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第4巻「闇の声の戦い」

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28.花の乱舞

 翌日、子どもたちは日の出と同時にまた出発しました。行く手にそびえる山の中に踏み入っていきます。それを越えたところにリーリス湖があり、南の街道の入り口にあたるハルマスの街があるのです。

 この日も空は晴れ渡っていました。まだ下生えのあまり茂っていない山の森を、明るい日差しが照らしています。

 馬に道のない山の斜面を登らせながら、フルートが前のポポロに話しかけました。

「大丈夫? 揺れすぎてない?」

「うん……大丈夫」

 ポポロが短く返事をします。前の晩、フルートがさんざん苦労して、ようやくいくらか話をすることができたので、今日はポポロも少し口をきくようになっていたのです。と言っても、自分から話し出すことはなく、聞かれたことに返事をするだけなのですが、それだけのことでもフルートにはとても嬉しく感じられました。

 ゼンは山に入ってからは自分が先に立っていました。北の峰の猟師で方向感覚にも恵まれている彼は、初めての山でも躊躇することなく道案内していきます。その馬の後ろにはまたメールが乗っています。今日も二人は一言もことばをかわしませんが、なんとなく、二人とも前の日よりは穏やかな表情をしているようでした。

 子犬のポチは、相変わらず荷袋にもぐり込んだままです。ポポロが記憶を失って以来、ずっと元気がないので、フルートは心配していました。どこか具合が悪いの? とも尋ねたのですが、子犬は首を振って、なんでもないんです、と答えるだけでした。いつも仲良く話してきたポポロに忘れられて、子犬もショックを受けているのかもしれません。……が、なんとなく、フルートはやっぱり気がかりなのでした。

 

 山の頂上を越えると、その先にまた別の山がそびえているのが見えましたが、下りになると、一行はまた森の中に入りこんで、行く手の景色が見えなくなりました。そのあたりは標高も高い場所だったので、森の木はモミやツゲと言った針葉樹がほとんどで、春でもうっそうと暗く葉を茂らせていました。

 ところが、突然その森がとぎれ、目の前に明るい空間が広がりました。以前に地崩れか何かを起こして、木がなくなった場所なのでしょう。一面に草が生え、色とりどりの花が、そこここで群れ咲いていました。花や草の上を風が吹き渡り、蝶が舞っています。

 その景色を見たとたん、少女たちが歓声を上げました。

「花だぁ――!」

「まあ、綺麗!」

 花使いのメールだけでなく、ポポロまでが嬉しそうな声を上げたので、少年たちは思わず驚きました。緑の瞳が輝きながら花畑を見渡しています。ポポロはしばらくの間、花野に囲まれた白い石の丘で暮らしたことがありますし、故郷の天空の国にも一年中花が咲き乱れています。すべての記憶を失ってしまっても、どこかにその光景を覚えていて、目の前の花畑と重ねているのかもしれませんでした。

「ちょっとここで休憩しようか」

 先を急ぐ旅でしたが、フルートはそう言って馬を止めました。たちまちメールが馬から飛び下り、歓声と共に花畑の中に駆け込んで行きます。緑の髪と花のように色とりどりのシャツが花畑に溶けて紛れてしまいそうになります。

 その様子に、ゼンが言いました。

「こうして見ると、おまえってやっぱり森の民なんだなぁ。やたらなじんでるぞ」

「花はあたいの友だちだよ」

 とメールは笑いながら答えました。皮肉も意地を張る様子もない、とても素直な笑顔です。それを見てゼンは一瞬まぶしそうな目をしましたが、メールはそれには気づかずにポポロに呼びかけました。

「おいでよ! いいもの見せたげるよ!」

 ポポロが何だろう、という顔で近づいてきました。その後ろからフルートもついてきます。メールは、にやっと笑うと、両手を高く差し上げて呼びかけました。

「おいで、花たち! 踊って見せとくれ――!」

 

 とたんに、花畑中でザーッと雨の降るような音がわき起こり、いっせいに花が茎を離れました。色とりどりの虫か小鳥のように群れをなして空に舞い上がり、渦を巻いて寄り集まっていきます。

「そら!」

 メールが楽しそうな声を上げながらまた手を振ります。

 すると、渦を巻いていた花たちが雲のように流れ出し、ひとつの形を作り始めました。一匹の大きな魚です。虹色の花のウロコをひらめかせながら飛び跳ね、ひれと尾を振って空中を泳ぎ回ります。子どもたちは目を丸くして、それを眺めました。

 と、その目の前で花の魚は音を立てて崩れ、また流れ寄り集まって、今度は大きな猫の姿に変わりました。空中にとどまったまま大きく伸びをしてあくびをすると、花でできたひげの手入れを始めます。と、それも見る間に崩れていって、今度は巨大なカニが現れました。花でできたハサミを空に振り立てて、空中で横ばいしていきます。

「すごいや!」

 とフルートは思わず歓声を上げました。ゼンも感心した声を上げます。

「やるなぁ、メール」

 子どもたちの声に荷袋からポチが顔を出し、空に映し出される絵巻物に目を丸くしました。カニから、ライオン、城、巨大な戦車と、花は蜃気楼のように見る間に姿を変えていきます。

 ポポロはすっかりびっくりした顔でそれを見上げていましたが、やがて、花使いの少女をまじまじと見て言いました。

「メール、あなたって魔法使いだったの?」

 とたんに、子どもたちはどっと笑い出してしまいました。ポポロだけが、きょとんとした顔をします。久しぶりに声を上げて笑いながら、フルートが言いました。

「そういえば、君は一年前にも同じことをぼくに言ったね。金の石を使って見せたときに」

「あたいはただの花使いだよ」

 とメールが笑顔で答えました。

「ま、一種の魔法使いと言えば言えるのかもしれないけどさ、本物の魔法使いは、ポポロ、あんたのほうなんだよ」

「あたしが!?」

 ポポロが心底びっくりしたような顔になりました。本当に、ポポロは自分のことを何一つ覚えていないのです。

「で、でも、あたし、魔法なんて……」

「あんたは魔法を失敗しちゃって、自分で自分に魔法をかけちゃったんだよ」

 とメールがあっさりと言いました。

「魔法も自分も忘れちゃう魔法。それで、あんたは何一つ覚えてないのさ。でも、今はそんなことはいいだろ? そら、もうひとつ行くよ!」

 また音を立てて花が渦を巻き、空中の一カ所に集まっていったと思うと、突然巨大な丸い花になって広がりました。色鮮やかな円盤が、青空の上に広がります。子どもたちは思わずまた歓声を上げました。空のあちこちに集まった花たちが、次々に色合いの違う大きな花の輪を広げていきます。それは、本物の花で作られた真昼の花火でした。

 

「すごいな、おまえ」

 とゼンがすっかり感心してメールに話しかけました。メールはくすくす笑い返しました。

「小さい頃からこんなことばかりして遊んでたからね。お手のものだよ。でもさ、一緒に見て感心してくれる人がいるってのは、いいもんだね。すっごく気分いいよ」

 それを聞いて、ゼンはふと真顔になりました。花使いの少女の横顔を見つめてしまいます。

「って、じゃ、おまえ、こんなことをずっとひとりきりでやってたのかよ……?」

 けれども、夢中で花を操り続けるメールは、ゼンのつぶやくような問いかけには気がつきませんでした。

「そら、これが最後だよ!」

 と言うと、花たちをまたひとつに寄り集まらせます。雨のような音を立てながら花が形作ったのは、犬の頭、犬の前足、異国の竜のような長い体の生き物の姿でした。

 ポチがピンと耳を立てて歓声を上げました。

「ワン! 風の犬だ!」

 花でできた風の犬は、本物のように空を駆けめぐり、色とりどりの体をひらめかせて、子どもたちの頭上を飛びすぎていきました。

 すると、突然フルートが声を上げました。

「どうしたの、ポポロ!?」

 黒衣の少女が、空を見上げながら急にぽろぽろと涙をこぼし始めたからです。子どもたちは驚いてそれを見ました。

 すると、ポポロ自身がとまどうような顔で頭を振りました。

「わかんないの……どうしてだかわかんないの。でも、あれを見ていたら、なんだか急に懐かしいような気がして……涙が出てきて止まらなくなっちゃったのよ……」

 と空の上の犬を見上げて言います。色とりどりの花でできた、幻の風の犬です。

 仲間たちは泣いている少女を黙って見守りました。

 ポポロは、忘れてしまったはずの愛犬のルルを、心のどこかで思い出しているのに違いありませんでした――。

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