさえずっていました。それ以外には物音も聞こえない、静かな森の中です。

 すると、ポポロがちょっと考える顔になってから言いました。

「ねえ……フルートって本当に勇者なのかしら?」

 え? とメールは思わず目を丸くすると、たちまち吹き出しました。

「まあねぇ、全然勇者らしくは見えないよねぇ! 剣は持ってるけど、ちっちゃいし、女の子みたいな顔してるしさ! こんなのが勇者かい、ってあたいも最初は思ったよ」

 すると、ポポロがあわてて首を振りました。

「見た目のことじゃないの……。フルートって、すごく優しいんだもの。わかるの……すごく気をつかってくれてるのよ。なんか……あんなに優しいのに勇者なんてできるのかしら、って……」

 そう言ってまた考え込む顔になったポポロを、メールは思わずつくづくと見つめてしまいました。記憶を失う前のポポロの話を聞いているような気がしたのです。たとえ記憶を失っても、結局のところは、またその人物の同じところに気持ちを惹かれていくものなのかもしれません。ポポロ自身は意識していませんが、優しいフルートをまた好きになり始めているのに違いありませんでした。

 だとすると、今は怖がっているゼンのことだって、そのうちにまた好きになっていっちゃうんだろうか? とメールは考えて、なんとも複雑な気持ちになりました。正直、それは絶対に嫌なのです。やっとゼンがまたメールに目を向けてくれるようになった今、もう一度ポポロにゼンを取られたくない、というのは本音です。けれども……ポポロがまたゼンに優しくなったら、ゼンだってきっとまた前みたいに元気になるよねぇ、とメールは考えてしまっていたのでした。どうしてだか、そうして上げたい、そうなってほしい、とも思うのです。以前のようなゼンの笑顔が見たい――それもまた、メールの本音でした。

 ポポロは、メールが複雑な顔をしているのには気づかずに、じっと谷川を眺めていましたが、ふと顔を上げると、不思議そうにメールを見ました。

「メール、今、泣いてた?」

 メールはびっくりして、思わず赤くなりました。

「冗談! あたいがなんで――なんで泣くのさ!」

 なんであんなヤツのために泣かなくちゃいけないのさ、と言いかけて、あわてて言い直したメールでした。

 すると、ポポロが不思議そうに首をひねりました。

「変ね……今、泣き声が聞こえた気がするのよ。女の子の声だったわ」

 メールは、はっとしました。それはルルの声に違いありませんでした。やっぱり、ポポロは心のどこかでルルを覚えていて、今でも細くルルとつながっているのです。

 ポポロは不思議そうな顔で耳を澄まし続けています。その姿に、メールは思わず、かなわないなぁ、と苦笑いしました。ポポロは本当に無垢でひたむきです。何もかも忘れてしまっても、それでも、一番大事なことは、やっぱり忘れずにいるのです。意識していなくても、心のどこかで――。

 

「さ、そろそろ戻ろうよ。あんまり遅くなると、それこそフルートが心配するよ」

 とメールはポポロをうながして歩き出し、次の瞬間、ぎくりと足を止めました。川のほとりの木の間に、大きな黒っぽい生き物を見つけたのです。気がつくと、そっちにもこっちにも、木立の間に獣の姿が見えます。

 メールは顔色を変えました。すっかり取り囲まれてしまっています。

「どうしたの?」

 何も気づいていないポポロがメールに尋ねました。

 メールは、いきなりポポロの手をつかむと、谷川に向かって駆け出しました。

「走って! オオカミだよ!!」

 とたんに大きな犬のような獣たちが次々と森の中から飛び出し、どう猛な声を上げながら少女たちに襲いかかってきました――。

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