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第4巻「闇の声の戦い」

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24.別離

 朝の光が一杯に差し込む中で、ポポロは目を覚ましました。大きな岩でできた天井が真っ先に目に入ってきます。自分がどこにいるのかわからなくて、ポポロは驚きました。どこに――いえ、自分はいったいどうしたのでしょう? 確か、土砂降りの雨の中を、雨宿りできる場所を探して馬で走っていたはずです。いつの間に、こんな場所にたどりついていたのでしょう?

 横を見ると、すぐわきに金の鎧兜をつけたフルートが座っていました。片膝を立てた上にほおづえをついて、ポポロを見つめていたので、ポポロはまた驚きました。寝顔を見られていた恥ずかしさに顔が赤くなります。

 すると、フルートがほほえんで話しかけてきました。

「おはよう。気分はどう?」

 いつもと変わらない優しい声です。その声を聞くと、ポポロは不思議と心が落ちつきます。けれども、ポポロは思わずフルートを見つめ返してしまいました。いつもと同じフルートの声、フルートの笑顔。なのに、この時のフルートは、何故だかとても悲しそうに見えました。

 すると、フルートがまた言いました。

「君は雨に打たれて熱を出しちゃったんだよ。昨夜はとても具合が悪かったんだ。今朝の気分はどうだい?」

 ポポロは驚いて起き上がりました。――ほんの少し、ふらつく感じはありますが、どこもなんともありません。ただ、ちょっとだけ、体の奥に重いような疲れたような感じがしこっているだけです。

「平気よ。あの……」

 と言いかけたとき、フルートの後ろにいるゼンとメールの様子が目に入りました。二人は何とも言えない表情でそこにたたずんで、こちらを見ていました。ゼンは、敵もいないのにエルフの弓を手に握っています。

 ポポロはとまどって、またフルートに目を戻しました。

「あの……いったい……」

 言いかけるより先に、またフルートが言いました。静かな声です。

「君は疲れちゃったんだよ、ポポロ。体もだけど、心がね。ルルを心配し過ぎちゃったんだ――」

 一瞬、フルートがことばをとぎらせました。ポポロを見つめる瞳が、悲しいくらいに優しくなります。フルートは、そっと続けました。

「エルフのいる白い石の丘に戻るんだ、ポポロ。そこで待っていて。ルルの行方がわかったら、必ず丘に戻って知らせるから」

 ポポロは驚いて、思わず叫びました。

「ど、どうして――!? あたし、もう何でもないわよ! 熱もないわ! どうしてあたしだけ丘に戻らなくちゃならないの!?」

「おまえだけじゃない。俺たちも一緒だよ」

 とゼンがうなるように言いました。また驚くポポロに、フルートがうなずきます。

「ゼンとメールが君と一緒に行くよ。ぼくはポチと一緒にこのままロムド城を目ざして、占い師のユギルさんに会ってくる。約束するよ。ルルの居場所は必ず見つけてもらう。だから、ぼくたちを信じて、丘で待っていて」

 ポポロは目を見張りました。緑の瞳に、みるみるうちに涙があふれてきます。それでも、フルートはことばをひるがえしません。

 すると、ポポロの体にそっとポチがすり寄りました。

「ワン……大丈夫ですよ。ルルは助け出します。だから、心配しないで待っていてください」

 ポポロは泣きながら仲間たちを見回しましたが、誰もが、ポポロと視線を合わせずに目をそらしてしまいました。ポポロは助けを求めるように呼びました。

「ゼン――!」

 けれども、ドワーフの少年は腕組みをしたまま、黙って首を横に振りました。

 ポポロは口をおおい、涙をぼろぼろこぼしながら頭を激しく振りました。

「いやよ、いやっ! 絶対にいやっ! あたしもロムド城へ行くわ! ルルを助け出したいのよ――!!」

 すると、ふいにフルートが動きました。誰もが驚くほどの激しさで、ポポロの両腕をつかんでどなりつけます。

「だめだ、ポポロ! 君は連れて行けない! 足手まといになるんだ。エルフの丘へ戻れ!!」

 ポポロは息を呑みました。フルートは、これまで一度も見たことがないほど怖い顔をしています。いつもは本当に穏やかな顔が、まるで鬼か悪魔のような形相でにらみつけてきます。ポポロは本気でおびえ、必死で後ずさろうとしましたが、フルートは痛いくらいに腕をつかんで放そうとしません。ポポロはとうとう、どっと涙を流すと、声を上げて泣き出してしまいました。

 岩屋の中の子どもたちは、誰も声が出せませんでした。フルートも何も言いません。ポポロの大きな泣き声だけが岩屋の中に響きます。

 ふと、足下にいたポチが、くん、と鼻を鳴らして顔を上げました。怒った顔でポポロをにらみ続けているフルートを見て、またすぐにうつむいてしまいます。人の感情を匂いで感じる子犬は、フルートから、深い深い悲しみの匂いをかぎ取ってしまったのでした……。

 

 黒い馬の背中で、ポポロは声もなく泣き続けていました。大粒の涙は後から後からこぼれ落ちて、鞍や馬の背をぬらします。後ろで手綱を握るゼンは、一言も口をききませんでした。ただむっつりと、昨日来た道をたどっていきます。

 連なる丘や荒れ地を歩く馬のかたわらを、メールが徒歩で進んでいました。ゼンは馬に乗るように言ったのですが、メールは自分で歩いていく、と言い張ったのです。花が咲いている場所に出たら、花で獣を作ってそれに乗るから、と。ポポロとゼンが乗る馬に一緒に乗り合わせるなど、メールにはとても耐えられませんでした。何を言っていいのか、どんな表情をしていいのか、まるでわかりません。胸がひどく重苦しくて、なんだか、自分までポポロのように泣いてしまいたい気持ちがしていました。

 彼らはフルートとポチに岩屋の前で別れを告げて、また南西の方角へ引き返していたのでした。めざしているのは、賢者のエルフが住む白い石の丘です。

 変わりやすい五月の空は、前日の土砂降りが嘘のように晴れ渡り、澄んだ日差しを荒野中に投げかけていました。雨に洗われた草や木の緑が目にしみるように輝き、茂みに咲く小さな花の間をミツバチが羽音を立てて飛びかっています。上空の高い場所では、トビが鳴きながら輪を描いています。美しい初夏の景色です。――けれども、その景色の中を、子どもたちは目を上げることもなく、ただ黙々と進み続けていきました。

 

 やがて、太陽が頭の真上にさしかかりました。ゼンは馬を止めると、鞍から下りながら言いました。

「昼だ。飯にしよう」

 こんな状況でも、ドワーフの少年はやっぱり食べることを忘れません。枯れ枝を集めててきぱきと火をおこすと、小さな鍋をかけて料理を作り、エルフが持たせてくれたパンを切りわけます。

 そうしながら、ゼンはふと今来た方角を眺めました。フルートとポチは、二人きりでロムド城への道をたどっているはずです。今頃どうしているだろうと考えて、ゼンはいてもたってもいられない気持ちになりました。

「ポポロをひとりで丘まで帰すわけにはいかないよ」

 とフルートは前日、夕暮れの荒野で言ったのです。ポポロと別れよう、と仲間たちに言った直後のことです。

「ポポロは絶対に、うんとは言わないし、ひとり旅は危険すぎるからね。だから、ゼンとメールが一緒に行ってやってほしいんだ。ぼくはポチと二人でロムド城まで行く。そして、ルルの行方を聞いて、助け出してくるから」

 それでいいのか? とゼンが驚くと、フルートはほほえみました。

「ぼくから離れさえすれば、ポポロの中の闇も落ちつくと思うんだ。闇の狙いはぼくだけみたいだからね。君たちが一緒に行っても、君たちが命を狙われることはないはずだよ。丘に着いたら、エルフに、ポポロの中から闇を追い出す方法がないかどうか聞いてみて……」

 フルートが心配していたのは、最初から最後までポポロと仲間たちのことばかりでした。自分自身が闇に狙われていることも、これからもまた闇が迫ってきてフルートを殺そうとするかもしれないことも、本当に、これっぽっちも口にしなかったのです。

 ったく、あのお人好し! とゼンは心の中でつぶやきました。いつだって、フルートが心配するのは、自分ではなく他人のことなのです。自分の命が狙われていることよりも、仲間たちの心配をするのです。だからこそ、そんなフルートが心配で、ゼンはずっとフルートから離れなかったのですが……。

 ゼンは横目でポポロを見ました。馬から降りた少女は、地面に座りこんで、まだ泣き続けていました。そんな様子を見ていると、ゼンはなんだかひどく不愉快な気持ちになります。フルートの元へ戻りたがって泣くポポロ。それが、ルルを助けに行きたい一心なのはわかっているのに、やっぱりなんだか面白くなくて――ゼンはこうして、少女たちと道を引き返しているのでした。

「ちぇ」

 ゼンは小さく舌打ちすると、鍋の中身をスプーンで乱暴にかき混ぜました。どうも、自分で自分の気持ちがよくわかりません。自分が本当はどうしたいのか、どうすればいいのか、それもよくわからないのです。

 言い訳をするように、ゼンはつぶやきました。

「とにかく、ポポロとあいつを一緒にしておくわけにはいかないんだ。あいつの身の安全のためには、そうするしかないんだからな……」

 だけど、やっぱりどこかに何か嘘が隠れているようで、ゼンはまた考え込んでしまいました。根が単純で真っ正直なゼンとしては、こういう複雑な気持ちは、自分自身でもてあましてしまうのでした。

 そして、そんなゼンを、少し離れたところからメールが黙って見つめていました。負けず嫌いな青い瞳は、今はもう怒ったような表情さえ作らずに、淋しそうに少年を見ています。けれども、自分の想いで手一杯になっているゼンは、やはり少しもそれに気がつかないのでした。

 

 昼食が終わると、ゼンは少女たちに言いました。

「少し休んでから出発しよう。今夜は野宿になるが、天気さえ良ければ、明日の午前中には白い石の丘に着くぜ」

 少女たちはどちらも返事をしませんでした。メールはそっぽを向いて視線を合わせようとしません。ポポロはようやく泣きやみましたが、黙って自分の膝を抱えたまま地面をじっと見つめていました。彼女は昼食もほとんど食べなかったのです。

 ゼンはなんとなく、また不愉快になってきて、ごろりと地面に横になりました。寝るつもりはありません。ポポロの表情を見ていたくなかったのです。

 すると、かすかにこんな声が聞こえた気がしました。

「レムーネ……」

 ささやくような静かな声でした。そして――それっきり、ゼンは何もわからなくなってしまいました。

 

 数分後、ゼンは目を覚まして飛び起きました。

 頭上の太陽は、ほとんど動いていません。いくらも時間はたっていないと見当をつけてから周りを見回すと、案の定、ポポロがいません。ただメールだけが、かたわらの石にもたれかかって、ぐっすりと眠っていました。ゼンは飛んでいって肩を揺すぶりました。

「おい、起きろ! 起きろったら、メール!」

「あ、あれ……?」

 メールがびっくりした顔で起き上がりました。

「あたい、いつの間にまた……?」

「ポポロの魔法だ」

 とゼンが顔をしかめながら言いました。

「呪文が聞こえた。あいつ、俺たちに眠りの魔法をかけやがったんだ」

「で、でも、どうして……?」

「黒星がいなくなってる」

 とゼンが厳しい目で、近くの立木を眺めました。つないでおいたはずのゼンの黒馬が消えていました。

「ポポロが乗っていったんだ。ひとりで引き返しやがったんだ」

 メールは息を呑みました。ずっとべそをかき続けていたポポロが、まさかこんな思い切ったことをするとは予想もしていませんでした。不吉な予感が胸をよぎっていきます。

「まさか、また闇にのっとられてフルートを……!?」

「わからん。ただ、フルートを追いかけていったのは間違いない。メール、花鳥を作ってくれ! 追いかけよう!」

「うん!」

 メールはあわてて立ち上がると、目の前に広がる荒野に向かって大きく手を広げました。範囲が広すぎますが、さえぎるものがないので、なんとか声は届きそうでした。

「花たち! あたいのところへ来て、手伝っておくれ! 友だちが大変なんだよ――!」

 そう呼びかけるメールの声に、ゼンは、思わずはっとメールの横顔を見ました。トモダチガタイヘンナンダヨ。その一言が、ゼンの胸に突き刺さってきたような気がしました……。

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